蠢く然々・1
カレンシア王都より東には、海と海の向こうの奈の国しかないと思われがちではあるが、そうではない。少数民族による都市国家が古王国時代に切り開かれた地下や沼地や霧深い谷の中にあるのだ。
草原に身をひそめる夜盗たちと協力し、彼らは時折カレンシア領内に忍び込み盗みや人さらいを繰り返している。
そのため三百年前に建設されたのが調査隊が向かっているチェイス砦だった。建設以来東からの盗人は用意に侵入できなくなった。そのうち彼らは潮竜や他の民族と戦い力を失い、今はその存在を確認できていない。そのため東には無人地帯が広がる、と民間人は理解している一方で国防を担う騎士や貴族たちは今もなお目を光らせている。
調査隊を出迎えたのは砦を守る守護騎士ジョフールだった。彼女は代々砦を守る貴族騎士で、年は六十を超えているにも関わらず背筋をピンと伸ばし、青い軍服を華麗に着こなす熟練騎士であった。
「ごきげんよう騎士ジョフール。やっとお会い出来ましたね。毎年誕生日にカードをいただけることが私の楽しみの一つです」
「ほっほっほ。ごきげんよう姫様。大きくなられましたわね」
「あら?私たちは」
戸惑うレウカにジョフールは目元の皺を深く刻みながら微笑んだ。
「姫様が覚えていなくても当然ですわ。赤ん坊の時に抱っこしたことがありますのよ。あれ以来一度も王都に参上する機会が得られませんでしたが、心はいつもあなた方のお傍におりましたわ。本当に大きくなられて……我がことのように喜ばしいものです」
「積もる話はありますが、まずは竜脈の調査を優先させてください。封鎖してくださっているとのことですが」
レウカは少し恥ずかしそうにしながらも本題を切り出すと、老騎士はニコニコと笑いながらみんなを案内した。
「こちらですわ。研究塔から使いが来た時は驚きましたが、彼らの言う通りに封鎖しております」
石造りの階段を四階分ほど下りた草原の近くの開けた低地見張り台に、二名の研究員がいる。白いローブは目立つな、とぼんやり見ていたシトロンは、今更ながら初対面時のレウカがまとっていたローブが研究塔のものだと気がついた。
「チェイス砦の騎士は代々この砦に住み込むとお聞きしています。ここは不便などはないのでしょうか」
「住めば都……とは言いますが、実のところ不便なところはあります。私が子供の頃は今よりもさらに砦としての機能のみを追い求めておりまして。丁度国内が揺れていた時期だったために内外の暴徒に気を配らなければならなくて、衣食住がおろそかになっていましたわ」
階段を下りながらジョフールは続けた。
「だから貴族や騎士としての仕事は長い間両親にまかせっきりで、私と夫はここで働く兵士やその家族たちの環境を整えることに尽力してまいりました。そのおかげでしょうか。この四十年は今日まで一度も敵の突破を許してはおりません。人は不便を前にするとそれを受け入れるために心を鈍感に作り変えるか、より良き未来を目指し団結するかのどちらかを選びます。我々は後者でしたわ」
砦の近くには小さな村がある。砦で働く者たちや行商を行う者や巡回騎士たちのための食事処などがあり、小規模ながらも活気にあふれている。騎士ごっこをして走り回る子供の姿も見えていた。
「本日は巡回騎士との見回りで娘夫婦は出払っておりますが、息子夫婦は王都で商売をしているんですよ。昔ほど厳格にこの砦に縛られてはいないと思いますしどこに住んでいても何かしら不便だと感じるところはありましょう。孫は騎士になるといって幼年騎士学校に通っていますが、私たちからの良い影響なのか圧力を感じてのことなのかは心配ですが」
「カレンシアに生きる者が騎士に憧れるな、と言う方が無理だと思いますわ」
ハニーベルは優等生の顔で微笑んだ。老騎士は気を良くしたのか「お上手ね」ところころ笑った。
見張り台には二メートルほどの石塔があり、そこに青々としたマナが生っていた。それは記念碑であり、『大地に線を引く許可を与えよう』という一文と共に署名が添えられた簡素なものだった。
「ドラゴンの署名とはな。人間みたいなことをしよる。最近の流行りか?」
ガラクテアは不服そうに愚痴愚痴と碑文にケチをつけている。
「デゼルト……知らないドラゴンね」
レウカが署名に書かれた名前を読み上げる。戦争で死んでしまったのだろうか、それとも呆れて人界を捨てたのだろうか、もっと前にいなくなってしまったのだろうか……それはもう誰にもわからないことではあった。
