冷たい指先・2
いつまでも動かないシトロンに、「ごめんなさい」と一人の学生が泣きながら謝った。
するとすかさず、
「この子たちは悪くないのです!」
と七歳くらいの娘を連れた母親が遮った。母娘揃って綺麗な黒い髪をしている。
「何があったのかお聞きしてもよろしいですか?」
エトロの丁寧な姿勢にホッとしたように彼女は語り始めた。
「……私たち帝国からの難民で、シェルターに入れてもらえなかったんです。だからそこの倉庫でずっと息をひそめて隠れていたんですが、突然爆撃されて」
彼女の視線の先には壊れた建物があるばかりだった。それはまだ凍っていて、海からの魔法弾による氷弾攻撃にさらされたようだった。
「この子が建物の下敷きになり、みなさまが通りかかって助けてくださったんです。そこにあの、次の爆撃で……」
血だまりの氷の柱はきっと、咄嗟に前に立ち親子も学生も守ってみせたセドラの戦いの痕跡なのだとエトロは推測した。彼女はそれほど器用に魔法が使えるタイプではない。この規模の攻撃からみんなを守るにはどうすればいいか、選択したのだろう。そうでなければこの場にかすかに残るセドラの魔力がこんなに澄んでいるわけがない。
「どうせ、避けてしまったら面倒なことになると思って、自分の身体で受け止めただけですよ。そういう人でした」
エトロは学生たちと母子の傷を見てかすかに微笑む。
「君たちも怪我は……うん、大したことはない。良かった」
「何が?」
とげとげしいシトロンの声に、全員が身体を震わせた。
「シトロン」
たしなめるように名前を呼んだエトロに、シトロンは食ってかかった。
「セドラは、死んだのに、何が良かったって言うんだよ」
「セドラの意志が守られた」
温和な幼馴染が、強い口調で即座に切り返してくる様にシトロンは正直動揺した。でも湧き上がってくる感情は止まらずに口からあふれ出る。
「守られた?あいつは守って」
「覚悟はできてるってあいつが言ってただろ」
「逃げるってあいつが言ってただろ!!!死ぬつもりはないって!!だから」
「ここにいる中で、もし責任があるとするならば、あなたですよ姫様」
突然のエトロの発言に、シトロンの動きは止められてしまった。
「あなたが彼女をブルトーヌに連れてきて、この任につけた」
シトロンは完全に、何も言えなくなってしまった。
そして次に、どうしてこんな酷いことを言うのだろうと思った。今オレは幼馴染が死んで悲しいんだが?と考えては口に出ないで消えていく。
いつだって自分の味方でいてくれる少年が真っ向から自分を批判してきている。内容だけではなくその行動でもシトロンはガツンと殴られたような衝撃に襲われた。その痛みはじわじわと全身へと広がっていく。スイミーとの闘いなんてこれに比べたらかすり傷に過ぎないと思えたほどだった。
自分は何を言おうとしたのだっけ、そんなに先んじてオレを黙らせなきゃいけないようなことだったか?死ぬつもりはなかった、だから。
だから。
こいつらが。
こいつらのせいで。
シトロンは、開きかけた口を閉じた。白んだ空気が止まる。
それを見てやっと、エトロはシトロンとセドラの隣に座った。
「姫様、あなたが苦しむのなら、悲しむのならば、俺も寄り添いましょう。しかし、彼女たちを傷つけようとしているのであれば、先んじて言うしかないのです。誰も悪くないのです。本当はあなただってわかっているのでしょう?」
口に出してしまえば、もう二度と取り返しがつかない。この子供たちは一生その言葉を引きずって生きていくしかなくなる。
エトロは主君が誰かを傷つけることは見たくなかったし、妹と同い年の子供たちが呪いを受けてほしくはなかったし、この母娘に自分たちを責めてほしくないのだ。
「……冷静だな」
「セドラはきっとこういう空気嫌だろうから」
まだ少年のエトロではあるが、両親が死んだ時に幼馴染たちよりは早く大人にならなければならなかった。だからこういう時ほんの少しだけいつも通りの振る舞いが得意だった。
「俺は彼女の友達だからね」
「オレもだよ」
「じゃあ、喧嘩はやめよう。それと、この子たちを睨むなよ」
シトロンは一度強く目を瞑ってから、開く。セドラは目を開けてはいない。それを受け入れてから顔を上げた。
身を寄せ合う学生たちを見て、遅れて心が痛んでくる。
「……ごめんな……」
その謝罪に、彼女たちは大きく首を振った。
「ごめんなさい、私たちが、ごめんなさい」
「違う」
大きく息をついてからシトロンは、痛々しい笑顔を見せた。
「……違うんだよ、誰も……謝る必要なんてないんだ……」
ハニーベルは静かにミネオラに近づいた。姉の気配に、またミネオラは身を縮こまらせた。叱られる前の子供そのものだった。怯えるように俯いている。
だがハニーベルは、何も言わずに……何も言えずにその手を握った。ミネオラは目を見開いた。その隙に涙が更にこぼれ出て彼女の頬を濡らす。冷たい外気がすぐにその温度を奪った。
お互いに何も言えないまま、目を合わせないまま、静かにほろほろと泣き続ける妹を抱きしめることもできず、ハニーベルはただただ横にいた。
