冷たい指先・1
「後は我々に任せてお休みください、今日は色々なことがありすぎました……」
一行は城近くのペンゼの屋敷にいた。重要参考人として軍に身柄を拘束されている彼の家の捜査に便乗して、遠征隊は調査隊の面々の休憩所として捜査の終わった一角を借り入れたのだ。
豪華な離れはあまり使われておらず、魔法や魔術の痕跡はなく、当面のところ安全であった。
「助かるわ小隊長。レウカは」
頭を下げて退室しようとしたイクシアに、ハニーベルは慌てて話しかけた。気が急いていた小隊長は己を恥じるように咳ばらいをした。
「申し訳ありません、伝言がありました。しばらく一人にしてほしい、と」
「わかったわ。あなたもお疲れ様」
「みなさまに比べましたらわたくしなど。では失礼いたします」
警護の数名を残してイクシアは慌ただしく部屋を後にした。どこか中身の無い侘しい印象を与える応接室で、勝利の喜びを分かち合う流れにもなれずにシトロンたちはソファーに身体を預けている。
「……後で部屋を訪ねますわ。今は姫様の言う通り、お一人にしましょう」
「そうね。……シトロン、エトロはいる?」
ハニーベルはずっと立ったままで、小休止すらとろうともしていない。さっき空飛んで船潰してたよな、とシトロンは疑問に思ったが彼女の質問に答えることにする。
「さっきから救助活動に手を貸してるけど、呼んでくるか?」
「いえ、場所さえ教えてくれたらあたしがそっちに行くわ。休む前にセドラたちの馬車との通信がしたいのよ。あの男の子は通信魔法が得意って聞いたことがあるのだけれど」
あぁそういうこと、とシトロンは納得した。それならばエトロとの円滑なコミュニケーションのため自分が彼女を伴い移動した方が速いと判断して立ち上がった。
「じゃあオレも一緒に行くよ。ってかミネオラが心配って言え。ガラちゃんは来るか?」
「……妾はレウカの元へ行く」
ガラクテアの発言に、アナトは困ったように笑った。
「そうですわね、契約竜のあなたなら姫様も甘えられるかもしれませんわ。ちょっと悔しいですけれども。わたくしは英気を養うために休んでおきますわ」
ビカラたちもしばらく休むと口々に言った。シトロンはほんのちょっと頼りになった気がするガラクテアに「頼んだぜ」とだけ言葉をかけて部屋を出た。
二人は首都と灰洞街を結ぶ国道付近の氷の撤去をしているエトロの元へと赴いた。
高所から見える街はところどころ壊れているが、港に近い西側と北側の氷は大体消えていた。防護陣の守りは南に行くほど弱くなっていた。それは国境付近であり、毒に侵された集落方面のため人も建物も少なかったからだった。
エトロは早速現地兵士にも気に入られているのか、彼より一回りも二回りも年上の兵士たちに次々とにこやかに話しかけられていた。
「邪魔だったか~?」
へらへらと話しかけてきた主君に、エトロは呆れたような眼差しを向けながら、珍しくハニーベルだけを伴っていることに気がつき会釈をした。
「何かあった?怪我人とかいたら多少は助けになるから言ってほしい」
ふと塔の上の赤に染まった部屋の情景が瞼に蘇ったため、首を振って記憶を振り払う。
「……大丈夫だ、お前に頼みたいのは通信魔法だ。ミネオラたちの居場所が知りたい」
「なるほどね。でも今はこの場で完結する回復魔法とかしか使えないよ」
そこで二人は今の魔法使いの置かれた状況を思い出した。シトロンよりよほど魔力の異常に敏感なはずのハニーベルは、切迫していた別の問題に頭をやられてしまっていたことに気がついた。
「あぁ~そうだったわね、頭回ってなかったかも。もう少し後の方が良かったかしら」
「あ。……ん?やっぱりあの恰好、学生の一人だ」
シトロンが街道を下り荒野側へと駆けだしたため、ハニーベルとエトロもそれについていった。それは少女だった。ミネオラと仲良くしていたそばかすの学生が一人でこっちに来る。
彼女は足を怪我していた。だがそんなことは気にせず、一生懸命走ってきた様子だった。
「どうした?なんで一人で歩いて」
少女の元にシトロンが辿り着くと、少女は安心したのか盛大にこけてシトロンに倒れ込んだ。
「あ、あの、あなた、カレンシアの」
「そうだ、何かあったのか?」
ずっと走ってきたのか、荒い呼吸を整えながら少女は話したが。だが、目の前の人間が探していた相手だと酸欠の頭で認識すると、号泣ながらその場に崩れ落ちた。
