六族、集う
「来たぞ」
トルクが城壁の上から叫んだ。人魔会議の三日前。朝靄の中、東の街道に影の群れが見えた。
ボルガが先頭にいた。灰褐色の肌。突き出た牙。巨体が馬も使わず歩いている。背後に百人のオーク鍛冶師が続いていた。全員が腰にハンマーを提げ、背中に鍛冶道具を背負っている。鎧ではない。道具だ。戦いに来たのではない。技術を見せに来た。
東の街道の別の方角から、灰銀色の影が走ってきた。ファングの率いる森狼族の精鋭四十頭。体高百二十センチの狼たちが、朝霧の中を疾走していた。蒼い紋様が額に光っている。城壁の見張り兵が驚いて槍を構えたが、将軍の命令で下ろさせた。
地下水路からは別の来訪者があった。スライムの群体知性が、大きな石の器に入って運ばれてきた。透明な粘液が器の中で脈動している。運んでいるのはゴブリンの若者たちだ。地下水路を通って王都に入った。
そして最後に、地面が微かに振動した。地下から。深淵蟲の使者が到着した。黒い甲殻が光を反射する巨大な蟲が、地下水路の入口から這い出てきた。
六族の代表が王都に集結した。
王都の民衆は驚愕した。城壁の上から見下ろす者。窓から覗く者。大通りに出てくる者。オークの巨体と森狼族の群れと巨大な蟲を見て、悲鳴を上げる者もいた。
だが全員が逃げたわけではなかった。
貧民街でゴルドに治療を受けた母親が、到着したオークの鍛冶師を見て呟いた。
「あのゴブリンのお爺さんの仲間なら、悪い魔物じゃないのかもしれない」
ゴルドの三日間の薬草治療が、世論の下地を作っていた。全ての市民が受け入れたわけではない。だが全員が拒絶したわけでもない。その隙間に、ナギは六族を滑り込ませた。
* * *
ナギは六族の代表を迎え、それぞれに王都での役割を説明した。
ボルガが市場で鍛冶の実演を始めた。携帯用の鍛冶竈を組み、オークの焼き入れ技術を披露した。人間の鍛冶師が目を丸くした。
「この焼き入れの温度管理。見たことがない。どうやって手の感覚だけで温度を測る」
ボルガが低い声で答えた。ナギが通訳した。
【オークは千年間、炎と共に生きてきた。炎の色を見れば温度がわかる。手で触れれば金属の状態がわかる。これは技術ではない。体の記憶だ】
人間の鍛冶師が弟子入りを志願した。ボルガは不器用に頷いた。
森狼族は城壁の上を駆けた。見張り兵が三時間かけて巡回する距離を、森狼族は十分で走り抜けた。しかも匂いで侵入者の有無まで特定できる。将軍の副官が感嘆した。
「この偵察能力があれば、城壁の守備が半分で済む」
深淵蟲は地下水路の補修を始めた。崩れかけた壁を甲殻で補強し、詰まった排水口を掘削した。王都の技師が作業を見守った。
「人間の技師が1ヶ月かかる工事を、蟲は3日でやるのか」
スライムの群体知性は王都の水質を分析した。結果は衝撃的だった。
【報告。王都の井戸のうち7つで、飲料水に有害な金属イオンが検出された。長期間摂取すると腹痛と皮膚疾患を引き起こす。原因は地下の鉱脈からの浸出。対策は井戸の深さを変えるか、濾過装置を設置すること】
ナギが王に報告すると、王は驚きを隠さなかった。
「貧民街の病人が多い理由はこれか。スライムは水の毒を見分けられるのか」
六族の能力が、王都に直接利益をもたらしている。これこそがナギの戦略だった。言葉で説明するのではなく、事実で見せる。
ゴルドは変わらず貧民街で薬草治療を続けていた。六族が到着したことで、患者はさらに増えた。ゴルドは嬉しそうだった。
