第16話:納品完了と、神聖なる修羅場
第16話:納品完了と、神聖なる修羅場
夜明け前。
王都から数十キロ離れた、中立地帯の小さな港町。
ジーンは、小舟が停泊する波止場にソフィアを静かに下ろした。
ここには、ソフィアが事前に手配していた「国外逃亡のための協力者(運び屋)」が待機しているはずだった。
「……現在時刻、四時四十分。指定の座標への到着を確認した。依頼された『不用品の搬出』、これにて完了だ」
ジーンは、夜風に揺れる海面を気怠げな三白眼で一瞥し、懐から羊皮紙の納品書を取り出した。
ソフィアは、ジーンの言葉の意味を理解し、弾かれたように顔を上げた。
「え……? あの、ジーン様……私を、置いていくのですか……?」
数トンの呪いから解放され、生まれて初めて「自分の足」で立っているソフィアの顔に、血の気が引いていく。
彼女は、彼が自分を助け出してくれたのだから、当然この先も、ずっと傍で守ってくれるものだと無意識に思い込んでいたのだ。
「……俺の契約は『指定ポイントへの搬出』までだ。後の輸送は、あんたが手配したその船乗りの業務になる。俺の管轄外だ」
ジーンは、震えるソフィアの前に納品書を突き出した。
そこに同情や、別れを惜しむ感傷は一ミクロンもない。
彼にとって、彼女は「過酷な運命を背負った少女」ではなく、「運搬を終えたデリケートな荷物」に過ぎないのだ。
「そんな……! 私、お金なら……祈りだって、なんだって捧げます! だから、私を……ジーン様の側に……っ!」
ソフィアは、泥だらけのジーンのコートの袖に、必死に縋り付いた。
初めて知った、外の世界の冷たい空気。そして、初めて知った、安酒と鉄錆の匂いがする「安心できる熱」。
それを今、失ってしまえば、自分は本当に一人ぼっちになってしまう。
だが、ジーンは、その細く白い指を、自身を傷つけないように極めて慎重に、しかし確固たる力で引き剥がした。
「……過積載は、全体の物流システムを破綻させる。俺のスケジュールは、すでに次の依頼で埋まっているんだ」
ジーンは、涙をポロポロとこぼすソフィアの肩を、ポンと一度だけ事務的に叩いた。
「……深呼吸を忘れるな。急に酸素を吸いすぎると、過換気症候群を起こすぞ」
それは、一流のポーターとしての、荷物に対する「最後のコンディション確認」だった。
ジーンは踵を返し、朝日が昇り始めた海辺の道を、一切振り返ることなく歩き去っていく。
残されたソフィアは、その泥にまみれた背中が見えなくなるまで、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(……ああ。私は、神様に見捨てられたんじゃない。……神様よりも優しくて、残酷な男に、恋をしてしまったんだわ)
箱入り聖女は、胸の奥で激しく燃え上がる『熱』を自覚し、両手で自分の顔を覆った。
◆
それから、数日後。
大陸の中央に位置する、自由交易都市クロスロード。
ジーンが所属する派遣型ギルド『銀の天秤』の分厚い木扉が、静かに開かれた。
カラン、カラン。
「……あ、あの……すみません。こちらに、ジーン様は……いらっしゃいますでしょうか……?」
顔をすっぽりとフードで隠し、おずおずとギルドに入ってきたのは、国外逃亡用の小舟を途中で降り、ジーンの足取りを必死に追ってきた聖女ソフィアだった。
だが、彼女が足を踏み入れたギルドの中は、異様な殺気に包まれていた。
「……はぁ? 何よ、その貧相な小娘は。ここは選ばれた特級の冒険者しか入れないのよ。さっさと出ていきなさい」
カウンターの左側。豪奢なローブを纏い、巨大な魔宝石の杖を持った大魔導士エララが、ソフィアを虫けらのように見下して鼻で笑った。
彼女の右腕の筋組織は、ジーンの『仮留め』によって完璧に維持されており、彼女はそれを「ジーンとの婚約指輪」のように大切に庇っている。
「ちょっとエララ! あんたこそ何様のつもり!? ジーンの専属は私って決まってるのよ! 私の足首、まだあいつに診てもらわなきゃならないんだから!」
カウンターの右側。愛用の長剣を腰に下げた氷の天才剣士セレスが、顔を真っ赤にしてエララに噛み付いている。
ジーンの異常な『極限奉仕』によって完全にドロドロに溶かされた、誇り高き二人の美女。
彼女たちは、ジーンが帰還するのを待ち構え、ギルド内で連日「どちらが正妻に相応しいか」という血みどろのマウント合戦を繰り広げていたのだ。
「……あ、あの……」
ソフィアは、その異様な光景に怯えながらも、フードを深く被り直し、一歩前へ出た。
「私……ジーン様に、命を救われました。ジーン様は、私を……抱きしめて、この手で、服を……脱がせてくれたんです……っ!」
ピタッ。
ギルド内の空気が、文字通り完全に凍りついた。
「「……は?」」
セレスとエララの声が、完璧にハモった。
ソフィアの言葉は事実である。二・五トンの聖法衣を解除するため、ジーンは彼女を抱きかかえ、留め具を外した。だが、何も知らない者からすれば、それは完全に『事後』の生々しい告白に他ならない。
「ちょっ……服を脱がせたって、どういうことよ!? あの朴念仁が、そんな……っ!」
「嘘よ! 私の腕の筋肉をあんなに優しく揉みほぐしておいて、よそでそんな泥棒猫に……ッ!」
セレスが剣の柄に手をかけ、エララの杖の先端に爆炎が渦巻く。
ソフィアも負けじと、隠し持っていた短剣を震える手で構えた。
「ジ、ジーン様は私のものです! 神に誓って、誰にも譲りません……ッ!」
受付嬢のマリーは、カウンターの下に隠れながら、胃薬をボリボリと丸飲みしていた。
(ジーン……あんた、一体どれだけヤバい女たちを狂わせてきたのよ……!)
物理法則をハックする不器用なポーターと、彼を追って狂騒を繰り広げるマドンナたちの、果てしなき修羅場(マウント合戦)。
その本番は、まだ幕を開けたばかりだった。




