月下の刃
「殺すな。捕らえろ」
ナギの命令が夜の森に響いた。松明の列は里の南五百メートルまで迫っている。牙の商団の掃除屋。十二人の暗殺者集団。
ファングが偵察結果を報告した。
【十二人。全員に毒の匂い。それと、身体の中に蟲がいる。人間のくせに蟲の匂いがする】
「蟲を体内に飼っている人間だ。グリムと同じだ」
トルクが大剣を肩に担いだ。
「殺さずに十二人か。厄介だな。だがお前の方針だ。やるさ」
セリアが弓に矢をつがえた。矢じりを確認する。殺傷力の高い鉄矢ではなく、足止め用の鈍頭矢に換えた。ナギの方針を理解している。
ボルガがオークの戦闘班を率いて里の南門に布陣した。鍛冶鎧に身を固めた八体の精鋭。盾と斧を持つ。
ゴルドはゴブリンの弓兵を木の上に配置した。小さな身体が木の枝に器用に登り、短弓を構える。照準は暗殺者の脚だ。
ファングの群れが森の中を走り回り、暗殺者たちの動きを追跡している。
【左翼に3人。右翼に4人。正面に5人。正面が本隊だ】
ナギは根源的魔物語で全種族に指示を出した。
【左翼はオーク。右翼はゴブリンの弓兵。正面は俺とトルクが受ける。森狼族は包囲を完成させろ。逃がすな】
暗殺者たちが森の際から飛び出した。
速い。人間の動きではなかった。蟲の力で身体能力が強化されている。脚の筋肉が異様に膨張し、跳躍力が常人の倍以上ある。手に持つ短剣に紫色の液体が塗られていた。魔素侵食毒だ。
正面の五人がナギとトルクに殺到した。
トルクが大剣を横薙ぎに振った。先頭の暗殺者が跳んで躱す。だがトルクは読んでいた。剣の軌道を変え、柄で暗殺者の腹を打った。暗殺者が吹き飛ぶ。
「一人!」
二人目がナギに迫った。毒の短剣が月光を弾く。ナギは短剣で受け流した。斥候時代の技術だ。派手な戦闘力はないが、近接戦闘で身を守ることはできる。
だが三人目が横から回り込んできた。ナギの死角。毒の短剣が腕を狙う。
矢が暗殺者の手首を射抜いた。短剣が地面に落ちる。セリアだ。見張り台の上から、暗闇の中で正確に手首だけを狙い打った。
「次!」
左翼ではボルガのオーク精鋭が暗殺者三人を相手にしていた。暗殺者の毒の短剣がオークの鍛冶鎧に突き刺さる。紫の液体が鎧の表面を腐食させた。だがボルガの鎧は特別製だ。表面の腐食層を剥がしても、中の本体は無事だった。
【この程度の毒で、ワシの鎧は抜けん】
ボルガの斧が暗殺者の脚を払った。暗殺者が倒れたところをオーク兵二人が押さえつける。
右翼ではゴブリンの弓兵が暗殺者の脚に矢を集中させていた。小さな矢だが数が多い。四人の暗殺者のうち二人が脚を射抜かれて動きが鈍った。ファングの群れがその隙に飛びかかり、腕を噛んで武器を落とさせた。
ナギは正面の戦闘を離れ、根源的魔物語を展開した。暗殺者たちの体内にいる蟲に呼びかける。
【お前たちは命令で動いているのか。それとも、自分の意思か】
蟲が反応した。暗殺者たちの動きが一瞬止まった。体内の蟲が混乱したのだ。蟲に直接語りかけられる経験は、千年間なかったはずだ。
その隙をトルクが見逃さなかった。大剣の平で暗殺者を殴りつけ、意識を刈り取る。セリアの矢が逃走しようとした暗殺者の脚を射抜いた。ファングの群れが残りを包囲した。
ボルガが最後の暗殺者を石壁に叩きつけた。暗殺者の身体がずるずると崩れ落ちる。
【片付いたな。思ったより手強かった。蟲の力で人間がここまで動けるとは】
