転がる石よ・後
モローの意志があるかないかは誰にもわからない。それでも一心不乱に炎を吐き続ける彼に対し、それぞれがそれぞれの人生観と想像力に基づいた感情を彼とその行動に抱いていた。そしてそんなことは関係なく、炎の勢いがガクンと落ちた。突然の燃料切れか疲労か、それも他人にはまるでわからない。
作り物のような羽で空は飛べずに炎で浮力を得ていたのか、屋根にしがみつけなくなったモローはそのまま玉座の間に降り立った。
「今だ!」
バリアの左右からコウジロウとカジミールが分かれて飛び出て、それぞれ攻撃を仕掛けた。
居合の速度に反射的に対応したのか、モローはコウジロウの斬撃を交わそうとしてバランスを崩し、カジミールの剣撃への対処が遅れて見事に命中する。
銀色の長剣の迷いのない太刀筋が胴体に大きな切り口をつけ、モローは金切声をあげて苦しむように身体を揺らした。黒い泥が飛び散り、二人は慌てて付近の壁の破片や柱の裏側に隠れた。
モローはその隙に再び跳躍して城の上に上がる。そして怪音波ではない、潰れた鳥のような鬨の声をあげ、全方位へ散弾のように泥をまき散らした。
「うわ!」とカジミールの短い悲鳴が聞こえた。どうやら今の泥で彼が隠れていた屋根の破片が更に崩れて分断されたようだ。
「俺は一旦外から回る!」
「わかった、気をつけたまえよ!」
外は外で泥が降ってきているために室内にいるキノトたちへの脅威度は格段に下がった。だが海竜の浸食も目じゃない濃度の毒泥を首都内の丘陵の上に建てられた城の上で爆散され続けると、どちらにしろ城も首都もそこにいる人々にも洒落にならない被害が出てしまう。
孤立していたコウジロウが滑り込んでバリアに戻ってくる。
「あいつを逆にバリアに閉じ込めるとかできます!?」
「もう少し大人しくさせないと無理だね。僕とビカラ君だけでは出力が足りない!」
『ごめんなさいごめんなさい未熟で不出来でごめんなさいね謝ったでしょう!?満足ですかぁ!?』
「落ち着いてくださいよ!パニクりたいのはこっちもなんすけどぉ……!」
『お母様の塔が……!』
混乱していた二人がバジルの声で見上げると、モローは一瞬のうちに形態を変えようとしていた。最初に口から腕が出てきた時のように、口から噴水のごとくごぽっ……ごぽっ……と黒い泥が湧きだし飛び散るようにしている。今は城中央に絞り出しているだけだが、少し離れた高塔に流れて行くのは時間の問題だ。
『あそこって、レウカお姉様のお姉さんと、バジル王子たちの弟とか妹がいるところですか?』
『……この猫さん、お母様たちを助けてくれる?』
猫ドラゴンはテコでも動かない。恐らく本能的にあの泥を忌避しているのだろう。バリアの内部に鎮座して不動の構えを解かないでいた。乗客の二人の子供が喚いたくらいではどうにもならない。
「教授はまだか!?」
焦った様子のコウジロウに、ずっと何かを考えていたキノトが小さく手を挙げた。
「……いや、僕がやる。バリアは君たちで頼むよ」
言うやいなや彼女はバリアを解いた。彼女の補助に魔力を回していた兵士たちは慌てて自分たちでバリアを展開した。彼女一人の強度に及びはしないが、それでもしばらくは保つ。
「なんか危ないことでもする気っすか?」
「いやいや心配には及ばないよ閣下。ただ究極に気乗りがしないだけだ。だが、人命がかかっているのならば……いや、これからの僕の行動にも人命はかかるようなものだけど」
キノトはごちゃごちゃと言いながら、猫ドラゴンの中にいるバジルを見て、気乗りしないままのテンションでモローを見上げた。
そしてやけくそといった様子で笑ってみせた。
「僕の輝きと、僕を彩る星の輝きをこの国にも見せてやろう。ご照覧あれ、灰色の国!
