カレンシアの休日・前
王都全体がどこか浮足立ってそわそわとしていた。ブレアルネイソルのキノト皇子ご訪問!と興奮しているのだ。基本的に明るい話題に飢えている民衆は、調査隊が思っているよりも彼女たちに注目している。そこに新メンバーとして加わるキノト皇子のことが知りたくてたまらなかったのだ。
「ところでブレアルネイソルってどんな国?」
「知らん!」
そんな会話を聞きながら、ビカラとコウジロウは兵士たちとともにペーポの買い出しに付き合っていた。
「子供向け教科書には三千年前に成立した、現存する国家でも最も歴史のある国って書いてあります。これって本当ですかぁ?」
ビカラはペーポに尋ねた。ドラゴンなら長生きだから知っていると彼女は考えていたが、ペーポは首を振る。
「ペーポはずぅっと眠っていて、三百年ほど前にカレンシアの大地で目が覚めたので、そういうこと全然知らないのです……ごめんなさい」
「いえいえ、そういうこともありましょう。でも凄い活気ですねぇ」
すぐ凹むドラゴンが凹み始めるのを見て、ビカラは慌てて空気を変えようと街に注目させた。
「オレらがきた時もこれくらい歓迎されてたら……帰ってたっす。怖くて」
その気遣いに乗ってやろうとしたコウジロウだが、口から出たのはとくに広がらない会話だった。ペーポはわかる……とうなづくが、兵士たちは苦笑いで接している。
「わたしなら嬉しくて嬉しくて……道の端っこを歩きたいですね!」
ドヤ顔のビカラも結局は同じようなことを言っている。
「君もなんだかんだ日陰の人間だよなぁ……。でもきっとこのキノト皇子とやらも、きっと日向の民なんだろうな」
他の大陸の大きな国。コウジロウにとっては帝国もブレアルネイソルもほとんど別世界のようだった。カレンシアですらおとぎ話の中の国だったために、船から東大陸を見た時は蜃気楼じゃなかったのか、と思ったほどだったのに。
「可愛くて綺麗で優しい人だといいなぁ。レウカお姉様にもあてはまりますけど」
「気楽にしゃべれるような人ならほんと助かるんすけど」
そうこうしている間に馬車は目的の店についた。てっきりパン屋かと思っていたが、綺麗なレストランだった。準備中の看板の横で、店主と兵士を交えてペーポは堂々と話をしている。
「パンに関してはだいぶ自信を持つようになりましたねぇ」
「ドラゴンって言っても、なんか普通の人間みたいなのばっかだよな」
「多分そっちの方が少ないんでしょうけど」
幸か不幸か、言葉の通じるタイプのドラゴンにばかり遭遇している。会話が成り立つということは、ある程度の常識が通用しているということだ。言葉だけ同じでも会話できないことというのは人間相手にだって十分あり得る。だが根本的にドラゴンは人間とは違う生命体だ。好意的で温和なカレンシアのドラゴンであってもしょっちゅう「ん?」ととっかかりを感じることがあるコウジロウは、あまり慣れ過ぎてもいけないのだろうな、と毎度己を戒めていた。
「お二人とも、特別なライ麦が買えました!ブレアルネイソルからのお客様にもライ麦パンをお出しできそうです!」
兵士たちが粉を運び馬車の荷台に積み上げた。レストランの店主とシェフが奥から焼きたてのパンを持ってきたのを見て、コウジロウとビカラは馬車から降りて近づいた。店長は嬉しそうにみんなにパンの入ったバスケットを差し出す。
「この店はみなさんが黒パンを食べるようになってからライ麦を買い付けて、黒パンを作るようになったんですよ。これ、試食のパンです、どうぞ!」
食べやすいサイズに切ったパンを受け取った二人は、すぐさま口に運ぶ。パンに馴染みのなかった生活圏の二人だったが、どちらもパン文化を気に入り始めていた。
