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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
魔王の遺言

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将軍の決断

「将軍が軍を出す。三千だ」


 ヴェルクが橋守の里に駆け込んできたのは、深夜だった。馬を乗り潰している。革の軍服は泥だらけで、金髪は乱れ、端正な顔が蒼白になっていた。いつも着崩さない軍服のボタンが二つ外れている。それだけで、事態の深刻さが伝わった。


 ナギは会議室にヴェルクを通した。水を一杯渡す。ヴェルクは一気に飲み干し、二杯目を求めた。それも飲んでから口を開いた。


「ガレス将軍が辺境討伐軍の編成を命じた。正規兵三千。目的は魔物集落の制圧と、追放者ナギの拘束だ。二週間後に辺境に到着する」


「三千」


 セリアが息を呑んだ。トルクが椅子の背もたれに大剣を立てかけ直した。金属が石壁に当たる硬い音が響く。


「私の報告は握り潰された。軍務省の事務官が差し止めたのだ。将軍に届いたのは、『辺境の魔物集落が拡大、脅威度上昇』という要約一枚だけだった。百二十頁の報告書が、嘘の一行に書き換えられた」


 ヴェルクの手が震えていた。怒りだ。自分の仕事が無駄にされた怒り。


 ナギは歯を食いしばった。グリムの言った通りだ。商団は軍務省に食い込んでいる。正しい情報が上に届かない仕組みが完成している。


「ヴェルク。お前、よく来てくれた。脱走扱いになるぞ」


「なるだろう。だが私は辺境監視官だ。辺境の真実を将軍に届けるのが任務だ。正規の手段が塞がれたなら、別の方法で届ける。それだけのことだ」


 かつてナギを追放した男が、今はナギを守るために走ってきた。軍での地位を捨て、処刑の危険を冒して。ナギの胸に複雑なものが込み上げたが、今はそれに浸っている暇はない。


「将軍はどういう人間だ」


「合理的な男だ。感情では動かない。三十年の軍歴で、無駄な戦をしたことがない。正しい情報があれば判断を変える。だが歪んだ情報しか持っていない以上、軍務省の報告に基づいて動く。それが軍人というものだ」


 リーナがヴェルクの手当てをした。馬で二日走り続けた身体は限界だった。脱水と疲労で指先が震えている。リーナが薬草を溶かした水を飲ませ、傷の手当てをする間、ナギは六者会議を招集した。


* * *


 深夜の六者会議。松明が六本焚かれた石卓の周りに、六族の代表が集まった。


「三千の正規兵が二週間後に来る。戦うか、交渉するか。意見を聞かせてくれ」


 ボルガが最初に立ち上がった。灰褐色の肌が松明の光に照らされ、下顎の牙が影を作る。


【三千だと。我らの全戦力を合わせても五百に満たない。だが、逃げるつもりはない。ここは我らの里だ。六族の誓いを立てた場所だ。守るべき場所だ】


 深淵蟲の使者が触角を震わせた。女王からのフェロモン信号。ナギが読み取って通訳する。


「女王も戦う用意があると言っている。地下から奇襲すれば、三千の軍でも背後を突ける。地中を移動できるのは蟲人族だけだ」


 ゴルドが白い眉をひそめた。骨飾りが揺れる。


【戦えば勝てるかもしれぬ。ワシらはこの土地を知っておる。森も丘も沼地も味方につけられる。だが、勝った後はどうなる。また軍が来る。今度はもっと多い。五千か、一万か。その繰り返しじゃ】


 ナギは両手を上げた。


「待ってくれ。戦えば、たとえ勝っても終わりだ。王国が一度軍を出した以上、次はもっと大きな軍が来る。終わりのない戦争になる。それは俺たちが目指したものじゃない」


 群体知性が分析結果を提示した。


【戦闘シミュレーション。6族連合軍500対正規兵3000。地の利と奇襲効果を加味しても、勝率は4割。損耗率は最善のケースで3割。長期戦になれば物資と兵站の差で不利になる。勝利しても持続不可能】


