立派な大人とは
「ルザルグお兄様!」
女性の声に気をとられて今さっき別れたばかりのルザルグの進んだ廊下を覗き込むと、そこにいたのは眉をしかめるルザルグと、見知った雰囲気のする女性だった。彼女のことは知らないが、それでもすぐに見当がついた。彼女の髪はルザルグ、アルジェン、そしてアエミリアと同じ輝きの金色の髪だったからだ。
「もしや今ネザクの調査をイストリア様から拝命されたのでは?ならばその件、拙に任せていただきたい!」
「……ルルリア、まだ正式に発布されていない任務を憶測で、そして人前で口にするとはな」
地獄の底から響いてきたような低い声に、ルルリアと呼ばれた女性は真っ青になった。騎士服をこれでもかというほどかっちり着こなしているが、本人から見えないところに泥がついていたり飾り紐がこんがらがっていることから、そそっかしい人なのだろうか、とシトロンは思った。
「いえ、その、拙は」
「そのような粗忽者に重大な任務を任せると思うのか?今の軽率な発言で俺や任務に不利益が生じたと考えられないのか?」
あわわわわ、とルルリアは震えた。パニックになると何を言っていいかわからなくなるタイプのようで、わたわたと手を動かすだけの妹を見てルザルグは心底呆れた顔で背を向けた。
「謝罪もできん者に俺の時間を使わせるな。お前はいつも通り書類の整理でもしておけ!」
依然あわわわわ、としている間にルザルグが去る。兄がいなくなった後も一つにまとめたさらさらの髪を左右にぷるぷる揺らめかせながら、彼女は涙目で震えているばかりだ。
「ルル、大丈夫?」
レウカが声をかけると、ルルリアは途端にきりっとした表情を作る。涙目のままのため取り繕えていないが。
「レウカ……だ、大丈夫だ!拙は立派な騎士だからな、この程度のことでへこたれたりしないぞ!」
「それならいいけど無理しないで。シトロン、この方はルルリア。先ほどのやりとりでわかったろうけれど」
「ルザルグとアルジェンの妹だろ?アエミリアに姉がいるって聞いたような聞いてないような」
シトロンは片手をあげて「やぁ」とだけ挨拶した。ルルリアは完璧な角度の敬礼を返す。
「あぁ、拙はカレンシアの至宝ルザルグお兄様の妹、ルルリア・スキピオだ!総監騎士としてこの国の平和と民を守っている。……あと本ばっかり読んでるアルジェンとスキピオ家の名を放り出した愚妹がいる。一番下には可愛いリュイリーもいるぞ」
「五人兄弟だったのか!」
「お会いしたかったぞ、アナト殿!」
ルルリアは満面の笑みだった。
「……オレはシトロン。今レウカが言ったと思うけど」
思わず呆れた顔を隠さずにいると、ルルリアは壁に頭を打ち付けた。
「この頭が!鳥頭が!!!」
「やめてルル、花瓶が!」
角で見えなかったが廊下には花瓶があり、それが振動で今にも落ちそうだった。ルルリアはその花瓶が傾いたのを見て慌てて拾おうとしてすっ転んた。そして角から飛び出てしまい、偶然通りかかったメイドの一人がこけて、彼女が持っていた書類はぶちまけられ、ルルリアはめしょめしょめしょ!と音を立てながらその書類の上にダイブした。花瓶はシトロンがキャッチした。
足を捻ったメイドをレウカが治し、ぐちゃぐちゃになっていない書類はシトロンともう一人のメイドがまとめ、破れたり折り目がついたものはルルリアが責任をもって片づけた後用意することとなった。来月分のメイドたちへの指示書だったらしく、そこまで重要な書類じゃなくてよかったです~とメイドは呑気に笑っていた。
「これ、私の署名よ。これをメイド長に見せてゆっくり休んでね」
事の顛末をざっと書いたカードをメイドに渡す。
「もう動けますのに……」
「安静にしないとダメです。わかって」
「はい、姫様ありがとうございます!」
メイドたちはレウカに頭を下げて無事だった書類を持って去って行った。その後ろ姿に頭を下げ続けているルルリアを見て、流石のシトロンもあはは、と気を遣うような乾いた笑いが出た。
「彼女ちょっと……空回りしがちなの」
「だろうな……粗忽者って言われて本当に粗忽者過ぎる奴初めて見た」
「返す言葉もない……!!!」
