14 デスニィマウスと夢の国
◆1◆
弧状列島ヤマトは闇に包まれていた。
天蓋に明滅する星々は雲に隠され、地平線すらも消えた世界に〈天泣ノ蒼龍〉は新たな境界線を引いていた。
身を屈め龍にしがみつくクモリは、九時の方角を見やった。
摩天楼が光り輝いている。
〈アキバ〉だ。
東の冒険者の本拠地だ。
〈キョウの都〉を飛び立ってから一時間たらずで東の中心部まで来たことになる。
龍とはかくも驚異的な存在であるのかとクモリは身を振るわせた。
彼女は前方に視線を移した。
同じく光が見えた。
〈マイハマ〉の火だ。
イースタル貴族の盟主・セルジアッド=コーウェン公爵の居城〈灰姫城〉がその光源である。
白亜の円柱塔群に点々と火が灯る様はろうそくを立てたホールケーキを想起させる。
〈マイハマ〉を彩る美しい城であるが、化粧を剥いで残るのは巨大な要塞。
冒険者が日夜詰めかけ我々の進入を阻む、超高難易度のダンジョンだ。
クモリたちはこれからその城に忍び込まなければならなかった。
ためらいは無い。
〈星詠み〉の手がかりがあるかもしれないという期待感と、膨大な事前情報が彼女の背中を強く押したのである。
任務失敗への不安はほとんど無かった。
彼女は、城の内部構造、貴族の出入りのタイミング、従者の行動様式等、あらゆる情報を得ていた。
こればかりは里への感謝の気持ちしかない。
〈イガのシノビ〉は先月〈灰姫城〉へと潜入した。
貴族に化け、コーウェン公爵の跡取りであるイセルスの誕生会に出席し、彼の暗殺を試みたのである。
その時の下調べが早くも生きたわけだ。
実のところ、クモリもまたイセルス暗殺任務の一団に選ばれていた。
しかし〈冥門海峡〉での"失策"により外されてしまい、それは叶わなかった。
これは彼女にとって何よりの不幸であったが、今となっては幸運に切り替わっていた。
暗殺が失敗に終わったからだ。
偽装は完璧であった。
しかし〈ロデリック商会〉製の新アイテムを装備した冒険者"黒剣"のアイザックは、我々のたくらみを見事見抜き、あざやかに撃退したという。
選び抜かれたエリートが束になってかかったというのに、奴は殺さないよう、手加減しながら、我々を退けた。
〈イガのシノビ〉は、もう終わりだ。
悔しいが、冒険者はあらゆる面で我々の上を行く。
クモリひとりがいかなる成果を上げようと手遅れであった。
(それでも私は、働かなければならない。〈執政家〉のために。故郷のために)
彼女は自分自身に言い聞かせ、龍の背中に顔をうずめた。
そして到着まで、吹き寄せる冷風に耐え続けた。
◆2◆
「くせぇ」
少女レインは鼻をつまみながら言った。
「もっとかわいい言葉を使え」
「こんなウンコまみれなところで無茶言うな」
二人は城の下を通る下水道を進んでいた。
脚絆越しに染み込む汚水の熱はすこぶる不快であった。
鼻を刺す腐臭は、彼女たちに口呼吸を強いた。
「こんなところに鼠が住んでるのか?」
レインが信じられないという口調で言った。
「もちろん。むしろ奴らにとっては快適な環境だろう」
クモリが返す。
「いや、我が思うに、鼠たちはここに閉じ込められて辟易しているに違いない。もしそうなら解放してやりたいな」
「鼠人を?いい考えだな。城内にはなしてやろうぜ。公爵様も大喜びだ」
クモリは軽口を叩いたが内心穏やかではなかった。
どうにもレインは"囚われること"にトラウマを抱えているようで、同じ状況の者を見たら誰彼かまわず解放しようとする癖があるらしい。
封印を使命とする〈イガのシノビ〉にとって看過できない思想である。
(目を離すと何をするかわからん。とことん危険生物だな)
まとわりつく汚水をかき分けながら進むこと五分あまり。
前方に影が見えた。
クモリは腰に差した小刀に手をかける。
(人……?)
