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第7話 おどろおどろしい初恋

自己主張をしない淡雪。それが不安な良助。タイムリミットが迫る中、良助は自分の思いを淡雪に告げる。


 11月に入って、一気に冬めいてきた。そのため、週末冬物の服を買いに行く。淡雪はそういうことにやっぱり消極的で、買い物は難航。なにを買っていいかわからないのか、どれがいいか聞けば「わからない」と「なんでもいい」しか言わない。これはどうかと勧めれば、なに色のどんな服でも「それにする」と従う。


 家に帰る前、ファミレスで夕食を食べるときも、「良助さんが好きなの2つ頼んで、どっちかちょっともらう」としか言わず。そのため、良助は淡雪が好きな食べ物を未だに知らない。

「淡雪~、もっと好きなようにやっていいんだよ?」

瓶の蓋が開かないときや、高い場所にあるものを取るときは頼ってくれるが、わがままらしいわがままを一切言わない。淡雪はあまりにいい子過ぎる。

「家に置いてもらってるんやし、それで充分幸せ」

なにか我慢している気配さえ感じさせないのだから、本当に欲がないのか我慢のプロフェッショナルか、どっちかだろう。

「服だってさぁ、仕事用のはサイズを自分で見て買ってるんだから、私服もそうやって選んでいいんだって」

「良助さんのおさがりを着てるんが落ち着くんよ。お下がり着てると、良助さんがずっと近くに居てくれてるみたいで安心する」

下心を持つなという方が無理かもしれない。男を抱きたいなんて思ったこと、42年の人生で一度もなかった。一瞬も思ったことない。しかし、今こうやって目の前の席に座ってニコニコしている淡雪を見ると、覆る気しかしない。淡雪はなんて罪作りな男なんだ! なんて、自分に芽生えているこの気持ちを相手のせいにしてしまう。


 11月に入っても、淡雪の親からなにかしらのアクションが起きたことはなかった。

 季節が進み、鍋が美味しい気温が定着。短期単身赴任も来月で終わりになる。

 星空が広がる寒空の下、スーパーで買い物をして2人並んで帰る最中。良助はどうやったら淡雪が自分の地元についてきてくれるか、そればかり考えるようになっていた。

「良助さん、なんでそんな難しい顔するん? 仕事でなんかあった?」

淡雪がこちらを見上げつつ、顔を覗き込んでくる。

「……淡雪がどうやったら俺についてくるかなって。考えてた」

いつもだったら、なんでもないよとはぐらかして笑ってみせたりする。今日はちょっと攻めてみようと、本音をぶつけた。

 するとすぐ淡雪は目を泳がせる。やはりついて来ようという気持ちには、なっていないのかもしれない。


 でも、諦めて身を引くことは考えてない。結婚していたときより断然強気なのは、もしかするとおじさんになって得た恥を捨てることへの抵抗のなさがなせる業なのではと思う。

「……良助さんはバツイチやんね」

以前淡雪に、恋愛事情や過去のことを問われたことがある。そのときはここまでの熱を淡雪にむけていなかったため、すんなりバツイチであることを認めた。

「そうだね」

隠すことでもない事実。

「女の人が好きなんに、俺みたいの連れて帰ったら後が大変やん。良助さんは今後、ステキな人と出会って恋をして、再婚することやって十分にあり得る。俺なんか拾うより、再婚して家庭を持った方が絶対幸せになれるよ」

異性が好きなら、同性の自分なんて絶対に飽きられる。捨てられるのがわかってるなら、知らない土地で捨て猫になるより、ある程度地の利があるこの土地の方が住みやすいじゃないか。

 どのみち良助は、年末でこの地を去る。もうすでに一生分の幸せをもらった。この思い出を胸に、これからまた流れるように生活していけばいい。そのうちフラれて捨てられるなら、この土地に留まりたい。


