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魔物交渉者 〜「気味が悪い」と追放された斥候は、魔物と交渉するだけで最強の領地を築き上げる〜  作者: 景都 (けいと)
裏切りの牙

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夜の森

「ボルガ。説明してくれ」


 ナギの声が広場に落ちた。松明の火が影を刻む。深夜の冷気が頬を刺す。


 ボルガが片牙を噛んだ。握手を見られたばつの悪さが、一瞬で消えた。代わりに浮かんだのは、開き直りに近い強さだった。


【鉄だ。追加の鉄鉱石を二箱。見返りに大型ナイフ二十本。四者会議の枠を超えているのは承知している】


「承知していて、なぜやった」


【ナギ。お前は繋ぐ者だ。だが鍛冶のことはオークが一番わかる。会議を待てと言うなら、あの鉄を前にして、お前が同じことを言えるか試してみろ】


 ナギは言い返せなかった。ボルガの片牙が上がる。寡黙なオークが言葉を重ねるのは珍しい。それだけ、鉄への執着が深いということだ。


 ゴルドが骨飾りを揺らしながら近づいてきた。


【ナギよ、ワシも少々やった。香辛料じゃ。ゴブリンのキノコ料理に合う上物でな。子供たちが喜ぶぞ】


「ゴルド。問題は品物の質じゃない。四者会議を通さなかったことだ」


【ワシらは愚かではないぞ】


 ゴルドの声に棘が混じった。骨飾りが鳴る。老ゴブリンの白い目がナギを見据えている。


【お前の慎重さは理解しておる。だがな、ナギ。里には利益が必要なのじゃ。ゴブリンの子供は百を超えた。冬が来る前に食の多様性を確保せねばならん。お前の疑念だけでは、腹は膨れんのじゃ】


 正論だった。里の人口は増え続けている。交易品の種類が偏れば、栄養に偏りが出る。ゴルドの判断は族長として間違っていない。


 だがその正論が、グリムの仕掛けた罠の上に乗っている。


「二人とも。明日、緊急の四者会議を開く。ファングにも伝える。全員集まってくれ」


 ボルガとゴルドが顔を見合わせた。


【緊急、とはまた大袈裟じゃな。何があった】


「明日話す。今夜は取引をこれ以上進めないでくれ。それだけ約束してほしい」


 ゴルドが骨飾りを撫でた。老獪な目がナギを量っている。


【わかった。明日まで待とう。だがナギよ、根拠のない疑念で商団を追い出す気なら、ワシは反対するぞ】


 ナギは頷いた。


 グリムが馬車の方に戻っていく。蟲人族の護衛が二体、影のように従う。ナギはその背中を見送った。杖をついているが、体重をかけていない。歩幅が一定。商人の歩き方ではなかった。


