千年の嘘
「魔物語スキル保持者3名が王宮に和平を申し入れた」
将軍の声が大講堂に響いた。二百年前の改竄前の原本。王家の印璽が押された公式文書。
「3名は『魔物と人間の共存は可能であり、対話によって紛争を回避できる』と主張した。だが軍務省の事務官カルド・ヴァンデスがこれを拒否し、3名を反乱者として拘束した。カルドは王への報告を偽り、3名が『魔物の軍勢を率いて王宮を襲撃した』と記録を改竄した。3名は処刑された」
講堂が騒然となった。
「嘘だ!」
貴族の一人が立ち上がった。
「そんな記録があるはずがない! 獣語りの乱は教科書に書かれている歴史だ!」
将軍が原本を王に渡した。王は手に取り、しばらく見つめた。印璽を指でなぞった。紙の質感を確かめた。知識人の目で、文書の真贋を判定した。
「この印璽は本物だ。儂の先祖が押したものだ。二百年前の王家の印璽に間違いない」
講堂が静まりかえった。
王が続けた。
「つまり、二百年前の獣語りの乱は反乱ではなかった。和平の申し入れが、反乱と偽られた」
ナギが前に進み出た。
「陛下。二百年前だけではありません。千年前から、同じことが繰り返されてきました」
ナギは千年前の真実を語った。
「千年前、この大陸にはザルグ・ヴァンデスという男がいました。後に『魔王』と呼ばれた男です。ですがザルグは魔物を率いて人間を攻撃した暴君ではありませんでした。ザルグは大陸初の架け橋でした。魔物語を話し、魔物と人間の共存を実現した男です」
講堂が静まった。魔王が架け橋だったという話は、誰も聞いたことがない。
「ザルグの弟がそれを裏切りました。魔物との共存を恐れ、兄を殺した。そして弟の子孫が『牙の一族』となり、千年間にわたって分断を維持してきました。歴史を改竄し、魔物語スキルの持ち主を迫害し、共存の試みを全て潰してきた」
ナギは声を張った。
「軍務省次官ダリウスは牙の一族の工作員でした。偽りの王命で辺境に殲滅命令を出し、ゴブリンの長老の暗殺を企て、千年間の記録を改竄し続けてきました」
証拠を一つずつ示した。偽王命の文書。暗殺者の短剣に刻まれた牙の紋章。軍務省内の工作員の人事記録。掃除屋の拠点から押収した指令書。そしてヴェルクが辺境から持ってきた傭兵派遣命令書。
将軍が補足した。ヴェルクが辺境からの証拠を提出した。全ての証拠が一つの結論を指し示していた。千年の分断は、人為的に作られたものだったという事実を。
全てを語り終えたとき、講堂の空気が変わっていた。
恐怖と偏見が、困惑と理解に変わり始めていた。全員ではない。だが確実に、何人かの顔に変化があった。
窓の外の市民からも、静かなざわめきが聞こえた。千年間信じてきたものが嘘だったという衝撃は大きい。だがそれは、真実を知るという痛みでもある。
将軍が補足した。声は低く、硬かった。
「軍務省の地下書庫に二百年間隠されていた原本です。王家の印璽は本物であり、偽造の余地はありません。我が軍は千年間、嘘の歴史の上で動いていた。軍人として恥じ入るばかりです」
将軍の言葉が、講堂の空気をさらに変えた。軍の最高指揮官が真実を認めている。その重みは、ナギの言葉とは別の力を持っていた。
ゴルドが前に出た。小さな体が講堂の中央に立った。
【王よ。ワシは三百年生きた。嘘の歴史の中で生きてきた。人間に恐れられ、森に閉じ込められ、声を上げることもできなかった。だがワシはここにいる。王の前に立っている。これが真実じゃ。ゴブリンは人間を食わぬ。ゴブリンは人間と話したい。それだけじゃ】
ナギが通訳した。ゴルドの言葉が講堂を揺らした。三百年を生きた老人の言葉には、嘘が混じる余地がない。
王が口を開いた。
「ナギ。お前の言うことが全て真実だとして。共存の形はどうなる。具体的に示せ」
ナギは頷いた。
「明日、共存条約の原案を提出します。六族の代表と人間の代表が共に議論し、共に作る条約です。押しつけではなく、対話で作る条約です」
王が頷いた。
「よかろう。明日、条約の議論を行う」
講堂から拍手は起きなかった。だが静けさの中に、確かな変化があった。
貴族の何人かが顔を見合わせていた。軍の将校が腕を組んで考え込んでいた。商人ギルドの代表が隣と囁き合っていた。窓の外の市民が静かに言葉を交わしていた。
千年の壁に亀裂が入り、光が差し込み始めた。
ナギは講堂を出る時、将軍と目が合った。将軍が小さく頷いた。鷹の目に、静かな敬意が宿っていた。
セリアが外で待っていた。
「よくやった。あんたの声、講堂の外まで聞こえてたわよ」
「窓が開いていたからな」
「窓のせいだけじゃない。あんたの声には力がある。魔物語だけじゃなくて、人間語にも」
* * *
だがその夜。
ダリウスの予言が現実になった。
講堂の外に集まっていた市民の一部が暴徒化し始めた。千年間信じてきたものが嘘だったという衝撃は、理解に変わる前に怒りに変わった。
「千年が嘘だったなんて信じられるか!」
「魔物に騙されているんだ!」
「追放者が王を操っている!」
怒声が夜の街に響いた。日中の講堂で真実を聞いた市民の一部が、理解の前に怒りを選んだ。信じてきたものが嘘だと言われる衝撃。その衝撃が消化される前に、怒りの火が点いた。
松明を手にした群衆が大通りに溢れた。百人以上。石を拾い、声を上げ、六族の代表が宿泊する兵舎に向かって行進を始めた。
マルコが駆け込んできた。
「ナギ。暴徒だ。兵舎に向かっている」
ナギは窓から見た。松明の列が大通りを埋めている。怒声が壁を越えて聞こえる。
ダリウスの言葉が脳裏に響いた。「人間は必ず恐れる。恐れたとき、分断が始まる」。
ダリウスは独房にいる。直接手を下してはいない。だが人間の恐怖を利用する術を知っていた。千年の嘘を暴いても、千年の恐怖は一日では消えない。恐怖が怒りに変わった時、人間は最も危険な存在になる。
それがダリウスの最後の武器だった。組織を使わなくても、暗殺者を送らなくても、掃除屋を動かさなくても、人間の恐怖さえ煽れば分断は維持できる。千年間、牙の一族がやってきたことの本質がそれだった。人間の心の中にある壁を利用する。
ナギは理解した。この壁は法律でも武力でも壊せない。人間の心の中にある壁は、人間の声でしか壊せない。
ゴルドが窓辺に立った。
【来るか。声比べの大一番じゃな】
ボルガが拳を握った。
【戦うか】
ナギは叫んだ。
「戦わない。ここで戦えば、千年前と同じだ。力で押さえつければ、橋は折れる」
ナギは兵舎の扉を開けた。暴徒の群れに向かって歩き出した。松明の光が顔を照らす。怒声が耳を打つ。石が足元に転がった。
セリアが隣を走った。弓を構えている。だが矢はつがえていない。
「正気?」
「正気じゃない。だがやるしかない。暴徒の相手は剣じゃない。声だ」
トルクが大剣を背負って後ろについた。将軍の兵士が盾を構えて防壁を作った。だがナギは防壁の前に出た。一人で。暴徒の群れと向き合った。
千年の壁を崩す最後の戦いが始まった。武器ではなく、声で。




