第23話 もう一度外へ
少しずつメンタル面が安定してきた淡雪宛てに、一通の封筒が届く。この封筒が、淡雪のこれからを左右することになる――。
11月初旬。仕事を終えた良助が家に帰ってきた。
「ただいまー」
良助の声を聞いて、すぐに淡雪がリビングから出てきて玄関まで駆け寄る。
「おかえり」
先日買ったちょっとサイズが大きなセーターでのお出迎え。かわいい。疲れが吹っ飛ぶ。
「ただいま~。疲れたよ~淡雪~」
淡雪に鞄を預け、靴を脱いでガバーッと淡雪に抱き着く。信じられないような甘え方をしてしまっているが、愛されてるので許されるのだ。
「良助さんかわいいなぁ。外でやったらパンチやね」
「外でやったら逮捕されるよ」
「お縄はいかん」
軽口をたたき合えるようにまで回復した。
ポストに入っていた封筒を淡雪に渡し、良助は着替えに行った。淡雪宛ての封筒。親でも親族でもない。宛先を見ても、なんのことだかよくわからない。テーブルの近くまで歩いて行き、淡雪は封筒の上部を薄くはさみで切って中身を取り出した。
「どこからのお手紙?」
スウェットに着替えた良助が、リビングに入って淡雪に問いかける。
「なんやろね。紙が入ってた」
どれどれと三つ折りになっていた紙を広げ、淡雪の手にある封筒を良助がそっともらう。宛先を見てみると、どこかで見たような宛先だった。
どこで見たっけ。
良助は思考をこらす。覚えているということは、多分そんな遠い記憶ではないのだ。そしてちゃんと覚えとかなきゃならないと思ってこの宛先を読んだことになる。おじさんって生き物は、読んだものをすぐ忘れる。大事だなと思ったことは覚えているが、なんで大事だと思ったか、その理由までは覚えていないことがあまりに多い。
――どこで見たっけなぁ
住所だけでは、なんの情報かわからない。淡雪が手に持っている紙の中を覗こうとしたら、淡雪が良助の方にバッと勢いよく視線を移した。
「おぉ、どうした?」
淡雪の驚いた顔につられ、良助はなにも分かってないのにちょっと驚く。淡雪の手から、封筒の中に入っていた紙が良助の手に渡った。
「良助さん! 写真コンテスト、最優秀賞取ったっぽい!」
テーマは『大切な冬のひとコマ』だった。良助との旅行で撮った、良助のへらへらっとした自然な笑顔。マフラーをしていて、缶コーヒーなんて飲んでいて。緩やかで、温かさが滲む、良助が今にも話しかけて着そうな一枚。
冬の旅行は初めてだったし、気温が低かったから外でもずっと密着していた。
好きな人との旅行そのものが初めてだったから、浮かれてたくさん写真を撮って、コンテストに出すものを選ぶのが大変だった。一番いい写真だと確信はしてたけど、まさかこんな大きな賞が取れるなんて思ってもみず。淡雪は、喜びよりも驚きが圧倒的に勝っている。
目だけは輝いているものの、顔全体はぽかんとなっている淡雪が、良助の目に映る。初めて見るその表情が、ものすごくかわいらしくてならない。
「すごいよ淡雪! もっと喜べよー!」
どうしていいかわからない淡雪を、勢いに任せて抱きしめる。こっちを見上げる淡雪の額に、チョンと振れるだけのキスを落とした。
良助が大喜びしている様子を見ていて、淡雪も徐々に実感がわく。賞を取った。良助とのあの旅行で撮った写真が、賞を取ったのだ。
「良助さんがかっこいいから賞取れた!」
「どう考えても淡雪の腕がよかったからだよ」
こんなどこにでもいるようなおじさんを、輝かせる写真を撮るのだ。淡雪の実力というほかない。
ドライブに行ったときの写真も、いくつか別のコンクールに出した。出した写真すべてとまではいかないものの、かなり高確率で佳作を取った通知と電話が来た。年末に向けて嬉しいことが続き、少しだけ淡雪は自信を持った。生きていいという自信。自分にはこれがあるんだという自信を持つことで、淡雪の表情は少しずつ輝き始めたように良助は感じる。
年末年始を経て、良助の冬休みが終わり、いつも通りの日常が戻ってきた。正月太りした良助のために、ちょっとヘルシーなおかずを考えながら、家事をこなす。洗濯物を干してテーブルに置いていたスマホちらっと見ると、ランプが点滅していた。
