王の間
「陛下。この追放者は魔物を操り、辺境で武装集落を築いた危険人物です」
ダリウスの声が大広間に響いた。ナギとゴルドが王の前に立った最初の瞬間、先に口を開いたのはダリウスだった。
王宮の大広間。天井は高く、石柱が等間隔に並んでいる。窓から差し込む光が、中央の玉座を照らしていた。
アルディア王レクトスは五十代の男だった。白髪交じりの短い髪。穏やかだが意志の強い目。質素な王冠。武人というより知識人の風貌。書物を愛する王だと聞いている。
ダリウスが玉座の右に立っていた。痩せた体。冷たい灰色の目。袖の下に牙の紋章を隠した男。
ガレス将軍が玉座の左に立っていた。鷹の目がダリウスを見据えている。
ナギは大広間の中央に立った。背後にゴルド。百十センチの小さな老人が、王の前で背筋を伸ばしている。
ダリウスが続けた。
「ゴブリンの長老は魔物の軍勢の代表者です。王都に入れたこと自体が前例のない危険行為です」
ナギが口を開いた。声が震えそうになった。王の前だ。国の頂点にいる人間の前で、追放者が言葉を紡ぐ。辺境でオークの族長に認められるのとは訳が違う。だがナギは声を抑えた。震えを殺した。交渉者は声を制する。
「陛下。俺は交渉に来ました」
王がナギを見た。穏やかな目だが、値踏みしている。追放者の目の色、姿勢、声の調子、全てを計測している。
「辺境に橋守の里という集落があります。人間と魔物が共に暮らしています。千年間、魔物は人間の敵だと信じられてきましたが、それは作られた歴史です」
ダリウスが遮った。
「獣語りの乱を忘れたのか。二百年前に魔物語スキルの持ち主が反乱を起こした。歴史は繰り返す」
ナギは答えようとした。だがゴルドが先にナギの袖を引いた。
【ナギ。ワシに言わせろ】
ナギは頷いた。ゴルドの言葉を通訳する。それがナギの役目だ。
ゴルドが一歩前に出た。王を見上げた。百十センチの身長で、玉座を見上げた。
【王よ。ワシは300年生きておる。獣語りの乱の当時を知る者はもういないが、ワシの祖父はその時代を生きた。祖父は語った。あれは反乱ではなかった。和平を求めた者たちが殺されたのだと】
ナギが通訳した。一字一句、ゴルドの言葉を忠実に。
王が初めて口を開いた。
「三百年生きている。ゴブリンの寿命は、そこまで長いのか」
ゴルドが胸を張った。
【ゴブリンの長老は300年は生きる。ワシは若い方じゃ。先代の長老は400年生きた】
「三百年だそうです。先代の長老は四百年だったと」
王の目に、好奇心が宿った。知識人の目だ。未知の情報に対する純粋な興味。
ダリウスが割り込んだ。
「陛下。魔物の寿命が長かろうが短かろうが、問題はこの追放者が魔物を率いて王都に乗り込んできたことです」
「率いてはいない。共に来た」
ナギの声は静かだった。
「ゴルドは俺の部下ではありません。ゴブリン族の長老です。三百年の知恵を持つ外交使節です。俺はその通訳に過ぎない」
ダリウスの眉が微かに動いた。ナギの言い回しが予想外だったのだろう。「通訳」という位置づけは、ナギが魔物を「率いている」という構図を崩す。
王がゴルドを見た。
「ゴブリンの長老。お前は外交使節だと言うのか。何を求めてここに来た」
ゴルドが答えた。ナギが通訳した。
【森の外を見たくなった。人間がどんな生き物か、自分の目で確かめたくなった。三百年間、森の中で人間を恐れて暮らしてきた。もう十分じゃ。恐れるのは飽きた】
王の口元に、微かな笑みが浮かんだ。一瞬だけ。
ダリウスが声を上げた。
「陛下。このゴブリンが何を言おうと、辺境で起きたことは事実です。追放者は王国軍に抵抗し、魔物と共に武装集落を築きました。これは反乱です」
ナギは手を上げた。
「抵抗はしました。ですが反乱ではありません。辺境に送られてきた殲滅命令は偽りの王命でした」
大広間がざわついた。偽りの王命。その一言が空気を変えた。ダリウスの顔が一瞬強張り、すぐに冷静な仮面を被り直した。だが将軍は見逃さなかった。一歩前に出た。
「陛下。この件については、儂からも報告がございます。軍務省内に不正の疑いがあり、現在調査中です。詳細はまだ申し上げられませんが、辺境への殲滅命令の正当性に疑義が生じています」
将軍の言葉は慎重だった。まだ証拠が揃っていない。だがダリウスを牽制するには十分だった。
ダリウスの目が冷たく光った。だが表情は崩さない。
「根拠のない疑惑です。調査が終わるまでは、この追放者の発言は信用できません」
王は黙って聞いていた。ナギの話を。ゴルドの話を。ダリウスの反論を。将軍の証言を。全てを聞いた上で、王が口を開いた。
「興味深い話だ。だが証拠がない。お前の話が正しいとしても、千年の歴史を覆すには言葉だけでは足りぬ。証拠を見せよ。魔物が人間と共存できるという、反駁の余地のない証拠を」
ナギは深呼吸した。ここが勝負だ。王は証拠を求めている。言葉だけでは覆らない千年の歴史。ならば、目で見せるしかない。
辺境でやったことを、ここでもう一度やる。言葉ではなく、事実で。
「陛下。それならば、大陸規模の人魔会議を開くことをお許しください」
大広間が静まりかえった。貴族たちが顔を見合わせた。
「六つの種族の代表を王都に招きます。陛下の目の前で共存の実績をお見せします。ゴブリンの農業と薬草学。オークの鍛冶技術。森狼族の偵察能力。スライムの分析力。深淵蟲の地質技術。そして竜の千年の知恵を」
王が眉を上げた。
「六つの種族を王都に集めると」
ダリウスが叫んだ。
「陛下! それは王都を魔物に明け渡すのと同じことです!」
だが王は手を上げてダリウスを制した。
王は沈黙した。長い沈黙だった。ダリウスが何か言おうとしたが、王が手で制した。
「面白い。一月の猶予を与える。六族の代表を集めよ」
ナギの胸が震えた。
「ただし」
王の目が鋭くなった。
「一体でも暴走したら、全て終わりだ。お前の首で贖え」
ナギは頷いた。自分の首を賭ける。だが、橋守の里でも同じだった。交渉者は常に自分の命を担保にする。
「承知しました」
ゴルドが小さく呟いた。
【声比べの第一回戦。まあまあの出来じゃな】
ナギは通訳しなかった。王の前で言えることではない。
大広間を出ると、セリアとトルクが待っていた。セリアがナギの顔を覗き込んだ。
「どうだった」
「一ヶ月の猶予をもらった。六族を集める」
トルクが口笛を吹いた。
「一ヶ月で六族を王都に。正気か」
ゴルドが椅子を探して辺りを見回しながら言った。
【正気では千年の壁は壊せん。声比べの第一回戦はワシらの勝ちじゃ。次は六族全員で声を合わせる。人間の王にゴブリンの喉を聞かせてやるわい】
ナギは通訳して、笑った。だが笑いの奥で頭は動いていた。一ヶ月。六族の代表を王都に呼ぶ。辺境から王都まで馬で十日。往復二十日。準備を入れればぎりぎりだ。




