レウカはまだ十五歳・後
グロッグは自分の話だというのに関心が薄れたのか、手紙を書くことに集中し始めた。
なかなかに厳しい友人らしいとは話の端々から感じていたシトロンだったが、我が道を行く大暴れ男の頭を悩ませる友人がいると考えるとグロッグにも可愛げがある気がしてくる。
ハニーベルはマイペースな渦中の二人の代わりに眉間に皺を寄せながらため息をつく。
「そもそもジアンカ様の件もあって、今の国民感情を鑑みると三姉妹のようにレウカを使うのは下策よ。かなりリスキー。貴族たちも反対しているもの。王個人の考え方かもしれないわね」
「どうかな、中央には得てして同じ価値観の者が集うものだよ。カレンシアの現状を過去三人を差し出した結果だと把握している者で上を固められていたら、レウカ君を差し出すんじゃあないかなぁ」
キノトの発言にはハニーベルだけではなくシトロンもアナトも眉をひそめた。
「現実的だけど嫌な言い方ですわね」
「そういえば、奈の国にハナユア?さんがいるんだろ?どんな人?」
シトロンは隅っこで大人しくしていたコウジロウに声をかけた。彼はにわかに動揺しながらも、姉の話を聞けるのかと目を輝かせたレウカを見て視線を机に落とす。
長女ハナユアは御子カレンの再来と言われるほどの戦と政の天才だった。大蜜柑戦争では出撃に慎重だったが、戦争末期にはレクエルドと共に戦場へと赴き一騎当千の働きを見せてカレンシアを鍾離に導いた。当時は十八歳で、リメーニア逝去により彼女が即位すると、恐らく彼女自身も含めて世界中の人間が考えていた。だが現実はそうはならなかった。
コウジロウは気が進まなさそうに口を開いた。
「前奈の国は十二個の島国みたいなものって言ったじゃないすか。ハナユア様が輿入れなされたのは奈の国の第一の島がカレンシアだとするとオレの島は……ブルトーヌみたいなもんすね。だからハナユア様のことは見かけたことないし、彼女もうちに来ることなんてない」
「なるほど、わかりやすい」
「噂も聞かないっすね。最悪なゴシップくらいしか」とまで言って、彼は口を閉ざした。
「お相手はどのような方なの?誰も答えてくれなくて…‥」
彼の様子に気がついているのかいないのか、レウカは質問を重ねる。
「渋い顔してるです」
ビカラの一応のフォローを聞いて、流石に気がついたのかレウカも苦笑いを浮かべた。
「みんなそういう顔をしていたわ」
コウジロウは肩をがっくり落としてから、視線は外したまま喋り出す。
「あの、最高権力者タタラシ家の当主で……七十越えてて……側室も孫もひ孫もいるような……」
「……そう……」
「ただ、正室に迎えられたのは確かっす。そしてそれ以降タタラシには内紛も無い。以前は勢力争いが凄かったんすけどね」
「それがレウカの姉ちゃんのおかげなのかもって?」
「タタラシは大樹の管理と封印の守護が仕事だから、血の契約に対してマジといいますか。後継者争いも最も優れた人物を当主に据えないといけないから、真面目に血生臭くなると言いますか」
「策謀を巡らせるにしても、真に有力な者を蹴落としてはいけないのか。面白いね」
「ハナユアお姉様がそのような諍いを見過ごすわけないし、きっとどうにかして鎮めたのね」
レウカはどこか納得した様子だった。
「例えば?」
「剣か槍を振り回したか、一緒について行ったアーエールとイグニースが大暴れしたか、真っ当に懸け橋になったか」
「つまり暴力も陰謀も真っ当な手段も取れる人なんだ?」
「えぇ、だからまさしくお母様の後継者といったところね。ハナユアお姉様にはそこまで心配していないのよ。むしろ乗っ取っていないか心配ではあるくらいです」
「ドラゴン二体連れて行ってるくらいだしね……」
「そういう口さがない噂はまぁあるっすよ。当主はとっくにぶち殺されてるとか。そんな無理ある鵜噂を国動かしてる連中が楽しそうにしてるんで地獄っすわ」
「もっと聞きたいかも……!」
「オレがあんまし話たくないんすけどね!?」
「じゃあ三番目のお姉さんはどんな人なんですかぁ?」
横合いから別の問いを投げかけられ今度はレウカが悩み始めた。コウジロウは助かった、という顔をしているが、姉の人柄を聞かれて難しい顔をするという理由はシトロンにはよくわからなかった。
何せ彼女は兄、義姉、両親、伯父夫妻に叔父の全員を最低一時間は褒めちぎれる自信があるからだった。
「セベニアお姉様は……なんていうか、自由な人ね。お母様ともよく喧嘩していたし。チョプハンルス王国に嫁いだのだけれど、気に食わないからって大暴れして一回帰ってきたの」
