商人の舌
「キノコの取引量は月に100箱。中部では1箱あたり銀貨10枚で売れます。輸送費を差し引いても、里の取り分は銀貨5枚。年間で6000枚になる」
グリムの舌はよく回った。数字を並べ、利益を積み上げ、里の未来を描いてみせる。石卓の上に広げられた帳簿には、大陸中部の市場価格が記されていた。
ナギは帳簿に目を落としながら、ゴルドに魔物語で内容を伝えた。
【キノコ100箱で銀貨500枚だと。年間6000枚】
ゴルドの骨飾りが揺れた。長老の目が丸くなっている。
【銀貨6000枚じゃと? ハグレ村との取引の10倍以上じゃぞ】
「ゴルド。冷静に聞け」
【冷静じゃ! 冷静に聞いて驚いておるんじゃ!】
グリムが続けた。
「オークの鍛冶製品も高く売れます。特に短刀や農具。辺境の鍛冶とは格が違う。中部の貴族が喜んで買いますよ」
ナギが内容をボルガに伝えると、オークの鍛冶長は腕を組んだまま片牙を持ち上げた。
【ワシの鍛冶を認める人間がいるのか。悪い気はしない】
「まだ認めてない。条件を聞いているだけだ」
【わかっておる。だが鉄が手に入るなら話は別じゃ。今の鍛冶場は素材不足で半分しか稼働していない】
ナギは頷いた。ボルガの言い分はもっともだった。里の経済基盤は脆弱で、ハグレ村との小規模な物々交換だけでは限界がある。グリムの提案は、喉から手が出るほど魅力的だ。
だからこそ危ない。
「グリム。スライムの粘液についても聞かせてくれ」
「ええ。スライムの粘液は薬学の素材として大陸中部で需要があります。特に群体知性型のスライムから採取された粘液は希少で、1瓶あたり金貨1枚の値がつく」
金貨。桁が変わった。ゴルドが咳き込んだ。
「いい話だな。だが今日すぐには答えられない。こちらも内部で相談が必要だ」
「もちろんです。急ぐ話ではありません。三日ほど滞在の許可をいただければ、詳しい条件を詰めましょう」
三日。ナギは顎を引いた。
「護衛の蟲人族は門の外に留まってもらう。馬車もだ」
「それは構いませんが、彼らにも水と食料は必要でして」
「それは出す。だが里の中には入れない」
グリムが片目で笑った。
「ナギ殿は慎重ですな。結構なことです。商人は信頼から始めるものですから」
信頼。その言葉がグリムの口から出ると、妙に軽く聞こえた。
* * *
四者会議を招集した。
広場の石卓にゴルド、ボルガ。スライムの出張所が卓の隅で脈動している。ファングは里の外周にいるが、ナギが魔物語で呼びかけると、蒼い額の紋様を持つ長が姿を現した。金色の目が光る。
「グリムという商人が交易を申し込んできた。条件は先ほど伝えた通りだ」
ゴルドが身を乗り出した。
【銀貨6000枚じゃ。キノコだけで6000枚。オークの鍛冶製品とスライムの粘液を合わせたら、年間1万枚を超える。里が潤う】
ボルガが頷いた。
【鉄が手に入るなら鍛冶場を拡張できる。武器も防具も質が上がる。里の防衛力にも直結する】
ファングが低く唸った。
【匂いはどうなんだ。あの商人に嘘はないのか】
【ガリクが嘘くさいと言っておった】
ナギが答えた。ゴルドの眉が下がった。
【ガリクの鼻は確かじゃが、商人というのはそういうものじゃろう。多少の駆け引きは取引につきものじゃ】
「それはそうだが、問題はそこじゃない」
ナギはスライムの出張所に手を置いた。群体知性に概念を送る。グリムの提案の数字、条件、市場価格。すべてを流し込んだ。
スライムが三度脈動した。処理中。ナギの手のひらに冷たい粘液の感触が伝わる。
【分析結果】
概念がナギの脳に流れ込んだ。