シトロンは彼女の肩を抱きながらどうしていいかわからないでいると、追いついてきたエトロが膝をついて少女に寄り添った。
「もう大丈夫だ、姫様たちも俺も力になるよ。何があったか言えるか?」
少女は大きな目にいっぱいの涙をためて、しゃくりあげる己を抑えて絞り出すような声を出す。
「セドラさんがぁ……!!!」
駆けつけてくれたブーシュカに少女を任せ、三人は彼女に教えてもらったポイントへ到着した。
そこは街道沿いの街の端。関所手前の錆びれた倉庫が並んでいる川近く。この辺りは一層バリアが薄かったのか、未だ氷弾とそれによる爆発の被害が生々しいままに残っている。
恐ろしいほどの冷気で息が白む。沈黙と寒さで耳の端が千切れそうに痛い。しかしシトロンは何も言えず、走るしかなかった。
角を曲がってすぐに、二階建ての家屋より大きな氷の柱が地面に突き刺さっているのが見えた。そこから爆散したのか、ドーム状に氷の棘が散らばっている。そしてその柱の近くに、転倒した馬車が見えた。
「ミネオラ……」
ハニーベルが力なく呟いた。それは学生たち六人とセドラが乗ったカレンシア遠征隊の馬車であったからだ。
「大丈夫だよ、ほら、あっちにみんないる」
エトロが建物の影に座り込む数人を見つけ、元気づけるように明るい声を上げた。三人はそちらへと行こうとして……氷の柱の根元に、夥しい量の血液が残っているのを見てしまった。
「カレンシアの人だ」
少年が震える、怯えたような声を上げた。三人は血だまりから子供たちに目を向けた。
そこには。
ミネオラを含む五人の子供たちと、見知らぬ親子がいる。
その中心に真っ赤に染まったローマンデルジェイの兵服をまとった女が、セドラが横たわっていた。
彼女は目を閉じて微動だにしない。そんな彼女に、五人の学生たちは未だなお回復魔法を懸命にかけ続けている。
子供はずっと泣いていて、母親はそれを抱きしめることしかできない。
『この国を救って何になるの』
『悪いけどあたしはいざとなったら逃げるから』
薄情そうでいて、優先順位がはっきりしていた彼女の声がシトロンの頭に響く。
『大人になっちゃったのね』
まるで置いて行かれたかのようなことを言ったのは何故なのか、わからない。
もう一生わからなくなってしまった。
一つ年上の幼馴染とは、もう会話ができないからだ。
シトロンはもう、彼女が何を考えていたのか二度と答え合わせのできない世界に来てしまった。
立ち尽くすシトロンと、生きているミネオラを見て腰が抜けて氷の張る地面の上に座り込むハニーベルを気にせず、エトロは学生たちへと近づいた。
「あぁ、調査隊に参加している兵士だよ。女の子が一人俺たちを呼びに来てくれたから、君たちを助けに来れたんだ。君たちの同級生だよね?」
「はい……はい……!」と別の少女が何度も頷いた。
エトロは気を失うギリギリまで魔法を使い続けているミネオラの肩に、そっと手を置く。彼女の細い方がはねたように震える。恐怖で強張っていた。
「彼女を諦めないでくれてありがとう」
ミネオラはそこでやっと、動かない身体からエトロへと目を向けた。
彼の目に自分たちを責めたり非難したりする気がないということがわかると、堪えきれないようにほろほろと大粒の涙を流した。
「でももういいんだ。みんなも、頑張ってくれてありがとう」
「う、うぅ……っ……」と項垂れるミネオラを、同級生が抱きしめた。彼女も泣いていた。泣きじゃくる子供同士が肩を寄せ合い、手を取り合う。
「シトロン」
名前を呼ばれてシトロンはようやく意識が身体に戻ってきた気がしていた。それでも指先が冷えて動かせない。
「姫様!」
いつの間にか隣に来ていたエトロが、初めて自分を姫と呼んだ。その衝撃で背中を押されたように一歩足が前に出た。
「あなたの部下です。どうか、労ってやってください」
シトロンはまだ夢の中にいるような感覚のままふらふらと近寄り、セドラの傍らに膝をついた。
その上体を抱き起こして顔を見る。ただ眠っているかのような綺麗な顔は、もう彼女が目を開けないなんて信じられないでいた。
でも恐ろしいほどに重く、どんどん冷たくなっていっている身体が、じわじわとシトロンに語り掛けてくる。
────彼女は死んだのだ、と。
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