レウカは楽しそうに笑った。複雑な関係というわけではなく、一般的な思考を持つ彼女からすると説明が難しいという相手なのだろう。
「実際そういうことした人いるんだ。げほっ、ちょっと安心した」
「その時丁度わたくしも遊びに来ておりまして、一部始終見ていましたわ」
いつもニコニコしていたレウカが焦って必死に姉にしがみついた姿を見て、アナトは様々な思いが胸に去来したが、今は横に置いておく。
「イストリア様はここにいていいとおっしゃっていたのだけれど、何日か後には旦那様が迎えに来て、一緒に戻られましたわ」
「なんかちょっと悲しい話です……」とビカラは自分のことのようにショックを受けていた。
「旦那様は年が近い素敵な方に見えましたが、ご本人には色々と思うところがあったのでしょうね」
「私はこのままお城にいて!って我儘を言ってしまったわ」
「我儘ってか、正しいんじゃね?」
「そうかもしれないけれど……」
レウカは少し、当時のことを思い出した。確か十一歳の時だ。セベニアは終戦当時まだ結婚が出来ない年齢だったため、しばらくは城で姫として関係各所に檄を飛ばしていた。
そんな彼女もいなくなった城内は、漠然とした不安に包まれていた。レウカはそれを受け止めるには幼く、父は赤子の弟にかかりきりで本当に寂しかったのだ。
そのためセベニアが帰還した時は本当に嬉しくて、侍女たちを振り切り姉を城に迎え入れた。
『おいおいレウカ、お前、あたしがいねーと寂しいわけ?』
淑やかさとは無縁の、いつもの姉だった。暗い赤茶の長い髪が少し母に似ていて、レウカは心底安心できたのだ。
『そうは言うけど、あたしはあの国が嫌でもカレンシアからも出て行くんだけど』
だから、姉がどうしてそんなことを言うかわからないでいた。
彼女は幼い妹に言い聞かせるように、二ッと笑った。視線は合わせても、セベニアはレウカに目線を合わせたことはなかった。いつも彼女は背筋を伸ばしたまま、膝も腰もおらずに上から妹と相対していた。それが彼女のやり方だった。
『こんなことにならなけりゃ、ハナユアが国、ジアンカが騎士、お前が研究塔を率いることになってた。あたしはそういうの堅苦しいし重苦しくて嫌だからとっととよそへ行っちまおうと思ってたわけ。だから結婚は最悪だけど、ここにあんまり帰ってこねーのはあたしの意志なの』
『お姉様の、考え……?』
『あたしは好きにする。あんたを寂しがらせても悲しがらせても。だからあんたも、いつまでも律儀にあたしを想ってないでいいの』
着飾ることが好きな姉の爪には、相変わらず綺麗な指輪やネイルが光っている。それでもレウカを撫でる時それが髪に引っかからないようにいつだって気遣ってくれていた。
『ダチは大切にしろよ。ヒューイを連れて行きたいけどあいつ死にかけてるし、ミトロンの近くが安全だしなー。みんなカレンシアに愛着あるし、北にも沢山ドラゴンいるっぽいからあっちでつるむ相手見つけるわ。
カレンシアが好きなドラゴンがいるってのは、うちらが良き隣人でいたって証拠だと思う。レウカ、お前はもっと強欲になっちゃえばいい』
「そういえばあの時お姉様の言ってくれたことが今の私の行動指針に影響を与えているかもしれないわね」
『今いるドラゴンたちだけを守るより、今はまだカレンシアのことも人間のことも恨んだり憎んだり見下したりしているドラゴンたちとも全部ダチになりたい、って突っ切った方がおもしろいじゃん。それに、お前に合ってるよ』
「セベニア様は姫様のことをよく見ていて気にかけてくれていましたもの。一時帰宅の際も姫様だけではなくてわたくしとも遊んでくださったわ」
「良い姉ちゃんだったんだな」
「えぇ、とっても!」
レウカは悲しいことばかりだったと姉のことを思い出すことを止めていた時期の自分を、馬鹿だったな、と素直に思えた。
大切な記憶だったのだ。今も自分を満たしてくれる、自分を形成する暖かな時間だったのだ。
それを無かったこよにするなんて!とレウカは一人でおかしい気分になってしまった。
「これからたまに、家族の話に付き合ってくれる?私もみんなの話を聞きたいわ」
それを聞いてシトロンはすぐさま「勿論」と返した。
他のみんなも「当然よ」「いいですわね」「では早速わたしの五人いるおじいさんの話なんですけどぉ」と続けた。
世界平和はこういった東屋から始まるのかもしれない、と思ったレウカであった。
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