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灰のなかに何をひろえり・3


 海竜前の兵士たちの混乱は、砦や各所に配置された兵士たちに次々に伝染していく。その様はレウカまで届いていた。あちこちで噴き出す不満や不安に彼女はばれないようにため息をついた。

「これは良くないわ。ドミク、防護陣の各箇所の守りは?」


「元々カレンシアの兵士とブルトーヌの兵士を半々に配属しております。例え半数が働けなくともなんとかなると信じております」

 そう断言されたことで年若いレウカの中にも安心感が広がった。

「ありがとう、そちらに気を向けるのはやめておきます。信じるわ」

 姫の微笑みに、ベテラン騎士も虚勢ではない笑みを返した。


 海竜はしばしの思考してから、竜巻の威力を少し落とした。吸い込まれるような感覚がなくなり、ガラクテアもシトロンにしがみついていた手を離した。

「デュノール王か……ならばそやつを我自らが八つ裂きにし、ここを我が治める国としようか」

 そんなろくでもないことを考えていたのかよ、といつものように煽ろうとしたシトロンだが、それは声にならなかった。


「……その方がいいのかも」

 誰かがポツリと呟いたからだ。

「人間だから間違えるんだとしたら……?」

 すかさず誰かが疲弊した声で同意した。

 この流れはよろしくない。何も言わずともシトロンとガラクテアの思考がシンクロした。二人のその予想は当たり、兵士たちの声はだんだんと大きくなっていく。


「大昔はフーガー様が治めていたんだ、それが海竜様になるだけなら……!」

「元々海竜様がこの海域にいたからワジェンデイクも帝国も直接は手が出せないんだ、あの方のおかげで」

 ヒートアップしていく兵士たちとは違いパンフェルは黙ったままだった。ワイヤンもペンゼも火のついた民衆を前に言葉を無くしている。


「それでいいのか?オレは余所者だけど、今の状況で、ここにいるお前たちだけで選んでいいのかってぐらいは言えるぞ?次に被さる土や雲が、海に代わるだけじゃないのか?」

 シトロンはそれでも、言いたいことは言ってみせた。未だ実際に同じ場所に立ち戦う彼女の言葉だからか、兵士たちはハッと口を噤んだ。


「海竜様なんて誰も呼んでいなかっただろ?」

 その指摘にもまた、上手く言葉を返せないようだった。

「感情は伝染するものじゃ。今この場はやつを崇める方向へシフトしつつある。呼び名程度無意識に引っ張られるじゃろ。そう、無意識じゃ。お主らは本当に無意識に目を逸らすことが好きじゃな」

 言葉や姿勢は意地悪だが自覚的であれと諭す彼女の言葉は、混乱する人々に届いたようだった。


「貴様こそ目を逸らすなガラクテア!我を求める人間どもの姿が見えないのか!?貴様と我は違うのだ!」

 目を細めて喜ぶ海竜を、ガラクテアは冷めた目で見ていた。

「だからなんじゃ。お前に治政が務まると本気で思っとるのか?そんな風に作ってないんじゃが?」

「いつまでも我を被造物として見るな!」


「被造物じゃろ。事実妾たちが創ったんじゃからの。無かったことにするのか?都合が悪いからか?ありのままの己では望む己に至れぬ未熟者じゃからか?」

「貴様……!!!」


「王を、いえ、誰を生贄にしてもいけないんです」

 土下座のままのペンゼはか細い声でそう告げた。

「それではこの国は何も変わらないままです。私は自由が欲しい……!デュノール王でも帝国でもドラゴンでもない、自分のことを自分で選んでいける毎日が欲しいのです!」


「自由?そもそもボクたちはそこまで不自由なんかじゃあ」

 そう言いかけてワイヤンは止まった。兵士や従者の前で大貴族の感覚を言うのを憚られたこともある。だがそれよりも、窮屈な空気を知っている。楽しければそれでいい、と言いながらそんなふうに生きられたことなどない。


 ずっと抗い続けている両親、教師の夢を絶たれて通訳者として軍に連れていかれた初恋のお姉ちゃん、この人のためならばと思わせてくれたたった一人の主君。見ないふりをしていただけで、いつだって彼らのことを考え、振り回されていた。見て見ぬふりをするために生きている自分のどこに自由があるのだろう。


 ワイヤンは、振り回されながらもやりたいよう生きている異国の少年少女たちをもう知ってしまっている。

 違う生き方ができると見てしまっていた。

「ペンゼ卿……あんた自由になって何がしたいんだ」

 

