あなたの愛しい欠片たち
斎場の隅で、イストリアは静かに過ごしていた。ここは許可された者だけの休憩場のため、うろつく貴族たちも入っては来れない。
ジアンカの葬式だというのに、元気だ。
「口に出したつもりはないのだけれど、どうやら何か聞こえてしまっていたかな?」
複雑そうな笑みを浮かべて入口に立つレウカは、「いいえ」とイストリアの横に座る。
背の高い木々と花壇でやんわりと途絶されたこの場所は、静寂と安らぎを求める遺族たちを政治や駆け引きから遠ざけてくれた。
「大丈夫?」
「僕が聞きたいよ。君こそ」
「私は案外平気なの。未だあの光景は忘れられないし、何も飲み込めない。でもいつか忘れたりこそげ落ちるその日まで、一緒に生きて行こうと思っている」
幼かったはずの少女の横顔は、どこか見知らぬ女性のようでもあった。
「ブルトーヌへの旅は随分君を成長させたようだ」
「そうかもしれない。本当に色々なことがあったの」
レウカは様々なことを思い返してはいない。未だあの灰色の空の下にいる感覚だった。思い出すまでもなく、渦中にいる。そういうふうに感じていた。
「あなたもいつか旅をしていいと思うの」
レウカの言葉に、イストリアは返事できずにいた。旅をしていないわけじゃない、でも、何も学べないままだった。この優しい子供が学習するためだけに旅をしろと言っているわけではないとわかってはいるが、少なくとも自分はこれ以上旅で成長はできない。彼はいつの間にか凝り固まっていた自分に苦笑する。
「もしも僕がもっと早くにブルトーヌに遊びに行っていたら、何かが変わっただろうか」
口から出るのはみっともない”もしも”だった。
しかしレウカはその軽口をスルーも怒りもからかいもせずに、静かに首を振った。
「もしもの話は自分を慰めるためにあるのよ」
レウカはそっと目の前のドラゴンの頬に手を添えた。
それは大人の男の姿をしている。背の高い、見目麗しい外見の、頼りがいのありそうなその人に、まるで子供を相手しているように優しく触れた。
「イース、あなた傷ついているの」
まさか、人間じゃあるまいし。僕はこう見えても戦争に政争に不慮の事故その他でいくらでも身近な人間を不本意な形で見送ってきたんだよ。……落ち着いた声で、そう言ったはずだった。
しかし現実のイストリアは何も言えない。
「もしもは甘美な毒よ。ブルトーヌではみんなあの時こうしていたらとか、本当はこうだったのにとか、そういう呪いで自分も相手も街も国も雁字搦めになっていたわ。でもその呪いは、希望でもあったの。もしもの話をできているということは、自分は正解を知っているということ。それを選びさえすればなんとかなるということ。……そういうことにする、空虚な希望」
レウカは真っすぐにイストリアを見つけ続けた。
「心の拠り所が必要なら、それを自覚して、セラピーの一種としてもしもの話をしましょう。慰めた心で未来に生きるために。でも傷ついている自覚もないのなら、妄執に足を取られるお膳立てを自分でしてしまうだけになる。希望の呪いに囚われてしまったら……簡単には抜け出せないと思うの」
「……僕は」
千年生きたドラゴンが出すには、あまりにも人間らしい声だった。
「寂しい」
「そう」
「悔しい」
「えぇ」
「酷いよ、どうして、どうしてあんなことするのだろう」
「わからないわ」
「そうだね、僕もわからない」
そして迷子の子供二人は、肩を寄せ合って天井を見た。この斎場は特別な作りになっている。王族や一部の貴族の遺体には魔法的にとてもつもない価値がつくことがある。そのため城の地下に作られていて、遺体の保護を司るドラゴンにこの場を任せている。
そのドラゴンは人語を話さず、あまり理解もしない。だからずっとこうして天井に張り付いて、物珍しそうに人々を見ている。
ちょうど今は二人を見ていた。サンショウウオのような平べったい身体で、保護色で天井と同じ色に変化している。
彼女はただ、役割を果たすだけだ。感情どころか自由意志も欠落している。それでも彼女は自らの職務に忠実な上に、イストリアと王家の人間に愛着を持っているように感じる。
「心配させたかしら」
「そこまでの自由は彼女に与えられていないらしい」
「でも私はそう思うわ。……ドラゴンにだって、自由があると信じたいの」
そこからまた会話が途切れた。だが、それもすぐに騒がしい声にかき消された。
「ご一緒してよろしいですか?」
