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第2話 捨て猫は病んでいた

酔いつぶれていた青年を、おんぶして連れ帰った良助。酒に酔った男は陽気に良助と話をしていたはずだったが……。

 

 男をおぶったまま夜道を歩き、アパートに到着。15分ほど歩いた。おぶっているからだろう、成人男性にしてはえらく軽く感じた。

 鍵を開けて部屋に入る。電気をつけると、おぶった男がちょっと身じろぎした。

「んんー……、明るいな……」

酒とゲロのにおい。ひとまず悪臭と服に付いたゲロをどうにかすべく、男をおぶったまま彼の靴を脱がせて玄関に落とす。ゴトゴトっと靴が転がる音がして、良助も靴を脱ぎ、ワンルームの部屋に入った。


 男をテーブルの近くにある座椅子の上に下ろし、自分の汚れたシャツをすぐに脱ぐ。洗面所で汚れを洗い流して、すぐにドラム式洗濯機にシャツを投げ入れた。このまま洗濯してしまいたい。

「おにーさーん、どっちがどうします~?」

男が洗面所に行った良助に声を飛ばした。ちょっとくらい待てないのかよと思いながら、良助は半裸でリビングに戻った。

「なーんや。やる気やないっすかぁ」

へらへらと笑う男。明るい場所で見てみると、顔はすごく整っている。中性的で、それでいてオスっぽくて。モテるだろうなと分かる。

「そんな気はないよ」

良助が呆れながら男に告げると、彼は目を丸くした。

「……なんで俺のこと拾ったん?」

なんで。問われてみて、そういえば明確な理由はないと気づく。体調が悪かったなら、あの場で背中をさすって水でも買って渡して立ち去ればよかったし、知らん顔して行き過ぎることだってできたはず。どうして俺は、こんな素性もしれない男を連れ帰ってしまったのか。


 男は目を丸くして、首を傾げつつ良助を見上げている。

 この男の名前も知らない。そして、良助自身、自分の気持ちも分からずにいる。

「君はどうして、あんなところで酒を飲んで吐いてたの?」

自分のこの名前のない気持ちを悟られないよう、良助は彼に質問を返した。

「お兄さん、あの道意味わかってないまま歩いてたん?」

「なにか意味がある道なのか?」

二人の間に、変な沈黙が流れた。なにも知らずに地下道を通ったおっさんから拾われる日が来るなんて思ってなくて、男は力の抜けた笑い声をあげた。その笑顔は幼く、電気のせいか肌の白さが際立っているように良助の目に映った。

「マジか! あの道はなぁ、ワンナイトの相手を探す道なんよ。この街の地下道はそういう人がゴロゴロおる。俺もそう。今日の夜の相手と宿を探しながら、酒飲んで吐いてた。みたところ観光客でも地元民でもないな。シャツもゲロかけてしまって、悪いことした。ごめんな」

そういって、男は立ち上がり、千鳥足のままフラフラとドアへ向かって歩いていく。慌てて良助が男を引き留めるべく、前を歩いて行き過ぎる彼の手首をつかんだ。

「ちょ、ど、どこに行くの?」

掴んだ男の手首は、女かと思うほど細かった。


 振り返った男の横顔に、不本意ながら見入って息を飲む。すごくきれいだと思った。心臓が痛いくらい強く鼓動して、一瞬どうにかなってしまったかと思うほど。今まで経験したことがない、心臓の脈の打ち方をした。


「どこ行くって、俺がここにおっても仕方ないやん。お兄さんやって、こんなわけわからんゲロ男が家におったら迷惑やろうし。おぶってくれてありがとう」

そういってふわりと微笑み、男が再度良助に背を向ける。

「か、体の関係は求めてない! でも君のことが心配で……、それでここまでおぶってきたんだよ! えっと、行く先が決まってないなら週末だけでもここに泊まらないか?」

俺は必死になって、なにを言ってるんだろう。どうしてか、この男に家を出て行ってほしくない。男も男で、振り向いて良助を見てきょとんとしている。

「そういう性癖なん? 軟禁とかは勘弁してほしいんけど」

「そういうんじゃないよ! 君が吐いてて心配だったんだ。吐いたものの中に、白い錠剤みたいなのも混じってたし……」

良助のそれを聞いて、男は小首をかしげた。

「しんぱい? 俺を?」

「そ、そうだよ」

「なんで?」

ずばりそうだ。なぜ心配なのか。相手から疑問を持たれて当然だし、自分でもそこがわからずにいる。

「だって、道端で酒飲んで吐いてるんだから、人として心配になるのは当然だよ!」

必死にそう言って自分に食らいつく良助を見て、男はさらにわからないという顔をする。

「変な人。今まであの場所でゲロってて、心配なんかされたことないから怖いな。本当に軟禁とかせん?」

「しないよ……」

凄いことを疑われてしまっていて、それはそれで心外である。男の疑いの目。そりゃそうだと思う反面、そんな目でこっちを見ないでくれとも思う。



 親切心。そう、これは世間一般の人が抱くソレだろう。間違いない。都合よく浮かんだ自分の中の言い訳を、あたかも当たり前のように自分の脳に無理やりにでも刷り込んでいく。

