偽りの王命
「陛下。緊急の報告がございます」
将軍の声が王宮の私室に響いた。早朝。王が朝食を取る前に、ナギと将軍が緊急謁見を求めた。
王レクトスは質素な執務室にいた。机の上に書物が積まれている。知識人の王らしい部屋だ。王は朝食の皿を横に押しやり、将軍を見た。
「何事だ。顔色が悪いぞ、ガレス」
将軍が証拠の文書を机の上に広げた。木箱一杯分の文書。ダリウスの指令書。暗殺計画書。記録改竄の指示書。辺境への傭兵派遣命令書。そしてヴェルクが辺境から持ってきた襲撃計画の書面。
将軍が一つずつ説明した。
「陛下。軍務省次官ダリウスは『牙の商団』なる組織の工作員です。軍務省内に八人の工作員を配置し、情報を操作していました。辺境の橋守の里への殲滅命令。あれは王命ではありません。ダリウスが陛下の名を騙って発した偽王命です」
王の顔が硬くなった。
「偽王命だと」
「はい。陛下の印璽を模造した偽の命令書が、軍務省の記録から発見されました。ダリウスの指紋が付着しています」
将軍がさらに文書を広げた。
「さらに。ダリウスはゴブリンの長老ゴルドの暗殺を命じました。暗殺者三名を捕縛しております。暗殺者が所持していた短剣には牙の紋章が刻まれていました。そしてこれが決定的な証拠です」
将軍がダリウスの私信を取り出した。掃除屋の拠点から押収したものだ。
「ダリウスが牙の長老衆に送った報告書です。『架け橋の末裔を排除し、分断を永遠のものとする』と書かれています。ダリウスは千年前から続く秘密組織の構成員であり、国家転覆を目的として軍務省に潜入していました」
王は文書を一つずつ手に取り、読んだ。時間をかけて。急がず。慎重に。知識人の王は、証拠を精査する目を持っていた。
ナギは黙って立っていた。ここは将軍に任せるべき場面だ。軍人の言葉は軍人が伝えた方が王に届く。
王が顔を上げた。
「ダリウスを呼べ」
* * *
ダリウスが執務室に入った。
いつもと同じ顔だった。冷静で、計算高い。灰色の目が部屋を素早く査定した。机の上の文書。将軍の険しい顔。ナギの存在。全てを見て、一瞬で状況を理解した。
だが表情は変えなかった。
「陛下。お呼びでしょうか」
王が文書を指した。
「これはお前のものか、ダリウス」
ダリウスは文書を一瞥した。
「でたらめです。これは追放者と脱走兵が仕組んだ謀略です。偽造された文書に過ぎません」
将軍が追い打ちをかけた。
「ならば説明してもらおう。儂が独自に調査した結果、軍務省内に八人の工作員を確認した。全員がお前の指揮下にあった」
ダリウスの眉が微かに動いた。
「八人の工作員とは心外だ。彼らは正規の軍務省職員であり、私の推薦で配属された優秀な人材です」
「その優秀な人材の一人が、儂の兵舎でゴブリンの長老を暗殺しようとした。暗殺者が持っていた短剣には牙の紋章が刻まれていた。お前と同じ紋章だ」
ダリウスの顔が僅かに強張った。だがすぐに冷笑を浮かべた。
「牙の紋章など、市場で買える装飾品です。証拠にはなりません」
将軍が一歩前に出た。長身の軍人がダリウスの腕を掴んだ。袖を引き上げた。
ダリウスの腕に、牙の紋章の腕輪。金属製。古い。千年の歴史を感じさせる精緻な細工。市場で買える装飾品とは明らかに異なる。
「これも市場で買ったのか」
ダリウスが腕を引いた。だが将軍の握力は容赦なかった。
王の目が鋭くなった。穏やかな知識人の顔が消え、国王の顔になった。
「ダリウス。弁明はあるか」
ダリウスは数秒間黙った。灰色の目がナギを見た。冷たい光。計算する目。だが計算の結果、もう勝ち目がないことを悟った顔。
そしてダリウスは笑った。
「弁明? 必要ない」
