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第17話:獣の勘と、没落した英雄たち

第17話:獣の勘と、没落した英雄たち


 闘技国家グラディオン。

 一年中、乾いた砂風が吹き荒れるこの国は、圧倒的な「暴力つよさ」こそが正義とされる弱肉強食の地だ。

 その象徴である巨大な円形闘技場コロッセオの裏口で、ジーンは気怠げな三白眼をわずかに細めていた。


「おい、ヒョロガリ。アタシの荷物、本当に全部持てんのかよ?」


 ジーンの前で挑発的に笑うのは、褐色の肌に豹の耳と尻尾を生やした獣人の少女だった。

 ライラ。この国の王族であり、闘技場において無敗を誇る『獣の姫』。

 今回の指名依頼の雇いクライアントである。


「アタシの得物は純度百パーセントの黒鋼だ。ただの人間ヒューマンが持てば、腰の骨ごとへし折れるぜ?」


 ライラは、自分の身の丈ほどもある巨大な黒鋼の戦斧ハルバードを、砂地にドンッと突き立てた。推定重量、百五十キロ。並のポーターなら持ち上げるどころか、引きずることすら不可能な代物だ。

 だが、ジーンの視界に展開されたシステムUIは、その武器の「物理的な質量」など一瞥もしていなかった。


(……足幅のブレ、歩行時の接地時間の非対称性。……左膝の関節軟骨、および半月板の深刻な摩耗を観測)


 野生の勘と圧倒的な筋力を誇る獣人の姫。

 しかし、ジーンの解剖医のような冷徹な目には、彼女が長年の激闘で蓄積させた『物理的なエラー』が、透視図のように明確に浮かび上がっていた。


「……荷物の重量は規定内だ。問題ない」


 ジーンは一切の感情を交えず、淡々と答える。

 そして、片手でその巨大な戦斧を掴むと、ジョブスキル【圧縮】を起動させた。

 カチリ、という脳内のスイッチ音と共に、百五十キロの絶対質量が「データ上の数値」として極限まで縮小される。

 ジーンは、まるで木の枝でも拾うかのような無造作な動作で、その戦斧を巨大な荷物袋へと放り込んだ。


「はっ……!?」


 ライラの豹の耳が、ピンと立ち上がった。

 魔法の気配はない。魔力による身体強化の波動も感じない。

 ただの人間が、何の細工もなく、己の純粋な「筋肉の連動」と「完璧な重心移動」だけで、あの大質量を制御したのだ。


(……なんだ、こいつ? ただのヒョロガリじゃ……ない?)


 獣人特有の鋭敏な『野生の勘』が、彼女の脳内でガンガンと警鐘を鳴らす。

 目の前の男は、魔法という小細工を使わない、純然たる『暴力(物理)』の塊だ。一見すると無防備に見えるその立ち姿には、一ミクロンの死角も存在しない。


「……搬入完了。俺の業務は『闘技場控え室への機材運搬と管理』だ。ルートの先導を」


 だが、獣人の姫がどれほど本能レベルで警戒しようとも。

 当のジーンの脳内バグは、ただ大真面目に「彼女の左膝が、本日の闘技大会のスケジュールを完遂できるかどうか」の耐久計算を行っているだけだった。


 ◆


 同じ頃。グラディオンの最下層、スラム街の採石場。

 灼熱の太陽が照りつける中、泥と汗にまみれてツルハシを振るう三人の男女がいた。


「クソッ……! なんで勇者である俺様が、こんなところで日雇いの石割りなんか……ッ!」


 右脚の靭帯を断裂し、松葉杖をつきながら石を叩く勇者アーサー。

 かつてジーンを「荷物を濡らさないだけのリュック」と嘲笑い、彼を追放した張本人である。


「文句言わないでよ! あんたが魔の森で、高利貸しから無理やり借金してまで逃げてきたせいじゃない!」


 魔力酔いで嘔吐し続け、すっかりやせ細ってしまった大魔導士エレナが、ヒステリックに叫ぶ。

 その横では、両膝の半月板が潰れた重戦士ガウェインが、もはや自慢の鎧を着ることもできず、ボロ布を纏って無言で土を運んでいた。


 ジーンという『究極の安全装置ショックアブソーバー』を失った彼らは、迷宮で機能不全に陥った後、命からがら逃げ出した先で悪徳商人に騙され、莫大な借金を背負わされていたのだ。

