灰の港・1
それは十分ほど前、レウカとクラーラナが話し合いをしている最中のことだった。
猫ドラゴンをもふりながら城での王や家臣たちの会話を振り返り物思いに耽っているキノトの部屋がノックされ、メイド長が取り次いだ。彼女の座るソファーは奥まったところにあるため、いきなり姿が見えないよう配慮がなされている。
メイド長はキノトの元へと戻ってくるが、そこには嫌な笑顔が浮かべられており、キノトはあぁまたか、と理解してしまった。
キノトはこの五十代のメイド長とは折り合いが悪い。彼女は皇国で唯一キノトに女の子らしさを求める存在だった。父も母も祖父母も親戚も臣下も臣民も枢機卿ですら、キノトが好きな服を着て好きな言葉遣いをして好きな本を読み好きに戦闘訓練をしていることに一切小言など言わなかった。それどころかもっとカッコいい服があるよ、もっと難しい本はどうだ、もっと強くなれ、とキノトの実力を認め興味を伸ばしていく人ばかりに囲まれていた。
だからメイド長の型にはめようとするその狭量さが苦手だった。
おまけに彼女の思う女の子らしさというのは古臭くて馬鹿らしいのだ。賢い子はダメ、自立心は隠すこと、意見は人前で言うな、である。正直笑っちゃったのだ。それは人間を止めてお人形さんとして振る舞えと言われているようだったからだ。
だが子供の頃は多少マシだった。メイド長が嫌なおばさんになったのはここ二年ほどで、それを理由に最近はキノト付きから外されていたのだが、カレンシアという大国に行くならば使用人たちを束ねるため彼女が必要だということになり、久々に息苦しい日々を過ごしている。
キノトがパーティー三昧に陥っているのはユヴォーク王の最悪の計らいだけではなく、メイド長が素敵な王子や貴族と出会えるように気を回すせいでもあったのだ。
そんなメイド長がニコニコしている。これはあれだ、こんな大変な時にもだ。キノトが先んじて呆れているとわかり、メイド長は少しムッとした。
「少しお話をしたいという方がいらっしゃいましたよ」
「もうすぐペートロ殿との会食だ。ホストに失礼だからあまりオーデ夫妻抜きで会話をしたくない」
「それはわかっておりますが、挨拶だけですよ。それくらいなら受けないと失礼では?」
「そうですそうです!時間はとらせません!」
扉からにゅっと顔を出したのはそばかすがまだ消えきっていない若い貴族だった。ワジェンデイク系の血が入っているのか白髪で色素の薄い感じがこの豪勢な館と実に合っている。
「あ、レディーの部屋に失礼しました!」
青年は本気で恥じている様子で廊下にすぐ引っ込んだ。
「姫様」とメイド長が窘める。
「皇子だ。ったく、仕方がない」
キノトを自由にさせたいと考えてくれている他のメイドがメイド長に文句を言おうとしているので、それを手で制してから入口へと向かった。流石に部屋に引き入れないだけマシである。
出発前、クソジジイもとい枢機卿は釘を刺すためこう言った。
『メイド長。己の子育てが失敗したからといってキノトで母としての自信を取り戻そうとするものではない。よその子供を巻き込むな。そのようなお前のままなら何人育てても失敗し続けるぞ。
そんなにみっともない人生を送るのが趣味なのか?一人で完結する趣味を持つといい。遊びの無いつまらない親だから本物の娘も夫も逃げたんだぞ?』
それで彼女が城の中で号泣してその場に座り込んだのを見て、多少は優しくしてやるかと思ったものだ。そしたらこれだものな~この僕でもまさか、家臣の躾が上手く行かないなんてことがあるとはね。人生とは面白いものだ。
キノトは苦笑いしながら廊下で大人しく待つ青年に声をかけた。
「お初にお目にかかります。ボクはワイヤン・デン!気軽にワイヤンって呼んでください!大貴族やってます!」
ほぼ同じ背丈の青年は屈託なく笑っていた。
「僕はキノト、まぁ知ってるね?」
「はぁい!存じ上げております!実はお友達になりたくてやってきました!」
キノトは彼の言い分を二・三度頭の中で転がして、首をかしげた。勿論どの角度をとれば一番美しく銀髪が流れるのか調べ尽くしているし、その角度だって完璧にとれている。
