転がる石よ・前
「いるじゃない」
レウカとハニーベルは、賢者の作業机を見に行った。残していった手紙や術式があるのかもしれない、と調べようとした二人は、秘密ボックスと書いてある箱を発見した。そしてその中から、二人の気配を察知した白蛇が出てきたのだった。
「ここで待機しろって」
心なしか元気の無い低い声だった。ソラールは我儘を言わずにこの砦に残ってくれたようだが、それはそれとして不満はあるらしい。
「それは寂しいですね。その間私たちが一緒にいますよ」
レウカが手を伸ばすと、傷心のソラールは彼女のローブの袖の中に入ろうとする。ハニーベルは、慌てて薄い鱗で覆われた白蛇の身体を掴んでしまった。
掴んでから不敬だったかもしれない、と血の気が引く感覚に襲われたが、ソラールは気にしていない様子だった。
「あ、セーレにこういうことしちゃダメって言われてたの忘れてた」
「いいんですよ。子供の頃は普通にしていたし……フードの中はどうでしょう?」
二人はどちらかというとハニーベルのOKラインを探っている。
「まぁそれくらいなら……。いえ、申し訳ありません、いきなり掴むなど」
「忠臣を見ると寿命が延びる気がするし、別にいい」
「は、はい!」
「俺のことは秘密な」
ソラールはしゅるしゅるとフードの中に入る。
「とことん存在を小さくして隠れているのね。私の魔力を隠れ蓑にしているみたい」
「ということは、普段はけ……教授の魔力で隠れているのかしら」
そうこう話していると、地面が大きく揺れ、城から光が溢れてきた。魔力で大気がビリビリと震えて、二人は呆然と空を見上げるしかない。
「大丈夫かしら、みんな……」
「マリアは大丈夫」
「あの方はまぁ……」
同時刻、海からもその光が見えていたために、約束の時間まで不動を貫いていた海竜が反応を示した。
「なんだ?何が起きている?」
彼は事態を探るために更に魔力を放出し、地上へと飛ばした。それは浸食と言う形で街に降り注ぎ、堆積していく。目に見えず触れることもできないその悪しき毒は、誰にも気がつかれないうちに無人の街を我が物色に染めて行っていた。
だが、海竜の前のバリケードを乗り越えて、一人の少女が現れた。彼女は何度も手足をぶつけ、些細な段差につまずき、それでもドラゴンの前に行こうとする意志を曲げることは無かった。
少女は、パンフェルは、こそこそと辺りを窺いながらも真っすぐ海竜リヴヤタンの前に現れたのだった。そして……盛大に転んだ。
彼女の行動の裏を読み取ろうとつぶさに様子を見守っていた海竜は、その人間の脅威度をゼロもしくはマイナスと仮定し、自分の寛容さをアピールするダシに使うことを決定した。
「童、何をしている」
「あ!あ……あの……」
上手く言葉が出てこないパンフェルを見て、ドラゴンは気分が良くなった。
「我を恐れるとは良い心がけだ。我の偉大さを理解しているということだからな。その畏敬に免じて今だけは見逃して」
「あたしパンフェルって言います!海竜様!お話しに来ました!!!!」
「……は?」
偉大なドラゴンらしからぬ間の抜けた返答は、港全体に響いてしまっていた。
一方光が治まり異形となったモローの前で、調査隊の三人とカジミールは態勢を立て直していた。キノトは展開していたシールドを一旦消すと、その背後の猫空間からコウジロウが出てくる。
「王子とビカラは無事しまえたから大丈夫っす。勿論オレも!」
「そりゃよかった」
『ペットみたいに言わないでもらえますぅ!?』
「俺は平気だ……あぁ、連れてきた兵士も、デュノールも無事だ。助かった」
カジミールも端的に状況を報告し、とりあえずは全員無事だと確認し合った。
そんな中キノトは、ぼとぼとと身体だと思わしき泥を落としながら上手く身動きが取れていないモローを見て、「ん?」と小さく首をひねる。
「ビカラ君、あれって報告書にもあったソラ・グラムを摂取したスパイの末路と似ているかな?」
彼女の質問に、ビカラは記憶を辿る。カレンシアの西街道の関所で相対した、騎士の末路を。
『……あぁ!!!そういえば、そうです!あの黒い靄はそうです!人間辞めたみたいな形になるのも、あんな爆発的に魔力がすごくすごいことになるのも!』
「なんなんすかそれ。帝国は人間をあぁいうドラゴンの成り損ないにする研究してるんすか?」
「少なくとも、それでドラゴンを倒せれば成功と言えるね」
全てのドラゴンを倒し人間の世界を創る、というお題目の上においては、とキノトは付け足した。
『あそこまで壊れたら戦うどころか、すぐ瓦解しますよ!』
