表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
裏切りの牙

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/100

裏切りの牙

「七日は待てない。方法を出せ。全部だ」


 ナギの声が四者会議の席に響いた。夜明け前。松明の光が石卓を照らしている。


 スライムの群体知性が最初に応じた。


【提案。毒素の分析結果から、四つの対策が考えられる。第一、竜の炎による水の蒸留。第二、ゴブリンの地下水脈の知識で代替水源を探す。第三、オークの鍛冶技術で蒸留装置を製作する。第四、森狼族の広域偵察で汚染されていない湧き水を探す】


「全部やる。同時にだ」


 全員が頷いた。迷いはなかった。


 ゴルドが古い地図を広げた。


【この辺りに水脈がある。東に三百歩。だが深さはわからん。掘ってみるしかない】


 ボルガが腕を組み直した。


【蒸留装置なら銅板があれば半日で作れる。在庫を確認する】


 ファングが立ち上がった。


【朝一番で群れを散らす。半日で五十里四方を嗅ぎ分ける】


 ナギは根源的魔物語で念を送った。


【ヴァルナザドール。力を借りたい。貯水池が毒に汚染された。竜の炎で蒸留したい】


 灰嶺の方角から、竜の声が返ってきた。


【場所を指定しろ。ブレスの温度は調整する】


 暗翡翠色の翼が灰嶺の上空に広がった。竜が飛び立つ。巨体が月を遮り、影が里を覆った。


* * *


 全てが同時に動いた。


 ボルガが鍛冶場から銅の大鍋を運び出し、石で竈を組んだ。オークの鍛冶見習いたちが銅板を叩いて蒸留管を形作る。ボルガの指示は的確で無駄がなかった。片牙の影が松明の光に揺れている。半日前に作っていた蒸留装置の部品がそのまま転用できた。


 ヴァルナザドールが砦の南の空き地に降り立った。地面が震えた。竜の炎が銅の大鍋を包んだ。水蒸気が立ち昇り、蒸留管を伝って別の容器に清水が滴り落ちる。一滴、二滴。少ない。四百人分の水を賄うには、これだけでは足りない。


 ガリクが斥候隊を率いて東の掘削に向かった。ゴブリンたちの小さな手が土を掻き出していく。だが三百歩先の水脈は深い。半日掘っても水は出なかった。


 ファングの群れが四方に散った。蒼い紋様が闇の中で点々と光り、やがて森に消えた。


 全てが同時に動いている。だがナギは知っていた。まだ足りない。


 四つの対策は時間稼ぎだ。根本的な解決にはならない。


 ナギは裂け目の前に立った。二度目だ。スライムの小瓶を開き、粘液を岩に広げた。


【深淵の女王。聞こえるか】


 フェロモン信号が返ってきた。甘い匂い。前回より酸味が少ない。警戒が薄れている。


【聞こえている。架け橋よ。何があった】


【水が毒に汚染された。牙の商団の仕業だ。助けを求めたい。お前の民は地下に棲んでいた。地下水脈を知っているはずだ】


 沈黙。三秒。だが三秒の間に、千年分の思考が巡ったのだろう。


【知っている。地下に清水の層がある。毒の影響を受けていない深層水脈だ。場所を教えることはできる】


 ナギの心臓が跳ねた。


【等価交換だ。我が民の居場所を地上に作る約束をせよ。口約束ではない。お前の根源的魔物語で誓え。架け橋の誓いは破れないと、千年前の記録にある】


 ナギは息を吸った。


 六族目。深淵蟲族を同盟に迎える。今いる五族でさえ、ここまで来るのに半年かかった。姿も文化も言葉も、何もかもが違う存在を受け入れる。ゴブリンやオークとは比較にならない距離がある。