淡雪はSNSをやらない。そもそもアプリそのものをほとんど入れていないので、スマホのランプ点滅は基本的には着信となる。良助がどこか悪くして帰ってくるのかと、急いでスマホを手に取り操作した。
「んー……」
着信で間違いない。でも電話をかけてきたのは、良助ではなかった。
電話をかけてきたのは、以前淡雪が勤務していた保育園だった。
荷物を置きっぱなしにしていたのか。いや、そんなはずない。良助が取りに行ってくれた。
なにか問題がある行動をとってしまっていて、それが今になって明るみになったのか。その線もないだろう。退職して時間が経ちすぎている。
間違い電話をかけたのかもしれないと一瞬思ったが、そんなことあるか? と、疑問を持たずにはいられなかった。
電話を掛け直した方がいい。それは分かる。分かるけど勇気が出ない。なにを言われるかわからないし、もし万が一言われようのない叱責を受けたとしても、多分「すみません」と飲み込んでしまう。自分がやってないことや関わっていないことであっても、こちらに火の粉が飛んで来たら謝罪する。やめなければと思っているのに、なかなかやめられない。
いろいろ悩んでいると、あっという間に夕方。買い物に行っても電話のことが頭から離れず、必要なものを買い忘れ不要なものを買ってしまいとてんやわんや。
落ち着かなきゃと自分にい聞かせていても、それができるほど器用でもない。注意散漫になって小さなミスが重なり、鍋は吹きこぼすし、洗濯物は入れ忘れるしとバタバタしていたら良助が帰ってきた。
玄関まで良助を迎えに行こうとした瞬間、晩ごはんを作っていた淡雪の手の先が作業台の淵に置いていた包丁に触れる。あっ! と思ったが時すでに遅しで、良助がリビングのドアを開けたと同時にカシャーンと音を立てて包丁が淡雪の足の真横に転落。
「だ、大丈夫?! けがしてない?」
良助は鞄を投げて、すぐに淡雪が立ち尽くしている台所にすっ飛んできた。
「良助さん……。俺今日なんもできてなくて……」
良助の顔を見たら安心してしまい、淡雪がボロボロ泣き始める。
「そういう日だってあるよ。一緒にやるから気にしないで。怪我がなくてよかった」
淡雪の隣に落っこちた包丁を拾って立ち上がると、鍋が噴きこぼれた後があり、ベランダを見てみると洗濯物もまだ出ている。あたりは真っ暗。淡雪の心が大きく動揺するなにかあったと、良助でも容易に想像できた。
ひとまず淡雪をソファに座らせ、お湯を飲ませて落ち着かせる。その間に良助は鍋を洗ってコンロの掃除をして、洗濯物を入れた。
洗濯は籠に入れっぱなしだが、すぐ淡雪の隣に座る。
「今日はどうした? なにかイヤなことでもあった?」
良助から問われ、淡雪はしょげたまま少し沈黙。待ってあげることが大事だと、精神科の医師が言っていたのを思い出し、良助はそっと淡雪の肩を抱く。
しばらく経って、淡雪が口を開いた。
「……今日の朝、やめた保育園から着信が入ってて」
沈んだ小さな声で、淡雪はぼそぼそっと話す。
「それはびっくりしたね。かけ直した?」
良助の声に、淡雪はうつむいたままゆっくり横に首を振った。
「そうか。怖くてかけ直せなかった?」
その問いかけに淡雪は頷き、自分の不出来な部分を責める。
「そればっかり気になって、今日本当になにもできてない。俺はずっとこんな調子やから、良助さんに迷惑ばっかりかけてしまって」
「大丈夫、もう大丈夫だから。そんな自分を責めないの。明日の昼、俺から電話をかけてみるよ。気にしすぎないで」
淡雪はネガティブな話をし始めると、止まらなくなることが多い。自分の落ち込んだ声を聞いて、さらに落ち込む。だから淡雪のネガティブな声を良助は優しく断ち切って、その分安心できるようにしっかり抱きしめた。
不安が残る翌朝。
良助は淡雪を家に置いて、仕事に向かった。淡雪がどこかに行ってしまわないよう、崩れてしまわないよう、ちょっとした休憩時間、5分だけでも電話をかけて話す。
昼頃良助のスマホから園に電話を入れると、すぐに主任が出た。
「お忙しいところ申し訳ございません、昨日、四季淡雪の携帯に着信があったと聞きまして」
