パンとドラゴン・後
いつの間にかセレマリオンが帰っていたことに気がつくと、ペーポはおろおろとその場を飛び回るようになってしまった。
「とりあえずパン作ろうぜ」
シトロンが落ち着かせるために声をかけると、不安そうなドラゴンはひとまず地上に戻ってきた。
「は、はい!ペーポはパンしか作れないので……」
俯きながら生地の前にヘロヘロと移動するペーポに、レウカは優しく声をかけた。
「あなたの作ったパンはとても美味しかったわ」
「あ……ありがとうございます姫様!」
「だったら、パンしか作れないペーポじゃなくて、とっても美味しいパンを作れるペーポ、って名乗ってほしいわ。私、あなたのファンになってしまったから」
ペーポはその言葉を噛みしめるように少し静かに考えこんだ。
「パーポが言っていました。職人が自分を下げてはいけない、作ったモノまで悪くなっちゃうって」
生地の具合を確かめてから、彼女は納得するように頷いた。
「それでも自分は素晴らしいものが作れるのだ、と自分に叫び続けなければならないって。パーポはそういう哲学めいた物言いが得意でした。人は何故パンを食べなければ生きていけないのか、それを司どる自分たちは一体なんなのか。施しを与える者か、導きを与える者か、導となるだけの者か、我々は人間にとって何であるべきか、自分は何を選ぶのか……」
遠い昔に隣り合い語り合った、自分に似てはいるが何もかも違う仲間、友人、もしかしたら師匠かもしれないドラゴンをペーポは想った。
「そうして彼女は延々と考え続けた結果……自分ではカレンシアで人を助けることができない、と去ってしまったのです」
「パーポさんと会えないのは寂しいわ。結論に至るまでの色んなことは悲しい。でも彼女が選んだのであれば、尊重したい」
「……言い換えれば別の国で人を助けているんだよな。自信を持てない職人や美味しいパンを家族に作ってあげたい誰かや、ライ麦があってもそれを食べる文化や知識や技術が無い飢えた人々を」
シトロンとレウカの言葉に、ペーポは顔を上げて目を輝かせた。
「……そうかもしれません……いえ!そうです!きっと絶対そうです!!!!パーポは今も黒パンを作り続けているはず!!!!ならばペーポも作り続けます!」
えい!と叫んで何らかの魔法を発酵させた生地にふりかけると、一気に香ばしい香りが漂った。
「ライ麦パンの出来上がりです!!!」
皿の上に五十センチほどの巨大な塊が出現している。これがパンかぁ、とハニーベルは驚きを隠せなかった。
「実はライ麦パンって食べたことないのよね、どう食べたら美味しいの?」
「薄く切って、げほ、上に色んな具材を乗せる……皿にする感じ」
ペーポがパンナイフでざくざくとパンをスライスし、全員分の皿にとりわけ始める。
「自分だけの地層を作るんだ。パンは塩気と酸味があるから生ハムとかチーズとか味の濃いものと野菜がよく合うんだ。ラティー、乗せるもん持ってきてくれ」
シトロンが中庭で清掃作業をしていた従者たちに声をかけた。ラティーは兄に箒を受け取ってもらい、近くのロッコを捕まえる。
「はーい、パン用のね?いっぱいもらってくる」
二人が台所へ行ったのを見送るシトロン。その背中をハニーベルやアナトは訝しげに見ていた。
「……シトロン、あんた随分……」
「詳しいですのね……」
「……………………ローマンデルジェイ、ライ麦パン派」
「え!?!?!?!?!?」と全員が驚いた。
「エトロ、説明してくれ。ローマンデルジェイがライ麦パンを主食にしている理由」
今度はエトロを呼びつけると、彼ははいはい、と箒を持ったままやってきた。
「ローマンデルジェイは国土の大半が森林限界線より上のためほぼ岩山です。農地が非常に少ないため、基本的に高山植物や山羊から採れない食物は交易に頼っています。我が国の交易相手は山脈を越えた南の、国を持たない人々です。とくに飛び地である砂の民がライ麦の栽培を何百年も続けていることが、我が国の主食がライ麦パンの大きな理由です」
「飛び地?別の島みたいな感じですか?」
最近学ぶことが楽しくて仕方がないという様子のビカラが質問すると、エトロは快く答えた。
「だいたいそんな感じですよ。建国の際ライ麦畑を捨てられなかった砂の民は準国民契約を結び、今日まで友好関係を続けています。我々は歴史的に東大陸の港口であるブルトーヌやガレッドルを頼ることはできませんからね」
以前シトロンとアナトの醜い争いを見たビカラは、あぁあれか、と納得する。
「まぁ、そういうこと。ローマンデルジェイがうちの港を全く使っていないのにやっていけている理由がわかりましたわ」