 淡雪が言った未来は、堅実で確実で、それでいて一番まっとうなものなのだろう。でも、ただまっとうに生きるだけことに対して、価値を見出しているわけではない。

「俺の幸せを決めるのは、俺自身だと思ってる。再婚が自分の幸せだとは思ってない。ここに淡雪を置いて帰ってしまうと、きっとこれからの人生ずっと後悔する」

どうしてこんな短期間でここまで淡雪に心奪われたのか、夜寝ている淡雪の寝顔を見ながら何度も考えた。


 顔がかわいいから。

 料理ができるから。

 家事ができるから。

 家庭内事情が複雑で、病気持ちでかわいそうだから。

 職場でいじめられているのを知って、庇護欲が湧いたから。


 そんなきれいな感情じゃない。

 本当はもっと汚い気持ちを持っている。


 初めて裸を見たとき、凄く肌がきれいだと思った。触れたいと思ったし、寝ているときこっそり触れたこともある。なめらかで、触れただけで淡雪が小さな声を上げているのを聞いて、もうご無沙汰な息子がこっそり頭を上げたあの瞬間。そういうことなんだと思い知った。


 肉欲を持って、淡雪に好意を持っている自分がいる。


 笑った顔を自分だけが独占したい。

 傷つける相手を許さない。泣かせるなんて言語道断くらいの気持ちになる。

 自分のおさがりの服を着せたときの、あのぶかぶかに余った袖。首回りから見える鎖骨。油断しきった、甘えた顔。

 全部俺だけのものにしたいと思った。

 名前を呼んで、細い体を抱きしめて。そのまま押し倒して、自分の手で淡雪を乱れさせたい。ワンナイトなんてあってはならない。誰にも触らせたくない。自分だけの淡雪で居てほしい。


 恋ではない。こんな汚い恋があってたまるか。

 恋なんて言葉は、生易しく聞こえる。

 もっと汚くてドロドロした感情。肉欲を含む恋情。

 これが恋だとすると、おどろおどろしい初恋ということになる。


「俺を連れて帰っても、後悔することになると思う。病気持ちやし、根暗やし。自分のこともまともにできん、手のかかる男なんか捨てたくなるに決まってる。地元に帰って、結婚相談所とかで年下の可愛い女の子と恋をして幸せになってほしい」

自分に良助はもったいない。優しく包み込んでくれる包容力のある人は、そう多くない。数えきれないほどワンナイトをしてきたが、こんな人今までいなかった。良助に対して、申し訳なさばかりが募る。養ってもらって、こんなに良くしてもらって。引き返せなくなるじゃないか。


 捨てられたくない。でも、捨てられるべきなんだ。

 その狭間で、淡雪の心は揺れ動いていた。


「それは俺の幸せにはならないよ」

良助は、困ったような苦笑を淡雪に向ける。それを見て、淡雪が立ち止まった。

「どうして?」

街灯の下。白いライトに照らされて、足元には深く黒い影が落ちる。淡雪の表情は暗くない。でも明るくもない。

 多分、自分がこんな汚い感情を持って好意を寄せているなんて。微塵も思ってないんだろうなと察する。

 そう思うと、淡雪から気持ち悪がられて去って行かれるかもしれない可能性が脳裏をよぎった。


 離れたくない。

 でも、この気持ちを隠し通したまま、淡雪を連れて行くわけにもいかない。

 短期単身赴任期間で終わる関係なら、今ここで別れることになっても、それは運命だと自分の中に無理にでもねじ込める。一時の気の迷いだったんだって。そう思って。この思いは墓まで持っていく。


「俺は、淡雪のことが好きだ。だから地元に帰って誰かと再婚しても、幸せになれない。好きな人と一緒に地元に帰りたい。俺と一緒に今年の年末、この土地を離れてくれないか?」


 おじさんになれば、怖いものナシのような部分が出てくるんじゃないかと、若い頃推測していた。実際そうだったことも多い。若い頃より恥ずかしいと思うことは少なくなったし、緊張する場面も年々減っていった。元嫁にプロポーズしたときと、相手の親に挨拶をしに行ったときが、今までの人生の中で一番緊張したかもしれない。

 でも今は、それ以上に緊張してる。手のひらには汗がにじみ、指先も唇の先も、小刻みに震えていた。寒さではごまかせないほど、緊張で震えているのが自分でもわかる。


「…、いやいや。違うって。なんか勘違いしてるんよ、きっとそう。気の迷いや。だって俺、なんのとりえもないし」

息を飲んだあと、淡雪は困ったように笑って言葉を吐き始めた。

「困らせてるのは大変申し訳ないと思ってる。でも、自分の気持ちに嘘はつけないし、嘘をついたまま淡雪を連れて行くことはできない」

明かりがない場所に立つ良助の顔が、淡雪からは見えない。どんな顔をしているのか、わからないのが怖い。嘘をつくような人ではないとわかってる。わかってるけど、じゃあ今の言葉がすべて真実だと鵜呑みにできるほど、おめでたい考えにもなれない。


