商団の終焉
「儂の軍を使え」
将軍がダリウスの拘束翌日に言った。軍務省の一斉捜索だ。八人の工作員を拘束する。千年分の改竄記録を洗い出す。将軍は躊躇わなかった。自分の軍の名誉を汚されたことへの怒りが、行動の速度を上げていた。
捜索は三日で完了した。将軍は信頼できる副官と古参兵だけで構成した捜索隊を組織した。軍務省内の情報漏洩を防ぐためだ。
八人の工作員が次々と拘束された。事務官三人、下級将校二人、兵站担当二人、情報部の書記官一人。全員がダリウスの推薦で配属された者たちだった。抵抗した者はいなかった。ダリウスが捕まった時点で、工作員たちは任務の終了を悟っていた。中には十年以上軍務省に勤務していた者もいた。同僚として共に働いてきた兵士たちは、裏切りの事実に動揺した。
だが最大の発見は、軍務省の地下書庫にあった。
将軍の副官が埃だらけの木箱を運び出した。箱の中に、黄ばんだ羊皮紙の束。二百年前の日付。獣語りの乱の公式記録だ。
だがその下に、もう一つの記録が隠されていた。
将軍が読み上げた。ナギとゴルドが隣で聞いている。
「魔物語スキル保持者3名が王宮に和平を申し入れた。3名は『魔物と人間の共存は可能であり、対話によって紛争を回避できる』と主張した。だが軍務省の事務官カルド・ヴァンデスがこれを拒否し、3名を反乱者として拘束した。カルドは王への報告を偽り、3名が『魔物の軍勢を率いて王宮を襲撃した』と記録を改竄した。3名は処刑された」
二百年前の真実。和平を求めた者たちが、反乱者に仕立て上げられた。
ゴルドが静かに呟いた。
【ワシの祖父が言っていたとおりじゃ。あれは反乱ではなかった。人間が人間を殺したのじゃ。魔物との和平を求めた者を、恐怖に負けた者が殺した】
将軍がゴルドを見た。初めて、ゴブリンの老人に対して頭を下げた。
「三百年前からの証言だな。記録よりも古い証言だ。ゴブリンの長老よ。お前の祖父の言葉は正しかった」
ゴルドは何も言わなかった。ただ、骨飾りに触れた。三つの骨飾り。部族内での発言回数を示す勲章。三百年かけて三つ。ゴルドは長老だが、声を上げる回数は少ない。だが上げるときは、必ず正しいことを言う。
将軍が記録を王に提出した。
* * *
王は記録を読んだ。長い時間をかけて。一字一句。
そして沈黙した。
「二百年間。我が王家は嘘の歴史を教えられていたということか」
王の声は静かだった。だがその静けさの下に、深い怒りがあった。
ナギは口を開いた。
「陛下。二百年前だけではありません。千年間です。牙の一族は千年前から人間と魔物の分断を維持してきました。架け橋の初代が魔物との共存を築いた後、その弟が裏切り、架け橋を殺した。以来、弟の子孫たちが『牙の一族』として、歴史を改竄し、魔物語スキルの持ち主を迫害し、共存の試みを全て潰してきました」
王はナギを見つめた。
「千年。千年の嘘か。我が祖先も、その嘘の上に国を治めてきたのか」
「はい。ダリウスはその最新の工作員に過ぎません。千年間、牙の一族は代々の工作員を王国の中枢に送り込み、歴史を操作し続けてきました」
王は窓の外を見た。王都の街並みが広がっている。十五万の民が暮らす街。その民のほとんどが、千年の嘘を信じている。
「歴史を書き換えるのは容易ではないぞ」
「承知しています。だからこそ人魔会議が必要です。千年の嘘を、千人の目の前で暴く」
王は頷いた。
* * *
ナギはダリウスの独房を訪ねた。