苦々しいアナトの顔をを見てシトロンはせせら笑った。
「交易と言うけれど、ローマンデルジェイって何が特産品なんすか?」
「山羊と山羊乳と山羊皮製品と、あと傭兵」
流石に自分で答えることができたシトロンを見てエトロはほっと胸をなでおろしている。
「傭兵?」
「その南の民たちの代わりにムドラ退治とか、あの辺り一帯を支配したがる鉄の民ってのがいてさ、そいつら定期的にぼこぼこにしてる」
「南の民のことも、ローマンデルジェイのこともあまり知らなかったわ。勉強になります」
「我々はあまり西や北……カレンシア方面には行かないんです。ホレブ山脈からカレンシア平野に行くのは大変ですし、逆もそうでしょう。みなさんがうちの文化などを知らないのも、こちらが疎いのもそういった理由があります。戦争も交易も南と東ですね……」
「けほけほっ……なるほどね、腐りにくい黒パンは不毛の大地でこそ輝くから……」
「言わせておけば」
「ワジェンデイクも不毛の大地だから許して欲しい。というかうちは山羊もいないから、ごほっ」
片や岩山、片や永久凍土である。緑とはあまり縁がない国同士だった。
「お野菜とか沢山もらってきましたー!」
ラティーとロッコと、噂を聞きつけた厨房係たちが何人もぞろぞろと付け合わせを持ってやってきた。細かく切った瑞々しい色とりどりの野菜や茹で卵やハムやリエットがあり、グロッグもシトロンも嬉しそうな顔を見せた。
「みなさまもどうぞ!」
ペーポは従者や厨房係にもパンを差し出した。
「いいんですか?」
「ローマンデルジェイもライ麦パン派と聞いたらねぇ」
「私たちだけで食べるのも悪いわ。ペーポがいいと言うなら私たちだっていいに決まっています。みんなでいただきましょう」
作り手のドラゴンと高貴な人々があっさりと許可をくれたため、若い従者たちはすぐさま喜びの姿勢に入った。
「わーい!久々の黒パンだー!!」
手馴れた様子で上に色々乗せていく黒パン世界の者たちと、崩れたりなんだりで難しい白パン世界の者たちを見て、ペーポはニコニコと笑っていた。ヒューエトスはなぁ、と話しかけた。
「いいのか?お前の司ってるもんじゃないだろ」
「いいのですいいのです。結局ペーポは美味しいものを美味しく食べている人間を見るのが好きなようです。例えこれが役割から生まれた感情だとしても偽物だとは思えません。パーポだってもしかしたら、小麦でパンを作ってるかもと思うのです」
「……なんだ、最近毎日めそめそ庭で泣いてたのにすっかり笑顔じゃねぇか!セーレはきっとそれを見越してたんだな!」
「え、どうしたのペーポ」
みんながペーポの方を見たために、彼女はまた慌てて飛び回り、ヒューエトスの後ろに隠れる。だが彼は優しくはなく、片手で彼女を掴んでみんなの前に放り出した。
「えぇと、ええと……最近は……ペーポがいなくても、みんな親や師匠や店に伝わるレシピや本で、美味しいパンが作れてしまうのです。だから昔みたいに、ペーポが国中飛び回ってパン作りを教えたり手伝ったりする必要なくなったのです」
「セーレはちょっと責任感じてたんだよ。民間人の文字の読み書きとか国内での印刷機の普及とか、そういうの推し進めたから。口伝じゃすたれるようなことが、時代を超えて解読される。そのせいでくいっぱぐれるドラゴンがいるとは思いもしなかったみてぇだけどな!がっはっは!!」
「セーレのせいじゃないのに……ペーポが上手くやれてたらこんなことになってないのです」
「パン教室を作るとか?」
ラティーの発言に、シトロンは賢い!と妹分を褒めたくなった。教えに行くのではなく教えを乞う人々を集めるのはペーポというドラゴンのブランド力を守り高めることにもなるだろう。
だが当のペーポは短い手で頬をもちもちと混ぜながら段々と地面に落ちていく。
「……口下手なので……人見知りだし……自分の言いたいことばっかだし空気読めないしエンジンかかると一人でずっと喋ってるし」
「待て待て、確かに大変そうだな」
「大丈夫だ。なんか大丈夫になるって俺様には見えてるからな!」
「あなたの未来予知って細かいことがわからないし発動条件もよくわからないのよね」
全員がパンを食べながらペーポのこれからについて話し合っていた。だがペーポはじっとグロッグを見ている。その視線に気がついたグロッグは苦笑いを浮かべた。
「本当に美味しいよ。なんだろ……嘘くさい?」
「いえいえ、そうではないのです。不安にさせてごめんなさい」
ペーポは決心したようにグロッグの肩をちょんちょんと叩いた。
「王子様、ちょっとお耳を」
