第21話 俺の大好きな人
今まで聞くことが出いなかった、淡雪が抱く良助への想い。それに触れ、淡雪を回収した良助が取った行動とは。
泣き始めた淡雪が語ったのは、普段良助が聞くことができない淡雪の本音だった。
「俺の大好きな人はさぁ、病院に一緒に行ってくれるくらい優しい人なんよ」
「旅行やって連れてってくれて、趣味のカメラの腕も相当褒めちぎってくれて」
「大好きなんに、俺が大好きって言う前に相手が言っちゃってさ。俺は言われっぱなしで大事にされ続けてなぁ。あんなに大事にされてたんに、俺はなにも返せんまま甘えてしまった。やから女に流れたんかもしれん。俺がもっと自分の気持ちを言ってれば、この先も幸せやったんかもしれん」
こんな話を一人でして、淡雪はまた泣く。
「もう……俺は、あの家に帰る資格はない。どうしていいかわからんけど、なんとかやって行かないかん」
俺が淡雪を見つけてよかった。
俺じゃない誰かが淡雪を見つけてこの話を聞いてしまってたら、もしかすると淡雪は永遠に自分の元に戻ってこなかったかもしれない。行方知れずになって、どこの誰ともわからない人に抱かれ、またワンナイトの日々を送ってたのかもしれない。そうじゃなくて、拾った人から可愛がられて、明るい未来があった可能性もある。
どのみち、自分がこの先の淡雪の人生に関わることができない事態を招きかねなかったことが、良助はとにかく恐ろしくてならなかった。
酔った淡雪の回収は簡単で、すぐおんぶできた。グズグズ泣いていたけど、背中に乗ると安心したのか静かになった。
砂浜に足を取られて、ちょっと左右に揺れる。
「んあ~揺れるうぅ~。お兄さん、もうちょいスーッと歩いてくれぇ~」
前どこかで聞いたようなセリフだなと思う。たしか、淡雪を始めておんぶしたとき。会社の飲み会帰りで、俺はスーツを着てた。それで確か……。ゲボーっと、あのとき同様滝のように、淡雪が良助の肩経由で結構な量の嘔吐をぶちかます。
「あらららぁ。ごめんな、揺れて気持ち悪かったな」
あのときは淡雪を責めた。スーツだったし、ただの他人だったし。でも今は違う。淡雪のことが大事だと思う。できれば吐かせたくなかった。
「すま~ん」
淡雪本人は、あのときと同じでへらへらしていた。
駐車場に戻って、淡雪を自分の車の後部座席に乗せる。淡雪の車は鍵がかかっていて、明日回収することにして一旦今日はこのまま駐車場に置いていく。
「吐きそうになったら言えよー? 袋はその辺のやつ使っていいから」
「はあぁい」
目が開いてるのか、開いてないのか。俺のことを認識してるのか、してないのか。全然わからないまま淡雪を回収し、車を出す。片道5分の夜間ドライブ。こんなになるまで酒を飲んで、あんなに吐いて。薬のストックも、もしかするともうないかもしれない。
なんて考えてると、淡雪はあっという間に1ゲロ、2ゲロ。
「大丈夫かー? 帰ったら水飲もうな」
そんなに酔うほど、運転は荒くない。なにせほぼ一直線みたいな道筋なのだ。相当飲んだんだろうなと思うほかなかった。
家に帰ってトイレに淡雪を設置。そのまま置いて、着替えを探す。
――しまった。淡雪の車に淡雪のもん全部乗せたままだった
本当に家に淡雪のものがなくて、仕方なしに良助は自分の洗濯済みのパンツを履かせて、ゲロまみれの服を脱がせ、淡雪の体を濡れタオルで全身拭いて、洗濯しておいたシャツを着せた。
「寒い」
ポツンとつぶやいた淡雪を見てみると、唇が真っ青になって震えている。
「待ってな」
すぐスウェットを出して着せて、お湯を飲ませる。
「あー……。良助さんのにおいがする」
小さな声でそう言って、淡雪は気絶するようにトイレで眠り込んだ。
ベッドで吐かれては、正直しんどい。淡雪をソファに寝かせ、どこにも行かないようにと良助がソファの前に座って眠り込んだ淡雪の頬をなでる。
毛布を掛けて寝ているのに、汗ひとつかかず熟睡。風邪を引いたのかもしれないと、淡雪のおでこに触れた。幸い熱は出ていない。
時刻は夜中の手前。小さな音でテレビをつけて、淡雪が眠るソファに良助も腕を乗せて顔を突っ伏して、淡雪の手を握っていつの間にか眠った。
目が覚めると、コーヒーの香りがした。めちゃくちゃ頭が痛い。
