第3話 捨て猫の生態
連れ帰った捨て猫みたいな青年。彼の言葉や姿に、良助の心が動き始める。でも俺はゲイじゃないしバイでもない!自身の思考を握りしめるも、自分の中に芽生えた名前のない感情が良助を突き動かす。
淡雪の顔が上がったので、良助は淡雪にシャワーを勧めた。先ほど風呂を勧めたが、淡雪はそのまま動かなくなってしまった。しかも風呂を勧めた際、一人で入っていいのかと聞いてきた気がする。シャワーなら、一人でも入るかもしれない。そう思って、シャワーを勧めた。
「シャワー……、使っていいん?」
驚いた顔で淡雪は良助を見ていて、その様子を良助も驚いた顔で見返す。
「風呂、入らない気でいたの?」
風呂なんて毎日入って当たり前じゃないのか。今の若者は違ってるのか。そんな変な考えが、良助の脳裏を駆ける。
「だって風呂入ると水道代かかるやん。電気代もかかるし」
「普通に風呂入るだけだよね? そんなの気にしなくていいから入って来てよ。服に吐いたものが染みついてるから、一緒に洗濯する。洗っちゃっても大丈夫?」
良助のそれを聞き、再度淡雪は素直に驚いた。
「俺の服まで洗うん?」
「迷惑じゃなければ」
なんでこんな普通のことを言ってるだけなのに、驚かれてしまうんだろうか。
淡雪につられて良助もびっくりしつつ、会話を続ける。淡雪と話していると、自分がおかしいのかと錯覚するような気持になるのは、どうしてなのだろうか。
「め、迷惑じゃないけど。これしか服持ってないし」
「着替えは、俺のもので申し訳ないけどコレ着て。汚れたもの着続けるわけにはいかないよ」
淡雪には大きいだろう、洗濯済みの自分のスウェットを差し出す。水と一緒に置いておいたシャツには、手を付けていない。そのため、淡雪はまだゲロで汚れたシャツを着ている。
「借りていいん……?」
「なにも着ないままでいる気だったの? いくらなんでも裸じゃ寒いよ」
良助から差し出されたスウェットを手に取り、信じられないものを見るような目で手の中のそれを眺める。
「スウェット、嫌いだった?」
「いや……。ありがとう」
不思議なものを大切に持つように、スウェットを抱え込んだまま淡雪は浴室に入って行った。
淡雪のパンツがない。そうだった。忘れていた。
アパートの向かい側にコンビニがあってよかった。淡雪が入浴している間に、パンツを買いに行く。細身だったしと適当なサイズのパンツを買って家に帰ると、まだ淡雪は浴室にいた。今のうちにと脱衣所に入ってさっき買ってきたパンツを着替えのスウェットの上に置いた瞬間。
ガチャンと音を立てて、風呂のドアが開いた。
「あ……」
2人して顔を合わせて、動きが止まる。
真っ白な淡雪の肌。ちゃんと男だった。
かわいい顔だったし、あまり声も低くないので、もしかすると女の子なのかも……、なんて思ってた。別にスケベな気持ちがあったわけではない。断じて違う。断じて違うはずなのに、ものすごい勢いで心臓が脈を強め早めてしまい、良助はとっさに淡雪から視線をそらした。
「ご、ごめん! のぞき見するとかそんなんじゃなくってパンツを置きに来たんだけど、そのパンツはさっきコンビニで買ったやつだから、明日スーパーとかに買い物に行ってそのとき新しいのを買えばいいかなと思ってて」
混乱して、斜め下を見ながら焦ってまくし立てるようにべらべらとパンツの話をする。良助のそれを聞きながら、用意してもらっていたバスタオルで体を拭いてパンツを履く。
「お兄さん、ありがとう。パンツぴったりやわ」
そういって笑う淡雪を見て、なにかがブツっと音を立てて切れたような気がした。理性の糸ではない、なにか。淡雪が自分のスウェットを着て、「やっぱ大きいなぁ。お兄さんの方がだいぶ背が高いもんね」と余った袖をひらひらと幽霊のように体の前で遊ばせているのを見ると、淡雪をもっと自分のそばに置いておきたいと思った。
今まで持ったことのない感情だった。
座椅子がソファベッドになるものだったので、良助はそれを使い、淡雪にベッドを貸した。
「ごめんな。ありがとう。お布団、お兄さんの匂いがする」
あざとい。という言葉がある。若い女性社員に対して使う言葉だとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。自分のベッドにくるまって笑顔で話す淡雪は、確実にあざといと思う。
――待った。俺はゲイじゃない。バイでもない。女が好きだろ。なに勘違いしそうになってんの
今まで男にときめいたことなんてなかっただけに、それはもう待ったなしで動揺。電気を消したのに、全然寝付けない。淡雪は寝たのだろうかと、寝返りを打って確認する。横になったまま見上げたベッドの上部に、もこっとした淡雪が入っている掛け布団の山が見える。
下心なんてない。あるわけないじゃないか。俺が好きなのは女なんだ。バツイチだし。そんな言い訳をしながら、音を立てずそろりとソファベッドから抜け出し、淡雪の様子を伺う。
豆電球の明かりでも十分分かる、きれいな寝顔。良助は、息を飲んでそれを数分じっと見つめた。
翌朝。良助は寝不足を抱えたまま起床。淡雪も今起きたところだった。
半日淡雪と一緒にいて、分かったことがある。
淡雪は、自分のことがまるでできない。できないというと語弊がある。
家事全般はなんでもこなせる。頼んだことは、てきぱき片づけた。洗濯はしわなく干したし、朝ごはんも冷蔵庫の中身で作ってくれた。
