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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
魔王の遺言

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千年の証人

「将軍。千年分の話をする」


 ナギは将軍の陣営を再び訪れた。今度は一人ではない。背後にヴァルナザドールが歩いている。


 三千の兵士が凍りついた。


 全長三十メートルの竜。暗翡翠色の鱗。琥珀色の目。巨体がゆっくりと、威厳を持って陣営に近づいてくる。地面が足音のたびに微かに揺れた。戦闘態勢ではない。翼は畳まれ、口は閉じている。だがその存在だけで、空気が変わった。風の流れまで竜を避けているように思えた。


 兵士たちが剣を抜きかけた。弓兵が矢をつがえた。馬が怯えて嘶き、何頭かが杭を引き抜いて逃げ出した。


「動くな!」


 将軍の声が陣営を貫いた。三千の兵が停止した。将軍の命令は絶対だ。


 将軍がナギの前に歩み出た。竜を見上げている。鷹の目が、千年の存在を見据えていた。周囲の兵士たちが震えている中で、将軍だけが微動だにしなかった。


「竜を連れてきただと。度胸だけは認めよう」


「千年の証人です。この竜はヴァルナザドール。千年を生きている。人間と魔物が共に暮らしていた時代を知っている唯一の生き証人です」


 将軍が竜を見つめた。竜も将軍を見つめた。琥珀色と鷹の目が交差した。人間と竜が視線を合わせる光景を、三千の兵士が息を呑んで見守っていた。


「話せ。全てを聞こう」


 将軍はそれだけ言って、天幕の前の椅子に座った。陣営の中心で。三千の兵士の前で。隠し事のない場所で聞く。それが将軍の流儀だった。


 ナギは語り始めた。三枚の黒曜石の石板を地面に並べた。将軍の前に。三千の兵士の前に。


 魔王ザルグ・ヴァンデスの遺言。千年前、人間でありながら全ての魔物と対話し、同盟を結んだ男。六つの種族と契約を結び、共に暮らす土地を作った。だが人間たちはそれを恐れ、「魔王」と呼んだ。ザルグは共存を目指したが、力で人間を従わせるという過ちを犯した。正しい目的を、間違った手段で追った。その結果、弟に裏切られ、殺された。弟が作った組織が牙の商団だ。千年間、人間と魔物の分断を維持し、架け橋の一族を滅ぼそうとしてきた。


 獣語りの乱の真相。二百年前、魔物語スキルの持ち主が反乱を起こしたとされる事件。だが実際には、架け橋の末裔が和平を仲介しようとしていた。それを牙の商団が利用し、記録を改竄した。和平の使者を反乱の首謀者に仕立て上げた。


 そしてナギ自身の追放。魔物語スキルを持つことが「呪い」とされた理由。全ては千年前から続く分断工作の結果だ。


 ナギが語る間、ヴァルナザドールが竜語で語った。千年前の記憶を。ザルグとの会話を。同盟が作られた日の光景を。それが壊れた日の悲しみを。


 竜の声は低く、地の底から響くようだった。古い言語だ。人間には理解できない音の連なり。だが感情は伝わる。竜語には感情が直接乗る。悲しみ。怒り。そして後悔。千年分の後悔が、声の震えに込められていた。


 ナギが竜の言葉を訳した。一字一句。竜の感情を壊さないよう、慎重に言葉を選びながら。


「ヴァルナザドールはこう言っています。『ザルグは我の友だった。人間でありながら、我の言葉を聞いた最初の者だった。あの男は間違えた。だが志は正しかった。千年経って、また同じ志を持つ若者が現れた。我はもう同じ結末を見たくない』」


 三千の兵士が竜の声を聞いた。意味はわからない。だが竜の声が震えていることは、誰にでもわかった。千年の孤独が、声に滲んでいた。年老いた竜が、最後の力で声を振り絞っていた。