「お世話になっていいなら居させてください。行き場もないし」

彼は振り向き、斜め下に視線を泳がせて少し口を尖らせて、小さな声でぼそぼそと言った。

「名前を聞いてなかった。あと年齢も。家に連絡しなくていいの?」

家にこの男が泊まるとわかると、良助自身不思議なくらい急に面倒な大人みたいな態度を取ってしまった。良助のそれを聞き、やはり男はちょっと眉間にしわを寄せる。急に大人面されれば、そりゃ面倒だと思われても仕方がない。


「……四季(しき)淡雪(あわゆき)です。20歳」

家庭のことには触れず、淡雪は上目遣いでじっと良助を見上げる。

「成人してたのか」

「やないと酒買えんやない?」

淡雪のそれに良助は、なるほどと納得。その心理状態はしっかり顔に出ていたようで、淡雪がまた笑みをこぼした。

「お兄さんのお名前と歳は?だいぶ年上なんかな」

淡雪に問われ、そういえば自分は自己紹介していないと気づく。

「橘良助、42歳。会社員で短期単身赴任でこっちに来ました」

「やっぱだいぶ上か。22個上は初めてかも。じゃあ他県の人なんやね。週末だけ、お世話になります」

このとき話した淡雪は、たしかに笑顔でこういったのだ。その笑顔があまりにも綺麗で、肌の白さもあって淡くほのかに染まった頬のピンク色がすごく印象的だった。




 良助は風呂に入る前、淡雪に着替えのシャツとコップに水を入れて渡し、先にシャワーを済ませた。

 ゲロを浴びたので頭も洗って、濡れた髪をタオルで拭きつつリビングに入ると、コップの水を飲みほして、シャツを自分の隣に置き膝を抱えて壁と向かい合わせに座る淡雪がいた。

「……風呂、どうぞ」

さっきまでの陽気な雰囲気は背中越しでもわかるほど消え去っていて、良助は戸惑いつつ淡雪に声をかける。急に暴れたり、窃盗なんかを起こしたらどうしようかと一瞬内心焦ってみたが、そうなったら諦めるしかない。自分が淡雪をこの家に入れたのだ。

 ゆるりと振り返った淡雪は、酔いが醒めたのだろう、うつろい目をして今にも死にそうな顔でこちらを見ている。


――なんだ? 急にどうしたんだよ


さっきまで笑ってたはずだっただけに、淡雪の表情の落差に良助は息を飲み慌てる。

「……風呂、一人で入っていいん?」

まるで別人のよう。低く、よどんだ声。なにも信用しないという、奥底に闇を抱えた瞳。

「一人で入る以外……、なにがあるの?」

怯えきっている良助の様子を見て、淡雪はうつむきひとつ息をついた。

「ごめん。メン落ちしてる。さっき薬全部吐いてしまって、まだ予備飲んでない。水ください」

淡雪のそれを聞いて、怯えつつそそくさと先ほど淡雪に差し出したコップを回収し、水道水を注ぐ。

「メン落ちってどういう意味? 初めて聞く言葉で意味が分からなくって」

コップに水を溜めつつ、淡雪に背を向けたまま良助は問う。なにを話していいかわからなくて、場の空気を変えたくて。なんだかわからない焦りで、一気に心のゆとりがなくなっていた。

「メン落ちは、メンタル落ち。精神疾患なんで、薬が切れるとこんな感じになる。すんません、暗くって。薬飲んだら持ち直しますんで」

淡雪が言っている言葉の意味がよくわからないが、普通の精神状態じゃないのだけは分かる。良助はコップの8割くらいまで水を入れて、淡雪に差し出した。それを受け取り、ポケットに入っていた薬のシートを取り出して、いくつも錠剤を開けて、口に放り込んで水で流し込む。


 薬を飲んでもすぐに効くわけもなく、しばらく淡雪は喋らず、その場で膝を抱え込んでうなだれたままになっていた。


 捨て猫は、心を病んでいた。


風呂から出て、淡雪の薬切れに初めて直面した良助。今まで精神疾患とは無縁の生活を送ってきた良助にとって、短時間での淡雪の変化は驚きを感じずにはいられなかった。


評価などいただけると嬉しいです。

活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。

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