第20話 逃亡
ほんの数分家を空けただけで、淡雪が家から姿を消した。心当たりがある場所を全て探したが、淡雪の姿はない。絶望する良助のスマホに着信を入れた人物とは――?
9月中旬。
いつも通りの朝だった。朝ごはんを食べて、仕事に行って。笑顔で淡雪は良助を見送った。
家に帰ると、いつも通り淡雪が出迎えてくれた。鞄を持ってくれて、リビングに入ってキスをした。今日もお疲れ様と労い合って、着替えを済ませた良助。
「ごめん、ケチャップ切らしてる。買ってきてもらっていい?」
チキンライスに使うケチャップが少なかったらしく、珍しく淡雪から買い物を頼まれた。家の近くにはコンビニがある。そこにケチャップくらい売ってるはず。
「オッケー。一緒に行く?」
アイスでも買おうかと思った。一緒にコンビニに行ってアイスを買う。それだけで良助の心は充分弾む。
「俺は家におるよ」
スープを温め直している。料理の最中で手が離せないのだろう。笑顔の淡雪。先日渡した指は右手薬指に入っていたし、本当にいつもと変わらない様子だった。
「じゃあ行ってくるね」
良助は淡雪に一言告げて、彼を家に置いてコンビニに向かった。コンビニは目と鼻の先。すぐに買い物は終わって、ケチャップだけ買って家に帰った。
鍵は開いている。
「ただいまー」
声をかけたけど、淡雪は出てこない。家を空けたのはほんの数分だったし、多分料理で手が離せないんだろう。そんなことを思いつつ、リビングのドアを開けた。
「淡雪……?」
淡雪はどこにもいなかった。
テーブルの上には、家の合い鍵と淡雪に送った指輪。渡していた通帳と印鑑に銀行のカード。
『愛してくれてありがとう。幸せになってください』
メモ帳に。直筆で。これだけ書かれていた。
意味が分からなかった。出来上がったコンソメスープの香りが充満した部屋から、淡雪は忽然と姿を消していた。
なにがなんだかわからないまま、良助は急いで寝室のタンスを勢いに任せて引く。ほんのわずかしかなかった淡雪の洋服が、全部なくなっていた。淡雪がこっちに来るときに使った衣装ケースがあるか納戸を確認すると、それもなくなっている。
淡雪が使っていた歯ブラシもコップも、家の中にあったはずの痕跡全てが、ものの見事になくなっていた。
最初から淡雪がこの家に存在していなかったかのように、本当に私物を残さず居なくなっている。
ほんの数分家を空けただけでと思いつつ、焦って転びながら良助は駐車場に向かった。
淡雪の車がない。どうやら昼間のうちに車に荷物を積み込んでいたらしい。
家の鍵と免許証だけ持って、良助はすぐに自分の車に飛び乗った。
どうしてこうなった? いつ淡雪を追い込んだ?
いつも通りだった。それがいけなかったのか?
コンビニに行って帰るまで、恐らく10分とかかっていない。まだそんな遠くに行ってないはず。
家から高速道路の入り口まで、車を飛ばしても片道20分くらいかかる。淡雪はこの土地に慣れてない。地の利がなく、淡雪の車のカーナビは相当古いものがついていた。道を覚えるのも不得意と言っていたので、自力で行ける場所は限られる。
でも待て。自力で行ける場所にわざわざ行くだろうか。なにせ相手は、自分の元からなにも言わずに去って、現在進行形で姿を消そうとしている人間なのだ。想定できる場所に行くとは考えにくい。
だとしたらどこに行く?
