第19.5話:破壊された壁と、元同僚の布教活動
第19.5話:破壊された壁と、元同僚の布教活動
「……ふざけんじゃねェェェッ!!」
自由交易都市クロスロード。派遣型ギルド『銀の天秤』。
普段は冷静なドワーフの鍛冶師ガンツの怒号が、ギルド内に轟き渡った。
「誰が直すと思ってんだ、このバカでかい風穴をよォ! アレ(ジーン)の帰る場所をぶっ壊すたァ、いい度胸してんじゃねえか、小娘どもッ!」
ガンツは油まみれの前掛けを揺らしながら、ライラの巨大な戦斧によって粉砕された石積みの壁を前に、顔を真っ赤にして激怒していた。
彼の背後では、獣姫ライラ、氷の剣士セレス、大魔導士エララ、箱入り聖女ソフィアの四人が、正座させられたままシュンと肩を落としている。
「ご、ごめんなさい……つい、匂いを追うのに夢中になって……」
「アタシは止めたのよ! この野良犬が勝手に……ッ」
「野良犬だと!? もう一回言ってみろ、このアイスキャンディー!」
「ひぃぃぃ……」
四人の規格外の美女たちも、職人の聖域を荒らしたことで、裏方たちの本気の怒り(と、これ以上暴れればジーンのメンテナンスを受けられなくなるという恐怖)には逆らえず、大人しく説教を受けていた。
その騒動の脇にあるカウンター席では。
ジーンの元同僚であるコリンが、ジョッキを片手に熱弁を振るっていた。
彼の対面に座っているのは、派手な羽飾りをつけた吟遊詩人にして情報屋の男、バウンズだ。
「……だから言ったんすよ! ジーン先輩のあの無造作な歩き方! あれはただ歩いてるんじゃない、大地との『摩擦』を全てゼロにして、この腐った世界のシステムそのものを否定してるんすよ!」
「ほう……! つまり彼は、物質的な束縛から魂を解放する『無境界の哲学者』だというのだね!」
コリンの(物理的な意味での)熱烈な布教活動を、哲学をこじらせたバウンズが(思想的な意味で)勝手に深読みしていく。
「そうっす! 現に、先輩を追放したあの勇者パーティーなんか、今じゃ見る影もないっすからね!」
コリンは痛快そうにジョッキをドンと置いた。
◆
その頃。
王都から遠く離れた、寂れた街道の泥濘の中。
ザァァァァッ……。
冷たい氷雨が容赦なく降り注ぎ、三人のボロボロの男女の体表温度を無慈悲に奪い続けていた。
「がち、がちがちがち……っ! さ、寒い……死ぬ、凍え死ぬぅ……ッ」
かつての勇者アーサーが、泥に這いつくばりながら歯の根を合わして震えていた。
大魔導士エレナは発熱で虚ろな目をし、重戦士ガウェインは泥の重みで完全に動けなくなっている。
彼らは理解していなかった。
冒険の旅において、「ただ雨に濡れる」ということが、どれほど人体にとって致命的であるかを。
かつては、ジーンの【撥水】が雨を一滴残らず弾き返し、常に彼らの体温を一定に保っていた。雨が降ろうが雪が降ろうが、彼らは魔法陣のドームの中にいるように快適だったのだ。
だが、その『究極のインフラ』を失った今。
濡れた衣服は気化熱によって急激に体温を奪い、寒さによる血管の収縮は筋肉を石のように硬直させる。体力を削られ、免疫力が落ち、ただの風邪が命取りになる。
魔法の力も、勇者の剣技も、圧倒的な【自然環境という物理法則】の前には何の役にも立たなかった。
「なんで……俺たちが、こんな目に……。ジーン……お前がいれば、俺の服は、こんなに重くならないのに……っ!」
アーサーは泥水をすすりながら、絶望の涙を流した。
圧倒的な自然の暴威。そして、それを無自覚に防いでくれていた「ただの荷物持ち」の偉大さ。
失って初めて気づいた絶対的な安全圏の消失に、かつての英雄たちは、ただ泥に塗れて泣き喚くことしかできなかった。
◆
「……とまあ、こんな感じで! ジーン先輩の『見えない加護』を失った連中は、自らの重さと世界の冷たさに押し潰されて自滅したんすよ!」
ギルド『銀の天秤』。
コリンの話を聞き終えたバウンズは、震える手で羽ペンを走らせていた。
「素晴らしい……! つまりジーン氏は、この残酷な世界から人々を護る『透明なる盾』であり、同時にそれに気づかぬ愚者を裁く『沈黙の断頭台』でもあると……! この深淵なる真理、我が詩にして世界に広めねばなるまい!」
「……え? いや、そこまでは言ってないっすけど……」
コリンが首を傾げる横で。
受付嬢のマリーは、ガンツに説教される四人の美女と、変な伝説を作り始めている吟遊詩人を交互に見比べながら、乾いた笑いを浮かべていた。
(ジーン……あんた、本当に自分の預かり知らないところで、国家転覆レベルの爆弾を抱え込んでるわよ……)
マリーは新しい胃薬の瓶を開けながら、この愛すべき『バカの集まる実家』に、明日もまた、あの無愛想なポーターが平然とした顔で帰ってくることを、少しだけ楽しみにしている自分に気がついた。