良助の分だけ。綺麗に洗濯を干して、朝ごはんを作ったのだ。
自分の衣類は、しわになったまま適当に竿にかけていた。朝ごはんも、淡雪自身の分は用意していない。
「ちょ、ちょっと待って! おかしいって! なんで自分の服は適当で、朝ごはんは用意しないの?」
用意してくれたベーコンエッグを箸で割って半分に割き、お皿に取り分けつつ良助は洗濯物を畳む淡雪に声を飛ばした。
「え? お兄さんの家やから。お金払ってないし。そうそう、昨日のパンツ代ちょっと待ってもらっていい? 今お金なくってさぁ。来週ここ出て、ひと晩待ってほしい。お客ハントに成功したらお金入るから」
当たり前みたいに、淡雪は売春する気でいる。
「いいよそんなことしなくて! てか、帰る家ってないのか?」
帰る家があるのか。それを聞いて、淡雪の表情が一瞬固くなった。
「……あー、水もらっていい? 朝の薬飲みたい」
ニコニコと笑い、昨日使ったコップをゆすいで水道水をコップに流し入れる。
「ごまかすな。家はないのか」
まさかホームレスなのかと、良助の脳裏に不安がよぎった。
コップの水を口に流し込み上を向いて、昨日と同じようにぼとぼとと錠剤をいくつも口の中に落とし込み、淡雪はそれを飲み下した。
上を向いたまま飲みこんだため、淡雪の喉仏が大きく上下する。良助はそれを食い入るように見た。
「家はある。実家暮らし。でも帰りたくない。迷惑なら、ここから出ていく」
これ以上触れないでくれという、淡雪の鋭い視線と小さな声。
「迷惑なんかじゃないんだけど、家に帰らないと親御さんが心配しないか?」
焦って淡雪の様子を伺いつつ、少し顔を覗き込むようにして調子を取るように良助は話す。
「親も姉貴も、心配なんかせんやろ。家事と育児の戦力がおらんから、そこは不満かもしれんね」
陰のある、希望のない声。投げやりなセリフ。温度も湿度もない、乾燥した声。"そんなことない"なんて愚かな言葉が、良助の口の中に飛び出て声にならず腹の底に落ちていった。
淡雪は、自分のことを良助の想像を凌駕するほど話さない。
朝ごはんを食べた後に行った買い物で、自分の服とパンツのサイズを把握しておらず、良助が全て買いそろえた。
好きな食べ物を聞いても、「ない」としか答えない。昼は外食にしようと店に入ったが、オーダーせず良助が淡雪の分まで頼んだ。食べていいと言わなければ食べず、淡雪は積極的に食事を良助の皿に移したがる。好き嫌いなのかと思い声をかけると、「お金持ってないから……」と遠慮がちに笑って言った。
歯ブラシと歯磨き粉を買うときも、好きなのを選んでいいと言っているのに、「お金持ってないもん」と買い渋る始末。
人間を過度に恐れていないけど信頼はしておらず、なかなか近寄ってこない捨て猫のよう。
お金を持っていない。それにも大いに疑問を抱くわけだが、どうして淡雪は人になついていないのか。
土曜の終わり。風呂を済ませてダラダラしている時間。テレビをぼーっと眺める淡雪の隣に、良助が腰を下ろした。
「そういえば君、仕事は?」
良助に声をかけられ、ちょっとぼんやりなりつつ淡雪は良助の方に視線を向けた。
「仕事、は…、保育士。ここから歩いて行ける場所にある保育園で、パート勤務。すんません、薬が切れててぼーっとなってる」
ぽかんと口を開けながら、淡雪はうわごとのように話した。外出しているときはシャキシャキしていて笑顔だった。一日3回の薬の切れ目で、どうやら淡雪はこうなってしまうらしい。
「大丈夫? 月曜は仕事?」
「そうですね……、あ、月曜には出ていくんで……。あの、買ってもらったもんのレシートください。あとでお金返しに来ます」
こんな状態なのに、仕事に行くし出ていく気でいるらしい。
「出ていくなよ。ここにいていい。体なんか売るな。俺が面倒見るから、ちょっとゆっくりしろよ」
放っておけない。このまま、じゃあさようなら、なんて。そんなことできない。
多分ここじゃなくても、この子は上手くやっていけるんだと思う。家事も料理もできる。見た目だっていい。
でも、ここで手放してしまうと、またきっと体を売る。家に帰らない理由は分からないけど、帰ってなさそうなことくらい察しがついた。家で青年をかくまうなんて、どうにかしてる。分かってる。
でも、感情が抑えられなかった。
「でも俺、お金持ってなくて……」
「金なんていい。君一人くらい、食わしていける。おじさんをなめるな」
そんな貧乏じゃないわと、ちょっと胸を張った、おじさんの威厳を見せたかったのだ。
「なめてない。怖い……、なんで怒るん?」
良助のそれを見て淡雪が怯えてしまい、そんなつもりじゃなかったので良助は即座に慌てふためく。
「あのごめん、脅す気はなくて……!」
自分の言葉を否定して淡雪をなだめるのも、なんだかなとも思う。完全に淡雪のペースに飲まれているような気がしてならない。
こんな調子で週末が終わり、迎えた週明け。2人の日常が始まる。
週明けには出ていく。ワンナイトでお金が入れば今まで買ってもらったものの支払いができて、全部チャラにできる。それが当たり前の思考だった淡雪。淡雪に身体なんて売ってほしくない良助は、なんとか淡雪を自分が暮らす社宅に留まるよう声をかけた。これから始まる同居生活で、淡雪の現状が徐々に明らかになっていく――。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