独房は王宮の地下にあった。石壁。鉄格子。小さな窓から差し込む光。ダリウスは壁にもたれて座っていた。袖の牙の紋章の腕輪は没収されている。だが冷静な灰色の目はそのままだった。
「来たか、架け橋」
「話がしたい」
「何の話だ。もう全て終わった。私の負けだ」
「お前はなぜ、千年の使命を信じた」
ダリウスの目が微かに揺れた。
「信じたのではない。背負ったのだ。生まれたときから、一族の使命として刻まれていた。人間と魔物を分断し続けること。それが弟の血統の責任だと」
「だが分断が終われば、人間は魔物に食われるか」
ダリウスが笑った。冷たく。
「千年の歴史が証明している。魔物は人間を襲う。共存など幻想だ」
ナギの声は静かだった。
「千年の歴史はお前たちが作ったものだ。本当の歴史は、人間と魔物が共に生きていた。魔王ザルグが証明した。そしてここ数ヶ月、俺の里が証明した」
ダリウスは黙った。長い沈黙の後、言った。
「ザルグは失敗した。弟に殺されて終わった。お前も失敗する。人間の恐怖は言葉では消えない。恐怖が残る限り、分断は続く」
ナギは立ち上がった。
「お前の言う通りかもしれない。恐怖は消えないかもしれない。だが、恐怖のままでいる必要はない。知ることで、恐怖は変わる。お前だって、三百年生きたゴブリンの薬師が人間を治しているのを見れば、少しは考えが変わるだろう」
ダリウスは答えなかった。ただ壁を見つめていた。
ナギは独房を出た。鉄格子が閉まった。
ダリウスの「お前も失敗する」という言葉が、胸に残った。だが足は止まらなかった。失敗を恐れて立ち止まるなら、最初から橋など架けない。
牙の商団の王都拠点は壊滅した。だがグリムが言っていた。ダリウスは末端だ。長老衆が残っている。千年の組織の根は、まだ大地の下に伸びている。
グリムが長老衆の元に向かっている。和解の使者として。架け橋の血を引く者として。
ナギにできるのは、待つことだ。そして人魔会議の準備を進めること。
兵舎に戻ると、トルクとセリアが待っていた。
トルクが酒瓶を掲げた。
「ダリウスが捕まった祝いだ。将軍の兵士からもらった」
セリアが弓を壁に立てかけた。
「祝いはまだ早い。会議が終わるまで気を抜かない」
「まあ一杯くらいいいだろう」
トルクが杯を三つ並べた。ナギも一杯もらった。辺境の酒とは味が違う。王都の酒は洗練されていて、のどごしが軽い。だが温かさは辺境の方が上だ。
ゴルドが部屋に入ってきた。
【何の騒ぎじゃ。酒か。ゴブリンにもよこせ。ワシは三百年分の喉を持っておるぞ】
ナギが通訳すると、トルクが笑って小さな杯をゴルドに渡した。ゴルドが一口飲んで、眉をしかめた。
【薄い。ゴブリンの蜜酒の方がうまい。だが悪くはないわい】
四人と一匹の仔狼が、兵舎の小さな部屋で酒を飲んだ。静かな夜だった。ダリウスが捕まり、掃除屋が壊滅し、里は守られた。明日から人魔会議の最終準備が始まる。
ナギは杯を置いた。
「明日からが本番だ。六族の代表が到着する。王都の人間に、千年間見なかったものを見せる」
セリアが杯を傾けた。
「あんたはいつも先のことばかり考えてる。今夜くらい、ゆっくりしなさいよ」
「交渉者に休みはないんだ」
「じゃあ狩人が休ませてあげる。寝なさい。明日は長い一日になるから」
ナギは息を吐いた。だがセリアの言葉に従った。
眠る前に、窓の外を見た。王都の夜空は狭い。辺境の広い空が懐かしい。だがこの狭い空の下で、千年の歴史を変える。
久しぶりにぐっすり眠った。悪夢は見なかった。