【ワシの仲間が来た! オークの鍛冶も、森狼の偵察も、蟲の掘削も、全部見せてやる! 人間のために働くゴブリンが一人では寂しかった。六族で働けば百倍じゃ!】
王都の空気が変わり始めていた。恐怖が完全に消えたわけではない。だが好奇心が恐怖を上回る市民が増えていた。オークの鍛冶実演を見物する人だかり。森狼族の走る姿を城壁から見つめる子供たち。スライムの水質報告を聞いて井戸を確認しに行く大人たち。
千年の壁に亀裂が入っている。まだ崩れてはいない。だが光が差し込み始めている。
* * *
六族の到着を見届けた後、ヴェルクも王都に合流した。辺境の傭兵撃退の証拠書類を携えて。ダリウスの命令書の原本だ。
ナギは城門でヴェルクを出迎えた。ヴェルクの金髪は埃にまみれ、軍服は汚れていた。辺境から馬で十日。急ぎに急いだ跡が見える。
「久しぶりだな、ヴェルク」
「ああ。里は守った。約束通りだ。傭兵百人を追い返した。一人も殺さずにな。お前の方針を守った」
二人は握手した。かつて追放した者と追放された者。今は同じ方向を向いている。ヴェルクの手は硬かった。斥候の手だ。だが握る力は温かかった。
「リーナからの伝言がある。『蟲の医療技術の試作品ができた。会議で見せてほしい』と。小さな瓶に入った酵素液を持ってきた」
ナギは瓶を受け取った。透明な液体。蟲が分泌する酵素を精製したものだ。傷口に塗れば治癒速度が三倍になる。牙の商団が戦闘用に開発した技術を、リーナが医療用に転用した。破壊の技術が救済の技術に変わった証拠だ。
ヴェルクが証拠書類をナギに渡した。
「これで全ての証拠が揃った。ダリウスの偽王命、暗殺計画、里への攻撃命令、掃除屋の運用指令。全てが繋がる」
ナギは頷いた。
その夜。セリアがナギの隣を歩いていた。六族の宿営地を見回った帰り道だ。兵舎の回廊。松明の灯りが二人の影を長く伸ばしている。
セリアが囁いた。
「みんな来てくれたね。あんたが架けた橋を、みんなが渡ってくれてる」
ナギはセリアの手を握った。
「お前も渡ってくれた。最初に」
セリアが微笑んだ。緑色の目が松明の光を反射した。
「最初に渡ったのは、あんたの方よ。あたしの側に来てくれたのは、あんたが最初だった。あたしが魔物を恐れていた時、あんたが隣にいてくれた」
ナギは何も言えなかった。セリアの言葉はいつも真っ直ぐで、避ける場所がない。
ナギは深呼吸した。六族が揃った。王都の空気が変わり始めている。まだ恐怖は残っている。だが好奇心が恐怖に勝る瞬間が増えている。それで十分だ。恐怖をゼロにはできない。だが好奇心が恐怖を上回れば、人は一歩を踏み出せる。
王宮から正式な通達が届いた。翌朝、マルコが持ってきた。
「人魔会議を三日後に開催する。場所は王宮の大講堂。出席者は王、王族、貴族代表、軍の将校、商人ギルド代表。そして六族の代表」
大陸規模の会議が現実になる。ナギは深呼吸した。
だがその夜、マルコが青い顔で駆け込んできた。
「ナギ。ダリウスが独房で笑っている」
「笑っている?」
「『会議は開かれる。だが終わらない。千年の分断は言葉では埋まらない。人間は必ず恐れる。恐れたとき、また分断が始まる』と」
ダリウスは負けを認めていない。何かを企んでいるのか。それとも人間の本質を見抜いているのか。
ナギの胸に不安が走った。ダリウスの言葉は正しいかもしれない。人間は恐れる。恐怖は理性より速く走る。千年の嘘を暴いても、千年の恐怖は消えない。
だが足は止めない。不安を抱えたまま、前に進む。それが架け橋の歩き方だ。恐怖が来るなら、恐怖と向き合う。それも交渉の一つだ。