【条件が良すぎる。利益率が不自然。大陸中部の市場価格が正しいと仮定しても、輸送コストと仲介手数料を考慮すると、商人側の利益が極端に薄い。合理的な商人なら提示しない条件。この商人は何かを隠している。データが不足しているため、具体的な意図の推定は不可能】
ナギはスライムの分析をゴルド、ボルガ、ファングに伝えた。
ファングが吠えた。
【だから言ったであろう。嘘の匂いがするのだ】
ゴルドが杖を強く突いた。
【しかしじゃ。条件が良いことは悪いことではない。ワシらは利益が必要じゃ。子供たちに食わせるキノコの品種を増やしたい。そのためには外の種菌がいる】
ボルガが続けた。
【鉄がなければ始まらぬ。どれほど怪しくとも、鉄は鉄じゃ】
ナギは二人の顔を見た。利益の匂いに目が曇っている。責めるつもりはない。里には切実な物資不足がある。グリムの提案が魅力的なのは事実だ。
「三日の猶予をもらった。その間に調べる。蟲人族の護衛のことも、旗の紋章のことも。判断はそれからだ」
ゴルドが渋い顔をした。
【三日で何がわかる】
「少なくとも、何もせずに飛びつくよりましだ」
ファングが一度だけ遠吠えを上げた。同意の声。スライムが脈動した。
ボルガは黙ったまま席を立った。鍛冶場の方角に歩いていく。背中が語っている。鉄が欲しいのだ。切実に。
ナギは石卓に残った。ゴルドも動かない。
【ナギよ。お前の勘は正しいことが多い。だが、ワシらには時間がないのも事実じゃ。冬が来る前に備蓄を増やさねばならん】
「わかっている。だからこそ、間違った相手と組むわけにはいかない」
ゴルドが骨飾りを鳴らした。
【三日じゃ。三日で結論を出せ】
長老が去った。広場に残ったのはナギとスライムの出張所だけだった。
リーナが走ってきた。手に薬草の束を抱えている。
「ナギさん、あの商人の馬車から変な匂いがします。薬草の匂いなんですけど、配合が変なんです。解毒用と毒素用の薬草が両方積まれてるような」
「どういう意味だ」
「毒を持ってきて、その解毒剤も持ってきてるってことです。普通の商人はそんなことしません」
ナギはリーナの顔を見た。好奇心旺盛な薬師見習いの目が、真剣だった。
「リーナ。その匂いのこと、誰にも言うな。俺だけに報告してくれ」
「わかりました。でも気をつけてくださいね。毒を持ち歩く商人なんて、ろくなもんじゃないですよ」
リーナが去った後、ナギはスライムの出張所に再び手を置いた。
【商人の荷物に毒素が含まれている可能性がある。間接的に分析可能か】
【可能。ただし商人の馬車に直接接触する必要がある。夜間、出張所の一部を地中経由で馬車の下まで伸ばすことで分析できる】
「やってくれ。見つからないように」
【了解した。結果は明朝までに出る】
* * *
夜。
ナギは見張り台に登った。南の門の外に、グリムの馬車が二台。幌の影で蟲人族の護衛が立っている。月明かりの下、青灰色の肌が鈍く光っていた。
四体。微動だにしない。呼吸しているのかどうかも怪しい。
ナギは目を凝らした。
護衛の一体の肌が、脈動した。
硬質な表皮の下で、何かが蠢いている。波打つように、内側から押し上げるように。表皮の下を何かが移動した。肩から胸、胸から腹へ。ガリクの言った通りだ。体の中にもう一体。
ナギは息を殺した。
その瞬間、蟲人族の頭部がゆっくりとこちらを向いた。触角が震えている。黒い複眼がナギの位置を捉えた。
見つかった。
ナギの心臓が跳ねた。体が固まる。見張り台の木の柱を握る手に汗が滲んだ。
だが蟲人族は、すぐに頭を元の位置に戻した。何事もなかったかのように、馬車の脇に立っている。
見逃されたのか。それとも、見られていることを承知の上で、泳がせているのか。
ナギは見張り台を降りた。膝が僅かに震えていた。