トルクが額の汗を拭った。右腕に浅い切り傷がある。毒の短剣が掠めたのだ。リーナが駆け寄って傷口を洗い、解毒の薬草を押し当てた。
「大丈夫です。浅い傷なので、薬草で中和できます。でもトルクさん、もう少し気をつけてください」
「気をつけてたさ。だがあいつら、人間の動きじゃなかった」
十二人中十人を捕縛。
だが二人は捕まる前に、懐から小瓶を取り出した。紫色の液体。自害用の毒だ。口に含み、倒れた。ナギが駆け寄った時には、もう動かなかった。
「くそ」
ナギは拳で地面を叩いた。二人の命が失われた。商団の掟だ。捕まるくらいなら死ぬ。それほど恐ろしい組織だということだ。
* * *
捕らえた暗殺者たちからの蟲の摘出をリーナが担当した。薬草の麻酔を効かせ、蟲人族の使者が体内から蟲を引き出す。繊細な作業だ。
リーナが蟲を観察していて、異変に気づいた。
「この蟲、おかしいです。グリムに寄生していた蟲人族の幼蟲とは違います。改良されています。触角の形状が違う。体表の甲殻も、自然界のものより硬い。人工的に品種改良されています」
ナギはグリムの牢に向かった。
「牙の商団には蟲を操る技術があるのか」
グリムは目を逸らした。壁を見つめたまま、しばらく黙っていた。だがやがて、低い声で語り始めた。
「千年前。牙の初代は魔王の弟だった。兄と同じく、魔物語を使えた。架け橋の血を引いているのだから当然だ。だが弟は兄と違った。魔物と対話する力を対話に使わず、支配に使った。蟲を品種改良し、兵器にした。人間の体内に蟲を住まわせ、強化兵を作った。その技術が千年間、受け継がれている」
ナギの血が冷えた。
ナギの血が冷えた。魔物語は架け橋の血だけが持つ唯一の力だと思っていた。それが自分の存在価値だった。それが揺らいだ。
「牙の一族も架け橋の血を引いている。魔物語を使えるのは、俺だけじゃなかったのか」
「厳密には違う。牙の一族の魔物語は劣化版だ。全種族と対話する力はない。だが特定の蟲を操る力は残っている。それを千年間、支配の道具にしてきた」
ナギはグリムの顔を見た。
「お前も、架け橋の血を引いているのか」
グリムは答えなかった。だが眼帯の下の傷跡が引きつるのが見えた。
牙の一族も架け橋の血。魔物語を持つ者が世界にはもう一人ではなかったという事実が、ナギの中で何かを揺さぶった。千年前の兄弟の争い。架け橋と牙。対話と支配。同じ力の、異なる使い方。
夜明けが近づいていた。自害した二人の暗殺者を里の外に埋葬した。ナギが根源的魔物語で弔いの言葉を捧げた。敵であっても。商団に使い捨てにされた人間であっても。
セリアが隣で弓を降ろした。
「あんた、敵の墓にまで祈るのね」
「敵だったのは商団の命令のせいだ。この人たちが自分の意思で来たわけじゃない。蟲に操られて」
「優しすぎる」
「かもな」
朝日が里を照らした。十人の暗殺者は治療を受けている。蟲を抜かれた彼らは、ただの疲れた人間だった。痩せこけた顔。古い傷跡だらけの腕。目に光がない。商団に使われるだけ使われ、捨てられる寸前だった者たちだ。
一人が目を覚ました。ナギの顔を見て、怯えた。
「殺さないでくれ」
「殺さない。蟲は抜いた。もうお前に命令する者はいない」
男は信じられないという目でナギを見つめた。それからゆっくりと、涙を流した。
ナギは立ち上がった。窓の外では、蟲を抜かれた暗殺者たちにリーナが水を配っている。ゴブリンの子供が一人、恐る恐る近づいて干し肉を差し出していた。