街灯がともる道路を、やみくもに車で駆ける。前の車が邪魔で仕方がない。もしかすると、前の車のその前を、淡雪の車が走っているかもしれないじゃないか。店の少ないこの田舎は、駐車場も少ない。車を停めることが少ないからこそ、車で行くことができる場所が限られる。
車を飛ばし、近道を使って高速道路の入り口付近にあるコンビニへ。
店員に淡雪の特徴を話し、店に来たか聞いたところ、それらしい人はここに立ち寄っていないと言っていた。30分ほどコンビニ内のイートインスペースで淡雪の車が高速道路に入っていかないかを見ていたが、それらしい車は通らなかった。
コンビニから出て、家の近所のスーパーに入る。店員数名に聞き込みをしたが淡雪の姿を見た人はいない。
家に帰っていないかと駐車場を見に行ったけど、当たり前だが戻っていなかった。
どこに居るかわからない。
電話をかけても、スマホの電源を切っている様子。
何度かけても、同じ音声しか耳に流れてこなかった。
どこを探せばいいかわからないけど、なにもしないまま家に居ることもできず。また夜の道に車で繰り出す。
――淡雪……
どうか無事でいて。また俺の元に戻ってきて。
怪我をしていませんように。変な人に絡まれてませんように。
自らの命を断つような選択に、至っていませんように。
なんで。
どうして。
どこで間違って、なにも言わずにいなくなってしまったのか。
泣きたくないのに、悔しくて心配で押しつぶされそうになって涙が出る。
淡雪が死んだだなんて思っていない。
でも淡雪の持病を考えると、命を軽んじた行動に出る可能性がゼロじゃないと思ってしまう。
それがとにかく怖くて仕方がない。
ずっと一緒に居るって言ったのに。指輪だって渡したのに。籍をどうしようなんて具体的な話だってしてたのに。
それじゃ淡雪は安心できなかったということなのか。
それとも、そもそも俺のことなんて最初からそんなに好きじゃなくて、言われるがまま一緒に居ただけだったのか。
考え出すと、嫌なことしか浮かばない。
でもそれを払しょくできるわけもなくて、とにかく思い当たる場所をしらみつぶしに来るまで回った。
車を走らせていると、外からドーンという打ち上げ花火の音がする。
今年最後の打ち上げ花火。
一緒に見たかったなんて思う心のゆとりは、良助にはない。空で爆ぜては消える艶やかな花火の閃光を見ることなく車を走らせ、見えない淡雪の背を追う。
スーパーにも、コンビニも。今まで2人で行った場所に、淡雪の痕跡はなかった。
妹に連絡して、前淡雪との待ち合わせで使ったスーパーを見てもらったけど、いなかったと連絡が入った。
もうどこを探せばいいかわからない。
コンビニの駐車場で、ハンドルに両肘をついてうなだれる。
どこに行ってしまったんだろう。
なんで居なくなってしまったんだろう。
どうして俺は、あのとき淡雪を家に置いて行ってしまったんだろう。
後悔しか生まれない。
深く深くため息をつく。帰るなんて選択はない。でも探す当てもない。
どうすればいいか。もうわからない。
スマホに着信が入った。淡雪かと焦ってポケットに入れていたスマホを取り出すと、姪のまことからだった。
「もしもしおじちゃん?! こないだのお兄さん、いなくなったの? 探せるとこ全部探した?」
まことの声がスマホを当てた良助の耳に刺さる。
「……探したよ。どこにもいなかった」
枯れた声しか出ない。
「海は? こないだお兄さんと話したとき、海で花火観たいって言ってたよ! 海行ってみた?」
「海なんて……。今まで連れてってないから、自力じゃ行かないよ」
今まで淡雪は、自発的にどこか行きたいとねだってきたことがない。そう思うと、相当遠慮させながら生活してたのかな、なんて思わざるを得なかった。
「行ってもないのになに言ってんの!? バカなの?! おじちゃんの家から海って車で5分とかで行けるじゃん。行き道分かんなくても、適当に走ってりゃ駐車場見つけるはずだよ! 大きな駐車場が道端にあったはずだもん!」
まことにドカンと怒鳴られて、良助はついスマホから耳を遠ざけた。
海に行きたいなんて、今まで淡雪は言わなかった。でもまことにはそう言ったらしい。
――なんでまことなんだよ。なんで俺に言わないんだよ。海で花火観たかったって
純粋に悲しかった。淡雪が自分に、本音を言ってくれてなかったような気がして。やりたいことの一つも言えないような関係だったなんて。
でももしまことが言っているように淡雪が海にいたなら、もう一度しっかり話したい。もう一度淡雪と会いたい。会って気持ちを確かめたいし、これからのことも話し合いたい。
