第6話 猫の職場
淡雪にナイショにしている、良助の平日半休。淡雪には園に来てほしくないと言われていたけど、良助は「淡雪先生」が見てみたい。その好奇心に負け、ほんの少しだけと言い訳をしながら見に行った保育園で、淡雪が受けていた仕打ちとは……。
いけないとわかってるものほど、興味が湧いてしまう。大人って、そういうものなのかもしれない。
とりわけ身近だったり、大切にしたいと思っている人ほど、やめてと言われたことに触れてみたいと思ってしまう。大人になればなるほど、人間は意地悪くなりやすく、秘密が守れない生き物になりうる。
そんなことを、良助は淡雪と出会って初めて知った。
結婚してたときは、嫁が嫌がることとか秘密にしたいことに対して、興味なんかなかった。
誰だって秘密にしたいことはあるもんだし、そこに触れれば揉める。誠に面倒であり、そして生産性がない。やる意味が無いことに体力を使うほど、好奇心は強くなかった。
11月が見えてきた、とある平日。仕事の関係で、良助は午後から半休。淡雪は1日仕事。でも淡雪には半休であることを言ってない。
淡雪を迎えに行こうとか、そんなことは考えてない。ただちょっとだけ、働いているところを盗み見したいなって気持ちは湧いた。
アパートの近くにある保育園は、よく園児が外で遊んでるし、先生も引率で付き添ってる。園の様子は植木の間なんかから少し見えて、保護者の出入口がある場所は小さな運動場があるから子どもや先生の様子が筒抜け。
少しだけ。ほんのちょっとだけ。
淡雪先生の様子が見たい。ひと目でいい。一瞬だけ見たいなと。
出来心で思った。
いつも通りに、先に良助が家を出て淡雪も家を出た。
昼過ぎまで通常通り仕事をして、良助は会社を出て帰宅。さっさと着替えて、カップ麺と白米で適当に昼ごはんを済ませた。淡雪が居なけりゃ、こんな具合で食事なんてテキトー。ジャンクなものは美味いけど、おじさんの胃には重い。食べ終えて、カップ麺の汁で胃薬を流し込んだ。
昼と夕方の間の時間まで、少し昼寝をする。保育園の子の声が拾えないかもしれないから、テレビはつけなかった 。
ベッドでうたた寝をして、子どもたちの声で良助の目が覚める。
―—いけね。寝てたわ
口の端からこぼれたヨダレを服の裾で拭いて、のそのそ起き上がる。
久しぶりにこのベッドで一人で寝た。シングルのベッドだから、本来ちょうどいいはずなのに。いつも淡雪と絡み合って寝てるからか、妙に広く感じた。
それに、目が覚めたとき淡雪が隣にいなかったとき、淡雪を探す自分がいる。
どこにいったのか。……そうか、俺だけ早く上がって、淡雪はまだ仕事だった。
寝起きの働かない頭で思考を巡らせ、正座して項垂れて、だらしなく大あくびをして後ろ首に手の平を乗せた。
おっさんくさいなぁと思う。実際おっさんなんだから、致し方ない。
スウェットのズボンに半袖シャツ。上着を羽織ってマスクをする。サングラスと帽子もするかと思ったが、そこまでやると不審者だろう。逆に目立つ。
サンダルを履いて、スウェットのポッケに手を突っ込んで家を出た。
持ち物は家の鍵だけ。さっさと帰るから、スマホに要はない。落としても面倒なので、留守番でいいだろう。
淡雪はどんな先生なんだろう。
今保育園は、男の先生は珍しくないんだろうか。
そんなことを考えながら、チラッとだけ淡雪が働く園を見に行く。妙な緊張感が心臓に張り付いていて、それを握りしめながら園の様子に視線が釘付けになった。
子どもたちの声。子どもは好きでも嫌いでもない。
姪がいるが、肉親だからかわいいんだと思う。他人の子どもまで可愛いと思えるような、立派な大人にはなれなかった。
「四季せんせー!」
子どもが淡雪を呼んでいる。園に近づくに連れて、良助の心拍数が上がる。
「どうしたー?」
子どもの声に紛れて、淡雪の声を聞こえる。
―—ほんとに先生やってる……!
