第16.5話:裏方たちの矜持と、物流監査官の影
第16.5話:裏方たちの矜持と、物流監査官の影
「ちょっとエララ! あんたこそ何様のつもり!? ジーンの専属は私って決まってるのよ! 私の足首、まだあいつに診てもらわなきゃならないんだから!」
「嘘よ! 私の腕の筋肉をあんなに優しく揉みほぐしておいて、よそでそんな泥棒猫に……ッ!」
自由交易都市クロスロード。派遣型ギルド『銀の天秤』。
カウンターの右側では、氷の天才剣士セレスが長剣の柄を握りしめ、左側では大魔導士エララが爆炎の杖を構えている。そして中央では、箱入り聖女ソフィアが「ジーン様は私を抱きしめて服を脱がせてくれました!」と震えながらも一歩も引かない構えを見せていた。
ジーンの極限奉仕によって内部フレーム(心)を完全に狂わされた三人の美女。彼女たちが放つ強烈な殺気と魔力が激突し、ギルドの木造建築がミシミシと悲鳴を上げている。
「あ、あの……三人とも、落ち着いて……」
受付嬢のマリーは、カウンターの下に隠れて胃薬をボリボリと丸飲みしていた。
(ジーン……あんた、本当にどれだけヤバい女たちを狂わせてきたのよ……! このままじゃギルドが吹き飛ぶわ!)
まさに一触即発。魔法と剣技が交差しようとした、その時だった。
「……おい、小娘ども。他人のシマ(ジーンの実家)で、随分と騒がしいじゃねぇか」
ギルドの奥から、ドスドスと重い足音を立てて現れたのは、偏屈なドワーフの鍛冶師・ガンツだった。
彼は油まみれの分厚い前掛けを揺らし、鋭い目つきでセレスたち三人を睨みつけた。
「あんたたちは誰よ? 私たちは今、ジーンの正妻を決める大事な話し合いを……ッ」
「正妻だぁ? 笑わせるな」
エララの言葉を、ガンツが鼻で嗤う。
その横から、隻眼の馬車引き・ロイドが、車輪のメンテナンスに使う巨大なスパナを肩に担いで姿を現した。
「おいおい、魔法使いのお嬢ちゃん。あいつの『腕を直した』くらいで、随分と上から目線じゃねぇか」
ロイドは、残った一つの瞳で、エララとセレスを順に見据えた。
「いいか? あいつが何百キロもの荷物を背負って、お前らみたいな足手まといのデバフを全部肩代わりして動けるのはなぜだか分かるか? ……俺たち『裏方』が、あいつの足回りと装備を、一ミクロンの狂いもなくメンテナンスしてやってるからだ」
「あいつの泥だらけのブーツ。あれを刃こぼれ一つなく調整してんのは、この俺だ」
ガンツが腕を組んで凄む。
「お前らがどんなに泣いてすがろうがな、あいつが本当に背中を預けてるのは、俺たち『腕の立つ職人』だけなんだよ。愛だの恋だの、ただの荷物のお前らが、俺たち以上の特等席にいるとでも思ってんのか?」
「なっ……!」
「荷物、ですって……!?」
セレス、エララ、ソフィアの三人は、言葉を失った。
魔法の力も、貴族の権力も、この泥臭い職人たちには全く通じない。彼らは、ジーンと同じ「物理のロジック」と「仕事への狂気的な執念」で繋がっているのだ。
自分たちがどれだけジーンに執着しようとも、このギルドに根を張る裏方たちの絆には、まだ到底及ばない。その絶対的な事実に直面し、三人の美女たちのマウント合戦は、急速にしぼんでいった。
「……チッ。今日はこのくらいにしておいてあげるわ」
「私も……まだ足の具合が完全ではありませんし」
「ジ、ジーン様が帰ってきたら、また来ますから……!」
捨て台詞を吐いて、三人の美女たちが逃げるようにギルドを後にしていく。
「ふん。手のかかる不良在庫どもだ」
ガンツが呆れたように鼻を鳴らした。
カウンターの下から這い出してきたマリーは、ホッと胸を撫で下ろして彼らに頭を下げた。
「助かったわ、ガンツ、ロイド。あんたたちがいなかったら、今頃このギルド、跡形もなくなってたわよ」
「……何言ってやがる。ここはあいつが帰ってくる『倉庫』だ。壊されちゃ困るからな」
ガンツはぶっきらぼうに言い捨てると、再びギルドの奥へと引っ込んでいった。
表の顔はぶっきらぼうだが、彼らは皆、あの不器用で真っ直ぐなポーターのことが、どうしようもなく好きなのだ。
◆
ギルド(実家)が平穏を取り戻した直後。
今度は、仕立ての良すぎる黒いスーツを着た、冷徹な目つきの眼鏡の女がカウンターの前に立った。
「……あなたが、このギルドの責任者ですね」
「え? ああ、はい。マリーですが……」
女は、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、マリーの前に突きつけた。
「私は王都の物流監査官、イングリッド。……このギルドに所属する『ジーン』という名のエージェントについて、調査に来ました」
マリーの心臓がドクンと跳ねた。
「あの勇者パーティーが運搬に失敗し、滞っていた北の軍事拠点の重要物資。……なぜか、それが予定より三日も早く、しかも無傷の状態で納品されている」
イングリッドは、眼鏡を指で押し上げながら、鋭い視線でマリーを射抜いた。
「私のデータ(数字)に、異常値は存在しない。……あの男、一体どんな『不正』を使ってあの物資を運んだのですか? 魔法か? それとも、裏の組織のルートか?」
王都の役人が、ジーンの異常な能力に目をつけ始めた。
このままでは、彼は国家に目をつけられ、最悪の場合、異端として拘束されるかもしれない。
(……ジーン。あんた、本当に次から次へと……!)
だが、マリーは胃の痛みを堪え、営業スマイルを顔に貼り付けた。
「……さあ? 何のことでしょうか。彼はただの、少し足の速い『不器用な荷物持ち』ですよ。彼が不正なんて、するはずがありませんわ」
「……隠し立てしても無駄ですよ。この数字の異常、必ず私が暴いてみせますからね」
イングリッドは冷たく言い放ち、ギルドを去っていった。
マリーは深く息を吐き出し、カウンターに突っ伏した。
「……本当に、手のかかる『うちのバカ』なんだから」
だが、彼女の顔には、不思議と怒りや絶望はなかった。
どんなトラブルを背負い込もうとも、このギルドにいる職人たち全員が、あの真っ直ぐな男を全力で守り抜く覚悟を決めているのだから。
世界で最も不器用なポーターは、自分がこれほどまでに多くの人間に愛され、守られていることなど一ミクロンも気づかないまま。
今日もまた、次の過酷な現場へと、泥だらけのブーツ音を響かせて歩いていくのだった。