昨日のことが全然思い出せない。目を開けるのもしんどい頭の痛さ。抱かれた記憶はないけど、訳が分からないうちに抱かれたかもしれないなと思う。久しぶりの酒はあまりにパンチが強くて、薬とのコンボは最悪だった。めちゃくちゃ吐いたのだけは覚えている。
頭痛が少し落ち着いたらここから出て、また別の宿を探さなきゃならない。早く頭痛が治まらないことには話にならないけど、まだ当分動けないだろう。ひとまずトイレに行きたくて、ゆっくり体を起こした。
「起きたか?」
聞いたことがある声。
――うそ……
淡雪は驚いて目を開け、勢いに任せて顔を上げた。ものすごい頭痛で、表情が一気に歪む。
良助が台所でコーヒーを飲みながら、こっちを見て声をかけてきた。
都合のいい夢だと、淡雪は思った。
「頭痛いんでしょ? あんなに飲んで吐いて。なにやってんだよ。心配した」
良助はマグカップを置いてすぐに淡雪に駆け寄り、淡雪の額に手を添える。大好きな良助の手。でも淡雪は、それを力なく薙ぎ払う。
「なんで……。なんでなん。俺はここを出ていったんに。なんでまたここにおるん?! なんで俺をもっぺん拾ったん?!」
力が入らない声で、淡雪が良助に噛みつく。
「淡雪のことを探して見つけてたからだよ」
それに動じない、落ち着いた良助の声と表情。
「拾ってくれなんか頼んでないやろ! メモ見てないんか?! なんなん、俺の気も知らんで。また家に連れ帰って。女がおるなら、さっさとそういえばよかったやん! 家の近所で会うくらいなら、もういっそ潔く家の中にあの女連れて入って、俺のことなんかその場で捨てればよかったやん!」
自分の怒鳴り声が、淡雪の頭に響く。でも怒鳴らずにはいられなかった。
どんな思いで自分がここから飛び出したのか。どれほど泣いて酒を飲んだか。なにを望んでここから出て行ったのか。全部台無しにして、またここに引き戻されて。改めて彼女を紹介して、きっちり別れの言葉でも交わしたいのか。それが嫌だったから家を出たのに。
もうこれ以上辛い思いを、したくなかったのに。
「淡雪、そうじゃないんだよ。たしかに俺は家の近くのコンビニの駐車場で、女の人と会ってた」
「じゃあなんも違わんやろ!」
「違うんだって、話しを聞いてくれ!」
良助の大きな声も、無事淡雪の頭痛が蔓延する頭と耳にぶっ刺さった。
ギーン! と良助の声が響き、淡雪の表情が苦く歪んで片耳だけ手で覆った。申し訳ないと思うも、聞く耳を持たなかった淡雪もよくない。良助はズンズン淡雪の元まで歩いて行って、ソファの上にちょこんと座る淡雪の目の前に腰を下ろした。
淡雪は伏し目がちにスッと良助から視線を逸らす。それでもかまわず、良助は淡雪の手をギュッと握った。
「淡雪。あの女の人、俺の妹なんだよ」
淡雪は良助の妹と顔を合わせたことがない。しかも、良助と妹の沙穂は、顔が全然似てない。パッと見他人である。
「妹さんと会うなんか言っとらんかったやん。しかも顔ぜんっぜん似とらんやったし」
あの日良助は、妹と会うなんて言ってなかった。言い訳と疑って当然であり、とてもこの状況で良助の言っていることは鵜呑みにできない。
「沙穂と俺は似てない。俺は母さん似で沙穂は父さん似だから。黙ってたのには理由があって、コンビニの駐車場で沙穂からこれを受け取ったんだよ」
そう言いつつ、良助はテーブルの脇に置きっぱなしにしていた仕事用のカバンから、大きな市役所の封筒を取り出した。
淡雪の良助に対する疑いの気持ちは、まだ全く解消されていない。騙されない。怪しければつっこむという気迫。
――そんな野良猫みたいにならなくてもいいのに
なんとしても、もう淡雪をフラフラさせたくない。
良助が封筒の中から取り出したのは、婚姻届とパートナーシップ制度や養子縁組についての資料。テーブルの上に、全て並べて置く。
「俺は平日仕事でうろつけない。まっすぐ家に帰りたいってわがままも、押し通したい。早く家に帰って、淡雪と1秒でも長く一緒に居たい。淡雪は市役所に行ったことないから、一人で行かせるのは怖かった。俺がいないときに万が一なにかあったらと思うと、ずっとハラハラしちゃって」
