第10話:限界突破の反動と、圧倒的な質量兵器
第10話:限界突破の反動と、圧倒的な質量兵器
魔の森の深部。
木々の間から、ドス黒い瘴気が漏れ出している。
エララの放つ閃光と爆炎が森を焼き払ってから小一時間。彼女の足元には、数え切れないほどの低級魔物の残骸が転がっていた。
「ふふっ……これで、依頼の八割は完了ね。呆気ないものだわ」
エララは額に浮かんだ美しい汗を指で拭い、気位高く笑った。
だが、その声は先ほどよりも明らかに細く、上ずっている。
「……雇い主。右肩の可動域が、初期状態から一五パーセント低下している。魔力による痛覚のマスキングも限界だ」
五百キロの荷物を背負ったまま、全く息を乱していないジーンが、無機質な声で警告する。
エララは苛立たしげに彼を睨んだ。
「うるさいわね! 何度も言わせないで。私の魔法は完璧よ。人間風情が……ッ!」
彼女が右腕を振り上げた、その時だった。
ズズズズズ……。
森の奥から、先ほどのゴブリンとは比べ物にならないほどの重い地響きが近づいてきた。
木々が薙ぎ倒され、姿を現したのは、巨大な甲殻に覆われた四本足の魔獣、バジリスク。
体長は優に八メートルを超え、その鱗は並の魔法を完全に弾き返す絶大な魔法耐性を持っている。
「……フン、少しは骨のある奴が出てきたわね。いいわ、私の最高位魔法の錆にしてあげる」
エララは再び二十キロの巨大な杖を両手で構え、魔力を限界まで練り上げた。
周囲の大気が震え、膨大なエネルギーが杖の先端に収束していく。
「消え去りなさい! 【絶対零度の氷槍】!」
極大の魔法が発動した。
巨大な氷の槍が、音速を超えてバジリスクへと射出される。
だが。
ブチィィィンッ……!
「――あ゛っ!?」
氷槍がバジリスクの鱗に直撃するより早く。
エララの右腕から、太いワイヤーを引きちぎったような生々しい破断音が響いた。
限界まで疲労していた上腕二頭筋と三角筋の筋繊維が、最高位魔法の凄まじい反動に耐えきれず、根元から完全に断裂したのだ。
「あ、アァァァァァァァッ!?」
魔力で誤魔化しきれなくなった強烈な激痛が、彼女の脳髄を直接殴りつける。
腕はあらぬ方向へ力なく垂れ下がり、魔力制御を失った氷槍は軌道を逸れ、バジリスクの足元の地面を抉るに留まった。
エララの手から、二十キロの杖がすっぽりと抜け落ちる。
彼女は激痛と絶望に顔を歪め、そのまま泥だらけの地面へと無様に這いつくばった。
「グォォォォォォッ!!」
バジリスクが、獲物の隙を見逃さず、巨大な顎を開いてエララへと突進してくる。
絶体絶命の危機。
「……仕方ない」
ジーンは小さく息を吐き、背負っていた五百キロの荷物を無音で地面に下ろした。
雇用契約には含まれていないが、ここで雇い主が死ねば、ギルドへの納品スケジュールが破綻する。
(……残務処理、開始する)
ジーンは、大真面目な顔で手袋の留め具を締め直した。
彼はエララを庇うように彼女の前に立ち塞がり、足元に転がっていた『エララの二十キロの魔宝石の杖』を、片手で無造作に拾い上げた。
「あ、あなた……逃げなさい! その魔獣は、魔法耐性を持っているわ! あなたみたいな人間に、倒せるわけが……!」
エララが泥にまみれながら悲痛な声で叫ぶ。
だが、ジーンは気怠げな三白眼をバジリスクに向けたまま、静かに口を開いた。
「……魔法耐性? なら、魔法を使わなければいいだけだ」
『スロット1:【圧縮】――対象:右手に持つ魔宝石の杖の質量』
『スロット2:【撥水】――対象:前方の大気の空気抵抗』
『スロット3:空き』
カチリ、と。
脳の奥で物理的なスイッチが入る。
ジーンの手に握られた二十キロの巨大な杖が、彼のジョブスキル【圧縮】によって、異常な密度へと跳ね上がる。
質量は二十キロのまま。だが、そのサイズと強度は限界まで圧縮・強化され、杖というよりも「高密度の鉄塊」へと変貌を遂げていた。
ジーンの足幅が開く。
二百キロのバーベルを担いで高強度のスクワットを行う時と全く同じ、寸分の狂いもない完璧な重心移動。
分厚い大腿四頭筋がギリギリと軋む音を立て、大地からの反発力が右腕へと伝達される。
「フゥゥゥ……ッ」
バジリスクが巨大な顎を開き、ジーンを丸呑みにしようと迫る。
その瞬間、ジーンの右腕が鞭のようにしなった。
ドォォォォンッ!!!!
魔法の煌びやかな光など、一切ない。
ジーンの手の中で超高密度の打撃兵器と化した杖が、【撥水】によって空気抵抗を完全にゼロにされた空間を、音速の速度で駆け抜けた。
魔法耐性など、純粋な物理法則(質量×速度)の前では何の意味も持たない。
超絶的な運動エネルギーを伴った杖の一撃が、バジリスクの強固な甲殻を紙のように叩き割り、その頭部を完全に粉砕した。
ズドォォォンッ……!
巨大な魔獣の首無し死体が、ジーンの足元で重い音を立てて沈む。
「……」
ジーンは無表情のまま、血塗れた杖を軽く振って汚れを落とした。
そして、何事もなかったかのように、呆然と這いつくばっているエララを見下ろす。
「……対象の完全な沈黙を確認した。さて、雇い主」
ジーンは、数百年の誇りを打ち砕かれ、右腕の激痛に震えるエルフの大魔導士に向かって、冷徹に告げた。
「納品スケジュールが遅れている。……立てるか?」




