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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
魔王の遺言

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軍旗の影

「俺が将軍の陣営に戻る」


 ヴェルクが朝食の席で宣言した。パンを半分齧ったまま、表情は平静だった。だが目の奥に覚悟がある。


 ナギは箸を止めた。


「脱走の罰を受けるぞ。最悪、処刑だ」


「将軍は無駄な処刑はしない。まず話を聞く男だ。その隙に辺境の真実を伝える。里の資料も、掃除屋の暗殺者たちから蟲を抜いた証拠品も、全て持っていく」


 ヴェルクは卓の上に並べた資料を指さした。群体知性がまとめた里の統計。リーナが描いた蟲の品種改良の図解。暗殺者から摘出した蟲の標本瓶。牙の紋章が刻まれた暗殺者の腕輪。


「これだけあれば、将軍の興味を引ける。あの人は証拠を見る男だ」


 ナギは迷った。ヴェルクを信じるか。かつて自分を追放した男を。


 ファングが近づいてきた。ヴェルクの匂いを嗅ぐ。三秒。ファングの耳がぴくりと動いた。


【この男から嘘の匂いはない。覚悟の匂いだ。群れのために身を投げ出す者の匂い。ナギ、この男は本気だ】


 ナギはヴェルクに手を差し出した。


「頼む。ヴェルク」


 ヴェルクは一瞬だけ手を見つめた。半年前、この手を振り払って追放を宣告した。今は同じ手を握ろうとしている。


 ヴェルクはナギの手を握った。初めてだった。元上官と元部下。追放した者とされた者。その間に橋が架かった。


「必ず将軍に会わせる。お前を」


* * *


 ヴェルクが出発した。マルコが手配した馬に乗り、南へ。将軍の行軍はすでに辺境に近づいているはずだ。三日あれば追いつける。


 ナギは里の門から見送った。馬の蹄の音が遠ざかっていく。砂煙が朝日に照らされて金色に光った。


 トルクが隣に来た。


「あの男を追放したのはお前のことだ。今、あの男に命を預けようとしている。皮肉だな」


「人は変わる。俺だって変わった」


「追放された時のお前は、こんなに大勢を束ねてなかったろう」


「ああ。一人で砦に転がり込んで、ゴブリンに石を投げられてた」


 トルクが笑った。大柄な身体が揺れる。


「あの頃が懐かしいな。お前と二人で、飯に困ってた頃が。今は六族の飯に困らないが、心配事は百倍に増えた」


「すまないな」


「謝るなよ。俺は好きでここにいる」


 二人は里の門に並んで立ち、しばらく南の空を見つめていた。ヴェルクの姿はもう見えない。


 セリアが水の入った革袋を持ってきた。


「はい。朝から何も飲んでないでしょ」


「ああ、すまん」


「あの人、大丈夫かな。ヴェルクさん」


「大丈夫だ。あの男は有能だ。生き延びる方法を知っている」


「あんたより上手いわけ?」


「人間相手の立ち回りは、あっちの方がずっと上手い。俺は魔物の方が話しやすいからな」


 セリアが小さく笑った。風が赤銅色の髪を揺らした。


* * *


 ヴェルクが去った翌日。ナギは里の防衛と歓迎準備を並行して進めていた。


 ボルガの防衛陣地が完成に近づいている。里の南側に半円形の石壁が築かれ、退路として東と西に通路が設けられた。オークの鍛冶技術で作られた石壁は堅牢で、矢も弾く。


 同時に、将軍を迎えるための「見せる場所」を整えた。ゴブリンの地下農園を見学できるように通路を広げた。オークの鍛冶工房を清掃した。スライムの分析施設に説明板を設置した。深淵蟲の居住区には入り口に光る苔を植えて、暗さを和らげた。