 もはや、魔物を倒す力もない。

 己の肉体の重さを支えることすらできず、自らの脆弱な骨と筋肉の痛みに泣き叫ぶだけの、無様な肉の塊。


「痛ぇっ……! 靭帯が、痛いィィッ……ジーン……ジーン、どこにいるんだよぉ……ッ!」


 アーサーは泥水に顔を突っ込みながら、かつて自分が捨てた男の名前を、子供のように泣き叫んだ。

 だが、その声が、はるか遠くの闘技場にいる不器用なポーターに届くことは、永遠にない。


 ◆


 闘技場の控え室。

 外からは、観客たちの地鳴りのような歓声が響いてきている。


「……いよいよアタシの出番だ。おい、ポーター。武器を出せ」


 ライラは闘気で全身の毛を逆立てながら、ジーンに手を差し出した。

 ジーンは無言で、百五十キロの戦斧を彼女の手に渡す。


 その瞬間。

 ジーンの三白眼が、ライラの左膝から発せられた『致命的なエラー音(破断音の予兆)』を確かに捉えた。


(……半月板の摩耗率、九五パーセントを突破。大腿骨と脛骨が、直接干渉を始めている)


 一流の職人としての冷徹な診断。

 このまま彼女が戦斧を振り回せば、数分と持たずに左膝の関節は完全に破壊される。


「……雇いクライアント。一つ、忠告しておく」


「あぁ? なんだよ、これから本番だってのに」


「左膝の関節軟骨が限界だ。これ以上の高負荷は、駆動系の完全な破壊を招く。本日の稼働は推奨しない」


 ジーンは、ただの「機材の耐久度報告」として、極めて事務的に告げた。

 だが、ライラは不敵に笑って、その言葉を鼻で嗤った。


「馬鹿言うな。アタシは無敗の獣姫だ。痛みなんて、気合と闘気でどうにでもなるんだよ!」


 ライラは戦斧を肩に担ぎ、控え室の扉を蹴り開けて、歓声の渦巻く闘技場へと躍り出た。

 数百の魔物が放たれた、広大なすり鉢状のバトルフィールド。

 彼女は、最初の巨大な一撃を放つため、大地を力強く蹴り上げた。


 ダンッ!


 その直後だった。

 気合でも闘気でも覆せない、純然たる物理の崩壊。


 メキィィィッ……!!


「――ッ!?」


 ライラの左膝から、太い木の枝が折れるような生々しい音が響き渡った。

 クッションを失った骨と骨が直接削れ合い、神経をすり潰す絶望的な激痛が彼女の脳髄を貫く。


「あ、アァァァァァッ!?」


 踏み込みの力を完全に失い、ライラの体は、持っていた百五十キロの戦斧の重さに振り回されるようにして、闘技場の端——底の見えない巨大な奈落のクレバスへと、真っ逆さまに投げ出された。


「……あ」


 宙を舞う視界。

 もはや受け身を取るための膝は動かない。闘気も魔法も、自由落下という物理法則の前では何の意味も持たない。

 死ぬ。

 無敗の獣姫の心臓が、絶望に冷え切った、その時だった。


「……まったく。だから稼働は推奨しないと言ったんだ」


 奈落へ落ちていく彼女の耳に。

 気怠げで、感情の一切こもっていない、不器用なエージェントの声が、どういうわけか「真横」から聞こえてきた。


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