姉妹と父娘・前
パンフェルの案内で朝の港を進むシトロンたちは、人気のないガランとした街の北からは兵士たちが海竜対策に備えている号令、西からは何かを砕くような音をそれぞれ聞いた。
「流氷を割ろうとしてるんだと思う。ってか夜中頑張っても割れなかったのかな」
「自然現象ではなかろう、一般人には無理じゃろうな」
「兵士たちに助けは」
「みんなワガママで残ってるようなものだから、手は借りられないよ」
「それがわかっててなんで逃げないの?死にたいとしか思えないわ」
「あのお婆さんとかは、どうせ死ぬなら家で死にたいって言ってる」
通りのずっと奥の軒先に座り込んでいる老婆を、兵士たちが必死に説得している。
「避難するのって、国に対する信頼がないとできないよ」
「この国に生きるあなたがそう言えてしまうのであれば、きっと避難に対する心情がそもそも私たちと多くを共有できないのかもしれないわね」
「逃げたところで保証とかはされなさそうだし、そしたら家と仕事と家族だけ失って放り出されて誰も助けてくれないし自分も怪我した、とか普通に今のブルトーヌではありえるから」
「今死んだ方が楽、合理的、理に適っている、正解という気持ちはわかるぞ」
ガラクテアの率直な意見に人間達は眉をしかめた。
「普段人間の考えることはわからんって言ってるのに」
「お主ら強者は生きてさえいればと言うが、命があるだけで生きているほどこの世界は甘くないじゃろ。食い扶持は?住処は?社会から放り出されてそれら全てをいきなり一人で賄えるのか?妾が思うに不可能じゃ。兵士が任務中に遂行するサバイバルとはわけがちがう。それは教育と訓練を受けた健康な人間が、その存在と権利を社会から保証されておるからできるんじゃ」
「でもだからって、容易く命を諦めるなんてあたしには理解できないわ」
「容易く、ってお主が勝手に感じたことじゃろ。そやつにも妾にも関係ない、お主の頭の中の設定を前提に話を進められてものぉ」
「あ?……あ!」
威嚇していたハニーベルは、案外大切な話だったことも一瞬で頭からすっぽ抜けた。学生の一人が半壊した家の中に入って行ったからだった。
「追いましょう!」
長屋のような建物に入ると、そこはもぬけの殻だった。だが奥に人の気配を感じ、シトロンは「もしも~し」と声をかける。すると学生たちがぱっと顔を出した。
「調査隊の人だ!」
「おはようございます!」
どこか呑気な子供たちに苦笑いするシトロンだが、ブチギレそうなハニーベルがいるために咳払いでごまかした。
「やっべ」とセドラの声が室内から聞こえてくる。
「どういたしました?出発の時間は過ぎたのでは?」
「それがこの人が」
ボロボロの室内には、ぼんやりと座り込む一人の妊婦がいた。
「ニーサさん!どうしたの!?」
パンフェルの近所の女性だったらしく、妊娠後期の大きなお腹でただ座っているだけで辛そうに俯いている。
「ちょっとお腹が痛いみたいです」
「予定日はもうちょっと先だからストレスじゃないかって」とミネオラとそばかすの少女はニーサに回復魔法をかけていて、その暖かな波動は彼女の気を楽にしているようだった。
「体調が芳しくなくて下手に馬車に乗れなかったってこと?」
「あー、実はニーサさん、今引き上げ作業中の船に乗っていた旦那さんを待ってるの」
「……つまり、亡くなられた旦那様のご遺体を一目見たいのですわね?」
「タイミング悪く流氷に突き刺さって海中に取り残されたの。もし津波や戦闘が起こったら海底に沈んじゃう。それが嫌で、みんな」
窓の外では十数名が流氷の上で何か作業をしている。
「昼までに終わらないのでしょう?」
ハニーベルはミネオラを睨んだ。ミネオラは苦々しく目を逸らした。その姿を見てハニーベルは更に怒りを目に宿してニーサを叱りつける。
「死んだ人間の身体だけを見つけることがそんなに大事?子供のためにも生きなきゃダメでしょう、貴方それでも母親なの?」
「おい言い過ぎだって」
またやっちまったよという顔でシトロンが止めに入ると、それすらも不愉快だと言わんばかりにハニーベルは目を吊り上げた。
「人のいも……子供たちを危険に晒してまで不幸に浸っていたいものなの!?」
「もうやめてください!」
ミネオラは立ち上がり姉の前に立ちふさがった。
妹が大声を出して自分に歯向かってきたのは初めてのことであったために、ハニーベルは少し狼狽えた。
「悦に浸っているのは姉さんでしょう!?死体蹴りはそんなに楽しいですか!?いつもいつも、倒れたり蹲ったり、動けない人にばかりすかさず駆け寄ってきてはいじめたおして!!人を追いつめるのが趣味だからって、人の命がかかっているときにまでやめてください!本当に騎士になるつもりなら私情を挟まない判断ってやつをするべきじゃないんですか!?」
その隙を見逃さないのは姉妹らしいとシトロンは少し面白くなってしまった。そして何より、彼女の言い分に筋が通っていると感じてしまった。
「あの人がいないと生きていてもしょうがない」
不毛な姉妹喧嘩を止めたのはニーサの震える声だった。
「この子だって、こんな私と一緒にいても幸せになれない。だったらもう、今ここで死ぬべきかもしれない。あなたの言う通りよ。私、母親じゃあなかったの」
ハニーベルは、は?と言葉にしたつもりでできていなかった。彼女は発破をかけただけでその通りだと認めさせようとしていたさけではないのだ。
「だから死ぬわ。みんなごめんなさい、ここまでしてもらったのに。死ぬ。死ぬよ。死にたい」
ブツブツと呟くニーサに、室内は”これはまずい”と同じことを考えていた。
「……は?そうじゃないでしょ、あたしはそんなこと」
ニーサはなんとか正気に戻そうとするハニーベルを睨みつけた。
「一人でも二人でも生きていたくない、あの人がいないと嫌よ!ずっと頑張ってるのに!まだ頑張れって言われる!強くなれ母親なんだからって!