 トルクが腕を組んだ。右こめかみの傷跡が松明の光に浮かぶ。


「四割か。賭けにしては悪くない数字だが、三割の犠牲は重い。俺は昔、仲間の三割を失ったことがある。あれは勝利とは呼べなかった」


 ファングが鼻を鳴らした。


【群れを三割も失うのは受け入れがたい。子供もいる。老いた者もいる。守るべき者が多すぎる】


 ナギは石卓に両手をついた。全員の顔を見回す。ゴブリン、オーク、森狼族、スライム、深淵蟲。五つの種族の目が自分を見ている。


「将軍を、ここに招く」


 全員が黙った。


「六族の里を見せる。魔物が何者で、何を望んでいるかを知ってもらう。それが交渉の第一歩だ。ヴェルクが言った。将軍は合理的な男だと。正しい情報があれば判断を変える可能性があると。なら、見せればいい。この里を。俺たちが何を作ったかを」


 ボルガが腕を解いた。


【正気か。人間の将軍を里に入れるのか。この場所を、敵に晒すのか。防衛の弱点が丸見えになるぞ】


「敵じゃない。まだ敵になっていない。歪んだ情報で動いているだけだ。正しい情報を渡せば、味方になる可能性がある」


【可能性か。甘いな】


「甘いのは知っている。だがお前たちだって、半年前に俺が『魔物と人間が共に暮らせる』と言った時、甘いと思っただろう。結果はどうだ」


 ナギは広場を指さした。松明の光の向こうで、ゴブリンの見張りと蟲人族の使者が並んで立っている。半年前なら考えられない光景だ。


 ボルガが黙った。牙の間から長い息を吐いた。


 ゴルドが口を開いた。


【ワシは声比べで決めたい。ナギの案に賛成の者!】


 ゴブリンの代表たちが声を上げた。小さな声だが、数は多い。圧倒的多数。


 ボルガが鼻息を吐いた。


【勝手にしろ。だが、交渉が決裂した時の備えは怠るなよ。オークは防衛陣地を作る。それは譲らん】


「もちろんだ。備えは万全にする」


 ファングが短く吠えた。


【群れはナギに従う。ただし、嘘をつく者が来たら噛む】


 群体知性が追加した。


【交渉と防衛の並行準備を推奨する。将軍を招く間に、裂け目周辺と里の南側に防衛陣地を構築する。合理的なリスク分散だ】


 深淵蟲の使者が触角を明滅させた。女王からの追加信号だ。


「女王も賛成だ。ただし条件がある。将軍が裂け目に近づくことは許さない。あれは蟲人族の聖域だ」


「伝える。約束する」


 全員が頷いた。六族が一つの方針に合意した。将軍を招く。見せる。話す。戦わずに橋を架ける。


 深夜の会議が終わった。代表たちがそれぞれの区画に戻っていく。ボルガはすでに防衛陣地の設計を頭の中で組み立てているようだった。ファングの群れが里の外周に散っていく。偵察網の強化だ。


 ヴェルクがナギに近づいた。


「将軍に連絡を取る手段がある。マルコだ。私の元副官で、今も軍の中にいる。密使として動ける」


「マルコ。あの時の斥候隊の」


「ああ。お前の追放を止められなかったことを、今でも悔やんでいる男だ。義理堅い。信用していい」


 ナギは窓の外を見た。北の空に裂け目の封鎖痕が黒い線として見える。南の空は暗い。二週間後、あの暗がりの向こうから三千の軍が来る。


 だが止めるのではない。迎えるのだ。


 セリアが会議室の隅からナギを見つめていた。不安と信頼が混じった目。ナギはその目に、小さく頷いて見せた。


「大丈夫だ。まあ、話してみないとわからないだろ」


「その台詞、何回目よ」


「数えてない」


 セリアが呆れたように笑った。だがその目は笑っていなかった。三千の軍。二週間。六族の里の命運が、ナギの言葉にかかっている。


 六族の里に、嵐が近づいている。

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