灰の港・6
シトロンたちは捕まえた謎の男を前に、この国の人間ではないと断言できたカジミールとそれを信じる兵士たちを不思議な目で見ていると秘書がすかさず教えてくれた。
「隊長は魔力で記憶領域を拡大しています。だから絶対に、確かです」
「…………ブルトーヌ人でもない、お前は一度も投票も検診も税金の支払いも各種申請も行っていない。全て軍で行っている。俺はその全てに参加している国民を見ているはずだ」
「マジかよ」
「あの、私たちが書類の見落としが無ければの話ですけれど、もし外国人なら、一か月より前にこの国に来ているはずです。それか船を使わずに入国したのかもしれません」
ミネオラの言葉に、カジミールは首を振る。
「港以外の入出国ならば検問所で俺が見ている、ありえない。俺は普段国境検問所に詰めている」
「この男働き過ぎでは?」
────グゥゥゴォォォォオオオオオ!!!!
突如、鼓膜を揺らすような轟音が海から聞こえてくる。
音の出所を探すまでもなく、海竜が巨大な身体を動かして咆哮しているのが目に入り込む。
地面が揺れ、窓が割れ、高くなった波が桟橋を濡らした。
「うわぁ!」と誰ともなく叫び転ぶ。学生たちは訓練されているのか、下手に抵抗せずさっと身をかがめている。
その隙に男が立ち上がり逃げようとするが、シトロンはそれを見逃しはしなかった。元より不安定な足場で動くことは得意だったため、誰より早く駆けだしふらつきもせず簡単に追いついて引きずり倒し、拘束をする。
「すまない、手を借りた」
「いいってことよ。どうする?」
まだ地面は揺れていたが、カジミールはしっかりとした足取りで走ってきた。他の兵士たちも持ち直している。海が近いこの国では恐らく船上や海上でバランスをとることに慣れているからだろう。
「こいつは部下に。……そこの少女、ドラゴンだというのは本当か?」
地震など一切気にしないでふわふわと浮かぶガラクテアのことを、カジミールは指さした。
「見てわからんか?」
「……ブルトーヌにとってドラゴンとは、人の形をとるものではない。銀山のフーガ―だけだ」
「お主らが殺したやつか。また同じ方法をとればよいじゃろう」
ガラクテアは突然剛速球を投げた。彼かもしくはこの国や王家に対して何かしら思うことがあるようだった。
「できないことくらいわかってるんじゃないか?」
彼は彼でこういった手合いの相手をし慣れているようで、その剛速球を簡単に打ち返す。シトロンは、二人の間に立ってとりなした。
「ともかく今は海竜の様子を見に行こうぜ、なぁ」
カジミールはシトロンやその場に蹲る学生たちを見て、決断を下す。
「お前たちは避難しろ。ただしそのドラゴンには一緒にきてもらいたい」
「構わんがこのシトロンだけは連れて行くぞ」
「危険だ、却下する」
「ならば妾は一緒に避難する」
二人はまた睨み合った。
「あー、契約してるからオレが傍にいないとダメなんだよ。な?」
「……仕方あるまい、来い!エドミー任せたぞ」
「大丈夫よ、行ってきて」
秘書は力強く返事して夫の背を押した。
「セドラ」
「わかってる。この子たちは守ってみせるわ!」
不安そうなミネオラたちに笑顔で手を振って、シトロンはカジミールの後を追い混乱する街中を走り抜けた。門の向こうの居留通りでは商人や船員たちが怯えたようにうずくまって海竜の興奮が治まるのを願っている。
港に着いたシトロンとガラクテアは、倉庫の影に隠れて恐怖しながらも、海竜を見張るように立っている兵士たちと合流する。
「報告しろ!」
兵士たちは海竜に続く壊れた桟橋を指さした。