「すまない、話が見えないな」
ワイヤンはその計算し尽くされた美に圧倒されながらも、堂々と胸の内をさらけ出した。
「実はボク……女の子が大好きでして」
「お帰りいただこうか!」
「あぁ誤解しないでください!ただ女の子に囲まれて毎日楽しく生きていきたいだけなんです!付き合おうとかそんな大それたことは考えておりません!」
「それで僕を、君を彩る一輪の花にしようというわけかい?」
「いいえお花が主役です!調査隊の皆様の中で、あなたが一番ボクの好みだったんです」
「見る目は確かだが話にならないな。友達になりたいのはわかる、僕は魅力的だ。でも何故今なんだい?」
「といいますと」
本気でわからない様子のワイヤンに、軽い頭痛を感じる。
「海竜とその影響によって国中が混乱している。君が大貴族だというならその対応に追われているはずだろう?僕はカレンシアの調査隊の一員としてここにいるんだ。個人的な付き合いは後回しにするべきだし、共に難局に立ち向かっていたら自ずと絆なり生まれるんじゃないかな。どうして先に他人の館にまで挨拶をしてまで」
「いやぁ、ボクはとくに、何ができるわけでもないですし」
真剣さの欠片も無い顔でへらりと笑ったワイヤンに、キノトは「へぇ?」とその心内を垂れ流すよう促した。もう会話を楽しむでも相手をするでもなく、情報を得ようとしか思えないくらいに彼への興味を失っていた。
「大貴族と言えども王様には逆らえないし、誰かに目を付けられたら嫌だし、そんな難しいことわかんないし……。ただ職人たちとキレイな銀細工がこの世に増えていって、素敵な女の子たちが幸せそうに笑っていてくれたらそれでいいかなって思ってます。今更ペンゼ卿みたいに大義に目覚めるってこともないですね~」
「ペンゼ殿が?」
一番有用そうな情報を得られて、キノトはにわかに興味をそそられた。だがワイヤンはそれに気がつかないまま話を嫌がった。
「男の話はしたくないですね!そんなことより今からボクの店で銀細工を見ませんか?勿論夕食までにはこの館にお送りしますから!ね!」
「断る。大体」
オーデ夫妻にド失礼、と言おうとしたところ、様子を窺っていたメイド長が後ろから横やりを入れてくる。後ろから横やりとはこれいかに。
「いいではありませんか姫様。現地での人脈作りも大切では?」
「そうですそうです!エスコートいたしますよ、さぁ!」
そう言ってワイヤンは恭しくキノトの手をとろうとする。だが、そのワイヤンの手を誰かが掴んだ。
「あの、それは無しで。……オレとの約束があるんで、その……」
その手の主はコウジロウだった。どうも声を聞いて咄嗟に止めただけで、言葉も続かずしどろもどろである。彼は演技に向かない。それでも今やキノトと初めて会った時のように、困っている人間を見過ごすことはできない性格であった。
「調査隊の話が、その。シトロンも待ってるし、ほら……何より最優先なのはあれですし、はい」
助けておいて逆に助けてほしいとでも言うようにちらちらとキノトの顔を見るコウジロウに、彼女は大変満足した。彼女にとって不完全であることや格好のつかないことは素晴らしいことだった。自分含め、成長の余地のある人間のことが大好きだったからだ。
「僕としたことが忘れていたよ。ガラクテア様に呼ばれていたんだった。失礼するよ」
これは困った、というように彼女が整った顔を悲し気にしてみせれば、ワイヤンはそれ以上彼女を悲しませないように聞き分けよく頷いた。
「いえいえ!そうですか、お忙しいなら仕方がありません。またお誘いに来ますね!」
恐らく深く考えないことが彼の美徳であるらしいワイヤンは、すぐさまに帰る姿勢を見せた。そして頭を下げてから両手を振って、即座に廊下を戻り本館へと行ってしまった。決断の速さに多少評価を上げていたキノトは、不満そうなメイド長を横目に見て苦笑いする。
「ドラゴン様の要請に文句があるのかい?凄いな、彼女に言ってくれたまえ」
「まさかドラゴンに逆らうなんて、そんな大それたことは……」
メイド長は見て分かるくらいに怯え、部屋に戻ってしまった。
「じゃあシトロンの部屋に行くよ。君たちは猫空間で待機、いいね」