「荒野のデゼルト。ソラールの部下の詩人じゃな。もったいぶった言い回しを好むやつじゃった」
「へぇ、そういうのもっと聞きたいかも」
興味深そうなシトロンの声を聞くと、我に返ったようにガラクテアは口を噤んだ。
「……気が向いたらの」
「では気が向くのをお待ちしております。今回は普通に採取できそうね」
レウカが杖を出して地面をこつんと叩いた。すると石塔から半径二メートルほどの狭い距離の地面が青く輝き、根っこのような細い線に沿ってバッと一瞬強く光った。
それだけで石塔の先についていた青い光は切り離されたようで、淡く光りながらゆっくりと下に降りていきレウカの手の上に落ちた。直径十センチほどのしずく型の宝石のようなそれは、手の中にあっても煌々と輝いている。
「あぁ……とくに暴走状態とかじゃなかったら普通に魔力で切除できるんすね」
前回のてんやわんやを間近で見ていたコウジロウは感嘆の声を上げた。収穫ビームを撃つはめになっていたシトロンは正直面白くはなかった。命削らなくてもえぇやんけと無言でガラクテアを睨んだが無視されてしまった。
「ごほ、その後は、蓋をする感じ?」
「はい。わたしがケブラフで色々教えてもらったのはそんな感じです。できものの切除みたいなものだって言われましたよ。悪い所を斬ったらボコッと盛り上がったところをなだらかにする感じです」
ビカラは得意げに説明し、みんなそれに素直に聞き入り「へぇ」「すごい」「なるほど」と返事した。彼女は良い気分になったのか珍しく屈託なく笑っている。
「わたくしには患部をちぎった後、上から強い力で抑え込んで平らにすることしかできませんわ」
「この世に適材適所って概念が生まれて良かったよ」
「妾が作った」
ドヤ顔のガラクテアに一斉にツッコミが入った。
「適材適所できねぇのによ」
「全部妾でえぇじゃろとか言うんでしょ」
「妾でえぇじゃろ(良くない)(できてない)でしょうねぇ」
「えぇいやかましい!!!大体あっとるのが心底ムカつくわ!妾ってそんなにわかりやすいか!?」
吠えてからすぐさまガラクテアは大仰に手を振った。
「やっぱ言わんでよろしい!マナをよこせ、保管する!」
レウカは苦笑いしながらもマナをガラクテアに渡す。
「研究塔に引き渡すんだよな?」
「これを喰らえば力が戻ると思うのだが、調べてからにしろとアルジェンに言われてしもうてな」
「カレンシアとしてもガラクテア様に力を取り戻してもらいたいのはやまやまですが、だからこそ慎重になっていただきたいものです」
ジョフールにも釘を刺され、銀河の女王は仕方なくマナを体内に収納するに留めた。
「そもそも竜脈異常があるってんだからなぁ。えーと、次は測定魔法の設置だっけ」
「そのポイントは大体絞り込めています。今回は五か所です」
事前に砦入りしていた研究員たちが地図を見せてくる。砦付近の五か所に徴が付けられていた。
「ほとんどが砦の敷地内ね。ところでここら辺で鹿が見れたはずだけど、どうかしら」
「はい、いますよ。まだ北に移動するには早いですもの。作業中にも見れると思いますわ」
「鹿!?」
「本物!?」
外国人たちがにわかにはしゃいだ。レウカはみんなの様子に満足そうにしている。
「では手分けをしてポイントに向かいましょう。ついでに鹿も見ましょうね。測定魔法の設置方法は覚えている?この箱を地面に置いてほんの少しだけ魔力をこめたら完了よ」
「自動的に竜脈の流れや魔力速度などを計測して、今我々の立っている魔方陣に情報が送られてくる仕様になっています。多少の人数と設置する人員に魔力が必要なのは未だ改良の余地がありますが、研究塔の誇るべき成果であります!」
研究員は二パッと笑いながら説明に補足を加えた。
手分けを決めようとしていると、砦の外の木の影に目つきの悪い男がいてこちらを見ていることにシトロンたちは気がついた。向こうも気づかれたとわかったのか、慌てて男は逃げていった。
「ジョフール様、今の男は」
ずっと黙って従っていたイクシアが小声で質問すると、老騎士はふぅ、とため息をついた。
「彼は先日まで砦で働いていた会計係の一人です。クビを根に持っているらしく、王都への帰還もせずに兵士たちの近くをうろうろと歩いて挑発しているのです。何もしてこないので注意もできません。一応民間人立ち入りラインまでは侵入していませんので」
「込み入った話になると思いますが、クビの理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。彼が姫様に嘆願などしないように気をつけるべきか否かの判断のためです」
