2.
太郎様は、屋敷にきてから客人とはいえ私の婿になるべく切磋琢磨していた。
太郎様が屋敷内に溶け込み、侍女たちが太郎様を褒めた。
「素敵な若武者ですね」
「将来が楽しみです」
賞賛を聞いては私は鼻高々だった。
そうだ。私のお婿様は素敵なのだ。
「実は不安だったの」
侍女たちの会話の中、母は太郎様がきた日の思いを思い出した。
「思いの外礼節あり、姫と仲良くできて安心したわ」
どうやら太郎様の父のことで、彼が荒れた野生児を想像していたようだ。
「もう、お母様ったら! 会ってもない方を決めつけるなんてひどいわ」
私も出会う前は太郎様がどれだけの乱暴者かと不安であった。それを棚にあげて私は母を責めた。
「ええ、悪かったと思うわ」
母は苦笑いした。
「太郎殿は思慮深い方だから、あなたも彼を支えるべく学んでいきましょう」
武家の女主人としての心構え、必要なことを母は教えようとした。
私はすくっと立ち上がった。
「太郎様の勉強が終わった頃だからお菓子を持っていきます!」
水菓子が載せられたお盆を私は持ち上げて、部屋を飛び出した。
後を追いかける侍女、残された侍女と母はおかしげに笑った。
「全くいつになれば落ち着くのか」
困った母を宥めるように侍女たちは何かしら言っているようだが、私は気にしなかった。
今の関心は太郎様に水菓子を持っていくことだ。
太郎様の日課は決まっている。
早朝は弓稽古、次に勉学。
午後になるとお菓子の時間として私と一緒に過ごす。
私は水菓子を持ち、太郎様がいる部屋へと向かった。
「おや、もうその時間でしたか」
勉強を教えていた学者の先生は穏やかな笑みをたたえた。
話が長い人で、こうして声をかけるまで延々と講釈を続けるのだ。
太郎様は真面目だから表情を変えずに勉強を続ける。
一緒にいるうんのちゃんが眠たげにしてようやく切り上げることもあるが、今日は私の訪問の方が早かったようだ。
「太郎様! 今日は瓜です」
私は盆いっぱいの瓜を見せた。
「ああ、美味しそうだ」
表情を崩した太郎様は、瓜を摘んで口に頬張る。
「うん、甘いな。うんのもこちらへ来い」
距離を置いていたうんのちゃんは困ったように私を見た。
きっと私が彼に嫌な感情を抱いているのに気付いているのだろう。
「これは太郎様の為に持ってきました」
「私はこんなに食べられないよ」
太郎様は笑った。
それに私は頬を膨らませた。
どうしてわからないのかしら。
「私は皆と食べたい。うんのをこちらへ呼んでいいなら、一緒に食べよう」
優しい太郎様がそういうなら仕方ない。
私はうんのちゃんが側に来るのを許した。
うんのちゃんは一切れを手にしてちょこんと距離をとる。
そのくらいの距離ならいいか。
彼に意地悪くするのは単純に嫉妬である。
私はいつでも太郎様の側にいないのに、うんのちゃんはいつも太郎様の側にいる。
しかも、何かと頼りにしていて納得できない。
こんなに頼りなくて弱そうなのに。
私はじとっとうんのちゃんに牽制しながら瓜を頬張った。
「姫は予定があるのかい?」
私は目を輝かせた。
予定などない。あったとしても太郎様の為にいつでも開けられる。
「太郎様、今日は海へ行きましょう!」
私の提案に太郎様の感情が少し揺り動いたのがみえた。
太郎様は山奥の国で生まれて育った。
海とは縁のない土地出身だった。
だから、海というものに憧れを抱いている。
はじめて海を見た彼の姿は今でも目に焼き付いている。
礼儀正しい若者の面を脱ぎ捨てて、砂浜を走る彼は何よりも輝いて見えた。
そして、今日もそれは見られた。
◆◆◆
太郎様は砂浜を裸足で駆けて、海の水に触れる。
元服したとはいえ、太郎様も年頃の少年なのだ。
「波にさらわれないようにしてください!」
今日の波は落ち着いている。
だが、私はついつい太郎様に声をかけた。
この時ばかりは私は海の怖さをしる経験者なのだ。太郎様の海の先輩だ。
「海は怖いのですよ。油断したら、潮が満ちて浜に戻れなくなることがあります」
「姫様も、戻れなくなったことがありますか?」
小さい声でうんのちゃんは質問した。
その質問に私は顔を崩した。
代わりに答えたのは侍女だった。
「姫様は、おつきの目を盗んで小舟に乗り込み波にさらわれたことがあります。幸い、漁師が見つけて事なきを得ましたが」
その時はいつも優しい父母がかんかんに怒っていた。父の怒りはおつきの侍女に向かい、罰を受けるところであったが母が宥めて事なきを得たのだ。
かなり怖い目に遭ったようでその侍女は寺へ逃げて尼僧となった。
「ああ、想像がつくな」
太郎様は苦笑いした。
「棟梁殿は、姫を大事にされている。きっと手打ちにされるところだったのだろう」
「まさか、お父様がそんなことをするはずはないわ」
確かに怒ると怖いが、結局最後に私を許してくれる。
だけど、当時の侍女が怖い思いをしたのは事実である。
「太郎様がお父様に怒られることがあれば一番に私に言ってね。何があろうと、私が助けます!」
父は私には甘いのだ。
私が何とかいえば許されるはずだ。
「それは心強い」
太郎様は笑った。同時にうんのちゃんを見る。
「もし、良ければうんのも助けて欲しい」
「ええー?」
私は眉をひそめた。
私が助けたいのは太郎様だけだ。
「頼むよ。姫が頼りなんだ」
太郎様は膝をつき、私の方を見上げていう。
全く、いい男はずるい。
こんな風に言われたら嫌とはいえない。
「仕方ないわね。うんのちゃんも助けるわよ」
相変わらずじと目でうんのちゃんを見ると、彼は苦笑いしていた。潰れたお饅頭みたいだなと思わずにはいられない。




