談笑・後
「あなた……!」
ハニーベルは主君を侮辱されたと感じて強く抗議をしようとするが、案の定レウカ本人にそれを止められた。
「やめて、ベル」
いつもよりもはっきりとした、懇願のようでほとんど命令であることが名前を呼ばれただけで理解できてしまい、ぐっと抑えるしかなかった。レウカはそれを見て、小さくありがとう、と呟いた。その間も視線はずっとクラーラナに注がれており、彼女からのプレッシャーに圧し負けたりはしなかった。
「ドラゴンの支配から逃れると言うことは、カレンシアやワジェンデイク、そしてブレアルネイソルといった大国たちの支配から逃れると言うことでもあると思ったの」
「他国への侵略行為をしているのは他ならぬその帝国だけじゃない」
苛立ったままのハニーベルに呼応するように、室内の空気がピリピリとしていき二人の感情が高ぶっていく。
「カレンシアが縹国にしたことを忘れたの?」
彼女はそう言ってから本気の失言だったと頭を振った。
「ごめんなさい、忘れたも何も、あなたたち十歳にもなってないわよね?」
クラーラナは再び紅茶を口に含み心を落ち着かせた。ティーブレイク、という言葉の意味を殊更に感じられる行動だった。そうしてまた話を続ける。
「あのワジェンデイクだって帝国の呼びかけでカレンシアと戦ったわ。あなたたちがいつ気まぐれで侵略してくるかわからないでしょう?わたくしたちからすればドラゴンもあなたたちも帝国も同じ。いつかその日が来ないように怯えて待つだけ。それを嫌に思う人々が帝国に賛同しているとわかってしまった気がしたの。
結局わたくしたちは自分の身に降りかからない限り真剣に物事を考えないのよ。そして考えるだけで済むのは、圧倒的な力を持つ者と、それに庇護してもらっている特権階級の人々だけ」
レウカは静かに彼女の話を聞いている。その目に余計なものは映っていない。
「戦うこともできないのに戦わなければならない。だったら、わたくしたちは学び、選び、考えると言う戦いをするしかない」
「例えばそれは、帝国の支配を受け入れるという形で?」
そこで初めてレウカが言葉を放った。クラーラナは何度か瞬きをしてから頷く。
「そうですわね。ただ、帝国に支配されるのだって嫌よ。本当に嫌だけれども」
貴婦人は大きくて長い溜息をついてから困ったように笑った。
「ごめんなさい、まるで厭味ったらしい説教みたいなことを」
「構いません」
すかさず答えたレウカに、ほんの少し苛立ったように眉を動かしたが、すぐにそれも消えた。
「そうかしら。あなただっていい加減にして!って怒る権利はあるのよ」
「だとしても、まだその権利を振りかざす時ではないと思いました」
「権利は振りかざすものではなくてよ。ともかく、わたくしからのお話はこれで終わりよ」
「ところで侮辱罪に問われてもおかしくはないのだけれど」
狂犬ハニーベル・ハルディンは決して受けた侮辱を流したりはしない。レウカは苦笑いして、今度はきちんと彼女の方を見て「ベルってば」となだめた。
「海竜の件が片付いたら咎は受けます。それくらいの覚悟と矜持は力無き者にだってあるわ」
クラーラナは空になったカップを持って立ち上がった。そして優雅に扉まで歩いていく。そのまま振り返らないつもりではないだろうな、というハニーベルの圧がわかったのか、扉前で振り返った彼女の顔には気恥ずかしさのようなものが混じっていた。
「……今日はゆっくりしていって。食事の準備ができたらまた声をかけるわね」
そして今度こそ彼女は部屋を出ていった。ハニーベルは足音も立てずに扉まで近づき、貴婦人が廊下を進み立ち去ったことと、扉がきちんと閉められていることを確認してからレウカの隣にどかりと座った。
「咎は受けなくていいとは言わなかったわね」
不機嫌さを隠そうともしないその態度に、レウカは大層喜んだ。
「私への侮辱だと感じたことは無いわ。でもそれを否定してはあなたに失礼だし、イースたちを傷つける。弁えていてよ」
どこか上機嫌なレウカにハニーベルは更に眉間に皺を寄せる。
「自分としてはどうでもいいと言っているのね?」
「そこまでは」
言わないわ、とは言わせてもらえなかった。
