第24話 写真屋さんになった淡雪
写真館に勤務し始めて、少しずつ業務に慣れていった淡雪。そして迎えた3月。淡雪は以前自分が勤めていた保育園の卒園式に、写真屋さんとして参加することになった。
保育士として働いていたとき、労働は辛いことが大前提だと思っていた。それはきっと間違ってなかったし、それがあったから良助と出会う前の園で勤務できたのだろう。
今振り返ると、あのときの自分は絶対に常軌を逸していた。
職場でいじめられるのは当たり前で、自分がいじめられることで職場がうまく回るならそれでいい。家に帰れば甥と姪がおなかをすかせて待っていて、誰も家事と育児をしない。姉と母からは手足のように使われ、給与も全額吸い上げられ、それを知っていても父はなにも言わず。
逃げ場と金がなくて体を売っていた半年間、誰もなにも言わなかった。気付いていたのだろう。汚いものを見るような視線を、家族から向けられ続けた。元々居場所はなかったから、なんとも思わなかった。体を売って得た金は酒と薬とスマホの支払いに消え、常に金欠。よく生きてたと思う。
こんな風に過去を振り返ることができる日が来るなんて、淡雪自身想像もしていなかった。
現状が辛くても、未来は変わる。永遠に辛いことの繰り返しではない。
自分が変わるための一歩を、自分で踏み出す勇気を持てた。そしてその一歩を、快く迎え入れてくれる人たちがいた。本当に幸運なことだと、感謝してもしつくせない。
仕事を始めてすぐの頃は、やはり不安が大きかった。一つのミスでクビになる。一つのミスで失望される。前勤めていた園の主任の弟夫婦の元で働くということは、それなりの高い緊張を生む。失望されたくない。見放されたくない。もういじめられたくないし、自分の不出来で人の迷惑をかけたくない。
いろんな感情が渦巻き、仕事を始めて早々一度だけ仕事を休んだことがある。
すぐに店主である主任の弟さんから電話がかかってきて、凄く心配してくれた。裏があるんじゃないかと一瞬思ったけど、それを覆すほど心配されてた。休んで申し訳ない気持ちでいっぱいになって、何度も電話口で淡雪は頭を下げた。
「分からないことだらけだと思うから、なんでも何度でも質問してね。従業員は四季君だけだし、特別忙しくなければしっかり教えるから。私たち夫婦は子どもが出来なかったから、四季君が来てくれるようになってすごく嬉しい。あれだけの腕があるんだから、自信が持てるようサポートするからね」
腕を買われている。プレッシャーがないわけじゃなかった。でも、嬉しい気持ちが勝っていたから、頑張れたんだと思う。
仕事を始めて、淡雪の体調は波があれど無理なく勤務を継続している。
これは良助にとってもすごく嬉しい事だった。傷ついても自分がカバーすればいいという気持ちで、淡雪のことを見守る日々。一日だけ調子が悪くなって休んだけど、ごはんも食べてたし、電話をもらったようで良助が帰ったときにはかなり状態が安定していた。
淡雪が仕事をし始めた写真館は、とても狭くてこぢんまりしている。主任の弟夫婦である佐々木さんは、とても朗らかで優しさの塊みたいな人たち。良助よりももう少し上の年代の人なので、淡雪との年齢差は親子よりも若干離れている。
それもあって、淡雪の持病のことや事情なんかも丸ごと受け止めてくれているのかもしれない。最初こそ淡雪は不安一色だったが、仕事に行き始めて1か月ほど経過して徐々に表情が柔らかくなってきた。
「今日ね、仕事でさぁ」
淡雪が仕事の話を笑顔でしてくれる。良助にとって、これほど嬉しいことはない。
晩ごはんを食べ終えて、お風呂が溜まるまでの間。いつものように2人並んでソファに座って今日あったことを話す。
同棲し始めてこっちに引っ越してきて、風呂が溜まるまでのこの時間は、良助が話しの主導権を握ってきた。今日はなにしてた? 調子はどうだった? 今度はどこにドライブに行こうか。テレビの話題なんかもはさみながら、淡雪が笑ってくれるようにと話題を選んで、淡雪の頭をなでて肩を抱いてキスをして。そんな時間だった。
淡雪が仕事を始めて表情が柔らかくなってきたあたりから、淡雪が仕事の話をする時間に変わった。仕事のことを話す淡雪は、目がキラキラしていて、いきいきしているのがありあり伝わる。