ダリウスの目が狂気を帯びた。
「陛下。我々牙の一族が千年間、何をしてきたかご存知か。人間と魔物を分断してきた。なぜか。共存すれば千年前と同じことが起きるからだ。魔王が現れ、魔物を率いて人間を支配する。このナギがその魔王だ!」
ダリウスが袖口を振った。袖の中から黒い蟲が飛び出した。小さな甲虫。だが翅が刃のように鋭い。蟲が王に向かって飛んだ。
ナギが咄嗟に叫んだ。
【止まれ!】
根源的魔物語。蟲の本能に直接触れる言語。
蟲が空中で停止した。翅が止まり、重力に引かれて床に落ちた。からりと乾いた音。
ダリウスの顔が歪んだ。
「やはり。お前は魔物を支配できる。魔王と同じだ」
ナギは片手を上げて遮った。
「支配じゃない。頼んだだけだ。止まってくれって」
王が静かに立ち上がった。
「ダリウス。お前は今、王を害そうとした。それだけで極刑に値する」
ダリウスの目から光が消えた。敗北を悟った目。だが後悔はなかった。
「千年の使命は終わらない。私が倒れても、長老衆がいる。分断は続く」
王が命じた。
「ダリウスを拘束せよ」
将軍の兵士がダリウスの両腕を掴んだ。ダリウスは抵抗しなかった。連行されながら、最後にナギを見た。
「架け橋。お前は甘すぎる。甘さが命取りになる日が来る」
ナギは答えた。
「甘いかもしれない。だが、千年間殺し合ってきたお前たちより、俺は正しい」
扉が閉まった。ダリウスの足音が遠ざかった。
将軍がナギを見た。鷹の目に、初めて敬意が宿っていた。
「追放者。いや、ナギ。お前の言葉が蟲を止めた。王を守った。その事実は儂が証人だ」
王が窓の外を見た。朝日が王宮の庭を照らしている。
「偽王命か。儂の名で、嘘の命令が出されていたか。何年だ。何年騙されていた」
「少なくとも10年です」
王は長い沈黙の後、言った。
「ナギ。人魔会議を予定通り開催する。ダリウスの妨害は排除された。六族の代表を集めよ。儂はこの目で確かめる。共存が可能かどうかを」
ナギは深く頭を下げた。
執務室を出ると、セリアが廊下で待っていた。壁にもたれて弓を抱えている。
「終わった?」
「ダリウスが捕まった。偽王命が暴かれた」
セリアの緑色の目が大きくなった。
「それって、つまり」
「将軍が自由になった。王命の拘束から解放された。もう偽りの命令に従う必要がない」
セリアが息を吐いた。長い息だった。緊張が解けていく。
「じゃあ、あとは会議だけ?」
「会議だけだ。だが、まだ牙の長老衆が残っている。ダリウスは末端だ。千年の組織の根は深い」
セリアが頷いた。
「でも根を引き抜く必要はないんでしょ。あんたのやり方は引き抜くんじゃなくて、橋を架ける」
ナギは微笑んだ。この女は、誰よりもナギのことを理解している。
「ああ。牙の一族にも橋を架ける。そのためにグリムが必要だ」
兵舎に戻ると、グリムが壁にもたれて待っていた。ダリウスの拘束の知らせは既に届いていた。グリムの表情は複雑だった。かつての上司が捕まった。だが安堵もあった。
「グリム。頼みがある」
「わかっている。長老衆のところに行けということだろう」
ナギは驚いた。グリムは先を読んでいた。
「お前が考えることぐらい読める。千年間、牙の商団で生きてきたからな。架け橋の考え方は単純だ。敵を潰すのではなく、仲間にする」
「行ってくれるか」
グリムは長い沈黙の後、頷いた。
「俺は千年間、壊す側にいた。架け橋の血を引きながら、架け橋を殺す側にいた。そのけじめをつける」
ナギはグリムの手を握った。
「生きて帰ってこい」
「保証はできない。だが、やるだけやる」
グリムが兵舎を出た。夜の王都に消えていった。