ドキィっと、良助の心臓が高鳴った。
遠目遠目にと眺めていた淡雪の姿。
子どもを抱っこして、笑顔でなにか話している。腰周りにはゾロゾロ子どもたちを引き連れて、園庭にある花を見ていた。
淡雪の横顔はキレイで、子どもたちを見つめる視線は優しさに溢れる様子たるや。惚れてないはずなのに、惚れ直したような気持になった。
いい先生なんだろうなというのが、遠目からでも分かる。
ちょっと安心したし、帰ろうかと思った矢先。見るからにベテランの、貫禄あるどっしりした女性の先生が、淡雪の元に歩み寄る。
なにか話して、淡雪の肩をドンと手で突き、淡雪は頭を下げてどこかに走っていく。
どうしたのかと様子を見ていると、なんだか正体が分からない、明らかにひとりで持つには無理がありそうなロープのようなものを持ち運んでいる。
淡雪は相変らずガリガリだから、あんな重いもの持って歩いたら骨が折れてしまうかもしれない。それはないと頭でわかっていても、そう思わずにはいられない自分がいる。
子どもたちが淡雪の周りに集まってきて、「頑張れぇー!」と声をかけていた。良助だって同じ気持ちだし、なんならまだ荷物を持ってあげたいくらい。
結局淡雪が一人でロープみたいなものを持ち運ぶ間、子どもが周囲から居なくなることはなかった。しかし、他の職員が手伝うこともなくて。子どもが園舎に引き上げた後、またあの貫禄があるベテランから詰められて、今度は腹を平手で殴られていた。淡雪は全く抵抗する様子がないまま、その人に頭を下げる。
淡雪がなにかミスをしたのかもしれない。でもなんだか外部の目から見ると、他の人が全く手伝わないのは陰湿だなと思ったし、一人になった淡雪はその場に取り残されていたのを見ると良助の心が痛む。
ベテランの先生が立ち去った後の淡雪は、ひとつ息をついて前を向く。帰らなきゃと思うのに、良助の足は動かず。顔を上げた淡雪が振り返り際がこちらを見て、良助としっかり視線が合った。
「良助さん……?」
小さく淡雪がそういった気がして、急いで良助はその場から立ち去った。
夕方。淡雪の帰宅時間。あたかもついさっき帰ったかのような顔をして、「おかえり」と淡雪に声をかける。淡雪はなにも言わずにリビングに入り、キッチンで手を洗った。
「良助さん、さっき園の外におったやんね」
先ほどとは違う意味で、ドキィっと良助の心臓が強く引き締まる。
「え……」
居なかった。なんて嘘、通用する気配もなく。居ましたと素直に言えるほど軽い雰囲気でもない。いい歳をして、目を泳がせることしかできないでいる。
「園にはこんでって、言ったやん」
淡雪は完全に怒っている。初めて見る怒った顔。こんなこと思っちゃいけない、いけないことなんだと思うも、なぜかかわいいなと思う気持ちがふわっと沸いた。
でもまずは謝らなきゃいけない。良助は座ったまま、すぐに両手を前に出して淡雪の言葉にストップをかける。
「悪かった。どうしても淡雪が先生をやってるところが見たくて、つい……!」
パチン! っと音を立てて両手を合わせ、ギュッと目を閉じて良助は淡雪に謝った。こういうときは、素直に謝るに限る。伊達におじさんになったわけではない。人並みに苦労しておいてよかった!
良助の様子を見て、悪気があったわけでも冷やかしできたわけでもないのは、十分伝わる。
淡雪は一つため息をついて、良助の前に正座で座った。併せた手の向こうから、良助が薄目を開けてこちらの様子を伺っているのがわかる。
「いいよ。怒ってないから気にせんで。かっこ悪いとこ見せたくなくて、こんでほしいって言ったんよ」
淡雪はうつむき加減にそう言い、職場内事情を話し始めた。
淡雪が勤務している園は、決して大きな園ではない。職員は自分以外全員女性で、さっき淡雪を叱責していたのは、いわずもがなこの園のドン。お局というやつ。
この園唯一の男である淡雪に力仕事をすべて任せているが、見ての通りの細身なので力がない。「なんのために男を雇ったのかわからない」「気が利かない。本当に家で甥や姪の面倒を見てるのか」と、標的になった人には容赦ないことを言うらしい。
「ほかの先生やなくて、俺が標的になってよかった。他の先生はいじめられてない」
そういって、淡雪は少し疲れが見える笑みを浮かべた。
「淡雪がいじめられてる。いいわけない。……もしかして、それで精神科にかかってるの?」
良助は優しい。ものすごく心配してくれる。あまり心配をかけるわけにはいかない。
「それだけやないよ。なんか全部どうでもよくなっちゃったんよね。一生懸命やってた姪や甥の世話も、なにやっても叱られる仕事も。家のこともぜーんぶ。そしたらワーって死にたくなって、涙も止まらんなって。それで精神科にかかってる。誰か一人だけが決定的に悪いんやない。俺は弱いんがいかんのかもしれん。男なんに、嫌なこと投げ出したくなっちゃって。情けない」
心配かけたくないと思う気持ちはかなり強く持っているのに、こうやって自分の話をしてしまう。淡雪自身、今までなかったことで内心戸惑うばかり。
良助の目が、しっかりと淡雪をとらえる。
いうなら今だと思った。
「淡雪。俺と一緒に、俺の地元に来てもらえないか。今年いっぱいで短期単身赴任が終わる。地元に帰るとき、淡雪をここには置いて行けない。向こうでかかる病院は俺が見つける。淡雪のご家族にも、俺から話をする。年内で仕事を辞めて、一緒についてきてほしい」
まだ出会って数か月しか経ってない。お互いのことは、多分まだ分かり合えてない部分があるだろう。
それでも、ここに淡雪を置いて、じゃあバイバイとはできなかった。
単身赴任が終わるまでに、一緒に来てほしいと話をする気でいた。今頷いてくれなくても、期限内に絶対説得する。
「ど、どうしてそんな…」
なんで自分になんかに良助がこんなに優しくしてくれるのか。淡雪にはわからない。ただ家事と料理ができるだけの、ワンナイトで金を稼いでいたような自分なのに。
「すぐに答えが貰えると思ってない。ついてきて後悔はさせないようにする。年末までに、ついてくる決心をしてほしい」
良助のそれに、淡雪は戸惑うことしかできなかった。
「絶対に。後悔させない」
良助のそれは力強くて、もう何も吸収する力がないと思っていた淡雪の心にじんわりとしみ込んでいく。
ここを出るまで、あと1か月。
やらなければならないことは多い。
園での仕打ちと、淡雪の立ち位置。淡雪の思い。そのすべてに触れ、良助は自分が短期単身赴任を終えるタイミングで淡雪を地元に連れていきたいと、思いのたけを告げる。淡雪の返事はまだ出ていないまま、タイムリミットが近づき始める。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