新しく教えてもらったこと。
これができるようになった。褒めてもらった。
声を弾ませる淡雪を見ると、良助は素直に嬉しい。
保育の仕事をしているとき、仕事の話は一切しなかった。子どもは好きだと言っていたが、それ以上のことは自主的に話していない。いじめられていたのが発覚したときも、園に行けなくなったときも、淡雪から仕事の具体的な話を聞いたことはなかった。
楽しかったことなんて、全く聞いたことがない。
でも今こうして目の前にいる淡雪は、仕事の話を笑顔でしている。
カメラのことは、よくわからな。でも淡雪は、夢中でものすごくオタクっぽいカメラ関連のメカの話をしてくれる。なるほどわからんと感じる反面、いいぞもっと話せとも思う。
できることが増える嬉しさ。褒めてもらう喜び。人間であれば当たり前に得る小さな幸福を、淡雪は毎日満腹になるまで仕事を通して得ている。
家庭では得られないものだからこそ、外部でいい刺激を受けて、自分の存在価値の高さみたいなものを適切に得てほしい。
淡雪の話が一段落して、良助はすぐ隣に座る淡雪を抱き込んだ。淡雪は良助のそれに、すんなり身をゆだねる。温かくて大きな良助の腕の中が大好き。腕の中から見上げる良助の笑顔を見るのは、もっと大好き。
「淡雪はすごいね。どんどんいろんなことができるようになっていく」
優しい声。その向こうに滲む、ほのかで確実な嫉妬心。
仕事の話をすると、良助は嬉しそうに聞いてくれる。でも長い時間同じ空間に居られる佐々木さんに、ちょっと嫉妬するとも言っていた。そんなことあるわけないと思っていたが、どうやら本当らしい。
「佐々木さんは教えるんが上手なんと思う。俺はずっと褒められてて、ちょっといい気になってる」
良助の独占欲を猫じゃらしでくすぐるように、優しく顎下をなでる言葉をかける。
「佐々木さんには恩しかないのに、どうしても嫉妬する気持ちが抑えられない俺は、やっぱりダメなおじさんだな」
「ダメなおじさんのことを心底愛してる俺は、もっとダメなんかもわからんね」
触れるだけのキスを皮切りに、深くキスを重ねる。鼻から抜ける淡雪の甘い声が良助の耳元でこぼれ、もっともっととせがむ。
こんなことをしてるから風呂がぬるくなるのだ。
でも火がついてるから、お互い収まらず。ソファで致し、お風呂で致し。ベッドでも熱い夜を過ごして、泥のように寝る。金曜の夜だけの、濃度の高い大人のまぐわい。
一緒に暮らし始めて、もう1年が経った。もうすぐ指輪も出来上がる。先日養子縁組の手続きも済ませた。
順風満帆とは、恐らくこのことをいうのだろう。
大人だからこそ、これが長く続くためになにをすべきか、2人それぞれ考えながら相手を大事にする毎日を積み重ねている。
3月中旬。土曜日の早朝。
淡雪にとって大きな仕事のヤマがきた。
「あー緊張する。緊張して心臓どうかなる」
スーツに身を包み、いつもより早い時間に身支度を済ませた。普段淡雪はスーツなんて着ない。でもこれから長く仕事をするなら、必ず必要になる。初任給で買ったスーツに身を包んだ淡雪は、ちょっと大人っぽく見えた。緊張しすぎて、顔は真っ白になっている。
「大丈夫。絶対うまくいくよ。佐々木さんの指示をよく聞いて、たくさんいい写真撮ってきてね」
まだ上下スウェットで寝ぐせがついている良助に、玄関まで見送ってもらう。声をかけて励ましてくれてるけど、淡雪にそれを飲みこむ心のゆとりはない。
「昼過ぎくらいには帰ります」
「昼の準備は任せて。気をつけてね!」
良助から背中を押され、緊張で吐きそうになりながら淡雪は家を出て車に乗った。
今日は初めて、卒園式の写真撮影を経験する。お世話になった主任がいる、以前淡雪が働いていた保育園の卒園式での仕事。緊張しないわけがない。
一度スタジオに行き、機材と入園許可証の確認を行う。
「緊張しなくて大丈夫だからね。集合写真と、お歌を歌ってるときのお写真。それからクラスでの写真撮影なんかをするんだけど」