「病気なんよ? 精神疾患。治らんかもわからんような病気抱えて、薬だって毎日飲んでて、調子だって悪くする。そんな面倒な人間、絶対嫌になる」


「病気なのは知ってるし、調子が悪くなってる場面を見て面倒だと思ったことは今まで一度もない」


「それは……! 今だけやって。何年もこの状態が続けば、俺は心を病んだおっさんになるしかない。醜いやん。もう何人に抱かれたかもわからん汚い体やし、良助さんとは釣り合わん」


「釣り合う釣り合わないって話がしたいんじゃない。俺は淡雪の気持ちが聞きたい」


言い合いになって。でもまた、沈黙して。冬の冷たい空気が、2人の間を駆けていく。その風の冷たさに、自分の内々にある熱の醜さを良助は思い知る。自分の気持ちを押し付けて、淡雪を困らせて。なんておっさんなんだと、苦い笑いがこみ上げた。


 良助の自嘲を見て、淡雪の唇がわずかに動く。

「悪かった。気持ち悪いよな、こんなおっさん」

うなだれて、後ろ首に手をやる良助。


 そうじゃない。違うんだと思うのに、淡雪の喉からは声が出てくれない。苦しい息ばかりが吐き出される。

「忘れてくれ」

ぽつんと言い残し、こちらに背を向け、良助が歩き始めた。


 良助が、行ってしまう。


 声も足も出ない。その場に立ち尽くして、自分から離れていく良助の背中を見ることしかできない。


―—俺の意気地なしっ!!


 その場にうずくまって、地面に膝をついて、感情に任せて嗚咽を漏らして。泣くことしかできない。

 行かないでって一言さえ出ない。


 心を病んでなかったら、素直に良助の胸に飛び込めたのか。もっと度胸があったら、病気を気にせず良助の所に走っていけたのか。

 これじゃ後悔しか残らない。良助は傷つき、自分も傷つく。誰も幸せになんてなれない未来しか、自分は招くことができない。

 消えてなくなりたい。今すぐにでも。存在を消してしまいたい。


「行かんでよ…良助さん…!」


 消え入る声で、嗚咽の間からこぼした淡雪の精一杯の本音だった。


 振り返ると、淡雪が膝をついて丸まって泣いていた。

 泣くほど嫌だったのかと、前に進もうとしたのに、足が前に出ない。一歩が出ないまま足は止まって、気づいたら体が勝手に踵を返して淡雪の方に走っていた。


「淡雪、」

駆け寄って声をかけると、淡雪の顔が上がる。涙と鼻水でぐしょぐしょになっている。そんな顔になっていても、やっぱり好きだと思う。

 淡雪の手が伸びてきて、チョンっと申し訳なさそうに良助のスウェットの裾をつかんだ。

「置いてかないで……」

あまりにひどい有様で、もう見てられない。淡雪の前にしゃがんで、自分の服の裾で淡雪の涙と鼻水を一旦全部拭く。それでもすぐ涙は溢れてきた。

「ごめんな。置いてっちゃって」

今いきなりこの子と別れるのは、自分もきつい。できるなら、少しでも長く穏やかな日を過ごして別れたいなんて、都合よく思う。

 困った顔で微笑んでくれた良助の優しさが、淡雪の心に染みる。傷口に砂利を擦りこむような、痛みを伴う優しさだった。


「俺も、……良助さんが好きやから。置いてかないでください……」


 涙に濡れた声色で。たしかに淡雪はそういった。

 十分すぎるくらいの勇気を振り絞った。


 寒空の下。

 誰もいない、なんでもない路地。

 アパート目前の街灯の下で、買い物袋を持ったまま。

 良助は大事に大事に、淡雪を抱きしめた。



自己主張に消極的ではあるものの、淡雪も自分の気持ちを告げて2人の気持ちは通じ合った。

これから越えなければならない山が、怒涛の勢いで押し寄せてくることになる。


評価などいただけると嬉しいです。

活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。

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