ちょっと一緒にいるだけでこれだから、家族ならさらに心が休まらないだろうな、とシトロンは感じていた。見た目はデキるお姉さん風なのに、と彼女のあふれ出るエリート女ムードを浴びながら笑うしかなかった。
「大人しく書類整理に戻る……二人とも、それでも困ったら拙を頼ってくれ……では……」
とぼとぼと歩いていったルルリアだったが、すぐさま「危ないだろ前見て歩け!!!え、あ、騎士様……」としりすぼみの兵士の声と、「ももも申し訳ない」と謝罪する声、そしてガシャーン!と何かが倒れる音が聞こえてきた。
「なんというか、妹二人が強烈過ぎて、そりゃルザルグもアルジェンを可愛がるよなって感じ」
もうこれ以上関わりたくない、とシトロンはさりげなく帰路につくと、レウカもそれを追う。お人よしの彼女が助けに行かないところを見ると、助け過ぎてもダメだということを身に染みていそうだと思った。
「上二人は早くに両親を亡くしてから下三人の親代わりをしていたの。だから二人だけの強い何かがあるんでしょうね」
「良く言うなぁ。でも大貴族で両親を早くに亡くすって無茶苦茶大変そうだな。エトロとラティーも親が死んだから母上たちが王城で引き取ってお城の子として育ててオレの幼馴染になったけど、身寄りのない商人の子だから揉めなくて済んだところもあるんだ。貴族とかじゃあな」
「あら、結構似ているわ。実際スキピオ家の乗っ取りを画策する親族たちは溢れたけれど母のリメーニアが兄弟を救ったの。元々姉たちの幼馴染だったということもあって、後見人になって私たち全員兄弟のように一緒に育ったわ。私は年が離れていたから面倒を見てくれたお兄さんお姉さんって感じなのだけれど」
「立派な母上だったんだな」
含みなしに褒めると、レウカは花のような笑顔を浮かべた。
「そう!そうなの!私も立派な人になりたいわ。……問題はその立派の部分がふわふわとしているところなのだけど」
「参考にあるかどうかわからないけど」と前置きをしてから「オレは兄上を守る立派な人になりたかった」と伝える。レウカは興味深そうにその瞳を輝かせた。
「お兄様を?」
「二十年前の戦争の影響で、王子様には強く立派であってほしいって国中が願っていたんだけど、兄上は刺繍が好きな文化人。運動が苦手で背も小さくて太めだけど腕力もないタイプだった。もう一つ致命的だったのは、高所恐怖症だった」
「ローマンデルジェイで!?そ、それは日常生活も死活問題なのでは……」
岩山の頂上に位置する国やそこで見た風景を思い出し、レウカは戸惑った。
「マジでそう!大人になった今でも王城の窓にも近づけないからな。槍もろくに触れないまま十歳になる頃にはみんな失望してたんだ。王子様があれじゃあ不安だ、うちの七歳の子でも崖を飛んでいけるのに、って。同世代の子にも馬鹿にされてたのに兄上は文句も言わないで黙々と鍛錬してたんだよ。全然できなかったけど」
シトロンは小さい頃を思い返した。十年以上前、王城の廊下で、手に血豆ができても努力する兄を。……それだけ頑張っても、何一つろくに習得できなかった兄を。
「ある日、見かねた槍の指導係が刺繍を窓から捨てたんだ。母上の誕生日のために作ってたやつってオレは知ってたから、これはいかんと思ってたらいつの間にか窓から飛んでてさ」
「え」
「兄上ー!とったー!!!って叫びながら中庭に向かって真っ逆さま」
「大丈夫だったの?」
「偶然下を歩いていた母上の兄貴のほうの伯父が半狂乱になってめっちゃダッシュして受け止めてくれた。三兄弟の中で一番肝っ玉が小さくて、まぁ普通のおっさんなんだよ伯父さんは」
「いえ、二階から姪っ子が降ってきたら誰だって」
「四階」
「お、おバカ!!!」
「しょーがないだろ五歳だったんだから。そしたら誰に馬鹿にされても笑われてもずっと黙ってた兄上が無茶苦茶オレに怒ったんだ。兄上が怒ってるところ初めて見たから怖くて泣いちゃったんだ。でも伯父さん曰く危ないだろ、心配したって言ってただけで全然怒ってなかったらしいけど」
「ふふ、子供の時だものね」
「泣いてるオレのところに母上が来てさ、誰かのために怒れる人は優しくて強いけれど、自分のために怒れないのではだめだ。あいつはなってないなって話をしてくれて」