佐々木夫婦のバンの後部座席に乗った淡雪は、佐々木さんの旦那さんが話していることが耳に入らないくらい、恐ろしいほど緊張していた。冷や汗が手のひらに滲み、まだ顔は真っ白のまま。運転しつつ、バックミラーで佐々木さんが淡雪の様子を伺う。
「なにが一番不安だい?」
淡雪の写真の腕は確かなのだ。大賞を取った写真を確認し、勤務し始めて家族写真の撮影を頼んだときも、とてもいい写真を撮った。遊びでその辺の風景を撮ってくるよう声をかけたら、小雪が舞う曇天の空模様を撮ってきた。コンテストで賞を取った腕の持ち主でなければ撮れないような、見事な写真だった。
そのときの写真を褒めて、仕事ぶりも褒めているので、恐らく写真撮影そのものがこの緊張を呼んでいるわけではないだろうと、佐々木さんは淡雪に声をかけた。
緊張しすぎると、それが子どもにも伝わる。この緊張はあまりいいものではないので、それをなんとか少しでもほぐしたい。子どもの為、そして座席で小さくなっている淡雪の為。なんとかしなければならない。
「……主任に、申し訳なくて。合わせる顔がないです……。園辞めてしまって、先生方にも迷惑をかけてしまって。子どもたちやって急におらんなった人が来たら、怖くて泣くかもわからんし……」
声を震わせながらも、淡雪はしっかり自分の気持ちを佐々木さんに伝えた。
「そんなの気にしなくていいの! 今四季君は先生じゃなくて写真屋さんなんだから。なにか言われても、気にしなくていいんだよ。それにね、四季君の勤務態度に問題があって辞めたなら、四季君を連れてこないでくれって一言園から依頼される。ぜひ来てくださいって、向こうから言ってきたんだ。袋叩きにしようなんて思ってない。だって今日は、かわいい子どもたちの卒園式なんだから。主役は子どもたちだよ! 四季君は輝く今日という日を、写真に収めなきゃならない。自信をもって。大丈夫だからね」
励ましてもらっているが、あまりそれを素直に飲み込む余裕がない。「ありがとうございます……」と、蚊の鳴く言うな声で答えることしか出来なかった。
園に到着して、顔を知った先生と挨拶を交わす。どんな顔をすればいいかわからないまま頭を下げていると、子どもたちの声が聞こえてきた。
「あー! 写真屋のおじちゃんとおばちゃん! ……四季先生っ、みんな四季先生がきてる!!」
年長の男の子が大騒ぎしてしまい、保育室から子どもたちが一気に出てきた。
「四季先生ー! 卒園式来てくれたの?!」
「会いたかった、先生!」
子どもたちは優しい。純粋で、曇りのない目をしている。かけてくれる言葉も嘘がない。
「俺も……、会いたかったよ!」
泣いちゃダメだとわかってたのに、卒園式が始まる前に子どもたちを抱えて淡雪の涙腺が崩壊した。
関りを持った子どもたちの卒園。それを淡雪は今日初めて体験した。
子どもたちが体育館に入場した時点でウルウルしたし、在園児の言葉で涙は溢れ、子どもたちの歌を聴いて涙腺がまた壊れ、それでもシャッターを押し。集合写真を撮る頃には、保護者より泣いたんじゃないかと思えるほど、淡雪の目は腫れていた。
園児と保護者が各クラスに散って先生のお話を聞く最中も、写真を撮りながら音もなく号泣し、泣いて笑ってクラスの集合写真を撮った。
保護者からも心配されるくらい泣きに泣いて、先生たちからも声をかけられた。
「来月の入園式も、ぜひ来てください!」
恨まれてない。それだけで十分だった。先生たちの言葉が優しくてまた泣いて、頭を下げて園を後にした。
昼過ぎ。
淡雪が泣き腫らして帰ってきて、良助はギョッとした。なにがあったか聞いてみれば、卒園式があまりによすぎて涙が止まらなかったとのこと。
「お˝れ˝、ごのじごどづづげる˝……!」
卒園式のことがぶり返したのか、家でもおいおい泣きながら、淡雪は良助に抱き着いてこんなことを言う。
「そうだね。いい仕事に巡り合えてよかった」
淡雪の泣き顔につられて、良助も安堵の涙をこぼした。
卒園式で得た経験は、淡雪の今までの人生で得られることがなかったものだった。泣き腫らすほどの経験を経て、淡雪は自分の天職を見出したのだった。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