モローの身体からはとめどなく泥になった肉体がこそげ落ちている。次第に骨が見えるだろうことは魔力や知識がなくてもわかることだった。
「モロー……貴様、そこまで……」
力なく呟くデュノールにカジミールは隠しもせず舌打ちをする。
「不本意だが裁判まではお前を生かしてやる。お前らが使っている姿を消す魔法はこいつに適用できるか?」
三人はその問いにそれぞれの反応を示した。
『えー?わたしの猫さんにいれたくないです……』
「あーはいはいオレのにつっこんでおきますよ!頼むよ猫……」
コウジロウの呼びかけに反応する者はおらず、辺りはし~んと静まり返っている。
「おや、僕の猫も王様を引き受けたくないってさ!」
キノトの猫ドラゴンも姿を現さない。
『猫さんたちの意志が最優先ですからね。隊長さん!無理みたいです!』
猫ドラゴンの説明を受けていないカジミールにもなんとなくことの流れがわかったのか、それ以上の無理強いをすることはなかった。
「……そうか。ではキノト皇子、部下とともにデュノールを魔法で守ってやってほしい」
「心得た。閣下」
「なんすか?オレもあんたらちゃんとお守りしますよ。できるかどうかはおいといて……大口叩きましたけど自信はないすけど……すんません」
爆速できりっとした顔を止めたコウジロウに対しても、キノトは呆れることなく真っすぐ見た。
「僕を置いて行った君が正しい。僕はきっとトートを斬れなかったよ」
キノトは先ほどモローを斬れなかったこと、そして今朝の戦いに置いて行かれたことを思い返し、納得するように頷いていた。
「僕自身知らなかった問題だ。シトロン君たちも気づかず、彼女たちに話せば僕も当然戦力として連れていかれただろう。無茶をしたのは許せないが、気を遣ってもらって悪いね」
コウジロウは照れくさそうに視線を外した後、それでも彼女をフォローしようと言葉を探した。
「……いいんすよ。さっきまで仲良く話してた相手を斬れるなんて、褒められたもんじゃないっす。できないままでいてほしいオレのワガママなんですよ」
ビカラは『言外にそれができる自分は褒められたもんじゃないって言ってません?また自虐ですかぁ?』と言いたい気持ちをぐっと堪えた。
モローと言うにもドラゴンと言うにも歪すぎる異形は、屋根が壊れ吹き抜けのようになてしまった玉座の間の上空で苦しむように喉を揺らした。声は出ていないが、空気を裂く怪音が直接鼓膜に届いているよう感覚を人々に与えている。
「あれに海竜を任せるられか?」
カジミールの問いに、キノトは首を横に振る。
「無理だろう。僕の目には失敗にしか見えない」
『わたしも同感です!あんなのもう痛いから暴れるくらいしかできませんよ!』
嘆き苦しむ声の代わりか、異形は大きな口を開けてデュノールめがけ炎を放った。一気に周囲の温度が上昇し、玉座の間に掲げられていた旗や重厚な敷布が焼けただれ燃え盛る。
兵士たちが準備していたバリアを張るものの、それでは強度が足りない、と判断したキノトもまた魔力を練ってバリアを張る。炎を真っ向から受け止めたせいで、遮断しきれなかった熱が遅れて上から降り注いでくる。
「……知らなかった。僕は咄嗟に張ったバリアの強度はレウカ君に負けている!」
本人はいたって真面目だが、緊迫した場面ではあまり言ってほしくない言葉であった。
「人には得手不得手がありますからねー!で?破れそうっすか?」
「このままだったら五分後には!」
「超長持ちじゃないすか!じゃ、じゃあタイミング見計らって外に出てぶったぎってきます……」
恐怖と緊張でいっそ振り切れてへらへらと笑いながら刀の柄を握るコウジロウに、まさかのデュノールが待ったをかけた。
「待て、相手を怒らせるようなことをするでない!」
「では相手が死ぬのを待つのかい?」
みんなの視線が王に集まった。デュノールは、針のむしろになって初めて、何を言えばいいのかわからないと気がついた。
「お前に必要だったのは実力や功績ではなく信念なんだ」
また自分の世界に入り込んでいた彼を引きずり出したのは、カジミールの言葉だった。
「コウジロウ王子、俺も別方向から仕掛ける」
「な、何を言っておる……」
「あの老人をずっと見誤っていた、せめて餞は正しく贈ってやりたい。お前のような奴のためにあんな姿に堕ちる必要などどこにもなかったんだ」
祖父より賜りし剣を抜き真っすぐに、異形ではなくモローを見ているカジミールの横顔に、デュノールはどうしようもなく父を思い出してしまった。
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