兵士たちも「いいんですか?」と驚きながらも試食を貰い、嬉しそうに頬張った。
「そのうち街のみんなもいっぱい食べるようになるかも」
「王族が流行りを作るってのはやっぱ本当なんですね」
「ペーポも頑張ります!キノト皇子をおもてなしします!ふむむ、小麦を混ぜてカレンシア人に親しみやすくしているのですね。良い努力なのです」
ペーポが店主たちと話していると、二人はふと街を行く見知った少女を見つけた。
「あれ?」
「ラティーさんです。あ、隣にいるのがお噂の」
少しおめかしをしたラティーの横を歩いているのは、養成学校の制服を着た少年だった。背は高くないが、短い茶髪と人のよさそうな顔つきの、明るく賢そうな少年だった。二人はニコニコと笑い楽しそうに話しながら通りを南に歩いていく。
「養成学校の方だったのですね!もしかしたらベルさんのご学友かもしれませんねぇ」
ビカラはニマニマと笑いながら物陰から身を乗り出して観察していた。
「邪魔しちゃ悪い、オレらはとっとと帰ろう」
「ちょっと!ノリ悪くありません!?」
「まともなんですぅ~もしくは眩しい年下を見たくないだけともいう……」
「あ、察してあげます。あぁ!二人とも劇を見るみたいですよ!あ、チラシを配ってるみたいです!貰うだけ貰いましょうよ~」
くるくると表情を変えてあっちを見たりこっちを見たりするビカラに気づいた若い兵士は、「はいただいま~」と言って通りへと行きチラシを貰って帰ってきた。
兵士は二人に一枚ずつ渡し、また積み込み作業に戻った。ビカラはお礼をしっかり言ってから興味深そうにチラシを読みこむ。そこには手書きの地図にいくつかの劇団の公演場所や日時、タイトルと簡単なあらすじが書かれている。
ラティーたちが人混みで見えなくなったのを目で追っていたコウジロウは、銀髪の中性的な美少年が路地に入っていくのを偶然見かけた。同時に、彼を追って数名の男たちが路地へと行くのも。
「……ちと行ってきます」
「え?コウジロウさん!?」
兵士たちが近くにいなかったのもあり即座に動くことができてしまった。人混みをうまい具合に進み、彼は路地へ赴いた。一応刀を腰に差していてよかった、とコウジロウは柄に手をやった。
「お前どこの貴族の坊ちゃんだ?外国人だろ、その髪」
「俺たち今金が無くてさぁ」
「お金が欲しいのかい?」
入り組んだ路地の奥からガラの悪い声と、不釣り合いなハスキーな声が聞こえてくる。コウジロウが彼らを見つけた時には、少年が金を地面にばらまいたところだった。
「あげるよ」
少年は星が輝くように眩く笑った。それこそ光っているような……と思ったところでコウジロウは気がついた。光魔法の気配がある。あれは物理的に光を顕現させて演出に使っている。細かい調整ができている相当の手練れであり、バカだ。
ぽかんとしていた男たちは、わなわなと震えて拳を握った。
「舐めやがって!」
叫びながら少年へと近づく。
「危ない!」
コウジロウが刀に手をやった瞬間、突然全員が地面に叩きつけられていた。
「うごっ……!」と鈍い声を上げて地面に倒れこんだまま立ち上がらず、男たちは不思議な挙動をしている。コウジロウは、彼らが凄まじい重力で立ち上がれないのだと気がついた。男たちは顔にコインがめりこんでも顔を浮かすことすらできず痛がって呻くことしかできない。
「絶世の美少女を捕まえて、はした金をねだる。物の価値も労働の尊さも正道の眩さもわからぬ愚か者たちよ。これからは心を入れ替えて僕を崇めてほしい」
そう言いながらまた光った。さっきと違う波形の光を背後に背負い、少年はわざとらしく演技ががかった身振り手振りと表情で男たちに話しかける。いや、今自分のことを美少女と言ったな、とコウジロウは現実に引き戻されるような衝撃を受けた。