 前列の若い兵士が涙を拭った。隣の兵士が目を逸らした。竜を恐れていた男たちの顔に、別の感情が浮かんでいた。


 陣営が静まり返った。風の音だけが聞こえる。


 将軍は全てを聞き終えた。長い沈黙の後、口を開いた。


「ナギ。お前の話は信じ難い。千年前の歴史。魔王が人間だった。牙の商団が王国の中にいる。常識を超えている。儂が三十年信じてきた常識を、根底から覆す話だ」


「はい。信じ難いことは承知しています」


「だが竜が嘘をつく理由がない。千年を生きた竜が、わざわざ人間の軍の前に出てきて嘘を語る動機がない。そして儂の部下が調べた結果も、軍務省次官ダリウスの記録改竄を裏付けている」


 将軍が立ち上がった。陣営の兵士たちの前で。


「だが儂は軍人だ。王命を無視はできない。たとえそれが偽りの王命であっても、正式に覆されるまでは。儂個人の判断で軍を止めることは、軍の規律を壊すことになる」


 ナギの血が冷えた。将軍は真実を受け入れた。だが軍は止まらない。


「ならどうすればいい!」


 声が大きくなった。ナギ自身が驚くほどに。拳を握りしめていた。爪が掌に食い込んでいた。セリアが後ろからナギの腕に触れた。落ち着け、という意味だった。ナギは一度深く息を吐いた。


 将軍が答えた。静かに。だが重い声で。


「王命を覆すには、王の前で真実を示すしかない。王都で。大陸の前で。儂一人が信じても、軍務省が動かなければ何も変わらない。だが王自身が真実を知れば、偽王命は覆る。それが法だ。法に従うのが軍人だ」


 将軍の声には重みがあった。三十年の軍歴が積み上げた信念の重みだ。真実を知ってなお、法と秩序の中で解決しようとしている。ナギはこの男の誠実さを感じた。


 王都で。王の前で。


 ナギの頭の中で、一つの形が浮かんだ。大陸規模の人魔会議。人間と魔物が同じ場に立ち、対話する。王の御前で。それが唯一の解決策だ。


「将軍。俺が王都に行く。王の前で真実を語る。竜の声を届ける。六族の声を届ける」


 将軍がナギを見た。長い間。


「お前にその覚悟があるか。王都は辺境とは違う。商団の本拠がある。命の保証はない」


「覚悟はある。千年前の魔王は力で橋を架けようとして失敗した。俺は言葉で架ける。王の前で」


 将軍の目が揺れた。二度目だった。だが今度は、揺れた後に何かが定まった。決意だ。


「儂は軍命に従い、この陣営に留まる。だが、お前が王都に行くことを妨げはしない。ヴェルクを護衛につけよう」


「ありがとう」


「礼はいい。結果を出せ。お前の言葉が真実なら、それを証明しろ。王の前で」


 将軍が背を向けた。天幕に戻ろうとして、足を止めた。振り返らずに言った。


「ナギ。儂の部下にも、今日の竜の声を聞いて考えを変えた者がいるだろう。三十年間、魔物を殺せと教わってきた兵士たちだ。それでも竜の声は響いた。王都の民にも、響かせてみろ」


 ナギは頷いた。将軍の背中が天幕の中に消えた。


 ヴァルナザドールが低く唸った。竜の声が陣営に響いた。兵士たちが身構える。だが竜は何もしなかった。ただ空を見上げた。千年ぶりに、人間の軍の前に立った竜。その琥珀色の目に、涙は見えなかった。だが声は震えていた。


【架け橋よ。行け。言葉で架けろ。我はここで待つ。千年待った。もう少し待てる】


 帰り道、陣営の門を出ると、夕陽が灰嶺を赤く染めていた。セリアがナギの隣を歩いた。


「将軍、最後に振り返らなかったね」


「ああ」


「でも声は優しかった。あの人、もう味方だよ。軍人だから言えないだけで」


 ナギは灰嶺を見上げた。竜の暗翡翠色の影が、夕陽に溶けていく。千年の証人は、役目を終えたように、静かに眠りについていた。

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