何故君たちが”銀”を名乗れないか、僕こそその答えだ!!!」
彼女の鬨の声に応じたのか、直後、昼間の空に三つの星が煌々と輝き、天から光の柱が三本下りてくる。あまりの速さに後から空気を裂いた音が聞こえてきていた。
それはモローを囲む三柱として顕現し、それぞれを光が結んで天まで続く三角柱のバリアとなった。モローと毒泥、全てを外界から遮断する荘厳なる光の柱は、王国中にその威光を余すところなく轟かせていた。
『な、なんですかそれぇ!?いやー!!!!観測したくないけどわからせられる規格外のアホ魔力!!!!こんなん地上で発現していいやつじゃないですよぉ!!バカ!!!!』
間近で強大過ぎる力を浴びせられたビカラは、怯える猫ドラゴンをなだめることもできずに車内でのたうち回っていた。
「あっはははは!ブレアルネイソル王家が星の竜の加護を受けていると知っているはずさ。天に祈れば多少は届く!」
どうやら一点の曇りなく彼女はやけくそだった。もうどうにでもなれ、というように天に手をかざして星の力を指していた。
コウジロウは、いまいちこの行動の危険性がわかっていなかった。いつも通りドラゴンに力を借りただけに思えていたからだ。それは彼にとってシトロンたちがガラクテアの、レウカたちカレンシアがイストリアの力を借りていることと違いがないからだ。つまり星の竜が創世竜で、それがある一国の王家に特別に力を貸しており、今回施行されたのが皇国外であり、防ぎようのない宇宙からの干渉であり、大した儀式も犠牲も必要なくノータイムで行われていることの危険性などが瞬時には理解できなかったからであった。
「問題はこれからだ。海竜はビビるだろうし、流石にトドメは人間に任せるからね」
キノトの言う通りバリアが張られるだけでそれ以上のことは起こっていない。バリアの内部でモローは口から泥を噴出することを止めて、徐々に体を膨らませ始めた。
かさまし、という表現が一番近いとキノトは考えた。時間稼ぎではある。だが。
「あぁ、単純な質量でバリアを突破しようとしているのかな。無駄だけどそれをやられると時間が長引く。こんな力、いつまでも発動させておくわけにはいかないのに」
『そうでしょうねぇ!こんなん海の向こうからも見えてますよ!!!!!』
「えー、そんなにヤバいんすか?これ」
『鈍感な人間に生まれたかったー!』
「すんません……事の重大さとかわかんなくて……でもあれ、斬れると思えないっす。万事休すではありますよね……」
「斬れる!っていうか斬れる部分をほじくり出すよ!」
聞き慣れた声と共に、セレマリオンが到着した。揺れたり飛び散ったり輝いたりしていた中を突破してきたにもかかわらず全く疲れていない。
「遅れてごめんね!」
『本当ですよぉ!』
セレマリオンは走り寄りながら魔法で創った弓を取り出した。そして足を止めることなくその弓を構えると、真っすぐモローの額を射抜いた。
すると黒い靄が一気に身体から離れ、次いで泥が剥がれ落ちていく。脱皮したかのように血肉として覆っていた泥がずるりと剥けると、その下からドラゴンと人間の骨をつぎはぎにしたような、”もどき”の骨格が現れた。その骨格はボロボロで、スカスカで、とてもじゃないが生きて動いているようには思えない。何より、コウジロウにとってその骨のドラゴンというものは見覚えがあり刀を握る手が震えた。
「名無し……!?」
ケブラフで戦った骨のドラゴンには、竜骨から造られる刀によるダメージはまったく通らなかった。今回も自分は戦力外だ、と彼は直感した。
丁度その時、脆くなった壁を蹴り壊してカジミールが戻ってきた。バリアを維持して若者たちをフォローしつつ石のように固まり微動だにしない老人を守るしかなかった兵士たちは、歓喜の声を口々に上げた。
「隊長!ご無事だったんですね!」
「当然だ!誰か報告しろ!」
セレマリオンはその会話に挙手で割り込んだ。
「カジミール隊長、良い所に来てくれた。その剣なら斬れる、銀の竜はあなたと共にいる!」
「はぁ?……俺はあいつと話したことなんてないんだがな……」
巨大な怪物の骨だけになったモローは光の柱に阻まれて逃げることもできず、のたうち回っている。カジミールは彼の哀れな姿を見て、乱雑に握ったままだった剣を再び構えた。
十一年前、まだ自分が若く愚かな生き物だった頃、何も知らされることなく突然失われた銀の竜を彼は想った。……何度考えても、自分に力を貸す意味がわからない。名君でもなければ、信仰心もなく、父や帝国の陰謀にも気づかず、ドラゴンを特別悼みもしなかった自分のことだけは誰よりも知っている。だからこそ、あなたと共にいると言われても意味がわからないのだ。
「だが……力を貸してくれるというなら、なんでも構わん!」
カジミールが剣に出来得る限りの魔力を込めると、刃が激しい銀色に瞬いた。そして、海竜の竜巻をぶった切った時のあの斬撃を、その時の数倍もの出力で斬り放った。その銀色の閃光は星のバリアを貫通し、モローを屋根ごとぶった斬った。
光の柱によって結界内の外にその衝撃は届かず、モローとバリア内の当該区域だけが斬られ、破壊される。
そして異形の骨は、モローは玉座の上に墜落した。断末魔は上げたのかどうかわからない。ともかく脆い骨が砕ける音と、石造りの玉座が壊れる音と爆風が辺りに響いた。その衝撃に耐えた一行が恐る恐る粉塵が鎮まった後に目を開くと、泥と血でぐちゃぐちゃになった何かが目の前に落ちているだけとなった。
最後に骨か玉座か壁か屋根か、判別のつかない小石が爆風の残りに煽られてころころと転がり、どこにも行けず誰にも届かず動きを止めた。