「そう聞こえたの。確かに、別に怒ってないし傷ついてもないし気にしていないけど立場上叱責しないといけないとか、家族や友人が怒っているから、とかわかるけれどね。でもあたしにはあれ、八つ当たりにしか感じなかったもの。怒るわよ。無関係な物をぶつけられたら怒るしかないでしょう」
「八つ当たり……?」
レウカは本当にわからない様子で首をかしげた。
「あんたがお優しい年下のお嬢さんだから殴ってきたって感じ。グロッグ相手だったら言えなかったでしょうね。それって正しいことかしら。
自由の尊さを謳っておきながら、殴る相手を選ぶというのは、真に欲しているものは心身の自由ではなくて好きに悪逆非道を行う特権よ。クラーラナは自身が批判した特権階級になりたいだけ、特権を振りかざしたいだけじゃないの」
「それは」
「覚悟だって、あんたが何もしてこないで我慢する良き人相手だから切り札のように使っているだけ。多分あんたが毅然と謝罪を要求したら掌返してへこへこしだすわ。あたし、あの女のこと好きじゃない。下手に出ている装いで相手を誘導するタイプ」
「そういう人は国に必要よ」
「そういう一般論はあたしに言わないで」
キャッチボールにしてはあたしばかり投げている気がする。ハニーベルはやりとりに応じられることは大事にされているとわかるために嬉しかったが、それだけで満足できる程度の女ではない。
だがレウカはそれすらもわかっているかのように申し訳なさそうに笑うのだ。
「あなたにどれだけ怒られても、私はあんまり気にしていないの。でもあなたが怒っているのならそれは尊重するわ」
ハニーベルは今度こそ、隠すことなく怒ってみせた。最初から隠してはいないが、全力でふかふかのソファーの背もたれに全体重をかけた。ソファーは倒れることはなかったが頼りなさだけはなんとなく感じられる。ぎこりと軋むような沈むような、外れるような音がしたために身体を起こした。
「ムカつく~何もかも~」
「ごめんあそばせ」
全く悪びれないまま目が合った二人は、どちらともなくふふっと笑ってしまった。
だがその時、唐突に轟音が響いて地面が揺れた。ハニーベルは咄嗟に横のレウカを抱き寄せて周囲を窺った。地面が揺れているわけではなく、まるで館全体が揺れているようだった。何らかの攻撃を受けたのか否か。レウカもおずおずと窓の外を見ている。
揺れが落ち着き、窓から見る限り家屋や木々の倒壊は無い。二人ともが用意していたバリアとシールドを解いて、まずはハニーベルが立ち上がり扉をそっと開けた。
「扉は曲がってないし廊下に異常無し。どうする?」
「広間へ行きましょう。みんなの無事を確かめたいわ」
「離れないでね」
「えぇ。猫さんは怪我は無いかしら」
レウカの声に反応したのか、二人の近くにやわらかな毛の感触がした。
「ちゃんといるみたいね。行きましょう」
二人が廊下に出ると、ほぼ同時に左右の部屋からアナトとビカラ、そしてグロッグが出てきた。
「あの!すっごい揺れませんでしたか!?」
ビカラは足早にレウカに近づいて抱きついた。レウカは彼女の頭を撫でて安心させる。
「えぇ怖かったわね。みんな大丈夫?」
「俺はなんとも」
「おほほほほ!たとえ天井が落ちてきてもビカラ殿のため受け止めてみせますわ!」
「えぇ~その隙に逃げろとか言われても、わたし多分爆笑して動けないですぅ」
「じゃあいつかのその日のために今からイメトレできるな」
「もっと応用の利くものにしてもらいたいわね。じゃあ広間へ」
倒壊と、一応襲撃を警戒しながら五人は本館へと到着した。だが特に問題はなく、同じように混乱していても備品などのチェックをしている使用人たちやけが人はいないか見て回っている医者がいるだけだった。彼女らとは互いに心配しあい情報を交換し合ったものの、誰も何があったかは把握していない。
しかし本館と繋がる廊下で、若いメイドが二人、おろおろと所在なさげに震えている。
「どうかしましたか」
「旦那様が、いえ、屋根が」
メイドたちが指す方向には広間の大扉が開いていて、室内の様子が見えている。
そこには、館に到着した時とは違い煌々と陽が指していた。
「……天窓とかありましたっけ?」
「いや、むしろ海国らしく潮気対策のできた気密性の高い一室だったと思うけど」
