8.
ある日、父が物見遊山に誘ってきた。
「京に行かないか?」
弟も一度は京を見た方がいい。
清水寺に参るのも気分転換になるだろう。
私の返事が出るよりも先に侍女たちは荷造りを始めた。
私は難色を示した。
京までの道のりは楽ではない。
長い歩行に慣れていない私がその旅に耐えられるかわからない。
「輿の準備をしています。いざとなれば御家人が姫様をおぶってくれます」
私の不安を払拭しようと侍女たちは話してくる。
別にそこまでして行きたいわけではないのに。
「どうせなら太郎様がいる場所へ連れていってよ」
私がそういうと、彼女たちは何も言わなくなった。
輿に乗せられて、時には牛車に移りゆっくりと道を進めていく。
京への道のりは遠い。
昔、太郎様と見た地図をみたが、気が遠くなる行程だった。
それなら私は逆方向の道を望みたい。
そちらには太郎様が生まれ育った山の国がある。
さらにうんのちゃんもそこにいる。
太郎様に会えなくても、彼がいた場所を感じられる。
私は尾張、美濃の道のりで母にねだった。
「京へはお父様たちで行けば良い。私はこちらへ行きたい」
だが、母は願いを聞き入れてくれなかった。
「ご覧ください。琵琶湖です」
侍女が輿の窓を開けて、外を見るように声をかける。
外から入る日差しは眩しくて、うっとうしかった。
太郎様と見たかった琵琶湖。
でも、太郎様はいないから景色を楽しむ気にはなれない。
「そんな気分じゃないの。窓をしめて……眩しくて嫌になる」
私がいうと侍女は黙ってしまった。ゆっくりと窓が閉ざされていく。
◆◆◆
揺られて入る京は騒がしかった。
太郎様がいないのであれば私には必要ない場所だ。
物珍しいものがあっても私にはどうでも良かった。
あまりのうるささに私は耳を覆った。
宿泊する屋敷に滞在し、母が色々声をかけるが私は外に出る気にはなれなかった。
部屋の中、袿に身をくるんで横になる。
侍女たちが時々様子を窺っているが、私は全てを無視して眠った振りをした。
あたりが暗くなる頃合いに、侍女たちの囁く声がした。
「殿は本当に、姫様を入内させる気かしら……」
「宮にあがっても姫様が耐えられるのかしら。今回の旅もおつらそうにして……何故殿は姫様に無理を強いるの」
悲しげに、つらそうに呟く侍女。
外に漏れてはいけないと声を抑えるように指示する声が聞こえる。
私はむくりと起き上がった。
「入内? 私が……?」
おかしいと思った。
どうして父は私の意見を聞かずに私を京へ連れてくるのか。
塞ぎこみがちだから気分転換にという耳触りの良いいいわけに私は呆れた。
「本当にお父様は私の言葉など聞かないのね……」
もう何もかも嫌になる。
袿を着て、紐でくくって足が出るようにした。
部屋の外に出るとひんやりとした風が吹いている。
昼間は少し暑苦しさを覚えたが、日がなくなると心地良くもある。
素足で、庭へ出て……静かな空間の中、ぽつりと置かれた気分になる。
心細くて、部屋に戻ろうとしても足は動かない。
太郎様を探しに行こう。
誰にも邪魔されたくない。
私は音をたてずに、声を抑えて、屋敷を飛び出した。
行きかう人々、誰も私を気に留めない。
今までは部屋を出て、屋敷を飛び出すと色んな人が私を呼び止めて屋敷へ引き戻してきた。
でも、この道では誰も私を呼び止めない。
そうだ。このまま北にいってしまおう。
昔見た地図を思い出す。
京から太郎様の故郷へなら北の方。
北はどこだったかしら。
私は道の状況を見て首を傾げた。
京はどうしたら出られるのだろうか。
わからない。
突然押し寄せる不安。
私はその場に崩れ落ちて、うずくまった。
寂しい……寂しい。
「太郎様……」
いまだに会えない大好きな人の名を呼ぶが、かえってくる返事はない。
空の方をみる。
日はなくなり、暗い夜が広がっていた。
これでは想い送りもできない。
太郎様は想い送りをしてくれると言っていた。
いまだに彼からの想い送りもない。
「嘘つき……」
私はぽたぽたと涙をこぼした。
寒い夜の下、私は動くこともせずに座り込んだままだ。
このままどこにも行けずに、朽ちてしまうのかもしれない。
「姫様」
どれだけの時間、その場に座り込んでいたかわからない。
私を呼ぶ声に顔をあげた。
目の前に現れたのは小柄な少年――はじめて出会った時と変わらずもちもちしたほっぺに情けない瞳をした少年だった。
「うんのちゃん」
涙でぐしょぐしょな私をうんのちゃんは悲しげに見つめていた。
ふところから手拭いを出す。
それで私の涙を拭ってくれる。布の感触、さらにはぬくもりを感じて私は安心した。
うんのちゃんがいると安心する。
太郎様もそう言っていた。
ようやくその気持ちがわかったように感じた。
「屋敷へ戻りましょう」
うんのちゃんの言葉に私は眉をしかめた。
「いやよ」
それにうんのちゃんは困った顔をする。
わかりやすい反応だ。
「ねぇ、うんのちゃん。あなたの国へ連れて行って」
私は彼に願った。
「太郎様に会いたいの。故郷に太郎様がいるかもしれない」
理由を必死に探して口にするが、うんのちゃんは悲しげに見つめるばかりだ。
「太郎様は、いません」
小さなお口で悲しいことをいう。
「私も探しました。でも、いないのです」
うんのちゃんの悲しい答えに、私は両手で顔を覆った。
「じゃあ、どこへ行けば良いの? 会いたいの。すごく会いたいの」
ぐしゃぐしゃの声で必死に願う。
それでも、叶うことはない。




