そして蠢く土の下・前
ブルトーヌ近郊。調査隊が全員ブルトーヌを離れ、山岳地帯と荒野を抜けてガレッドル方面の南平原にさしかかったことを確認したセレマリオンは、騎士ドミクと兵士の案内で荒野のとある渓谷へと向かっていた。
「もうすぐです賢者様」
「一応カレンシアに変えるまで教授って呼んでください」
呼びかけた兵士は「はい」と返事したものの、理由はわかっていない様子だった。
「呼び名は大事なんです。みだりに私の名を呼ぶのは、まぁ、嫌がるドラゴンがいるというのもあるんですけど」
セレマリオンのローブの袖からソラールが出てきた。白蛇の姿が楽なのか、彼は自分の足で歩かずにくっついている。
「肩書がね。長い間賢人ぶってその肩書を使い過ぎた。それ以外の持ち物が全て失われたせいもあって愛着があったのでしょうね。だからこそ、賢者とかいうただの呼び名が特定個人を指すようになってしまった」
「確かに、賢人は数多くあれど賢者と言われる人は少ないでしょうな」
「これでも近年の私が親カレンシアの気があるのは自覚しているんだよ。良くない」
ため息をつく賢者に、ドミクは快活に笑いかける。
「我々の立場からすると研究塔ごと騎士団に所属してもらいたいものですが」
「よりによって騎士団?議会を信用してないのですか?」
「いえいえいえ、ははは」と今度はドミクが渋い顔をする羽目になっていた。
「貴族政治がお嫌いですか?」
「考えるところがあるだけです」
「任務前にあなたの来歴をざっと見たのだけれど、蜜柑戦争までは遠征騎士だったんですね」
「えぇ、最前線で延々と人殺しを。味方も部下も若者も。ノイローゼだの躁鬱だというものを肌で感じました」
「ではミトロン君の引き抜きは渡りに船だったのですか」
「あのままではデューゲン将軍のようになっていたかもしれませんね」
デューゲン将軍とは、マニウスの前に四将軍として在籍していた男だ。誠実だが頑固、保守的だが新しいもの好きで、相手の出自など気にせず分け隔てなく接する……という人なのだが。何故かセレマリオンは彼に一方的に嫌われていたため会話する機会に恵まれなかった。しかし賢者は彼のことが嫌いではなかったけれども。
「あの方も今何をしているんだろう」
彼は戦後、世界平和とカレンシアの安泰のためユヴォークに従い三姉妹の婚姻を後押ししていた。だが確約されていたはずの保証のいくつかが様々な事情で果たされることがなく、王と議会に対して叛意を示したことから追放された。
だがそれ以前に、かれは長きにわたる戦乱の最中、敵と民の間に立った唯一の将軍で在り続けたために疲れ果てていて、精神を病んでいたのだ。
そのせいで誇大妄想と過激な言動に走るようになっていたというのに、激務のせいで適切な治療を受けずにいた。賢者を毛嫌いしていたことも相まって、何度も研究塔からの診察の案内や療養の打診が来たにもかかわらず断り続けた。
敬愛する女王リメーニアの逝去、守護竜イストリアの昏睡など様々な国難が立て続けに襲い掛かってきたために、誰もが彼より優先すべき事項に黙々と対処した。
その結果、長らく国を愛し守ってきた男が狂うのを止められなかった。
私兵を集めようとした彼を単身で”諫めた”のがマニウスだ。そうして戦時中の功績と合わせてマニウス・ガーリムは史上最年少で将軍になったのだ。
「……ガーリム将軍は怖いですから。あのまま遠征騎士にはいられませんでしたが、かといってデューゲン将軍をあのように追いやったガーリム将軍の下につくことも考えられません。首都勤務は魅力的でしたが」
恐ろしい物を見たのだろう。ドミクは冷や汗をかきながら首を横にふった。
「私からするとマニウス君はわかりやすくて良い子なんだけどね。あの子の中に真ん中ってのは無いから、味方じゃなければ敵になる。デューゲン君はあのまま将軍の位につけていたらユヴォークは殺されていただろうし、最悪な形で四姉妹の誰かが王に祀り上げられていた。今が最良だとは口が裂けても言いたくないが、それらよりはマシだと断言できる」
「それはそうですな。デューゲン将軍のことは尊敬しておりましたが、最後に彼がなさろうとしていたことは明確に反対です。バカげている」
ユヴォークと貴族議員たちの殺害など、やって何になるのだろう。彼の中には明確な答えがあったのだ。それが歪で支離滅裂であっても。
「……流石に殺してはいないよね?」
「流石のガーリム将軍もあのまま斬り捨ててはいないでしょう。……いえ、戦地の彼の苛烈な行いを知る者としては殺すより惨いことをしているのでは、という意味で」
ドミクは何とも言えない顔で答えた。
「ブルトーヌでの三日間で、私はカレンシアとどう付き合っていくかを考えていた。とはいえ、当分は現状維持を願っているよ。研究塔はやっとできそうな私の帰るところの一つなんだから」
