灰のなかに何をひろえり・5
突然聞こえてきたその声に、激しく動揺したのはドラゴンたちであった。敵味方も関係なかった。海竜は海上で、雨竜は上空で、そして光竜ガラクテアは地上でよく知る力に内側から押し潰される感覚に襲われた。
そして風が止んだ。
大渦が消えた。
なんの前兆もアクションもなく、目を逸らしてもいないのに、ふっといつも通りの海になってしまったのだ。
たが凪いでいるわけではない。風もなく音もなく波も無い。
海が無の状態になってしまっていた。
ガラクテアは、デフォルト状態に戻しやがった、と思ったが口には出さないことにした。
「……は?」
海竜はやっとのことで呆けた声が出すことができた。
風が止み飛ばされることがなくなったため、地上の人間たちはその場に座り込んだり落ちたまま倒れこんだりしている。
そんな中でイクシアたち兵士に守られていたのと、意地によりそれなりに平然としていたレウカのフードから、にゅっと白蛇が出てきた。シトロンはそこにいたのか、と納得と感心を抱いたが、ヒューエトスは見事に落下した。
「ちょっと!!!!!」
ハニーベルは咄嗟に彼の背から飛び降り、ついでに捕虜をしばった縄を掴み、あまり得意ではない風魔法を使いながらなんとか着地した。
港に頭から落ちたヒューエトスは、いつもの騒がしい彼とは思えないほどに口をパクパクとするだけで何も言葉を発せずに滝のような汗を流すしかできていない。
レウカの腕伝いに地面に降りたソラールは、「うーん」と小さく唸ってから人間形態になった。
相変わらずの黒いスーツだが、今日はジャケットも着ている。
ガラクテアは、どんな似姿をとっていたとしても彼が正装をしていることはほとんど見たことがなかった。そのため、彼が何を考えてあの姿とあの装束を選んでいるのかまるでわからなかった。
そうでなくとも彼女はもう随分と彼が何を考えているのか見えなくなっていた。それを今更自覚できている、と認識し、今考えるべきことではないと切り離してドキュメント化して横に置いておいた。
「一応ちょっとは考えてたんだ。お前ほどのドラゴンを消すと、ほら、色々問題が起こって……起こるんだよ。だから最後までその命を許していたんだけどちょっとな……。これはこれでこの惑星にとって良いことではないみたいだから、人ではなく海のために頑張ることにした」
脈絡もなく話を始めたソラールは、やはり彼にしかわかっていないことを前提に話していく。
「そ、ソラール様……」
海竜の呟きに、闇竜は困ったように頭をかいた。
「俺のこと様付けなのか?創世竜の方が上って思っちゃってるなら、今までの言動恥ずかしくないか?お前自分を主とか王とか言ってたし」
自称海の主から「ん、ぐぅ」となんとも言い難い唸り声が絞り出される。
「マジレスじゃないの……」と言いつつも、ハニーベルはここで自分の行いを外から見ている気分になった。闇竜のことは彼が創世竜やドラゴンでなくともなんとなく合わない気がしていたが、その理由の一端を掴めたような気がした。
「あぁこいつこんなこと言ってるけど弁えてるんだ、みたいな。そりゃあウラノスもわざわざぶん殴りに来ないわな。初期設定を遵守したままの奴なら今の俺でも十分勝てるし」
レスバでは勝てないと思ったのか、海竜は話をそこではない着地点へもっていくしかない。それこそが彼の限界だとは気がつかずに。
「何故だ闇竜!何故我を否定する!水竜亡き今、我は偉大なる海の王、この海を守る守護神!神なのだぞ!!!!!」
海竜のこの叫びを聞いた人間達は、一様に首をかしげた。誰もが「どういうことだ?」「なんだって?」とぼそぼそと小声で尋ね合っている。
それはシトロンも同じであった。今聞くべきことではないのかも、とも思う。だが、今だからこそ聞くのに相応しいとも感じたために、険しい顔のガラクテアに疑問をぶつけた。
「しゅごしん?守護竜だろ。かみってなんだよそれ、あいつは何を言ってるんだ?」
ガラクテアは何も答えない。それを見てシトロンはこの疑問は後回しにしようと自身を納得させた。
ソラールと言えば海竜の言葉に半笑いを浮かべている。
「神?お前が?まぁ千柱くらい神がいる神話だったらお前をそう呼んでくれる地域もあるんじゃないか?」と呆れながらも哀れんでいるようだった。
「でも違う。お前はあの少女の対話の祈りを否定した」
途端にこの国の全ての影が、闇が海竜の方を向いた。
「神を名乗るなら、己の名を呼び祈る者を見捨ててはならない」
分厚い雲に隠れているはずの太陽が、海竜の真上に移動している。それはシトロンの気のせいではないようで、海竜の身体に落ちる彼自身の影が濃くなっていく。
ただそれだけのことで、海竜の存在が浸食されたのだと本能的に理解できてしまった。
闇竜はけだるそうないつもの雰囲気のまま、その目と声に決して逆らうことを許さない鋭さを宿していた。
「お前は神たりえない。お前が否定してきた祈りの分だけ、俺直々に否定してやる」