「行ってみる。ありがとう」
当てがないままフラフラするより、一応の目的を持っておいた方が、万が一淡雪の車を見つけたときにすぐ動けるかもしれない。薄い望みを持ってまことにお礼を言い、良助は車を出した。
花火の終了時間が差し迫っている。駐車場に入るのも時間がかかったし、駐車場にうじゃうじゃ人がいた。こんなに人が多い場所、淡雪が一人で来るわけがないじゃないか。やっとこさ一つ空いた駐車スペースに車を突っ込んで、車を降りる。
浴衣を着た人。友達同士。親子。カップル。夫婦。いろんな人が、駐車場にごった返していた。
人混みに目を泳がせても、やはり淡雪の姿はない。駐車場には結構車が入っているから、淡雪の車があるか探すことはできなかった。人の流れに逆行して、海に続く石の階段を上る。
打ち上げ花火の音が近くで聞こえ、良助の顔があがった。
今にも落ちて着そうな、大きな花火。多少距離があったとしても、これだけ大きく花火が見えるなら、淡雪だったら人を避けて端に端に逃げて行ったはず。
もし本当にここに来たなら、もっと端っこに居る。
石の階段を登り切って砂浜を見下ろすと、砂浜にはたくさん人がいた。右に行くと大会本部のテントと出店がある。それを避けるなら左に歩いたはず。左、もっと左。人の目を逃げるために左方向に進むにつれて、人がまばらになり始めた。
花火に背を向けて歩く。砂浜で遊ぶやんちゃな若者の影もなくなり、ゆさゆさ不自然に揺れる車を見送り、ずっとずっと人から離れて、街灯もなくなって。砂浜には、倒木と流木が転がっている。足場悪い場所に人はいない。
人はいないから、安心しできる。
見たことある姿。
倒木に一人ぽつんと腰かけて、花火を眺めている。
彼は缶飲料を口に含んだ。
急いで良助は砂浜に降りる。
正面から攻め込むと逃げられてしまうかもしれない。
背後から話しかけようと、ない体力を振り絞って走り、砂に足を取られて手をつきながらそっと彼の背後に忍び寄った。
倒木の隣には、飲み散らかしたアルコール度数の高い缶チューハイ。空になっているのか、倒れている。
その近くに転がる、砂にしては大きい白い粒。
見たことがある、白い錠剤の山。
形が崩れてるものも多い。多分吐いたんだろう。
最初みたときと同じ姿。
空になった缶チューハイをその辺に転がし、酒と薬を吐き散らかしてうなだれる。
こちらの砂を踏む足音に気づいたらしい。彼の顔が上がり、座ったまま上半身だけ振り向いた。
「なんやお兄さん。俺のこと買ってくれるんか?」
出会ったときと同じ文言を、あのときと同じ酔っぱらった笑顔で。
淡雪は身体売る気でいた。それに酷く心が痛い。俺の元から離れて、またどこかフラフラする気でいたんだろう。
でも心の痛さを超える、どうしようもない安堵感。淡雪は五体満足で、酔ってるせいか自分から逃げる様子はない。……ちょっと派手に吐いてるけど。
「そうだな」
あのときと同じ言葉をかけながら、淡雪に手を差し伸べる。
ドーン! と、今日で一番大きな花火が上がった。
良助の寂しげな笑顔。酔っぱらった淡雪のへらへらとした笑顔。
淡雪は良助に座るよう手招きした。まだ帰らないらしい。
仕方なく良助は淡雪の隣に腰を下ろす。
「お兄さんかっこいいねー。俺の大好きな人とよぅ似とるわぁ」
隣に座った良助に、淡雪はすぐもたれかかった。しっかり酒臭い。そしてちょっとゲロ臭い。
「好きな人がいるのに、こんなところでなにしてるの?」
どうして俺から逃げたんだよ。なんて、ストレートに聞けなかった。
「大好きな人なぁ。女の人と楽しそーに話してたんよ。……やっぱ俺やなくて、女がいいんやなって思ったらさ。耐えれんかった」
そう言って、淡雪はボロボロっと涙をこぼした。
心当たりがあるだけに、否定はできない。
たしかに女と家の近所にいた。まさかあの時間淡雪が外に出てるなんて思わなくて、会ってたなんて知らないだろうと思ってた。
なにも言わなかった俺が悪い。
良助は深いため息をついて、泣いてしまった淡雪の肩をギュッと抱いた。
最後に上がった、大輪の花火。
2人はそれを見上げることなく、お互いの存在だけを確かめ合いながら、花火が残した破裂音だけを耳の中に残した。
良助が一緒に居た女性とは誰なのか。涙にくれる酔っ払いの淡雪を連れて、良助は家路につく。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