淡雪は、基本家から出ない。買い物しか外出しないのは、淡雪自身行きたい場所がないから。それに、いろんなところに行くスキルを身に着けてしまうと、そのうち淡雪がどこか行ってしまうんじゃないかと思って良助は怖かった。だから単独で行動するようなおつかいは、絶対に頼まない。
目の前の用紙と冊子を目にして、淡雪は声が出ずにいる。捨てられるとしか思ってなかったから、こんなものが出てくると想定していなかった。鬱を患って以降、最悪の未来しか想定できない。だから良助に女が出来て、その女と楽しげに話してて、そのうち自分が捨てられると思った。
捨てられる前に出て行った。そうすれば、嫌な雰囲気で話し合いをしなくて済む。
荷物を少ないままにしておいてよかった。荷造りが簡単で、荷物を持って何回も車を往復せずに済んだ。
実家から持ってきた一眼レフカメラ。置いて行こうか、一瞬悩んだ。良助との思い出が詰まった、幸せの塊。引っ越して以降、あまりにも毎日が幸せだった。
それを懐かしむことができる日が来るかわからないけど、それでもあの幸せだった日々を手放すことはできなくて。泣きながら助手席に一眼レフカメラをおいた。
断腸の思いで淡雪は荷物をまとめた。そして良助に買い物を頼み、彼が家から出て行ったのを見計らって、鍵と指輪を置いて家を出た。
良助を忘れるために飲んだ酒は、最悪な回り方をした。悪酔いして飲んだ薬は、体に入れちゃいけないものの味がした。記憶が吹っ飛ぶくらい、めちゃくちゃ吐いた。
それなのにまたここに戻ってきて、怒られるわけでもなく、それどころか婚姻届がテーブルに乗っている。
「沙穂がちょうどこっちに用事で来るって言ってたから、これを取ってきてもらってコンビニの駐車場で受け取った。呆れてたよ、沙穂。そんなに淡雪のことが好きなのかーって」
テーブルの上に資料を置いて苦笑しながら振り向くと、淡雪はやっぱり泣いていた。せっかくのかわいい顔が、涙と鼻水でぐしゅぐしゅになっている。タオルで淡雪の顔を拭きつつ、良助は話を続けた。
「俺個人としては、養子縁組もアリだと思ってる。俺と同じ籍に入ってほしい」
そうすれば、俺が目移りするだなんて思わないだろう。
「今度妹夫婦に淡雪を紹介したい。先にしなきゃいけなかったのに、先延ばしにしてしまった。今回起きたことは、全部俺に落ち度がある」
沙穂たちを説得するのに、時間がかかってしまった。年始のときは渋かった妹夫婦を、時間をかけて説得した。ラインでのやり取りを繰り返し、頃合いを見て何度も電話で話した。まことの力も借りながら少しずつ説得して、ようやく自分の気持ちを知ってもらえた。
淡雪が傷つかないように。淡雪が泣かないように。辛い思いをさせないように。そう思っての行動が裏目に出て、今回のことを招いたのかもしれない。
「俺は淡雪のことが大好きだから、これからも一緒に生きて行きたい。提出できないけど婚姻届を書いて、そのうち指輪の交換もしたい。できれば養子縁組を組んで、四季から橘になってほしい」
自分の勘違いだったと謝りたいのに、良助はそれを許してくれなかった。
"ごめんなさい"って、謝ってほしいんじゃない。
これからの幸福を願い、そこに向けて一緒に歩んでいきたい。もう別のなにかに視線を向けることなく、自分たちの幸せをかみしめて生きていきたい。
それは決して実現できない未来ではなく、高望みでもないのだ。
「もうどこにも行かないで。俺だけの淡雪になってください」
拭いても拭いても追いつかない、淡雪の涙と鼻水。淡雪の涙を親指の腹で拭って、良助は淡雪の左手を取り、置いて行った指輪を左手薬指にはめた。
「こんな俺でよければ、貴方の隣に、……居させてください」
泣きながら、口の中を噛みながら。ようやく淡雪は、良助の元に落ち着く決心がついた。
もうどこにも行かない。
否定し続けた自分が幸せになることと、大好きと思える人との未来。
俯いていた淡雪の目と心が、前を向いた瞬間だった。
もうフラフラしない。ずっと一緒に、同じ未来を。幸福を望むことは、決して高望みでもなんでもない。淡雪はようやく良助から逃げることをあきらめ、自分と良助の未来を歩く決意を固めた。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