異常なシルエットだった。
高さ約二メートル。
満月のように丸い頭の右上と左上には、同じく円盤状の耳が付いていた。
黒丸三つで構成されたシンプルな頭を支えるのは、小さく痩せた胴体であった。
ロープのように細い四肢の先端には、大きな手袋とブーツとがはめられていた。
「"鼠人"の亜種か……?」
クモリがメガネ越しに見たステータスには、〈死笑鼠人〉と刻まれていた。
ノーマルランクエネミー、レベルは三十。
〈死笑鼠人〉は首だけをクルッと百八十度回転させ振り向くと、クモリとレインを見た。
生物とはかけ離れた動きであった。
あたかも首と胴体とが分離しているような、人形めいた動き。
「ヤァ!"ユメノクニ"ヘヨウコソ。ボク〈デスニィ〉!イッショニ、アソボウヨ!」
低音と高音が混ざり合った不協和音が下水道にこだました。
「〈星詠み〉の昏睡はお前らの仕業か?」
「ボク〈デスニィ〉!ハハッ!アソボウヨ!ハハッ!」
〈死笑鼠人〉はパチャパチャと汚水の上をスキップしながらこちらに向かってきた。
「話の通じる相手じゃなさそうだ……」
小刀を抜き、臨戦態勢をとる。
「ハハッハッハッハハッハハッハハハ!」
〈死笑鼠人〉は壊れた蓄音機のように同じ笑いを繰り返し、クモリに飛びかかった。
「ボボゥクイッショニユメノクニニイコウョ」
クモリを抱きしめた鼠は、耳元で不気味に囁いた。
金切り声にも似た不快な声であった。
彼女はふりほどくため、小刀を〈死笑鼠人〉の眉間に突き刺す。
「ハハッ!」
瞬間、鼠の頭は溶岩めいて沸騰した。
ボコボコと醜く膨張し、破裂した。
爆風とともに腐肉が散弾銃のように飛び散る。
「自爆持ち!」
衝撃に耐えかねクモリ身体は下水に投げ出された。
彼女の体力の半分が奪われる。
しかし彼女は即座に起きあがり身を低く構え、次の攻撃に備えた。
確認できた〈死笑鼠人〉はさっきの一体だけであったが、援軍があるとも限らない。
予想は早くも的中したようで、煙の晴れぬうちから「ハハッ」という笑い声が幾重にも重なり、クモリを軸に旋回し出した。
「囲まれた……見事におびき出されたわけだ」
「クモリ、ヤバいんじゃないか?」
狭い空間に"自爆特攻"多数。
冒険者ですら危ういであろうこの状況を切り抜けられるのか。
不安げな顔で見つめるレインの背中を、クモリは濡れた手でポンと叩いた。
「レイン、私を誰だと思ってるんだ?」
「うんこついた……」
「〈執政公爵の影〉だぞ。もっと信頼しろ」
「Tシャツにうんこついた……」
煙が晴れ、敵影があらわになる。
〈死笑鼠人〉が四体。
どの個体も音楽を奏でていた。
ある個体は白骨化した右腕を、同じく骨むき出しの左腕にヴァイオリンの要領でこすりあわせ、ゴリゴリと音立てている。
またある個体は自らの腹から大腸を引きずり出して、空気を吹き込み尻からブーブーと音を出している。
さらに別のニ個体は相方の尻の穴に手をつっこんで、奥歯をポロンポロンさせていた。
不気味な楽団は彼女たちを取り囲み、楽しげに笑い続ける。
「ッハッハハ!ボクラ ト イッショ ニ アソボウヨ!」
「ユメ ノ クニ ニ アンナイ スルヨ!」
囲みの直径は少しずつ小さくなってゆく。
「クモリ!本当に大丈夫なのか!?」
「…………なにが……」
「?」
「なにが夢の国だ……」
「どうした急に?」
「なにが遊ぼうだ……」
「クモリ!」
「こっちは、仕事で忙しいんだ……!!!」
彼女らしくない怒号は楽団の演奏をかき消した。
「クソ鼠どもが!!!」
クモリは印を結び三人に分裂した。
イガのシノビの秘術〈分身の術〉だ。
能力を損なわず、手数のみを増やせる便利な特技だが、MP消費が著しいためここぞという時でしか使用しない奥義である。
各人別個の鼠に接近する。
クモリCは"トランペッター"の鳩尾に掌底を打ち込んだ。
後方へ吹き飛び、投げ出される鼠人。
クモリは鼠の腹に手を突っ込むと腑をすべて引きずり出した。
対象は絶命、爆発した。
巻き込まれたクモリCは泡となり消滅した。
「臓物、不可」
クモリBが呟くと"ヴァイオリニスト"に接敵し、両腕をもぎ取った。
肩の付け根からは虹色の液体が滝のように吹き出している。
顔を小刻みに震わせ狂い笑しながら汚水に倒れ込み、そのまま泡となり流れていった。