ソラールが指を鳴らすと、海竜が四方八方から見えない攻撃を受けた。そして一キロメートル近い全身が露わになり、その全てが海面に叩きつけられる。引きずり出されたのではなく、転移のように人間たちには見えていた。そして陸に揚げられた魚のように、初めて人間の目に晒したような尾がびくびくと震えている。
打撃音、爆発音、骨が砕ける音、肉が焼ける音、皮膚が裂ける音が後から聞こえてきた。耳を塞いでもその暴力の音は頭蓋に響き聞こえてくる。
「我が……我が、海に、拒絶されている!?」
流氷が消えた海上に倒れこむしかない巨竜は愕然としながら水の中を見ようと目を凝らす。だが先ほどまで自分の支配下にあった海そのものが彼を受け入れようとはしない。
本物の支配者に、管理者にコントロール権を奪われた……いや、取り返されたようであった。
「誰だって自分を言い訳に使う奴のことは嫌いだろ。お前たちは”それ”を司っているだけで”それ”の支配者じゃあないんだぜ。管理しやすいようにお前らを創ったんだから、お前らが後なの。
お前もまたこの銀河の中の地球って場所に住まう一つの生命体にしか過ぎない。地球や海より偉いわけないだろう、驕るなよ」
海竜は全身から黄緑色の血を流したまま動かない。なんとか上体を起こそうとするが、その度に美しい鱗がボロボロと剥げていき、海の上にぼとぼとと落ちて、水になり海に同化していく。
「あとさぁ……なんか、お前頭蹴られた時、蹴られた前?になんか言ってたじゃん。選ばれし者が云々って」
アナトが跳んできた時のあれか、とシトロンは考えた。
「頂点に立つ者が一体誰に選んでもらうんだ。俺は一度だって、選ばれてこの地位に立ったことなんかないぞ?」
「―――――っ!!!!」と海竜は声にならない声を上げて、身体を起こした。ヒゲが抜け、鱗が剥げ、血が噴き出しえぐれた肉が千切れて落ちる。
「選んでいただきたいなら、なおさら人間にとって良き隣人でいるべきだった。俺でよければ協力するけどな。選ばれし者になりたいんだよな?」
ここでソラールは、背筋が凍えるような温度の無い笑みを浮かべた。
「選んでやろうか?」
「貴様!!!」
海竜が力を振り絞り口を開け、最後の攻撃をしようとする。
「壊されてから怒るなよ」
だが、海竜は動きを止めた。
段々と海竜の首が横にずれていく。
そしてごろりと落ちようとした時……首と身体の断面にブラックホールが出現し、そこに吸い込まれていった。
「俺に気づいた瞬間、国ごとぶっ壊したなら……流石の俺も子供たちくらいしか助けられなかったと思うけどな」
巨体はたったの数秒でブラックホールに飲み込まれて、何もなくなってしまった。
「上々だ、海竜は倒して子供たちも無事。一人欠けたが及第点だろ。マリアも喜んでくれる」
どこか楽しそうにソラールはぐっと何かを握る動作をした。するとブラックホールもかき消え、彼の手の中に真っ白に光り輝く大きな魔力結晶が出現した。
「姉さん、これいる?力戻らないと思うけど」
そこでようやく、ソラールは後ろの人間たちを見た。一番近くにいたレウカには見向きもしないで地に足のつかないガラクテアに結晶を掲げた。
緊張状態のままの人間たちは身動きもとれない。海には何もない。流氷も波も音もまだ失われたままだ。海竜がいた時よりも不気味で恐ろしい海が眼前には広がっている。
「……いらん、それを個人の物にしてはいけないくらい今の妾も弁えておる。……お前、いつの間にここまで力を取り戻した?あそこまで壊れていたら、もう……」
「愛の力だよ」
ガラクテアはバツの悪そうな顔で目線を地面に向けた。だがソラールはあまり気にせずに魔力結晶をぞんざいにジャケットの内ポケットに入れた。
「勝った、と言っていいのでしょうか」
レウカは誰の手も借りず、一人で真っ先に立ち上がった。彼女のおかげで誰もが恐る恐る立ち上がり、互いの無事を確認したりほっと息をついたりしている。
「海竜が消えただけで、この国のことは」
「この国のことは、これから変えていくよ」
パンフェルははっきりと前を向きながら、まだ気を抜けないでいるみんなに頭を下げた。
「ワガママ言って、迷惑かけて、本当にごめんなさい。……でも、スッキリした」
顔を上げた彼女は笑っていた。傷だらけでボロボロだが晴れた顔をしている。
「だろうな」とつられて笑ったシトロンの顔に、光がさす。
「あ、太陽」
雲も一緒にブラックホールに飲み込まれて消えたために太陽が出てきていた。吸い込まれていた光も戻ってきて、灰色の国と言うには明るくなった港や街がシトロンたちの目に入ってくる。波と風と氷のせいで無茶苦茶になりながらも、この国は輝いて見えていた。
「もう見て見ぬないふりはできないんだろうなぁ……」
結局逃げる暇もなくずっと近くにいたままのワイヤンの言葉を、みんなは黙って聞いていた。
「ブルトーヌもそうですが、これから魔の四角海域に海竜はいない……。西側世界との大きな壁が一つ消えてしまって、一体どうなってしまうのでしょうね」
「こんなシリアスな流れでも四角は譲らないんだな……」
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