架け橋の遺産
「ここだ。北の間」
翌朝。ナギはトルクと二人で砦の北側の部屋に入った。倉庫として使っている部屋。壁際の棚にゴブリンのキノコの干物が並び、オークの鍛冶道具が箱に入っている。
トルクが壁を見回した。
「隠し棚って言っても、200年前の細工だ。石壁が崩れてるかもしれんぞ」
「だから二人で来た。手伝え」
「言われなくても」
壁を一枚ずつ叩いていった。石壁は硬い。叩くたびに鈍い音が返ってくる。中身が詰まった音。
北壁の左端から順に叩く。三つ目。四つ目。五つ目。
六つ目で、音が変わった。
「ここだ」
トルクが耳を壁に当てた。
「確かに空洞がある。暖炉の裏側だな」
この部屋の隣は旧厨房で、暖炉が壁を共有している。暖炉の裏の壁は厚い。だがその厚さの中に、空間が作られていた。
ナギは壁の目地を指でなぞった。石と石の隙間に、微かに異なる色の詰め物がある。他の壁は灰色の漆喰だが、この一枚だけ茶色い粘土で埋められていた。
「トルク。短剣を貸してくれ」
「俺のか? 大剣は繊細な作業には向かんぞ」
「短剣だ、短剣」
トルクが腰の副武装から短剣を抜いてナギに渡した。ナギは刃先で粘土を削り始めた。乾いた茶色の粘土が粉になって落ちる。奥に空間がある。手応えが軽い。
十分ほどかけて粘土を掘り出すと、石壁の一枚が外れるようになった。トルクが石を引き抜く。重い。二人がかりで床に下ろした。
壁の中に、暗い空洞。奥行きは腕一本分ほど。
その中に、朽ちかけた木箱があった。
「あった」
ナギは慎重に箱を引き出した。木は黒ずんでいるが、崩れてはいない。蓋に金属の留め具がついている。留め具は緑青に覆われていた。
トルクが後ろから覗き込んだ。
「200年前の箱か。中身は無事かね」
「開けてみる」
留め具を外した。蝶番がきしんだが、蓋は開いた。
中に二つのものが入っていた。
革装丁の手記。茶色い革は硬くなっているが、表紙には文字が刻まれている。『架け橋の記録。七代目イルザ』。
そして一本の短剣。刃は鞘に収まっている。柄に紋章が刻まれていた。
ナギは短剣を手に取り、紋章を見つめた。
円形の枠の中に、二本の橋が交差している。橋の両端に人型と獣型の影。人間と魔物の間に架かる橋。架け橋の紋章。
トルクが声を落とした。
「その紋章、どこかで見たぞ」
「ああ。牙の商団の紋章に似ている」
牙の商団の紋章は、円形の中に牙と角が交差したデザインだった。構図が同じだ。円形の枠。交差する二つのモチーフ。だが中身が違う。
「元は同じ紋章で、分岐したように見える」
「分岐?」
「架け橋の紋章は橋と人と獣。牙の商団は牙と角。同じ起源から枝分かれしたんだ」
ナギは短剣を鞘ごと腰に差し、手記を手に取った。
* * *
応接間の机に手記を広げた。リーナも呼んだ。薬師見習いの彼女は文字の解読に長けている。古い文献を読み慣れていた。
手記の最初の数ページは、インクが滲んで判読が難しかった。リーナが目を細めながら一文字ずつ読み上げる。
「『私は架け橋の七代目。魔物語は我が一族に受け継がれるスキルだ』」
ナギの拳が握られた。
「『だが獣語りの乱以来、我が一族は追われる身となった。牙の者どもが乱を仕組み、架け橋を裏切り者に仕立て上げた。以来200年。いや、千年前から我が一族は追われ続けている』」
千年前から。牙の商団は千年にわたって架け橋の一族を追い続けてきたのか。
リーナが次のページをめくった。
「『私はこの砦に隠れ、魔物たちと最後の交渉をしている。北の果てに異変がある。古い穴が開き始めている。竜が警告した。千年前と同じだと。私には竜の力を借りる術がある。だが身体が持たない。年齢と、追跡の疲労で。この砦が私の最後の場所になるだろう』」
リーナの声が震えた。
「イルザさん……この砦で亡くなったんですか」
「おそらくな」
ナギは地下の石板を思い出した。イルザが刻んだ最後のメッセージ。次なる架け橋に託す言葉。死を覚悟した上で残した遺言だった。
リーナが続きを読んだ。手記の中盤には魔物語の技術的な記述が並んでいた。種族ごとの言語体系の違い。感情を伝える際の魔力の込め方。複数種族の同時通訳における集中の配分。
ナギが知らなかった技術が書かれている。だが今はそれよりも先を読みたかった。
「リーナ、後半のページを開いてくれ」
リーナが手記を後ろから開いた。最後の数ページ。インクは前半より新しく、文字も読みやすい。
「『北の果ての異変は収まった。竜が炎で穴を焼いた。だが穴は閉じていない。次に開くのは百年後か、二百年後か。次の架け橋がいなければ、誰が交渉する。誰が繋ぐ』」
トルクが壁にもたれていた腕を解いた。
「200年前にも穴が開いていた。今と同じだ」
「ああ。周期的に開くんだろう。前回は竜がいた。今回もヴァルナザドールがいる。だが竜一頭で足りるのかは、わからない」
ナギは手記の最後のページに目を落とした。リーナが声を上げた。
「ナギさん。ここ、家系図です」
ページいっぱいに系譜が描かれていた。架け橋の一族の系譜。初代の名前は判読不能だが、二代目から七代目イルザまでの名前が並んでいる。
七代目イルザの名の隣に、小さな枝が伸びていた。「子」と書かれた欄。
その横に、細い文字で記されていた。
『我が子を信頼できる者に託す。辺境の村に。名を変え、一族の名を隠して生きよ。いつか再び架け橋が必要とされる日まで』
辺境の村。名を変えて。
ナギは孤児として育った自分を思い出した。ハグレ村の近く。母ハルナは村の出身ではなかった。どこから来たのか誰も知らなかった。「あの女は流れ者だ」と村人たちは言っていた。
母が「繋ぐ者」と名づけた意味。ナギという名に込められた願い。
ナギの指が震えた。手記を持つ手が小刻みに揺れている。リーナが心配そうにナギの顔を覗き込んだ。
「ナギさん?」
「……俺は。架け橋の血を引いているのか?」
声が掠れた。自分に問いかけているのか、イルザに問いかけているのか、わからなかった。
トルクが静かに言った。
「仮にそうだとして。何が変わる」
「わからない。だが、この手記にはまだ続きがある。魔物語の起源が書いてあるかもしれない。俺がなぜ魔物と話せるのか。この力がどこから来たのか」
ナギは手記を閉じた。革表紙の手触り。二百年の時間を超えて、イルザの手がこの革に触れた。七代目の架け橋。追われ続けた一族の最後の一人。
その血が、自分に繋がっている可能性。
「リーナ。手記の解読を続けてくれ。全ページ、一文字も逃さず読みたい」
「はい。任せてください」
リーナの水色の目が輝いた。好奇心が恐怖を上回る顔だ。この薬師見習いは、こういう時に頼りになる。
ナギは短剣を腰から抜き、紋章を改めて見つめた。架け橋の紋章。橋を渡る人と獣。
牙の商団の紋章と同じ起源。千年前に分岐した二つの道。繋ぐ者と、断つ者。
グリムはこの紋章を知っているのか。ナギが架け橋の末裔だと気づいているのか。
手記の続きに、答えがあるはずだ。