「なるほど、賢明な判断ですね」
「じゃあオレらは先に測定魔法セットしに行っちゃいますか?」
「そうね、お願いします」
その場にはレウカとハニーベルに、イクシアとアエミリアが残った。
「二年前に左遷の形で砦に来た男です。彼の仕事は常に他の者が手直しし、二度手間が発生していた。しかし皆助け合いの精神と寛容さが大事だと考えて、私や他の者に報告いたしませんでした。
ですが先日人事が入れ替わりまして、新しく砦の事務長となった人物がこの問題に気がついてくれまして。監査部に頼み他の会計係や事務員たちに聞き取り調査をし、全貌が明らかになりました」
ジョフールはこめかみを押さえた。最近の彼女の頭痛の種といったところだろうか。
「彼からの申し開きはなく、今まで問題が無かったからそれでいいだろうの一点張り。他人の仕事を増やしていることや勤続年数により他の者より給金を貰っていることなどについては当然だと主張、最終的には事務長への罵詈雑言が出たために謹慎を宣告したのですが……暴れまして」
彼女の目線の先に事務員通路があり、その壁に小さな穴が開いているのが見えた。
「だからクビにいたしました。砦には常時二百人程度の兵士と二十名の騎士がおりその家族や商人たちも生活しています。やりくりというものはとても大切な仕事です。姫様に陳情するほどの度胸のある男だとは思えませんが油断は禁物ですね。我々も人手を割き」
「いえ、我々がお傍におります故、そちらのお手を煩わせることはないかと」
イクシアが率直な意見を述べると、ジョフールはふふ、と笑った。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、ともいうでしょう。我々にも恰好をつけさせてちょうだいな」
「……はい!胸をお借りする所存です!!!」
「イクシー気合入れすぎ」
「事情はわかりました。私も判断を誤らないよう気をつけます」
一方シトロンは兵士たちとともに測定魔法の設置を行った。手のひら大の箱を置き魔力をこめると箱がひとりでに開き、飛び出た魔力が花開くように周囲に広がった。そうすると地面に魔方陣がしみこみ、あっという間に見えなくなり箱も消えていく。
「便利なものだな」
「よう作るのぉ」
「あ、シトロン様、ガラクテア様。鹿がいますよ」
兵士が小さく抑えた声で教えてくれたので、慌ててそちらへ移動する。そこには同じように設置が終わったグロッグとビカラが、それぞれ付き添っていた兵士たちと身をかがめて観察しているようだった。
シトロンが二人と同じようにかがんで様子を窺うと、砦の兵士が語りかける。
「この辺りの木の皮をよく食べに来るんです。多少の話声なら出しても大丈夫ですよ」
まだ若い鹿だったらしく、ひょこひょこと頼りなく跳ねるように歩いて樹を齧り草や花を食む童話のような光景に、ビカラは「わぁ!」と少女らしい声を出して喜んだ。
「うわ、弱そう……あんなんで生きていけるのかよ。素手で勝てるわあんなん」
「ローマンデルジェイの山羊どもはやたらと強かったからの。妾を貪りよってからに」
「そっちも見たいなぁ、ごほ……。でも確かに、貧弱だ。可食部も少ない……」
「見たことない動物見たい!から実際見たら弱そうだの貧弱だの……ロマンチックな会話とかできないんですかぁ?わたしは可愛い!って感動してるんですよ!これだから暴の者どもは」
「すまん……」
情緒がへし折れている二人が口だけの謝罪をしている時、ガラクテアは太い木の間に人影が動くのを見つけた。
「おい、人が森に入ったようじゃぞ。しかもあの怪しい男のように見えたぞ」
ガラクテアの言う辺り見た三人にも、こちらをちらちらと伺う様にしながら森の奥へと入っていく男が見えた。確かにさっきの男だとシトロンにもわかった。
「あそこってさっきわたしが設置したところです。一応見に行った方がいいんですかねぇ」
「げほげほ、研究員たちに聞いてみないか?」
「そうだな……後から何かしても大丈夫だったら放っておいていいだろう。そういうわけだから、あんたらも今すぐ見に行くのはちょっと待ってくれ」
砦の兵士たちは身近ではない研究塔に対して恐れがあるらしく、シトロンの言いつけに素直に従った。三人は鹿に別れを告げて一旦石塔まで戻ることにしたのだった。
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