室内の他のメイドたちに声をかけると、彼女たちは元気よく返事をした。
キノトは逆にコウジロウの手を取ってその場を離れる。コウジロウははぁ、と大きなため息をついた以外は黙り込んでしまっていた。
「あ~あの~……助けて良かったんすよね……?」
「そんなことを気にしていたのか」
「だって……その、実は駆け引きとかだったり、少なくともオレ以外を待ってたり、とか、うん」
コウジロウは自分の発言で更に自信を無くしていったのか、眉を下げてから笑いをしている。
「ずっと待っていたんだ」
素直なキノトの言葉に、コウジロウは疑問符を頭に浮かべる。
「そんなに困ってたんすか?」
「今だけのことじゃあない。連れ出してくれることだ。君から言い出したはずだろう?」
ふと初めて会った時のことを思い出したコウジロウは、一気に顔を赤くしたり青くしたりと忙しない光景に無言で、一人で陥っている。
「あー……はい、そりゃオレが言いましたが……。待ってたんすか?オレなんかを?」
「君こそ、不服なのかい?」
この僕が、と言外に込めると、そこはしっかりと拾ったのか彼はぶんぶんと勢いよく首を振った。
「いや、んなことはねぇっすよ。あの……さーせん」
気恥ずかしそうで嬉しそうな彼を見て、キノトはまぁ許してやるかと自分の引き出しから寛大さを取り出した。
「さて、シトロン君の部屋までたったの数メートルだが、エスコートしてくれたまえ!」
「それは無理……」
ニコニコ笑う美少女の後光に焼かれ、コウジロウはとうとう溶けてしまった気分だった。
「来るならさっさと来いや」
二人のわちゃわちゃがいい加減うるさかったのか、シトロンが部屋から出てくる。二人は知らないがこの館は色々と問題があるために、声が聞こえたり聞こえなかったりしているのだ。
「オレらも二人を誘いに行こうと思ってたんだよ。デートするならクールに去るけど」
「いや行くよ。デートプランまでは考えていなかったようだ」
「デ!?」
さっぱりしすぎている二人のやりとりに驚いて呼吸を忘れているうちに、彼は二人に部屋に引きずり込まれる。悠々と浮かんでいるガラクテアはされるがままの彼を見て目を細めた。
「まぁ飛び出してった先で適当に目に入ったものではしゃぐ勢い任せの逢瀬も乙なもんじゃぞ」
「大人の意見来たなこれ。エトロ、二人に説明してくれ」
「でーと……」と魂が抜けたように力無く繰り返すコウジロウを気にしながら、「あのですね」とエトロはこの館や首都のこと、それらから推測したことなどを二人に説明した。終わるころにはコウジロウは人間の形に戻っていた。
「なるほど……盲点だったな。多少なら魔術の心得はあるけれど、多少だからな。常に成長する僕の美点は、未だ物事を極めていないという欠点にもなり得るものだし」
「キノト語が難解過ぎる」
「言ってることは案外謙虚っすよ」
「へぇ、お前解読できるのか」
咳払いをするコウジロウを見て、ブーシュカはこっそりとシトロンに耳打ちした。
「ラブでございますか?春でございますかぁ?」
「エトロ、こいつを連れて引っ込んどいてくれ」
命令を受けたエトロは、茶色い猫ドラゴン……シトロンたちの乗っていた四号車の中に戻ることにした。彼に引きずられていくブーシュカは首根っこを掴まれた猫のように大人しくついていく。
二人が乗った猫は、耳をピクピクと動かして、その巨体を宙返りさせた。すると彼女の気配が何処にもしなくなる。
「僕の猫も気配が消えた」
「オレのはここに」
コウジロウの乗っていた三号車のサビ猫が透明化を解いて姿を現した。そして四人をなんの前触れもなく猫空間に引きずり込んだ。
「のじゃ!?」
受け身をとれず天井にぶつかったガラクテアは叫んだが、三人は普通に着地して警戒をしている。
『あー、てすてす。聞こえるかな?』
セレマリオンの声が車内に響く。机ではなく通路についているスピーカーから聞こえていた。賢者はいつもののほほんとした声で四人に語りかけた。
『あのね、今から数十秒後にそこ攻撃されるから、走って二号車の方まで来てくれない?』
次は明日の20時以降に更新予定