「腕、可」
クモリAはそう言って"ピアニスト"ニ体の背後に回り込み腕四本を引きちぎった。
二体は"ヴァイオリニスト"と同じく泡沫に消えた。
「任務完了」
「やるなクモリ!」
レインは憧憬のまなざしをクモリに注いだ。
「我も戦えたらいいんだがなあ」
レインが全身をウズウズさせながら言うと、クモリは
「必要ない。私ひとりでなんとかするから、お前は余計なことをするな」
と冷たく突き放した。
「そんなこと言うなよ。友だちだろ?助け合いが大切だってタイヨウも言ってたぞ」
「友だち?私とお前とを結ぶのは契約関係だ。友情ではない」
「冷た!」
「いいからさっさと進むぞ」
振り向いたクモリの顔を、フワリと泡がなでた。
泡の先には、目詰まりを起こすほどにぎっしりと詰まった鼠人の集合体が見えた。
〈死笑百鬼夜行〉、レベル60。
「ハハッ!コマギレ ニ シテクレル!」
無数の手足を地面に這わせ、クモリめがけて突進した。
「腕を……数が多すぎる……!」
思考定まらぬうちに、クモリは不快な感触と臭いの波に飲み込まれた。
黒く染まった視界は即時、白く反転した。
すさまじい圧と音が彼女たちを襲う。
キーン……と音がした後、意識はとぎれた。
◆3◆
クモリが目を開けると、そこは〈夢の国〉であった。
遠くにピンク色の小山が広がり、綿菓子でできた地面からは赤や黄色の砂糖菓子がそこかしこに生えていた。
「無事か!?」
レインの声だ。
彼女はクモリに駆け寄ると、無邪気に飛び跳ねた。
クモリは目を丸くしたが、それは彼女との再会が喜ばしいからではなかった。
その格好の異様さに驚いたのだ。
服というのは防寒や秘部の隠匿のために着るものだ。
レインの服は、その目的に資するとは思えない。
「お前それ」
「これか?かっこいいだろ。もらったんだ」
「もらった?」
「前の服は爆発に巻き込まれて全部燃えてしまっただろ?裸じゃ真竜の誇りも果たせない。それで困ってたところに親切な奴が通りかかってな」
「爆発……そうだ……私は爆発に……」
「クモリの分ももらっておいたぞ」
レインは同じ衣装を差し出した。
自分がようやく全裸であることに気づいたクモリは、それを受け取って装備した。
【挿絵】→https://34408.mitemin.net/i516558/
※全年齢ですが少しだけセンシティブなので注意
「ここは、死後の世界か?」
「まさか。死んだら砂浜に行くんだぞ」
「じゃあ、私は生きているのか」
「我が守ってやったんだ」
レインはドヤと腰を前に突きだした。
「なるほど……〈かばう〉か。そのくらいならお前もできるんだな」
龍でない状態のレインでも〈ラン〉や〈装備の変更〉は可能なわけだから、同じ基本技能である〈かばう〉も行使できるのだろう。
たしかに彼女のHPは爆発のために五万ほど削れていた。
「モンスターに助けられたのか、我ながら情けない……」
クモリが頭を抱えぼやくと、
「なんでもひとりでやろうとするな。もっと友だちを頼ろうぜ」
レインは慰めた。
「人を頼るシノビがあるか」
と吐き捨て、あたりを見回した。
目の前には"お菓子の国"が広がっていた。
胸焼けするような原色で構成された世界は、子どもの頃、乳母から聞かされた冒険者の物語に出てきたイメージと合致していた。
立ちすくむクモリにレインはこれまた自慢げに話しかけた。
「爆発の後、クモリを引きずって歩いてたんだけど、途中で変なモヤモヤを見つけたんだ。気になって飛び込んだらここに飛ばされた」
「〈夢の妖精郷〉への入り口か」
「知ってるのかクモリ」
「昔話で聞かされたことがある。この世とは別に〈夢の妖精郷〉という世界があって、そこは夢と愛にあふれている、と。どこにあるんだろうと必死で探したもんだが、こんなところじゃ見つかりようがないな」
「じゃあ鼠人の言ってた〈ユメノクニ〉ってのも、ここなのか?」
「恐らくな。悦楽と平穏に満ちた世界だと聞く。乳母からはいい子にして早く寝れば、きっと〈夢の妖精郷〉の住人が連れて行ってくれると言われたこともあるな」
「〈星詠み〉はいい奴らだし、ここにいる可能性が高いな」
「私もそう願う。下水道に閉じ込められているんじゃあんまりだ」
