第8.5話:マリーの胃薬と、裏方たちの狂信
第8.5話:マリーの胃薬と、裏方たちの狂信
自由交易都市クロスロード。
大陸全土の物資と情報が交差するこの街の裏通りに、派遣型ギルド『銀の天秤』はある。
木造の古びた建物のカウンターで、受付嬢のマリーは、今日も今日とて強い胃薬を白湯で流し込んでいた。
「……はぁ。また来てるわね、北のフロストグラードからの特急便(指名依頼)が」
彼女の手元には、上質な羊皮紙で書かれた手紙の束が積まれている。
差出人は、氷の軍事国の筆頭騎士、セレス・アーベントロート。
内容は『前回の依頼で同行したポーターを、我が軍の専属調整役として永代雇用したい。報酬は国家予算の〇・五パーセントを提示する』という、正気の沙汰とは思えない狂気的なラブレター(オファー)だった。
「国家予算ってバカなの!? あいつ、ただ足の怪我の治療に付き合っただけだって言ってたのに、どんな極限奉仕を施してきたのよ……ッ!」
マリーが頭を抱えていると。
ギィィ……。
ギルドの分厚いオーク材の扉が開き、吹雪の冷気と、安酒と鉄錆の匂いが入り込んできた。
そこに立っていたのは、身の丈の三倍はある巨大な荷物袋を背負った、泥だらけのコートの男――ジーンだった。
「……北の依頼、納品を完了した。受領印を頼む」
数百キロの荷物を背負いながら、息一つ乱れていない。ブーツの底は雪解け水で濡れているはずなのに、ギルドの床には一滴の泥水も落ちていない。彼の【撥水】が、物理的に汚れを弾いているのだ。
「お、おかえりなさいジーン。……あんた、北の国で厄介な火種を置いてきたわね」
マリーがジト目で睨みつけるが、ジーンの気怠げな三白眼は全く動じない。
「ルート上のエラーを排除しただけだ。それより、これを換金してくれ」
ジーンが荷物袋を下ろすと、ギルドの奥から三人の「裏方」たちが、獲物を見つけたハイエナのように飛び出してきた。
「おおおッ! 待っていたぞジーン! さあ、見せてみろ!」
老鑑定士のバルバロスが、ジーンが取り出した『雪猿の毛皮』にルーペを当てる。
「……素晴らしい! 刃こぼれ一つ、魔力の焼け焦げ一つない、完璧な切断面! まるで最高級の宝石を削り出したような重心の狂わなさだ。お前の手で処理された素材は、市場価格の三倍で売れるぞ!」
「……セレスの剣筋が良かっただけだ。俺はただ、彼女の足元(打撃角)をロックしたに過ぎない」
バルバロスが狂喜乱舞する横で、白衣を着た異端の薬師・ドクトル・ガルドが、注射器を片手にジーンの太ももを撫で回していた。
「ひひっ……いい筋肉だ。数百キロの重量を背負いながら、乳酸の蓄積が極限まで抑えられている。私の特製アミノ酸ポーションと、君の【撥水(老廃物の排斥)】の相乗効果だ。さあ、今日もプロテインとクレアチンを極限濃縮したドロドロの薬(リカバリー液)を飲んでくれたまえ!」
さらに、ギルドの外からは隻眼の馬車引き・ロイドが顔を覗かせる。
「ジーン、次は何百キロだ? お前の【空気抵抗の撥水】があれば、俺の馬車は車軸の摩擦ゼロで竜より速く走れるぜ!」
「……次回の搬送は明日の朝だ。ロイド、右後輪のサスペンションが二ミリ歪んでいる。調整しておけ」
彼らは、魔法が使えないジーンを「荷物持ち」と見下す表の冒険者たちとは違う。
ミリ単位の物理法則をハッキングするジーンの『圧倒的な裏方としての異常性』を理解し、彼に狂信的なまでの信頼を寄せる、ギルド『銀の天秤』の暗部だった。
「……マリーさん。やっぱりジーン先輩は、物流の神様っすよ!」
受付カウンターの横で、ジーンの元同僚であるコリンが、鼻息を荒くして身を乗り出してきた。
「聞いてます!? ジーン先輩を追放した、あの勇者パーティーの連中の最近の噂!」
「え? ああ、あの性格の悪い勇者たちね。最近、クエスト失敗続きで没落貴族のパトロンに支援を打ち切られたとか……」
「それだけじゃないっすよ!」
コリンは、まるで自分の手柄のように熱弁を振るう。
「アーサーの奴、自慢の超スピードを出そうとしたら、泥で足を滑らせて靭帯を切って転がったらしいっす。エレナは、魔法を連発したら激しい頭痛と吐き気で倒れて。ガウェインに至っては、自分の鎧の重さに耐えきれなくて、インナーマッスルが潰れて一歩も動けなくなったとか!」
「……えぇ?」
「当然っすよ! あいつらは、ジーン先輩の【撥水】による『足元の摩擦ゼロ化』や『脳疲労の排斥』、そして【圧縮】による『鎧の質量軽減』っていう、見えない最強のバフに生かされてただけなんすから!」
コリンの語る惨状に、マリーは引き攣った笑いを浮かべた。
だが、当のジーン本人は、かつての仲間の没落など一ミクロンも興味がないという顔で、ガルドの不味そうなプロテインを飲み干していた。
「……コリン。他人のバグ(エラー)を笑う暇があるなら、荷台のロープの結び方を確認しろ。俺の留守中に解けたら給料から引くぞ」
「はいぃッ! 申し訳ありません、物流の神様!」
ジーンは羊皮紙の依頼書を懐にしまうと、再び泥だらけのコートを羽織った。
「……おい、ジーン。あんた、明日からは神聖魔導国リュミエールでの依頼でしょ」
マリーが、胃薬を飲み込みながら釘を刺す。
「雇い主は、あの大魔導士エララよ。エルフで、プライドが高くて、ヒューマンをゴミみたいに見下してるって有名な女。……頼むから、また厄介な女をホイホイと『メンテナンス』して、うちにトラブルを持ち込まないでよね?」
「……俺の仕事は荷物を完璧な状態で運ぶことだ。機材の整備はオプションに過ぎない。不要なタスクはこなさないさ」
ジーンは、マリーの忠告を「不要な業務の削減」という大真面目なコンプライアンス宣言で返し、ギルドの扉を開けた。
「……じゃあ、行ってくる」
安酒と鉄錆の匂いを残し、最強のリュックサックは、また次の過酷なルート(明日からのエララの依頼)へと歩き出していく。
「……はぁ。あいつ、絶対にまた『致命的なエラー』を見つけて、女の体を弄り回して帰ってくるわね……」
マリーの予感は、この後、最悪の的中を見せることになるのだった。