* * *


 自室に戻った。セリアが廊下までついてきた。


「さっきの、ボルガとゴルドの反応……予想より硬いね」


「ああ。二人とも本気で利益を求めてる。間違ってはいない。だからこそ厄介だ」


 セリアが壁にもたれた。赤銅色の髪が松明の残り火に揺れている。


「四者会議で何を出すの。光通信の中身?」


「それだけじゃ足りない。スライムの解析だけだと、ゴルドは『不完全な復号で判断してよいのか』と言うだろう。ボルガは『鉄は本物だった』と返す」


「じゃあ、どうするの」


 ナギは腰の革袋からスライムの小瓶を取り出した。群体知性の分体が瓶の中で脈動している。


「スライム。あの光通信の北方からの応答は解析できたか」


 蓋を開け、指先を浸した。冷たい概念が流れ込む。


【応答パターンの解析が完了した。北方からの返信は短い。三つの命令で構成されている】


「読んでくれ」


【第1命令、繋ぐ者の能力範囲を測定せよ。第2命令、同盟の最弱環を特定せよ。第3命令、毒の散布は女王の許可を待て】


 セリアが息を呑んだ。ナギの隣で瓶を覗き込んでいた目が、大きく見開かれている。


「毒の散布……やっぱり使うつもりなんだ」


「待てと言っているだけだ。タイミングを計っている」


「最弱環って、同盟の中で一番崩れやすいところを探してるってこと?」


「ああ。そしてもう見つけたかもしれない」


 ナギは窓の方を見た。広場の松明はもう消えている。闇の中に、ゴルドとボルガが個別に取引を受けた事実だけが残っていた。


「スライム。もう一つ聞きたい。信号の発信先は、どのくらいの距離にいる」


【光の減衰率から推定。北方3から5キロメートルの地点。森の奥。定位置ではなく移動体の可能性がある】


 三から五キロ。里のすぐ近くだ。


「別動隊がいる」


 セリアの声が硬くなった。


「商団の四人と護衛四体だけじゃない。北の森にも誰かいる」


「ああ。退路か、増援か、あるいはその両方だ」


 セリアが腕を組んだ。弓を引く時の癖だ。何かに照準を合わせたい時、この姿勢を取る。


「ナギ。あたしにやれることがある。猟師だから、森の中なら誰よりも早く動ける。北の連中を見つけ出す」


「一人じゃ危険だ」


「あんた一人で蟲人族を追った時も同じこと言ったでしょ。結局あたしがついて行った」


 否定できなかった。セリアの足音は獣並みに静かだ。森の中では、ナギより遥かに有能だ。


「わかった。だが深入りするな。数と位置だけ確認して戻ってくれ」


「了解。朝一番で出る」


 セリアが自室に戻ろうとした。ナギは声をかけた。


「セリア」


 振り返った。緑の目が松明の名残に光っている。


「ありがとう」


「お礼は全部終わってからにして」


 セリアの唇の端が微かに上がった。扉が閉まった。


 一人になった廊下で、ナギは拳を握った。窓の外でファングの群れの低い遠吠えが響いている。夜通し里を見張る声。


 だが見張るだけでは足りない。証拠がいる。会議で使える、言い逃れのできない証拠が。


 ナギは松明を手に、リーナの部屋に向かった。手記の解読がまだ残っている。イルザの記録に、牙の者どもの手口が書かれているかもしれない。


* * *


 リーナは起きていた。机の上に手記を広げ、羊皮紙にメモを取っている。水色の目が充血していた。


「ナギさん。新しい箇所が読めました」


「何があった」


 リーナがメモを差し出した。


「イルザさんが牙の者たちの常套手段について書いています」


 リーナが手記のページを指でなぞった。インクが薄くなっている箇所を、目を細めて読み上げる。


「『牙の者どもの常套手段は三つ。第一、経済で魔物の長を懐柔する。第二、同盟内に離反者を作り、内側から崩す。第三、架け橋の力そのものを奪う薬を用いる。蟲人族の毒腺から精製される魔素侵食の毒。これを架け橋に服用させ、魔物語のスキルを封じる。力を失った架け橋は、ただの人間だ。魔物たちの信頼を失い、同盟は自壊する』」


 ナギの指が冷たくなった。


 毒はスライム用だけではない。ナギ自身の魔物語を封じるための毒も存在する。馬車の二重底に隠されているものが、そのどちらなのか。あるいは両方なのか。


「リーナ。毒の解毒法は書いてあるか」


「まだそこまでは……でもページは残っています。探します」


 リーナの細い指が手記をめくった。ナギは横から見つめた。イルザの筆跡が次第に荒くなっている。書く速度が上がっている。追手が迫っていたのだろう。二百年前の架け橋が、命を削りながら記した警告。


「ナギさん。もう一箇所見つけました。『牙の商団は表向き仲介を名乗るが、彼らが赴いた集落は例外なく三年以内に崩壊した。経済的な依存を作り、内部分裂を誘発し、最後に架け橋を排除する。その手口は千年前から変わっていない』」


 今、この里で起きていることそのものだ。経済で懐柔し、個別交渉で亀裂を入れ、架け橋の力を奪おうとしている。


「リーナ。会議までにできるだけ読み解いてくれ。特に毒に関する記述を重点的に」


「はい。任せてください」


 リーナの水色の目に決意が宿った。この薬師見習いは文字に没頭すると周りが見えなくなるが、集中力だけは誰にも負けない。


「リーナ。もう一つ」


「はい?」


「お前も気をつけてくれ。商団がお前の解読作業に気づいたら、手記を奪いに来るかもしれない」


 リーナの顔が強張った。だがすぐに手記を胸に抱え込んだ。


「この手記はイルザさんが命がけで残したものです。渡しません」


「頼もしいな」


「薬師として、毒の分析も手伝えます。スライムのデータと手記の記述を照合すれば、毒の正体をもっと絞り込めるかもしれません」


「やってくれ」


 ナギはリーナの部屋を出た。自室に戻り、寝台に腰を下ろしたが、横にはならなかった。窓の隙間から冷たい風が吹き込む。


 明日の四者会議。ゴルドとボルガを説得できるか。利益という名の餌と、不完全な証拠。天秤はどちらに傾く。


 腰のイルザの短剣に手を触れた。橋を渡る人と獣の紋章。千年前から続く戦いの最前線に、自分は立っている。


 遠くでファングの遠吠えが響いた。夜番の終わりを告げる声だ。


 東の空が白み始めていた。だが夜明けが来ても、答えはまだ見えなかった。

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