「さっきの騒ぎで入ってきたらしき男が、屋根の上から魔法を使って直接桟橋に降り立ったんです。そして海竜に向かって何かを話した直後真っ黒な雷のようなものが海竜から放たれ、一撃で周囲一帯が弾け飛びました。怪我人はいませんがこの通り」
桟橋以外にもところどころ地面はえぐれ、近しい倉庫などは破壊されその破片が散乱している。
「海竜リヴヤタンは水の炎を吐き水圧で爆散させるはず。多分それだな」
シトロンはソラールに見せられた海竜の情報を思い出していた。
「……つまり家族を心配する民のふりをして港に入ろうとしていた連中は、海竜に接触する目的だった、と」
「その男が接触してからにわかに海が荒れています。海竜の鱗が立ち上がっていますし、興奮状態なのかもしれません」
「今日中に海竜に暴れさせようとしているのでしょうか……?いかがいたしましょう」
「……ドラゴン、対話はできると思うか?」
兵士の問いにはすぐに答えず、カジミールはガラクテアの意見を聞いた。
「可能じゃろう。あれはプライドの塊じゃ、元々何らかの約束があってあの場で待っているのじゃ。それ以前に行動を起こしたことは恐らく奴にとっては恥以外の何物でもない。そこをうまく突っつかずしかしほのめかしておけば会話くらいは可能じゃろう。問題は誰が何を話すかじゃ」
建設的な意見をした当のガラクテアを、みんなが伺い見た。その視線に込められた期待に気がついて、ガラクテアは大きく手を振った。
「おっと妾はそういうのには適さんぞ!奴は創世竜が嫌いじゃからな」
「創世竜……?」
ガラクテアをガラクテアだと知らないカジミールは怪訝な顔になった。
「プライドが高いと言ったろう。目上の者が存在することが許せんのじゃ」
「そこの小竜!出て来い!!!」
突如聞き覚えの無い低い声が頭上から響く。元々曇り空で気がつかなかったが、シトロンたちの頭上に大きな影が差していた。見上げるまでもないその影は、海から伸びている。
海竜リヴヤタンだ。倉庫の影に隠れた程度で逃れられるはずがなかった。彼は上から覗き込むようにこちらをじっと見ている。
「お呼びだな」
「のじゃ~」
ドラゴンの気配を感じたといったところなのだろう。ガラクテアはおとなしく隠れるのを止めて海竜の前に姿を現した。
「……?貴様、ガラクテアか?」
その場の全ての人間が、驚愕の表情でガラクテアを見た。おとぎ話の創世竜が童女の姿をとって目の前にいるということについてシトロンはもう慣れてしまっていたが、一般人にとってはそうではない。
「ふははははは!!これは傑作だ!銀河の女王がなんとみすぼらしい!我が下剋上するまでもなく失墜しているのはなんとも滑稽な!」
しばらくの間、高笑いが響いた。その度に渦ができて波がうねり、ようやく引き上げられた船の残骸がまた波にさらわれそうになっていた。ガラクテアは見たことも無いくらいに冷静な、感情の無い表情でその光景を眺めていた。
「気が済んだか?妾としてもお前が何故こんな辺境の国で猿山のボスになっているのか聞きたいのじゃが」
ピタリ、と海竜の動きが止まった。
「……なんだと?貴様、このちっぽけな人間に寛大な我を猿山のボスだと?」
「あー、可哀そうなお猿さんたちを虐めて遊んでるんじゃから、ボスではないか。すまんすまん。動物園に来た近所のクソガキじゃの!」
その煽りの直後、警告無しに海竜の周囲に黒い光が輝き、そこから水の炎が噴き出されてガラクテアに直撃した。その水圧と巻き起こった風で倉庫周辺の兵士たちにも衝撃が襲い掛かった。
だがガラクテアの周囲に張られていたバリアがそれを防いでいた。
「……!?な、なんだそれは!どうしてあのドラゴンの力を貴様が……!!!」
海竜のみならず、ガラクテアまで驚いている。
「おーそうじゃった!今グロッグのバリアに守られとるんじゃったやったー!」
