第19話 ずっとそばに
家に居れば、良助が帰ってくる。家に帰れば、淡雪が待っている。当たり前の毎日なのに、そこにさえ小さな不安が生じる。それを補うように、その不安を払しょくするために。良助は淡雪に小さな贈り物をした。
8月。暑さの真っ盛り。真夏の日照りを避けて、夕方良助の両親が眠るお墓に出向いた。お墓があるお寺まで、車で片道15分。お花と線香を買って、帰りに晩ごはんの買い物をする。
淡雪は緊張していた。自分みたいな同性の持病まみれの人間が、淡雪の親御さんのお墓参りなんて。そんな偉そうなことをしてもいいのだろうかと、車でお寺に向かう道中ずっと悩み続けた。
良助には、もっといい人がいるかもしれない。自分は子どもが産めないけど、女の人だったら再婚して子どもを産んで家庭を築いてと、明るい未来が待ってるだろう。自分はなに一つとしてかなえてあげられないかもしれない。ふがいなくて仕方がないじゃないか。
お寺でのお墓参りは、滞りなく終わった。墓参りだからなのか、淡雪の表情は終始あまり明るくなく、変なことを考えてないか心配でならない。というか、助手席に乗っかっている淡雪の横顔を見ると、がっつりうつ向いている。多分変なことを考えて一人で凹んでいるんだろうなと、思うほかなかった。
「淡雪?」
声をかけると、淡雪の顔がスッと上がる。
「なに?」
こちらに向けた淡雪の笑顔は、やっぱり向こう側に曇り空が見えるような笑みだった。無理して笑ってるのがわかる。
「どうしてなんでもないような顔するの? なにか悩んでたでしょ?」
隠し事はしてほしくないし、自分にはもっと甘えてほしい。わがまま言えよと良助は思いつつ、淡雪に声をかけた。
「……そ、そんなこと」
「そうやってなんでもないっていうのは、ナシにしようよ。なに考えてたの?」
取り繕うってもそうはいかないぞと、運転しつつ良助は淡雪に切り込む。
逃げられそうにないと悟り、淡雪はまたうつむいた。
「……ご両親に申し訳なくて。俺は良助さんの子どもを産むことが出来んから。幸せな家庭を築くことができん」
「子どもがいることが幸せな家庭なのか? 異性と再婚することが俺の幸せなの? 本当にそう思ってる?」
できる限りの愛情を注いでいるが、淡雪はまだこんな感じでフラフラしてしまう。いい加減、自分には淡雪しかいないという気持ちが伝わってほしい。
「だって普通はそうやから」
淡雪は淡雪でうつむいてしまってるので、多分本気で悩んでいるのだ。
「淡雪はどうなの? 俺とずっと一緒に居るより、女の人と結婚して子どもがいる未来の方が幸せだと思ってる?」
「そんなことないよ! 俺はずっと良助さんと一緒に居たい。子どもが欲しいなんか思ったことないし」
子どもはかわいい。でも自分の子どもを持ちたいと思ったことは、今まで一度もなかった。
姉の子どもを預かり、職場でも子どもと接していて、親になる資格は自分にはないと思った。鬱は治らないし、育てる自信もない。好きだから、かわいいからという理由だけで子どもが欲しいとは思えなかった。
「俺もだよ。淡雪とずっと一緒に居たい。……黙ってたけど、俺あんまり子ども得意じゃなんだよ。どう接していいか分かんなくて。嫌いじゃないんだけど、欲しいと思ったことはない。前結婚してたときも、そうだった。子どもを持とうと一度も思わなかった」
淡雪の仕事柄、子どもがあまり好きではないことは伏せておきたかった。淡雪から嫌われたくないという思いが、なにより一番強い。
それはそうだろう。良助は、この歳で一世一代の恋をしている。
絶対逃がしてなるものか。自分でも恐ろしいと思うほど、淡雪のことが好きで仕方がない。
淡雪がなにも言わなくなってしまって、良助は内心ちょっと焦っている。子どもがあまり好きではないといったことに対して、幻滅されてしまったかもと思い、心の中ではあわあわしているわけで。
「あ、淡雪……?」
恐る恐る声をかけるが、淡雪の方を見る勇気が出ない。
「……良助さん」
小さな淡雪の声が返ってくる。
「は、い……!」
そんな動揺するなよと思うも、良助の声にはもろに動揺が滲んでいた。すごくかっこ悪い。信号が赤になって、ハンドルを握っていない良助の左手にそっと淡雪の手が乗っかった。
「ごめん。俺は最低の人間やから、それを前提に聞いてほしい」
ギュッと淡雪の手が良助の手を握る。緊張に次ぐ緊張で、良助の心臓もギュッと縮む。