少年もとい少女は、銀糸と金糸がふんだんにあしらわれた黒いジャケットをきっちりと着込んでいて、肩からはこれまた銀糸の刺繍でキラキラと輝くように見える白いマントを羽織っている。このゴージャスな服装は今のカレンシアの流行りではないと教えてもらったばっかりだった。
足元は白いズボンに黒のブーツで、おおよそ貴族の少年の服装であった。それに加えて身長もさほどコウジロウと変わらなく、光を受けて魅惑的に煌めく銀色の髪も長めのショートカットで、これまた貴族の少女にしては短いから思わず少年だと勘違いしてしまったのだ。言われてみれば確かに長いまつ毛に大きな瞳、そして女性らしい足つきをしていた。
「痛い痛い痛い!!!」
「すみませんでしたぁ!!!!」
「そこの通行人」
「え、オレ?」
突然話しかけてきた少女は、コウジロウの元へ近づいてきた。地面に転がる男たちのことは見もしない。
「助けてくれたんだろう?ありがとう」
「助けてねぇっす。あんたが一人で」
彼女が指をさした方向に転がるごろつきの前腕部、そこがぱっくりと斬れている。コウジロウは確かに、咄嗟に彼女に向けられたうち一番近い手を斬り落とさない程度に攻撃はしたが、正直当たっているとは思っていなかった。
「僕の魔法より早いなんて凄いなそれ。奈の国の人なのかな、居合というものだろうか?君が斬ってくれなかったら、僕の靴に手が届いたかもしれない。それくらいで僕の輝きは失われないけれど、靴が可哀そうだからね。あぁもういいか」
彼女が指を上に動かすと、男たちはやっと立ち上がれたようだった。彼らは顔にコインがめり込んだままおぼつかない足取りで逃げようとする。
「捕まえた方が……」
「この国の問題じゃあないかい?」
少女は紫色の美しい瞳でコウジロウを真っすぐに見た。コウジロウは人と目を合わすのが苦手だ。だが、なんとなく彼女の瞳から吸い込まれたように目が離せない。
「でも被害にあいやすいのはオレたち外国人だ。……自分でなんとかできないような人ばっか狙われる。それは、その」
言い出しははっきりしていたが、返事のないまま続けるほどの度胸はなく次第にもにょもにょとした声になっていく。そんな格好の悪い少年相手にも、彼女は表情を変えずに頷くだけだった。
「確かに、君が全面的に正しい」
彼女はごく当然と言った顔でコウジロウを肯定した。そして指一つ動かしていないのに、再び男たちはその場に倒れる。男たちはうわぁ!だのまたかよ!だのと喚いている。
「……すごいなあんた」
「あんたはよしてくれ。もっと僕に相応しい美しい呼び名をしてくれないか」
美人に呆れた顔をされるのは心臓に悪い、とコウジロウは思った。ちょっとした表情の変化がやたらと臓腑に直接ダメージを与えてくる。内容も内容だ。そんな気の利く男であるならば、堂々と道の真ん中を歩ける男だったろうに、となんだか寂しい気持ちになってしまう。
「えぇ……ハードル高いな……」
彼女はじっとコウジロウを見て、にっこりと笑った。花ではなく、宝石や星の輝きに例えられるタイプの笑みだった。
「仕方ない、そういうセンスもアドリブ力も無いようだ。キノトで構わない」
「そっすか、オレは……」
自己紹介をしようとして、はたと止まった。
今なんと言った?彼女の名前は。
「……キノト、皇子?」
震えながら聞き返すと、彼女は小声であっても自らを呼ぶ声を聞き漏らしたりはしないようだ。魔法などにも頼らず自ら輝いてみせた。
「あぁ、今巷で大人気の時の人。ドラゴンが嫉妬する美の化身、五億年に一度の天才、世界を揺るがす愛の人・キノト皇子とは僕のことさ」
次は明日の20時以降に更新予定