そこで全員が足を止めた。光に慣れて室内の様子がわかったのだ。
屋根が崩れて、広間に日光が直接届いていたのだ。そして部屋のど真ん中に巨大な氷塊が鎮座している。先ほどの轟音と揺れの正体はこれだと全員が考えた。ゆうに三メートルは超える氷塊が屋根に命中し、広間に落下した。シンプルだった。
「もしかして誰か下に……!?」
「いえ……会食の準備のために人払いをしてあったと思います。あちらに旦那様がいらっしゃいます。詳しいことは旦那様にお願いします」
そのうちに冷静になったのか、メイドたちははきはきと話せるようになり、玄関側の廊下に座り込む中年男性を紹介した。大柄な肥満体の彼こそが館の主人でクラーラナの夫であるペートロ・オーデだった。
「オーデ卿初めまして、レウカ・シャスト・カレンシアと申します。詳しいご挨拶は後程にお許しください。どこかお怪我があるのでしょうか」
レウカたちはペートロに近づき、彼の様子を軽く調べた。応答は無い。青ざめた顔で震えながら座り込んでいるだけだった。広間の惨状を見ながらパクパクと口を動かしていたペートロは、
「海竜の仕業だ……」
と力無く呟いた。
「そういえば不可解な流氷で海が凍ってるんだっけね」
「海竜の力だとは思えないけれども」
冷静な話をする若者たちなど気にせず、ペートロは不意に立ち上がる。
「もう嫌だー!!!!!」
大声で叫んだペートロは広間の隅のカーペットを剥がし、そこに出現する地下への扉を開けて、勢いよく飛び込んだ。そしてすぐさまそこを閉めてしまう。
あまりにも華麗な一連の流れにポカンとした五人だけが取り残されていると、一テンポ遅れてクラーラナが本館の奥から広間まで走ってきた。ドレスの裾を掴んだ全力疾走だった。この女、ロングドレスで走り慣れている。流石は元一般人、と心の中でアナトは賞賛を送っていると、クラーラナは目を吊り上げて五人に問いかけた。
「今地下に夫が逃げて行かなかった!?」
「行きました」
「あの男!!また逃げたわね!!!!執事長!つるはし!!!!」
「落ち着いてください奥様!お客様の前です!!!!」
彼女の後についてきた初老の執事長はつるはしを求める夫人の手に扇を渡す。クラーラナはそれを開いて、顔に風を送りクールダウンをし始めた。
「ふぅ……ごめんなさい。実は夫はとっても気が弱くて、ずぅっと海竜にビビりっぱなし。会議で灰洞港に行けないとかさっきはちょっと顔を立てたけど、本当は会議を言い訳にして海竜から逃げ回っていたの。この攻撃は……攻撃?なのよね?」」
「恐らく。海竜は事前調査によると氷を操れはしないはずですから断言はできませんが」
「なによそれぇ……そこは調査隊に任せるわ。ともかく、この攻撃は夫を現場に引きずり出そうとしているのかしら。それとも責任者を殺そうと?」
当然の疑問だが、調査もさせてもらっていない自分たちには返す言葉も無い。全員がどうしようかと迷っていると、恐らく年長者としてグロッグが真っ先に声をあげた。
「夕食はキャンセルして調査隊に合流してもよろしいでしょうか」
「それは……」
「決定権が国王やモロー殿にあるのは理解しています。しかし、敵の襲撃を受けた邸宅に我々を置いておくことは危険では?あなたがたも我々への警護にまで手が回らないでしょう」
彼は提案しているようでいて決定事項として畳みかけている。さっきはこの女がしたことなのに、ざまあみろとハニーベルは溜飲が下がる思いだった。
「えぇと、あの、あなた。どうしたら」
クラーラナはほとほと困り果てて扉の下に声をかけた。
「帰ってもらって!!!!!」
簡潔な返事に彼女は頭を抱える他ない。
「あなたも大変ね……」
気に入らない女だとしてもハニーベルは気遣うことにした。そりゃあ彼女も腹芸の一つや二つ覚えないと共倒れになるような立ち位置だと理解できたからだ。
みんなが疲れた様子を見せる中、ビカラがおずおずと質問をする。
「……あのぉ、なんでシトロンさんたちは来ないんですか?この広間って東館と西館の中央にありますよね?」
彼女の言葉に四人が慌てて様子を見に行く。
すると、十メートル級の氷塊が東館を押し潰しているのだった。
次は明後日の20時以降に更新予定