「おい無策で煽ったのか!?」
姿勢を低くしつつ、いつでも剣を抜けるよう手をかけているカジミールが叫んだ。額には欠陥が浮かび上がっていて、相当怒っている。
「すまーぬ」という彼女の気の抜けた謝罪でその瞳の温度が下がった。
「後でオレも一緒に市中引きずりまわすから今は抑えてくれ!」
「いやそこまでするつもりは……」
自分より血の通っていないシトロンを見て彼は落ち着いたらしくそれ以上は言わなかった。一方でシトロンは、グロッグの契約竜ってやっぱすげーやつなのかな、あんまり聞いちゃいけないと思って聞かなかったけど……な、と別のことばかり考えていた。
「お前、口喧嘩に手が出たな?」
にたりと厭らしい顔で笑うガラクテアに海竜は、ぐぅ、と悔しそうな声をにじませた。そして彼の周囲が沸騰したように海面が揺れて、小さな波が出来てはぶつかり飛沫が飛び散りまくっている。
「怒ってないか?」
「避難させるべきか……だがどこに……」
海が黒く染まっていく。黒い竜からほとぼしる魔力が海竜の周辺が歪んでいるようだった。
「そういえば、どうして民間人に避難勧告を出していないんだ?」
「オーデ他大貴族とデュノール双方に却下された。勝てる算段があるから、だとさ。避難シェルターのある首都への道も封鎖されているから、国外に自主退避するしかない」
「自主退避……」
「だが……誰が国外へ逃げられる。自己責任で、民間人が、ムドラや夜盗のいるかもしれない荒野を越えて……ガレッドルに向かうなど、誰が選べるというんだ」
「逃げろとすら気軽には言えんな」
空気が重く苦しい。海竜から放たれる黒い光による空間のゆがみと力がどんどんと広がっていくようだった。が、ガラクテアは意に介していない。彼女の目はずっと同じ、隣の家で飼われている機嫌の悪い愛玩動物を見ているようなものだった。
「銀河の女王よ、貴様は我を愚弄した!汝の命をもってその罪を贖うがいい!!!!」
「いや、お前では妾は殺せんな。そも妾たちの死をどう定義する?お前は己の自尊心を満たすことだけ考えておるから海原の王にすらなれずに」
「黙れ!!!!」
渦が海上にいくつも立ち上がった。海面から見える海竜よりも高い、五十メートルはあろう渦が四本出現した。その渦に風や雲が吸い込まれていき、港の全てが少しずつ浮かんで海の方へ引きずられていく感覚があった。
「た、隊長」
暴風と荒れ狂う海音の中、怯えてかすれた声が耳に届く。今にも泣きそうな顔の兵士が一人、また一人とカジミールに問いかける。
「我々はどうしたら……」
「戦うしかないとしても、戦えるはずも、ない……」
カジミールは剣の柄から手を離しはしなかった。だが、それを抜くこともできずにいた。
「王子様……」
誰かがその言葉を零してしまった。もう何年も口にしてこなかっただろう敬称が、驚くほど滑らかに放たれた。彼らの王子は今もカジミールなのだとシトロンにはわかってしまった。……それがカジミールを今もなお追い詰めていることも。
長い、それでいて実際にはきっと一分にも満たない沈黙の後、カジミールは重たく口を開いた。
「そう呼ばれた男がお前たちに応えられたことなど、一度もない」
彼は平時と同じ、不機嫌そうな顔のままだった。だが一方で兵士たちの顔がゆがめられた。
悔しい、という顔だった。こんな時にでも彼らは裏切られたと感じていないとシトロンには思えて仕方が無かった。
「そんなこと言うなよ」と言ってやりたかった。いや、口から出ていた。
カジミールは少しだけ目を見開いてシトロンを見た。
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