姉妹と父娘・中
潜った人々があがってきた。彼らはワイヤーを船につけたらしく、倉庫の中にあった仕掛けで船体ごとワイヤーを巻き上げている。ニーサはぼんやりとアナトを見ていた。
「あの金髪の女の子、どこかで……」
「アナトはこの国には初めてきたと思いますよ」
「そうよね。でもなんだかあの子に似た人を見たことあるような……」
船首が海面に出てきた。流氷を下敷きにして港に上げようとするが人数も少なく、準備も万全ではないため難航しそうだった。
この場にアナトがいなければ。
「マッスル!サンライズ!!!!」
抱きかかえるように船体を掴んだアナトは、掛け声とともに船を持ち上げた。シトロンは慌てて彼女を助けるように持ち上がった船を港の方に引きずる。
周囲の民間人も呆気に取られていたが、すぐさま協力してみんなで引きずりあげた。
大きな音を立てて水と氷の欠片を吐き出しながら、ボロボロの商船が港に帰還した。
「嘘でしょ、あれを……!?」
流石に倒れこむアナトを、シトロンは抱きかかえて受け止めた。
「お疲れ」
「当然ですわ……おほほ……」
「なんてお礼を言ったらいいか……」
足を引きずっている中年男性が頭を下げる。老人や青年もアナトに深々と頭を下げていた。
「礼は後で構いませんわ。早く大切な方々を迎えてさしあげてくださいな。そして、避難を」
「は、はい!」
船の中には凍った遺体がいくつもあった。船内はぐちゃぐちゃだったが人は原型を留めている。
「海竜が暴れた時、結構近くまで帰れたのに流氷が突然出現して挟まれたんだ。船体側面に穴が開いて海水が入り込みあっという間に沈んで、その上に流氷同士がくっついた。……ニーサは船が海に飲み込まれるのを見たんだ」
シトロンは長屋を見た。ニーサは大喜びするでもなく、静かにレウカの手を借りてこちらに近づいてきている。ハニーベルはそんな二人を守るように少し後方に控えていた。
港にシートを敷き、そこに遺体を運んだ。老婆が泣き崩れたり、女性が泣き笑いを浮かべたりとそれぞれが心の片割れと再会し、別れの時を迎えている。海竜は未だ動きがなく空と人の間に鎮座している。彼からはこの行動が見えているはずだが、見ているだろうか。シトロンは先ほどパンフェルが海竜のことを知りたいと言っていたことを思い出していた。
この人々や一連の行動を彼はどう思うのだろうかが気になっていた。
「パンフェル、ニーサを手伝ってあげて」
眼帯の男性が船からまた遺体を運び出す。その遺体はベビー服を握りしめているのがシトロンにも見えた。他の民間人が船の残骸で台を作り遺体をその上に置いた。
「わかった!待っててパパ!」
あぁこの眼帯の人がお父さんか、と思う暇も挨拶する時間もなく、パンフェルはニーサに駆け寄った。女性が台の横に椅子代わりの木箱を置いた。シトロンはみんながニーサのために準備しているのだと遅れて理解する。
「……ノーネック……」
ニーサは取り乱したり泣いたりせず、彼の頬を撫でる。水のおかげで死後硬直も腐敗も少ない彼の両手を胸の前に合わせてあげて、ベビー服を大事に抱きかかえさせる。
「よくも私たちを置いていってくれたわね」
彼女は笑った。痛々しくもあったが、確かに笑った。
「もう一度会ったら文句言ってやるんだから。……会いに行ってあげるわ……五十年くらい後に」
愛しい人の額にキスをして、彼女は立ち上がった。
「パンフェル、避難の馬車ってどこから乗るんだっけ」
ニーサが顔を上げた。パンフェルはそれはそれは嬉しそうに飛び跳ねた。
「任せて!馬車の方から呼んじゃう!」
「それじゃあ迷惑でしょ。歩いて行くわ。運動もしなきゃいけないからね」
先ほどまでとはまるで違うニーサを目の当たりにしたシトロンたちは驚いていた。
「あ、マジだ。全然違う人みたいだ」と素直に笑うシトロンの頭をガラクテアが小突いた。ニーサは気にするそぶりは見せず、むしろ恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「みんなもごめんなさい。そしてありがとう、親身になってくれて。そこの金髪の……」
「アナトですわ」
アナトはもうしゃきっと立っていた。しかしほんの少しだけ迷うそぶりを見せた。だが再び彼女は顔を上げた。
「……いいえ、それだけではありません。みなさま、わたくしの名前はアナト・ダネイ。ガレッドルから参りました。ダネイ陸軍少佐の娘です」
港に残っていた民間人は動揺したようにざわついた。しかしアナトは気にせずにニーサを真っすぐに見つめた。
「わたくしも先の戦争で父に先立たれた身。幾多の困難と悲しみの中、母と身を寄せ合って生きて参りました。しかし見てくださいな!この強いわたくしを!