 ゴルドが見学路を歩いてみて、首を傾げた。


【人間の将軍が、これを見てどう思うのかのう。美しいとは思わんかもしれぬ。ゴブリンの美的感覚と人間のそれは違うからな】


「見た目じゃない。仕組みを見せるんだ。六族がどう協力して暮らしているか。それが将軍にとって意味を持つ」


【なるほど。数字が好きな男なんじゃったな。では、農園の収穫記録も見せるか。ゴブリンは数を数えるのが得意じゃ】


 リーナが蟲人族の使者と共に薬草の共同研究を見せられるように準備した。深淵蟲の甲殻から抽出した成分が解毒に有効であることを、実験で示す。


 群体知性が全体の見学ルートを最適化した。


【見学時間を二時間と仮定した場合、最も説得力の高い順路は以下の通り。一、鍛冶工房(人間が理解しやすい技術から入る)。二、地下農園(食料生産の安定性を示す)。三、スライム分析施設(知性の証拠)。四、薬草研究室(人間への具体的貢献)。五、蟲人族居住区(最も異質なものを最後に配置し、順応させる)】


「さすがだ。採用する」


 ナギは見学路を自分で歩いてみた。鍛冶工房ではオークの見習いが斧を研いでいた。農園ではゴブリンがキノコを収穫している。スライムの分析施設では群体知性が水質検査をしていた。日常の風景だ。だがこの日常こそが、将軍に見せたいものだ。


 魔物は害獣ではない。社会を持ち、技術を持ち、文化を持つ知的な存在だ。それを将軍の目で見て、将軍の頭で理解してもらう。感情ではなく事実で。


 セリアが見学路の途中で足を止めた。蟲人族の居住区の入り口だ。光る苔が壁面を照らしている。


「ここ、きれいだね。前に来た時より明るくなってる」


「リーナが苔を植えた。人間が見ても怖くないように」


「リーナは頭いいね。あたしじゃ思いつかない」


「お前は別の強さがある。弓の腕と度胸は里一番だ」


 セリアの耳が赤くなった。


「急に何よ。褒めても何も出ないからね」


* * *


 二日目の朝。南の空に煙が上がった。


 ハグレ村の方角だった。


 ナギは見張り台に飛び乗った。煙は三本。上がっては消え、また上がる。規則的だ。信号だ。


 ゴルドが見張り台の下から声を上げた。


【あれは人間の狼煙じゃ。意味は「敵が来た」。古い辺境の信号だ。ワシの祖父の代に覚えた】


 ハグレ村が攻撃されている。


 だが討伐軍はまだ五日先のはずだ。掃除屋は二日前に制圧した。誰が。


 ナギの脳裏にグリムの言葉が蘇った。掃除屋は十二人だけだったのか。商団の戦力はそれだけではないはずだ。


 ファングが吠えた。


【南の風に火薬と血の匂い。多い。五十人以上の人間がいる】


 五十人以上。掃除屋とは別の部隊だ。暗殺者ではなく、武装した傭兵団。


 ナギは拳を握った。ハグレ村は橋守の里の南にある。里とハグレ村は半日の距離。村人は二百人。武装していない農民だ。


「トルク。セリア。俺と来い」


 トルクが大剣を引き抜いた。セリアが弓弦を張った。


「ボルガ、里を守れ。ゴルド、ファング、周囲の警戒を。深淵蟲は地下から偵察を」


 ナギはハグレ村に向けて走り出した。掃除屋とは十二人だけではなかったのか。それとも別の部隊か。


 どちらにしても、村人を見捨てるわけにはいかない。ハグレ村はナギが追放された時に通過した村だ。あの時、村人たちはナギを冷たい目で見ていた。「魔物と話す男」を気味悪がっていた。だが今、その村が攻撃されている。助けるかどうかは考えるまでもない。


 走りながら、ナギは魔王の遺言を思い出していた。力で橋を架けるな。だが守らなければならない時、力を使わずにどうする。


 答えはまだ出ない。だが走ることはできる。足が地面を蹴るたびに、靴の裏から辺境の土の感触が伝わった。

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