「電話をかけましたが、四季先生お忙しかったみたいで……。申し訳ございません。どこかお勤めに?」
主任の声は、本当に申し訳なさそうな声だった。
「いえ、勤めには出ていませんが、まだ精神的な面での揺らぎが大きい状態でして」
淡雪を理不尽に叱ろうとか、そういう感じは主任からは感じない。
「そうですか。実は保育園の教師に急に欠員が出てしまい、四季先生になんとか助っ人を頼めないかと思いまして。まだ難しい段階でしょうか?」
切実な悩みであるのが、主任からひしひしと伝わる。
「そうですね、ちょっとまだ厳しいかもしれません」
淡雪はこの話を聞いたら、恐らく園に行くと言っただろう。でも昨日のあの様子では、恐らく保育関連の場所で勤め始めるとまた精神的に病んでしまう。
「わかしました。電話を入れてしまい、大変申し訳ございません」
「いえいえそんな」
会話の合間。一瞬、沈黙が流れた。
「……あの、四季先生ってもしかして写真コンクールで大賞取りましたか?」
主任からの思わぬ問いかけ。とっさに良助はなんと返せばいいかわからず、ほんの少し間が開く。
「ど、どうしてご存知なんですか?」
驚きすぎて良助の声がひっくり返り、動揺して淡雪が賞を取ったことをあっさり認める始末。
「四季先生、苗字もお名前も珍しいので、もしかするとと思いまして。私の弟夫婦が写真館を経営していて、ちょうどカメラマンを一名探してるんです。弟夫婦は市内の幼稚園や保育園と提携している写真屋さんでして、各園の行事に参加して写真撮影をしてます。そのため子どもが好きな保育士資格を持つ人を、スタッフとして募集していて。もしよければ、そちらのお仕事も一度検討していただければと思います」
主任からの思わぬ提案。話しを聞けば、普段は家族写真の撮影などを行っており、写真館内はとても静からしい。園に行く日だけ子どもたちの中に入るが、子どもは子どもが好きな人の前でなければ笑顔が輝かないらしい。淡雪が子どもが好きなことと、写真の腕を見込んでの提案だった。
主任の提案は一度保留にして、仕事を終えて良助は帰宅。淡雪はどこにも行くことなく家に居て、今日は落ち着いて時間を過ごせたようだった。表情が明るく、笑顔も見られる。
晩ごはんを食べた後、淡雪をソファに座らせた。主任からの電話の内容を伝えると、淡雪は少し悩んでいた。
「保育士に戻るのは、正直怖い。でも、写真館ならもしかするとって気持ちはある。前みたいに鬱が悪くなったらって思うと怖いけど、働きたい気持ちはずっとある」
働きたい。自分も稼いで、良助に今までもらった幸せを少しでもお返ししたい。前みたいにお金がないからどうのという感情ではなく、働いて自信をもって良助と肩を並べて生きていきたい。
「一回精神科の先生としっかり相談して、それからどうするか決めよう。淡雪が働きたいなら、俺は止めない。でももう前みたいに無理をするのは、絶対なしだからね」
本音を言うと、淡雪には働いてほしくない。でも家に縛り付けるのは、淡雪にとって良くないこと。だから淡雪の意見を尊重しつつ、良助はしっかり自分の気持ちを淡雪に伝えた。
「約束する。無理はせん」
昔はどこか不安げだった淡雪の表情。今改めて話をしてみていると、かなりしっかりしたように良助は感じた。
精神科の主治医と検討を重ね、主任と主任の弟夫婦である写真館を経営する夫婦とも何度も話し合いをして、まずは週3日のパート勤務から開始することになった。
鬱に対して理解を示してくれた写真館のご夫婦には、頭が下がるばかり。
2月初めの平日。淡雪の初出勤の日。
「無理しないでね」
心配が顔面から滲む良助。
「ありがとう。無理はせんよ」
良助をなだめるように、淡雪は微笑んだ。
「いってきます!」
良助よりも5分早く、淡雪は笑顔で家を出た。
淡雪の小さくて大きな一歩。どうかうまくいきますようにと願いつつ、良助は淡雪の背を玄関で見送った。
子どもが好き。写真撮影の腕もある。そんな淡雪が足を踏み入れたのは、写真館での仕事だった。今まで踏み入れたことのない世界で、淡雪の奮闘が始まる。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