やたらとかしこまった物言いでアルジェンと妹たちが現れた。スキピオ家は当然、この場に入る資格がある。それは彼らもまた、ジアンカと幼馴染で一緒に育った家族であるからだ。
「勿論……ってルル、あなた」
「う……っ!!!うぅぅぅぅ!レウカ、泣きたい、ずびっ、のなら、ぐぅぅ、拙に言え!!ぐすっぐすっ……いつでも胸を貸すぞ!」
「いや、お前が泣いてたらレウレウが泣けるなけねーべ」
号泣するルルリアと呆れた様子のアエミリア、そして末っ子でまだ十歳のリュイリーはルルリアを気遣うように彼女にぎゅっと抱きついている。
「この通り騒がしいので」
「気にしないわ。お姉様もきっと笑って許すだろうし」
レウカの隣にルルリア、リュイリー、アエミリア。イストリアから少し離れてアルジェンが座る。
「ルザルグは?」
「まだ捕まっています」
こういったことでもなければ将軍に目通りできない立場の貴族たちは、お悔やみの言葉を告げるという名目でルザルグに近づいている。先ほどまではイストリアもレウカも同じ目にあっていた。
「彼は真面目だね」
「えぇ!お兄様は完璧です!」
「お姉ちゃん、鼻水出てる…‥」
「ねぇアルジェン、ジアンカお姉様は学校ではどんな人だったの」
レウカの質問にアルジェンは「どんな、ですか」と腕を組み悩み始めた。彼はジアンカの一つ下の学年に、三女セベニアと共に通っていた。
レウカ以外は騎士養成学校に通っていた。戦争後にはユヴォークの改憲により王族の通学は禁止されたため、レウカもライムも城で勉強する他無くなったのだ。
ジアンカと共に学生生活を送れたのは遠く奈の国に嫁がされた長女ハナユアと北の遊牧民の元に嫁がされた三女セベニアの他には、アルジェンだけだった。
「真面目でしたねぇ。無遅刻無欠席に常に学年トップの成績。教師にも反抗せず学友とも適切な距離で過ごされていました。私とセベニアは不真面目でしたから、よく二人一緒に廊下に立たされて、ジアンカ姫を見習いなさい!って怒られていました」
肩を竦めるアルジェンに、意外そうな顔をしているのはリュイリーだけである。
「三者面談に僕が行ったことがあるんだけど、確かにいつだって誰だってジアンカのことを褒めていたね。だから教師と彼女の話をすることは少なかった。問題児たちについて話し合いが必要だったから」
「それはどうも申し訳ない」
「あーしが通ってた頃に先公どもがそんなこと言ってたっけ」
「確かに。評判はよくなかったぞアルジェン……お兄様」
ルルリアは敬称をとってつけたように足したので、思わずレウカは微笑んでしまう。
「剣はハナユアに、弓はセベニアに、魔法はレウカに敵わないから、総合点と内申でマウントとるしかない、って言ってましたね」
あまりにもさらりと、今までの姉像とかけ離れたことを言われたものだから、レウカはつい吹き出してしまった。
「つまり、もしかしてそこまで真面目では」
アルジェンはにっこりと笑った。
「勝つことが好きだったんです。負けはどうでもいいけれど、勝つのが好きだった。そのためには努力も猫かぶりも厭わなかった。時折学年やチームでの模擬戦闘があったのですが、私やセベニアを倒せば自分の勝率が上がる、という理由で大人気なく学友を使って優先的に潰しにかかってきましたし」
「思えばそうかも~ハナ姉もニア姉も賑やかだからパッと見で気づけんけど、ジア姉もめっちゃ熱くなるタイプだったんよ。かといってハナ姉みたいに苛烈じゃないしぃ~ニア姉みたいに卑劣じゃねーの。おもしれー女、みたいな?いや、王家のみんなおもしれー女だらけだな」
「お前、セベニア様にあれだけ惚れこんでいながら卑劣などと」
「卑劣なのがいいんじゃんよ!!ブラコンのルルにはわかんねーべ!?」
「拙はブラコンではなくルザコンだ!!!」
「はいはい、静かにしなさい」
「構わないよ。騒がしい方が君たちらしくて僕は好きだ」
レウカは唐突に、ヒューエトス乗り大会で一人だけ落下したジアンカが騎竜特訓をしていたのを思い出した。
そしてなんだかやっと、ジアンカと再会できた気がして胸の奥が熱くなった。
こうして度々、姉のことを思い出していくのだろう。その度に新しい彼女のことや、忘れていた彼女のことを改めて知っていくのだろう。
あといくつ、人々や自分の中にある姉の欠片と出会えるのかはわからない。
でもそういう形での姉との再会を楽しみにするというのもいいのではないかとレウカは思うのだった。
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