夫が死んでも仕事を無くしても家も失っても、まだ生まれてもいない子のためだけに自分の心を捨てて強くなれるほどできた人間だけが親になっていいって、そう法律で決めたらどうなの!!!もう嫌!みんなみんな、もう私を子供を産んで育てるだけの何かになれって言う!!!
母親になりたかったの!私は!母親になろうとしていただけなの!」
そうしてニーサは子供のようにわんわんと泣きじゃくった。レウカは横に座りその身体を抱きしめて身体を預けさせる。
「わたくしが船を引き上げます。姫様、その方をお願いいたしますわ」
決意をこめた声でアナトは宣言した。ニーサの目に困惑が写る。だが、彼女は自身満々の笑顔を返すだけだった。
「こちらは任せて。信じているわ」
「えぇ。待っていてくださいましニーサ様、あなたのこの五日間をわたくしは決して無駄だったと思わせません。五日間ここで耐えたからこそこれからを寛やかに生きてもいいと証明してみせます。強い母でなくとも人間二人幸せに生きていけるということをご覧になってくださいな」
「ここですることじゃないでしょ、あたしたちは」
「ベル、あなたはあなたの為すべきことをなさって。わたくしの心が叫んでおりますの、正しいことをしなさいと」
そう言ってアナトは軽やかに崩れた壁から港へと赴いた。ガラクテアは面白そうじゃの、と後をついていく。
「……セドラ、お前はさっさと六人を連れてここを離脱」
「え、でも」
「六人とも、よく聞いてくれ。この人は責任もってオレたちが助ける。いいか?”助ける”と言っているんだ、避難させるって言ってるんじゃない。信じて欲しい」
シトロンの言葉に、学生たちは反発しなかった。どこかではっきり言ってほしかったような顔でもあった。
「私たちは逃げます。でもまたすぐこの国に戻ります。それでまた別のお助けを頑張りたい」
「すげー悔しいけど、俺たちには船の引き上げも、これ以上の避難誘導もできないもんな……」
「……そうだね。姫様、みなさま、ご迷惑と心配をおかけしました。私たちはちゃんと逃げます」
最後にミネオラがリーダーらしく締めてみんなに頭を下げた。やはりどこか悔しそうでもある。
「勇気ある決断よ。誰だって仕事を途中で放り出せと言われたら後ろ髪を引かれるもの」
レウカのフォローに、学生たちは少し救われたような表情になった。
最後にミネオラは、再び膝をついてニーサに語りかけた。
「私は……あなたに生きていてほしいの。私の母さんも、子供の時に死んでしまったから」
涙と鼻水でボロボロの彼女の顔面をミネオラは優しく拭いた。
「私を産んだせいなんです。だから、何か不幸なことが起こる前に決めたことが、不幸な自分に襲い掛かるってこと、知ってます。母の身に起きたことではありますが。
だから凄く身勝手なんだけど……生きているお母さんがいると、嬉しいんです。私の母じゃなくても、良い人じゃなくても、強い女性じゃなくても子供を産んでから捨てていても、生きていてくれたら……母さんもそうして生きていたかもしれないって勝手に元気になれるんです」
「……変わった子」
ニーサはミネオラの頭を撫でた。そして他の学生たちにも優しく微笑みかけた。
「早く逃げて。あなたこそ死んではダメよ。じゃあお父さんはまだいるのでしょう?悲しませてはダメ。他の皆もよ」
六人は顔を見合わせてから、しっかりと敬礼をした。
「はい!ではお先に!調査隊のみなさんもお気をつけて」
セドラにせっつかれて六人は出ていった。すぐさま近くに止めてあったのであろう馬車の音が聞こえて出発したのだとわかった。
「あたしの知ってるニーサさんにちょっと戻った」
「誰だっていつだって自分らしく在れるわけではないもの。揺らぐわ、人なんだから。ちょうど私たちが最もふり幅の大きな時に居合わせただけでしょう」
「そっか。そうだよね!あたしもパパの手伝いしてくる!待っててニーサさん!」
パンフェルはニーサに手を振って外に出る。誰もが外を見た丁度その時、アナトの拳が流氷を割ったようで水柱が立った。
住民たちが歓声をあげ潜水の準備をしていた数名が海に潜って行くのが見えた。
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