いい話風の雰囲気ではあるが、ちょっといいかしら、とレウカは話を止めた。
「泣いているあなたを慰めたりお兄様のフォローをしにきたわけでは」
「なかったな。オレもマジかよこの女、ってちょっと思った」
「泣いていても子供心に覚えていたのだものね……」
「でもそん時の伯父さんがこう言った」
『シトロンはどうか自分のために怒ってくれ。自分もお兄ちゃんだからわかるけど、下の子が良い子過ぎて大切過ぎると、どうもそいつらのためにばっかり生きてしまう。だからせめて下の子は、思うがままに生きてほしいんだ』
「だから次の日、兄上の槍の訓練に乗り込んでさ。その場でちょっと伸ばしてた髪切って」
「えぇ!?」
「強い王子様が欲しいだけならオレがなる、ってその日からオレが槍を初めて、あっという間に強くなって、文句あるやつ全部黙らせた。それからなんか、こんな感じだな。多分兄上を守る強い王子様のイメージがこれで、それがオレにとって居心地が良かったっぽい」
叔父と兄はそういうんじゃなくて……!って泣いてたけど、母と伯父はお前がそうしたいなら良し!って笑ってたなぁ、とシトロンはその時のことを思い出していた。ちなみに父はいつだって頭痛を堪えるような渋い顔をしていた。敵の首を撥ねた女に一目ぼれをしたくせに、そんな女に似ている娘には手を焼いているのだから不思議なものだった。
「王様が最強である必要は無いんだ。そういう時代は終わったんだ。本当にそう思うよ」
「……そうね」
リメーニア女王が名君とされた理由の一つに、最強であることもあるのだろう。レクエルドに乗って戦場を飛び交い圧倒的な力で敵を蹂躙し民を守った。以前の自分ならば彼女のその一面だけを見て憧れていただろう。だが今は違う、とシトロンは気がついていた。
「他人のために動きながらも自分のために生きる、それがオレの求める強さというか、立派な大人の条件なんだと思う。母上がいつだって誰かへの情けを捨てずに、でも無理はしないで生きているところとかを見てきたから。
母上は侵略者をぶっ殺した戦士でオレと兄上を育てあげた厳しい母で父上を支えたり引っ張ったり投げ飛ばしたりする妻で、エトロとラティーみたいな子供達を見捨てなかった英雄なんだ。その全てを尊敬している。まずは戦士と英雄の部分からかな」
「凄いわシトロン。あなた、もう立派じゃないの」
「そうかな」とシトロンは照れた。
「そこまで言語化できているのだもの。自分の心とちゃんと向き合って答えを出したのね。……私も少しだけあなたの真似をさせてちょうだい。自分だけの答えを見つけるまで」
「オレの真似?」
「えぇ。まずは、お母様の、誰とでも友達になろうとしたところやスキピオ家を助けようとした優しさから目指そうと思ったのよ」
「そりゃすぐにできそうだ」
「そうかしら。だから……キノト皇子とお友達になりたいわ。警戒は必要かもしれない、きちんと彼女だけじゃなくて国としての狙いも考えなければいけない。それくらいはわかっているわよ」
レウカは少しだけ寂しそうに笑った。きちんと大国の姫をやろうとしているのだ。向いていなくても、それでも。
「でも調査隊でいる間にはみんな仲良く楽しく過ごしてほしい。未知の国のお姫様がどのような方でも、きっとお互いの世界が広がると思うから」
ちょうど二人が通りかかった窓から、レクエルドが南に飛んでいくのが見えた。真っ赤な身体のドラゴンはあっという間に見えなくなってしまった。
「あいつは人間の姿になって城の中に入ったりしないんだな」
「実は彼女、あまり人間が好きではないの。戦争のせいね」
「そうか」とだけシトロンは返した。そういえば以前、城を出て行った話を聞いたと思い出した。
「だからレクエルドはキノト皇子の訪問にも反対していたのよ、戦乱の呼び水になるって。でも相手を知らなければ一緒に生きることはできない。わかってくれた、と信じているけれど、どうでしょうね。私は実はドラゴンたちのことを全然わかってやれていないから。前途多難ね」
「乗り越え甲斐があるって笑っていようぜ」
そういうと、二人は目を合わせて笑った。
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