 だが。


【約束する。必ず。六族目の同盟として、お前たちを迎える】


 根源的魔物語が裂け目の壁面を振動させた。岩が共鳴し、深淵蟲たちの触角が一斉に光った。誓いの言葉が地下深くまで響いていく。


 女王の信号が返ってきた。温かかった。千年ぶりの温度。


【東に四百歩。地表から十尺の深さに、清水の層がある。我が民が道を開く】


 ナギが裂け目から離れると、地面が微かに揺れた。足元の土が盛り上がり、裂けた。小さな穴。穴の中から水が湧き始めた。透明な水だ。


 深淵蟲が地下から水脈を穿ったのだ。小さな蟲たちが土を掘り、岩を砕き、清水の層まで道を通した。


「ナギさん!」


 リーナが駆け寄った。水を掬い、匂いを嗅ぎ、群体知性に分析を依頼した。


【毒素不検出。飲用可能】


「飲めます。きれいな水です」


 ゴブリンの子供たちが水に手を伸ばし、掬って飲んだ。笑い声が上がった。


 ボルガが蒸留装置の傍から歩いてきた。湧き水を見下ろし、片牙を動かした。


【蟲がやったのか。代わりに何を約束した】


「六族目として迎えると誓った」


 ボルガが長い沈黙の後、鼻から息を吐いた。


【忙しくなるな】


 否定しなかった。


* * *


 水の危機が解決に向かった午後。ファングの群れが森の東から一斉に吠えた。


【逃走者を捕捉。蟲人族の残党三体と、人間一人】


 岩場の窪みだった。ファングの群れが囲んでいる。蒼い紋様が脈動し、金色の目が獲物を見据えている。


 囲みの中に、グリムがいた。蟲人族の残党が盾のように前に立っているが、身動きが取れない。眼帯がずれている。だが笑っていた。


「架け橋の末裔よ。さすがだ。水の問題をもう解決したのか」


 ナギはトルクとセリアを連れて東の森に走った。


 ナギはグリムの前に立った。風が二人の間を吹き抜けた。グリムの右目の眼帯の下で傷跡が引きつっている。だが口元は笑っている。追い詰められた獣ではなく、まだ余裕のある交渉者の顔だ。


「グリム。お前の目的は最初から、五族同盟の破壊だった。女王を騙し、蟲人族を駒にし、俺の仲間に毒を盛った」


「仕事だ。千年続く仕事だ」


「獣語りの乱もお前たちが仕組んだ。記録を改竄し、架け橋を裏切り者に仕立て上げた。証拠がある。軍務省の記録に、牙の紋章の透かしが残っていた」


 グリムの笑顔が消えた。右目の眼帯の下の傷跡が引きつった。失策を悟った目。だがすぐに笑い直した。


「これは序章にすぎない。牙の商団は千年続いている。私は末端だ。本拠は大陸中部の——」


 空気が裂けた。


 ヴァルナザドールが降下した。暗翡翠色の巨体が岩場の上空を覆い、竜の咆哮が森を震わせた。蟲人族の残党が触角を震わせてうずくまった。


 竜の琥珀色の目がグリムを見下ろした。


【千年前、お前たちの先祖が我が同胞を殺した。だが架け橋がそれを望まないだろう。眠れ】


 竜が一声吠えた。短く、鋭く。音の衝撃波がグリムの意識を刈り取った。体が崩れ落ちる。


 トルクが縄を取り出した。


「縛るぞ。情報を引き出す」


「頼む」


* * *


 その夜。橋守の里の広場に焚き火が上がった。


 ゴルドが焚き火の前に立った。白い眉が炎に照らされている。骨飾りが揺れた。


【ナギよ。お前は裏切り者と呼ばれた。軍に、王国に、人間の世界に。だがワシらは知っておる。裏切り者の牙は、お前に向けられた者どもの方じゃ】


 ボルガが杯を掲げた。オークの酒。琥珀色の液体が焚き火の光を弾いた。


【六族目を迎えるか。忙しくなるな】


 ファングが炎の傍で伸びをした。蒼い紋様が穏やかに光っている。


【群れが増えるのは良いことだ】


 スライムの出張所が水槽の中で波紋を立てた。


【六族目の統合は未知のパラメータが多い。だが、協力する】


 リーナが笑った。


「群体知性が『協力する』って。素直じゃないですね」


 トルクが無言で杯を傾けた。大剣を背に預けたまま、焚き火の光を浴びている。半年前、ナギと二人だけで辺境を歩いていた頃が嘘のようだ。


 灰嶺の上空で、ヴァルナザドールの影が旋回している。竜は広場には降りなかった。だがナギには声が届いていた。


【よくやった、架け橋よ。だが休むのはまだ早い】


 ナギは焚き火の傍に座った。腰のイルザの短剣に手を触れた。架け橋の紋章。橋を渡る人と獣。二百年前に始まった物語が、今夜ようやく次の頁に進んだ。


 隣にセリアが来た。杯を二つ持っている。一つをナギに渡した。


「まだ足りないって顔してる」


「わかるか」


「半年も見てれば、わかるようになる」


「王国との交渉。大陸全体との交渉。牙の商団の本拠の調査。やることが山積みだ」


「あんたは本当に、先のことばっかり」


「悪い癖だ」


「知ってる」


 セリアが杯を口に運んだ。オークの酒は強い。頬がほんのり赤くなっている。


「でもさ。先のことばっかり考えるあんたの隣に、今のことしか考えないあたしがいるんだから、ちょうどいいでしょ」


「そうかもな」


 セリアがナギの肩に頭を預けた。赤銅色の髪が焚き火の光に橙色に染まっている。ナギは動かなかった。


 北の空に、裂け目から漏れる黒い霧が月を翳らせている。だがその霧の中に、微かな光が見えた。深淵蟲たちの触角が光っている。一つ、二つ、十、百。点々と連なる光の列。


 女王からの信号だった。


【架け橋よ。約束を忘れるな。我が民は待っている】


 ナギは北の空を見上げた。


 焚き火が爆ぜた。火の粉が夜空に舞い上がり、北の光と混じって消えた。


 橋守の里の夜は更けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