みんなから少し離れたところでペーポは小声で尋ねた。
「あの、その……お味、あんまりわからないんですね?」
「…………わかるのか?」
グロッグは一瞬険しい顔を見せたが、すぐにいつもの柔和な表情に戻った。
「食物を司っておりますので。あと、魔力で作っておりますので、口内に入った生成物がどういった反応を起こしているのかわかるのです」
「そういうこと。納得した」
「白パンでは口の中の過剰魔力、血液に負けて血の味しかしないのですね。あと血を吸ってしまって喉に詰まる……過剰魔力ですから普通の血ではありません。岩のように固くなってしまうのでは?食道に傷がついていますね。回復魔法も自動発動していますし大変お強いこともわかります。一秒ごとに怪我しても一秒ごとに治るでしょう。
でも食事の度に怪我をしていることには変わりないのです!好き嫌いなんかじゃないってちゃんと言わなきゃいけないのです!ペーポは美味しく食べてもらいたいのです!」
一生懸命に話すペーポに、グロッグはとても申し訳なさそうにしていた。
「……ごめん」
絞り出したような言葉を聞いて、ペーポは目の前がカッと真っ赤になった気がした。
「ペーポが、ペーポは、そういう言葉が欲しいのではありません、多分、ですけど、えーと」
ペーポは自分の想いや言葉が次から次へと喉に詰まり上手く話せないでいた。
「でも俺だしいいかなって」
あはは、と笑うグロッグに、心優しいドラゴンは何故か、”とっても美味しいパンを作れるペーポ”を傷つけられたような気がした。
「それは言えや!!!!!!」
その心を膠着状態から掬い上げたのは、思ったことは口にする女シトロンの叫びだった。
「どうしたのシトロン」
「いや、だって、それは、盗み聞きは悪いけど、あのさぁ!」
慌ててレウカが声をかけると、シトロンはしどろもどろになりながらグロッグを指した。
「あはは、気を使わせて悪い。でも」
「お前さぁ!それ寛容とか器がでけぇとかじゃなくて無頓着なんだよ!お前は!お前に!無頓着すぎる!!そういうのオレ嫌いなんだよ!」
本当に国同士のこととか考えないなこいつ、とコウジロウとビカラはいっそ尊敬の眼差しを向けていた。従者の子供たちはあちゃー!という顔のままパンをもぐもぐしている。主君に似ている。
はぁ、と大きくため息をついたアナトは見えない拳をシトロンの腹にいれた。
「……言い過ぎですわよ」
「ぐほぁっ!!!!!!」
あまり聞いたことのない音が響いてからシトロンはその場に崩れ落ちて悶絶した。
「シトロンは悪くない。げほ、げほっ……友達にも言われたことがある。そうか、やはり俺はそういう人間なんだな」
グロッグはもぐ、とパンを食べた。口の中に一瞬トマトとレタスとチーズとテリーヌの濃厚な味が広がって、血が混じって、台無しになった。
それでも一瞬は美味しかったのだ。
飲み込む時に気合を入れなくてもいいし、人前で吐きそうになるのを我慢する必要がない。それだって我慢すればいい話なのだ。誰にだって身体の中や心の中がどうなっているのかなんてわからないのだから、自分一人で抱えるしかないものならなんだっていいじゃないか。
でもそれは人曰く。
「無頓着かぁ」
グロッグの漏れ出したような声を聞いて、ペーポは去って行った友を思い出した。
『我々は人間にとって何であるべきか、自分は何を選ぶのか……』
「……!!!!決めました!!!ペーポ、しばらくここでパンを焼きます!焼かせてください!!!お願いします」
ペーポはレウカに頭を下げた。
「それはいいけれど、いいの?」
レウカは一も二も無く彼女を受け入れた。厨房係も異論は無いらしく手で丸を作っている。
「白いパンも黒いパンも作ります!ライ麦は……どうか経費で……」
「勿論私たちが出すわ、気にしないで。じゃあお願いねペーポ」
「ほら解決しただろ?俺様またもや的中ってわけ」
最初の勢いが段々と萎れていくペーポに、レウカは優しく笑いかけた。それを見てもグロッグは他人事のように首を傾げていた。
「そこまでする?」
「お前のことを思って」
やってるんだよ、と言おうとしたシトロンは、ガラクテアに言ったことを思い出してぐっとこらえる。優しくしてもらったからってそれを優しいと思ったり、礼を言ったり恩を感じたりするのを強制してはならない、のだ、と自戒する。
「シトロンが成長してる……」
幼馴染たちはパンを食べながら感動していた。
「……ドラゴンにこういう人間性とか感情とか与えるの、どうかと思う」
眉間に皺を寄せた、苦しそうな竜殺しの呟きはヒューエトスだけが聞いていた。
次は明日の20時以降に更新予定