なにも母親が強くある必要はございませんわ。ただ愛してくれたのなら、勝手に子供はぐんぐん強くなりますのよ?異国で一人、泣いている誰かを救えるくらいには」
そしてアナトはニーサの手をとった。ニーサは自分と同じ大きさの手をそっと握り返して笑った。
「ありがとう、青い地平の尊きお方。あなたのお父様のご立派な姿のことを、私、覚えているわ。私はあなたたち親子に命を救われたのね」
アナトは思ってもいないことを言われて驚いてしまった。
「お父様のことをご存じで?」
「自分が話そう。君は逃げなさい」
パンフェルの父が二人に声をかけた。二人は互いに目線を交わして、再び固く握手をしてから手を離した。
「そうします。私はきちんと逃げるわ。学生さんたちに顔向けできないもの」
「……馬車乗り場まで護衛するわ」
ハニーベルの申し出にニーサは驚いた顔をしたが、それでも彼女は受け入れた。
「お任せします、騎士様」
「見習いよ。半熟者だってすぐにわかるでしょ?」
「そうね!」とニーサは笑う。
「あぁ!?」とハニーベルは思わず威嚇する。
しかし二人はそういう軽口を叩きながら移動していった。
「それで、父をご存じなのですか?」
アナトはパンフェルの父に向き合った。他のみんなも避難準備を進めながらも、気になることがあるのかちらちらとアナトたちの方を窺っていた。
「えぇ……十年前のブルトーヌとの戦争では、あなたのお父上が自軍の大砲の前に立ち民間人が前線にいると訴えて戦闘を早期に止めてくださったのです」
「その話聞いたぞ。アナトの父親だったのか」
「そして蜜柑戦争のおりには、我妻パヌアを救っていただいたのです」
「……どういうこと?」
困惑の表情を見せた娘に、父は片側だけの目を伏せた。
「実はなパンフェル。お前の母は死んでいるんだ。ことがことだから、お前が大人になってから言おうと思っていた。パヌアの死因は背中から撃たれたことなんだよ」
「それって、逃亡防止に兵士が背後にいたって話と関係している?つまり……ママは、ブルトーヌの誰かに……」
「あぁ。集落を守るように配属されていた部隊には何人か生き残りがいた。多くが戦後すぐに死んだけど、彼らは最期の力を振り絞って自分に大切な話を沢山してくれた。それらを総合するに、パヌアはある兵士に集落に連れ込まれ、突然背後から撃たれた。そしてその兵士は彼女の身体に謎の黒い禍々しい魔力結晶を埋め込んだ、と」
調査隊の面々の顔つきが更に険しいものとなった。
「その黒い泥に少しでも触れると火傷のように皮膚が爛れて呼吸がしづらくなり、全身が痺れて身動きができなくなった。泥はじわじわと広がり池や沼のようになって、敵も味方も集落に住んでいた民間人も関係なく次々に飲み込まれて死んでいったそうだ」
「それでどうしてママを……アナトさんのお父さんが」
「……ダネイ様は、あれを放置しておくと東大陸全土があの泥に浸食されると言って、泥の中に単身入っていったそうです。そして苗床として綺麗な状態で残っていたパヌアの身体から魔力結晶を抜き取り破壊した。泥は多少は残ったが大半はすぐに消滅したらしい。飲み込まれた人々の身体は溶けたように消えたが、パヌアの身体だけは残ったんだ」
アナトは重たい息を吐きだした。
「お父様は……全身大火傷のような状態で帰ってまいりました。部下達も同じような症状で、帰国できた者もすぐにみな……一番長く生きられたのはお父様でしたわ。部下たちに『敵の魔法使いの炎魔法によって火傷を負った』と説明されてまいりました」
強く目をつぶり、こらえるようにしている彼女の手をレウカは握った。
「お父様……」
強く握り返しながらも、か細く消え入りそうな声しか彼女は出せなかった。
「ニーサはその集落の生まれだったのです。今のみなさまと同じ年頃だったと思います。集落の者は避難を許されず、外から戸を閉ざされていたと聞きました。ダネイ隊が兵士たちを殺し戸を壊して川を渡らせて灰洞港に行かせてくれた、と話したくれた者がいました。彼女もきっとその時ダネイ様に助けられていたのでしょう」
そこまで聞いて、ガラクテアは納得したように「ふむ」と頷いた。
「恐らく町民の血中魔力を媒介に毒の呪いを広げていくつもりだったのじゃろうな。戦争のどさくさで村一つと兵士たちの血と命を捧げて大陸全土まで広がる呪いを蔓延させようとした。最悪な方法じゃが、まぁ戦略としては正しいが立案者か実行者がアホで穴だらけだったのが幸いじゃったな。勇敢な人間一人がいれば打ち砕ける程度の策略じゃった」
シトロンたちには、このガラクテアの推測は正解である気がしていた。自分たちが思いもしないような邪悪なたくらみが、自分たちの良く知る善良で勇敢な人々によって打ち砕かれていた。そういうことはきっと世界中にあるのだろう。
「あと職人が動員された理由がわかったぞ」
「それは職人議連が」
「そういう政治バランスの話は副次効果じゃ。銀細工職人は魔力で銀を加工すると言っていたな?つまり、職人は魔力が使えることが最低条件。熟練の職人であれば魔力が強い人間が多いということ。媒介に使うにはこれ以上ない逸材じゃろうな」
そしてガラクテアはパンフェルとその父を哀れむように見やった。それは彼女がするには珍しい表情であった。
「パンフェル、お主はなかなか魔力が強い。子供でそれならば身体が完成した大人で修行をした状態のお主の母であるならば苗床に相応しかろう」
「言い方!」
咄嗟にシトロンはガラクテアの頭をはたいた。
「妾は事実を言ったまでじゃが!?」
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