「じゃあ住民に居所を聞いてみようぜ」
レインが駆けだした先にはいたのはモンスターであった。
名称は〈夢魔〉。
レベル六十のノーマルランクエネミーだ。
(昔話に出てきた〈妖精郷〉の住民……)
クモリは〈夢魔〉というワードに懐かしさを覚えた。
エネミーと言っても、人間の"感情"や"夢"を糧とする種族であり、直接危害を加えてくることはない。
しかし中には破壊や復讐の感情を好む者もおり、人間社会をそれら感情で満たそうと暗躍する場合もあるため、危険な存在であることも確かだ。
〈夢魔〉は綿菓子の地面の上で、男女ペアになってゴロっと寝ころんでいた。
だらけきった態度とは正反対に、肢体は逞しく、艶めかしく、紫に照り輝いていた。
やじるし状の尻尾と小さな羽を持つ、淫魔のような見た目である。
彼らはレイン・クモリと同様の服を着ていた。
「〈星詠み〉の子どもたちを見なかったか?」
レインが単刀直入に切り出した。
「"ほしよみ"?知らない。てか誰?」
〈夢魔〉(女)はあくびをしながら言った。
「我が名はレイン!誇り高き真竜だ!」
「竜とかウケる」
「ウケるな!」
「知ってる?"ほしよみ"だって」
〈夢魔〉(女)が相方の〈夢魔〉(男)に聞いた。
「あれじゃね。"歌姫"が連れ込んだ奴ら」
「知ってるのか!?」
モンスターのくせに微塵の敵意も感じられない態度に戸惑うクモリであったが、男の言葉に反射して口をはさんだ。
「あっち」
男は寝たまま、顎をしゃくって方向を示した。
〈夢魔〉は人間にとって悪性の生物。
クモリは彼らの言うことを素直に信じるべきか逡巡したが、レインはかまわず「ありがとう」と言って駆け出した。
「待て!」
クモリはすぐに追いつき、彼女の手をつかんだ。
「どうしたクモリ?教えてくれた方向にさっさと行こうぜ」
「待て待て。モンスターの言うことを真に受けるな。罠かもしれんだろ」
クモリは諭したが、レインは眉をひそめ抗議した。
「ヒドいこと言うなよ。親切なモンスターだっているぞ。種族で差別するのはよくない」
冷静に考えれば、レインの言うことは正論かもしれない。
「う……。いやしかし……」
クモリは言葉に詰まった。
たとえ正論でも、人間として、その事実を認めるわけにはいかない気がしたからだ。
レインはクモリの手をふりほどくと、魔法を唱え竜化した。
空から探した方が手っ取り早いと判断したのだろう。
クモリは上空を飛んでから初めて、〈夢の妖精郷〉が想像以上に巨大な空間であることに気づいた。
九時の方角にはホールケーキの山脈が連なり、三時の方角にはマーブル色の海が広がっていた。
〈夢魔〉の指し示した十二時の方角には、街が置かれていた。
恐らくそこに〈星詠み〉たちはいるのだろう。
◆4◆
ビスケット造りの家が建ち並ぶ大通りには、大量の〈夢魔〉が思い思い怠けていた。
立っているのはクモリとレインの二人だけだった。
〈夢魔〉たちは彼女たちに奇異の目線を送ったが、それ以上の動きを見せようとはしなかった。
「あそこ!」
レインが指差した正面の噴水広場には、たしかに〈星詠み〉らしき子どもたちがいた。
彼らは何かに群がっていた。
「クモマ!」
クモリは噴水へと続くチョコレート製石畳の上を疾走した。
そして弟の姿を見つけると飛びついた。
「無事か!?」
しかし彼女はクモマの身体をすり抜け、他の〈星詠み〉たちの身体をもすり抜けて噴水へと飛び込んでしまった。
タピオカミルクティーの噴水の中から頭を出すと、吹き出した水の上に〈夢魔〉がいることにようやく気がついた。
「みんなー!盛り上がってるぅー!?」
白い柔肌を、赤いチェック柄の制服風アイドル衣装で包み、肩上で切りそろえた黒髪を揺らす美少女がそこにいた。
〈星詠み〉たちは彼女に熱いレスポンスを送った。
クモリがあっけにとられている一方で、レインもまた苦闘していた。
「クモマ!帰ろう!」
「やだ!帰らない!ここでずっと暮らすんだ!」
「それは困る!Tシャツの新作が出ない!」
「やだ!ここにいる!」
レインがどれだけ帰ろうと催促しても、クモマはそれを拒み続けた。
「ど、どういうこと……?」
クモリは流れ落ちるタピオカを頭に受けながら、しばらくその奇妙な光景を黙って眺めていた。