賢者は柔和な顔を止めて目の前を見た。
「なんでわざわざこんなことを言うかというとね」
兵士たちの案内で到着した渓谷の中には、カレンシア王家の馬車が止まっている。
レウカが関所での事件の後兵士たちの輸送に貸し出したはずの物だ。精巧な偽物かどうかは内部の机の彫でも見れば確認できるが、賢者はかけられた幾重もの加護でそれが本物だと把握していた。
「ここはブルトーヌ、ガレッドル双方の国境外です。ただし古の国際法に則るのであれば、カレンシア領地とみなされます」
馬車を、現場を警備していた騎士が賢者の前に出て、恭しく扉を開けた。
その中には、トートが転がっていた。
手足を縛られ、座席に囲まれた低いテーブルの上に寝転がされている。手足を縛るのは魔力を込められた封印具でただの紐ではない。
意識を失っているが死んではいない。ただ、ひとりでに目を覚ますこともない。
コウジロウが付けた刀傷は簡素な治療の跡が見られるため大事ではない。それ以外の大きな外傷は見られないが、歯は抜かれているようで、顔は腫れている。
賢者は大きなため息をついた。それを心配して顔を出した白蛇の頭を優しく撫でる。
「これから”あらゆることに無関係”なんて顔してられないからね」
そして制止しようとした騎士に「大丈夫」と言って馬車に乗り込み、トートを観察する。
「”無主地内に存在する王侯貴族の馬車内部は、馬車所有者の所属国家に臨時統治権を認める”。戦場で孤立した王侯貴族を守るための詭弁が、まさかこう来るとは」
感心したような声に、ドミクは眉をひそめた。
「……彼は安全なのでしょうか。捕虜に爆発魔法をかけて解放する手段もありますよ」
「いや安全だね。びっくりしちゃいました、処理されてます」
彼がそれは一体、と聞く前に、警備していた騎士がソファーの上に置いてある手紙を指す。
「この手紙が一緒にありました。触れてもいません」
「良い判断だ。とはいえ私以外には開封できないようにしてあるね。う~ん」
「カレンシアに帰ってから開けますか?」
「いいや、輸送に必要なこととか書いてるかもだから今読んじゃう。あ、今読んどいてよかった」
あまりにもすぐに答えを出したために、ドミクも他の騎士たちも思わず顔が緩む。しかし依然緊迫した状況のためにすぐに姿勢を正した。
「お聞きしても?」
「うん、彼、帝国からのお土産だって」
「はい?」と全員の声が重なった。
「帝国南方司令部所属第六師団、知ってる?」
次いで全員が息を呑んだ。
一番熟練のドミクが代表して答えるため、深呼吸をした。こんな切り出し方をされたということは、最悪なことが書かれているのだろうと身構えていた。
「知らないものはいないでしょう。二十年前、唯一カレンシア領内に攻め入った一軍です。帝国南方の広大な土地を収める大貴族である獣眼公爵シュトラウス率いる精鋭ぞろいの戦争屋ですからね。リメーニア女王がレクエルド様に騎乗して直々に相対したほどです」
「それはそうか。愚問だったね。そんなシュトラウスさんのサインが書いてあるんだ」
さらりと返されて泡を吹く時間も無い。
「魔法刻印は魔力での認証ができるものだから、確実に本人からのものだと断定できちゃうね」
そう言って賢者は手紙を裏返し、謎の迫力のある刻印を見せる。
「……私たちなんぞがお聞きしてもいいのでしょうか?」
「頭数は多い方が良いからお願いします」
セレマリオンはそういうことをあまり気にしない。ドミクは一応兵士たちを彼らのために遠ざけ、騎士階級のみをその場に残した。
「簡単に言うと」
『今回の件は帝国主導じゃない
帝国もなんか勝手にうちの名前と人と金使われて困ってる
無関係とは確かに言えない。二十年前に処刑されたアホ将校が協力していた部分もあった。今まで知りえなかったからごめんね
その将校の情報とブルトーヌとの密談の記録はすぐカレンシアに送るね
ぶっちゃけレコメダとブルトーヌが帝国を言い訳にワジェンデイクとガレッドルとカレンシアに攻撃しようとしてるだけ
でもそれだけじゃ誠意がないだろうから捕まえておいたトートをあげるね
彼にかけられた全ての術は解除してあるけど賢者様ほどのスペシャリストは国から出せないし不十分かも。そしたらごめんね。悪意は無いよ
何を聞いても調べてもいいよ
うちの国民じゃないことは調べる前から明らかだと思うし
近々賢者様と風竜様と調査隊のみなさまには挨拶をしたいなぁ。その時が来たら調査隊の一員として受け入れてほしい。帝国が一枚岩じゃないのは知ってると思うし?
あと、お悔やみ申し上げまーす』
「みたいな。トートにかけた意識混濁の魔法については私宛てだから読み上げてないよ」
凄まじくわかりやすく噛み砕いたせいで逆に底知れぬ何かが溢れる文章になっていて、ドミクたちはこめかみを押さえるしかなかった。
次は明日の20時以降に更新予定