兵士たちの手を借りて屋敷の一室にセドラを運び、ロッコたちとも合流する。学生たちのケアはアナトたちに任せ、ローマンデルジェイのみんなでまずは死者への祈りを捧げていた。
「……燃やしますか?姫様」
ばあやの問いに、ヒューエトスが首をかしげる。彼は空に近い雨を司るドラゴンがいたら飛竜と天空を愛するローマンデルジェイの民の供養になるのでは、と押しかけていたのだ。
「あぁそうか、お前らの国って火葬か。昔から変わってないな」
「土地が無いですからね。ヒューエトス様はうちの国をご存じなんですか?」
エトロの問いにヒューエトスは満面の笑みを浮かべる。
「ヒューイって呼んでくれよな!!!まぁ、昔はお前らの国にいたことあるぜ!お前たちの国は、全ての飛竜の羽着き場って感じだったからな!俺様の輝かしい武勇伝……聞きたいんだろ?聞きたいんだよな?」
あんまりにもいつものノリのヒューエトスに毒気を抜かれたのか、シトロンは調子の戻ってきたことを肌で感じていた。
「じゃあミトロンとも一緒だったのか?」
「一応はな。でも王宮で王族と仲良くしていたあいつと違って、俺様はずっと山にいたからな。あんまりあいつのことは全然知らなかったぜ。こいつも好きな空に行けるといいな」
ヒューエトスはベッドの上に横たわるセドラを見た。いつかは彼の背に乗って飛ぶ日がくるかもしれなかったのに、セドラにだけはその未来が無い。
「ここで燃やしたらローマンデルジェイに帰れないんじゃないのか?」
「肉体を捨てて空に帰り、自由に旅をする。魂を解き放つために燃やし、より高い所へと召し上げるためです姫様。元より国を捨てさせるため燃やすのです」
「死んだら追い出すってことかよ」
悪態をばあやに睨まれて窘められ、シトロンは唇を尖らせて拗ねた。
「……みなさまよろしいですか?」
ずっと胸の前で両手を握っていたブーシュカが口を開いた。そして言うやいなや、滝のような涙がどっと流れ出てきて、彼女が泣くところを初めて見たシトロンたちは驚いて言葉を失った。
「涙が止まらないのでございます。真面目な判断はロッコに任せますです」
そして幼い子供みたいにわんわんと泣きながら、彼女はセドラにすがった。
「全くこの子は。……良い子に育ってくれたわね」
ばあやは孫の隣に立ち、泣きじゃくる彼女の頭を撫でる。
ロッコは「うんうん」と一人で納得するように頷いた。
「シトロン、二つの道がある。この国で火葬するなら俺はすぐ誰かに許可を取りに行く。人間燃やせるほどの炎を出すのは無許可じゃいけないし~」
場を明るくしようと、年上の幼馴染は努めていつも通りの気の抜けた表情と話し方で続けた。
「もう一つは、猫空間に入れてカレンシア経由で国まで連れ帰る。こっちだって猫ドラゴンや賢者様やもっといろんな人に頭下げる必要あるかも。どうする~?」
他のみんなは口を挟まない。一番若く幼いシトロンに選択させてくれているし、一番偉く責任のある姫に選択させようとしている。
シトロンは色々なことを考えて、そのうちに自分から伸びた魔力の糸の先のレウカの光を感じた。契約で繋がった彼女の気配であった。それはもう部屋から出ていて、忙しなく動いている。
彼女は一人にしてと閉じこもったにもかかわらず、もう外で何かしらの働きをしているのだ。その傍らにはもう一つの白い光があり、それとも糸が繋がっている。
そちらはガラクテアだ。二人は外に出て、やりたいことをしているのだ。今の彼女たちにこの国でこの瞬間にやるべきことなんてない。あるとしたら、やりたいことだけなのだ。
自分の気持ちが固まったことにシトロンは気がついた。セドラは安らかな顔で眠りについている。
「……色んな国に行きたいって言ってたな、このバカは」
穏やかな思い出が彼女の中に蘇ってきていた。ブーシュカはベッドシーツから顔を上げた。
「イケメン探して世界中!って言ってましたでございます!!!」
「自由に旅させてやるか」
何よりも誰よりも自由になったような声で、シトロンは呟いた。
もう彼女の中の動揺は消え去っていて、しっかりと目の前のセドラだけを見ている。
「ロッコ、頼む。ばあやもちょっと手続き頼むわ。ブーシュカは泣き止むまで好きにしろ。泣き止んでからも好きにしろ」
「じゃあ気が済んだらまた皆様のお手伝いしにまいりますぅ!!」
「エトロ、助かった」
「え、指示じゃないの」
拍子抜けといった様子でエトロは狼狽えた。
「さっき……学生たちに、その。ほら」
恥ずかしそうに前髪をいじるシトロンの姿に、エトロもばあやもただ優しく微笑むだけだった。
「みっともないところを見せまくった件についてでございますかぁ?」
「お前もう泣き止んでるだろ!!!」
ブーシュカが元気に煽ったのを見てから、ロッコはもう大丈夫だろうと判断して部屋を出て行った。
「気にしないで。でもできれば、落ち着いたらあの子たちの話を聞きに行かないか?あいつの最期の頑張りを聞きたいよ」
「……あぁ」とシトロンは晴れやかに返事をした。
きっと今日寝る時にまた張り裂けそうな痛みに襲われるだろう。
朝に彼女がいなくなったことを改めて思い知るだろう。
ある時不意にぽっかり空いた穴に足をとられるだろう。
それでもシトロンはこの時、前を向いた。
次は明日の20時以降に更新予定