「……愛する者と一緒にいたい」

 原初的な願いだった。ガラクテアは正直、支配されたままでも叶えられる夢なのではないか、とも考えた。だが、きっとそこが自分と人間の差なのだろう、と人々の表情を眺めて理解した。

 支配されたままでは叶えられないのだ。機微はわからない。でも人間にとっては、そうなのだ。

 光の竜は今日、自分が管理してきた者たちのことをようやく一つ理解できた気がしていた。

 

「海竜様、トートさんは引き渡せません」


 その場の全ての、濁った空気を裂いたのはパンフェルだった。

 彼女は自分を守るように立っていたシトロンの前に再び歩を進め、海竜を見上げた。もうへりくだりもせず、ただ物理的に高い位置にある存在に、まるで対等な存在として宣言していた。


「なんだと?」

「あの人は人間で、人間が罪を犯したんです。だから、人間が裁きます!!!」

 パンフェルは大きな声で、その場の全ての者に語り掛けた。

「私たちがあの人を審判しなきゃいけないんです!ドラゴンにも偉い人だけにも任せてはいけないんです!私たち……みんなで、自分で考えて、どうにかしなきゃいけないんです!!!だから、渡せません!それはきっと、あなたへの本当の敬意でもあると思うんです!」


 そして彼女は、海竜を真っすぐ見つめた。

「ずっと同じ海に生きていたあなたを、自分たちが考えたり選んだりしたくないからって、都合よく利用したくないんです!」


 大人たちはみんな静かに耳を傾けていた。激しい波音以外は痛いほどの静寂が支配している港に、他ならぬ海竜が短い乾いた笑いを響かせる。

「裁きならとうに我がくれてやっていただろう」

 え?と誰もが聞き返した。


「死罪を言い渡す」


 感情など無い、低く暗い声が判決を下す。

 海の底に蠢いているものがそれに呼応するようにせり上がってきている。海面は荒れ、竜巻が一瞬にして消失した。

 そして、防護陣よりはるかに高い、数百メートルクラスの巨大な水の壁が、津波が海竜の後ろより出現し、真っすぐ街まで向かってきたのだった。


「うそうそうそあれは無理だろ!おいガラちゃ」

「来世に期待しておけ」

 思わず素っ頓狂な声を上げたシトロンに、ガラクテアは冷静に冷静じゃない返答をする。

「うるせぇ!防護陣でなんとか」


 シトロンの願いもむなしく、砦の兵士たちもポカンと空を、海を見上げるしかない。遠くに津波を裂けるように急上昇するヒューエトスが見える。あの様子だとハニーベルは無事だろうが、彼女たちにもなすすべはないだろう。

 ……打つ手がある奴などいるのだろうか。例えソラールがやる気を出しても無理なのでは?シトロンは、変に落ち着いていく自分を第三者のように見ていた。


「あれだけは止める。竜巻とかなんかビームとかは任せるよ」


 だというのに、更に落ち着きはらった男がいる。

 グロッグは、厳つい両刃の斧を片手で持ち上げ天に振りかざした。

「キノト皇子があぁも手の内を見せたなら、何もしないというのは俺の沽券に関わるし」

 柔和な表情であるはずなのに、凍り付いたような陰が感じられる。そんなうすら寒さを与えるような笑顔で、彼は何者かの名を呼んだ。


 たったそれだけだ。ただそれだけのことで、突然周囲の視界を奪うような猛吹雪が吹き起こる。

 白に浸食された世界でなんとかレウカが目を開くと、いつの間にかグロッグの背後に見知らぬ女性が見えていた。

 明らかに人間ではなかった。三メートルを超す体躯に光を吸収するほどの黒すぎる肌で、真っ白な髪は終わりが見えないほど長く、緑色の唇以外の顔のパーツを覆い隠していた。


「あの方は……」

 考えを口に出そうとして、それを慌てて止めた。長い髪の奥から、その人の形をしているだけのドラゴンはレウカを見ている気がした。そしてその瞳に本当に見つめられたら、心臓が凍ってしまうのだと本能的に察した。


 緑に彩られた形の良い唇が弧を描く。彼女は笑っている、心底楽しそうに、嬉しそうに。

 しかし声はしない。吹雪の音にかき消されているのか、吹雪こそが彼女の歓喜の声なのかレウカには判別できない。


「これはただの抑止力。今はそんな感じで気にしないでくれ」

 グロッグはどうやら後ろを見ないようにしている。それはレウカのように恐怖や未知への警戒ではない。

 軽蔑と、嫌悪。


 それを向けられてもなお、後ろのドラゴンは笑っていた。



次は明後日の20時以降に更新予定

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