「ごめんね。良助さんが子どもあんまり得意じゃないって聞いて、……安心してしまってる。俺は子どもが産めんから。子ども欲しいからって捨てられる可能性が低くなったのが、ものすごくうれしかった」
今の良助の気持ちを聞いて、子ども絡みでの破局の可能性が今のところ低い状態だとわかって、淡雪は酷く安心した。そんな自分を、最低だと思う。
「捨てないよ。……絶対捨てるわけないでしょ。こんな遠くまでついてきてくれて、感謝しきれない。いつも家に居てくれるのが、本当に俺にとってのご褒美なんだから。だから、だからいい加減、俺が淡雪から離れる未来を想定するのから卒業してくれよ」
自分の本気の気持ちを、なんとかダイレクトに淡雪に伝えたい。注ぎ込みたい。
「……うん」
それがなかなか難しいのは、やはり鬱が邪魔をしているせいなのか。淡雪の笑顔は、きれいだった。そして、あまりに切なかった。
お盆が終わって、8月も終わりが見えてきた。淡雪のメンタルはアップダウンを繰り返しながらも、少しずつ少しずつ良くなってきている。ちょっと前まで全く見ることが出来なかった、求人雑誌を眺めるくらい回復してきている。
「仕事はまだ駄目だからねー」
求人雑誌を眺める淡雪に、良助がすぐ釘を刺す。
「内職ならいいかなーって思っとるんよ」
家の中から出ない内職であれば、もしかするとと思う。夏は電気代が高くなる。やはりなにもしないままというのは、うずうずして仕方がない。家計の足しになるなら、内職でもと思った。
「もー! だーめ! すぐ働きたがるんだから。鬱もだけど、落ちた分の体重を元通りにしなきゃだろ? 秋になったら、またどこか出かけたい。もっと元気になって、また写真をたくさん撮ってほしい」
今まで経験できなかった楽しいことを、自分が全部経験させてあげたい。そんな風に良助は思う。だからだろうか、淡雪と暮らし始めてものすごく仕事ができるおじさんになった。
しごできおじさんになったから、ちょっと給与も上がった。それに、自信もついていろんなことも考えてしまう。
8月の終わり。ちょっと寄り道をしたため、帰宅時間が遅くなった。
「ただいまー」
ドアを開けると、いつも淡雪が玄関まで出迎えに来てくれる。
「おかえり。残業? 遅くなるって連絡あったから心配した」
良助のカバンをもらい、淡雪が先にリビングに入る。鍋のお湯を温め直して、冷やし中華の麺を茹でる準備に入った。
鍋に火をつけて良助のカバンをソファの上に置き、テーブルを布巾で拭いてきれいにする。
いつもと同じ流れ。お風呂の栓を閉めるため、脱衣所に行こうとしたときだった。
「捕まえた」
着替えを済ませた良助からのバッグハグ。
「捕まった」
振り返ってキスしちゃうもんねと、淡雪は振り返ろうとした。
「ダメ。じっとしてて」
動かないでと良助からささやかれ、ちょっとスケベな気持ちに火が着きつつ淡雪の動きが止まる。
「淡雪は美人さんでまだ若くて、料理も家事もぜーんぶこなせるから。俺は誰かに取られちゃわないか心配なんだよ。毎日毎日仕事に行く前心配してる。宅配の兄さんにイタズラされたらどうしようとか、お隣さんからちょっかい掛けられたら困るなとか。そんなことばっかり考えてる」
今すぐ始めるセックスは、きっとものすごく気持ちがいい。お互いそちらに気持ちが向いているのが伝わる。期待してしまうじゃないか。
「誰も俺なんか見らんよ。家から出てない」
「出ちゃダメ。俺のもんだって他人に分からないまま淡雪を外に出すのは、俺の精神衛生上よくない」
キスしたい。振り向いた淡雪の顔はすでにとろんとしていて、今すぐ是非と言わんばかりの表情だった。
本当は今すぐしたい。でも風呂に入ってないし、お湯だって沸いてる。
っていう言い訳を、良助は自分に言い聞かせた。セックスは食事の後の方がいい。おじさんなので、腹が減ってると戦にいささか不安を感じてしまうのだ。
「淡雪が誰にも取られないように。おまじない」
そういって淡雪の顔を見て微笑んで、淡雪の身体から腕を離して右手を取った。
シルバーの小さなサファイアが入ったリングを、淡雪の右手薬指に差し込んだ。
とろんとしてた淡雪の表情が、一瞬でカチッと固まる。あまりにわかりやすくて、良助はつい笑みをこぼす。
なにがあったかわからないまま、自分の右手薬指に入っているリングを食い入るように見つめる。
「……っえ!?」
どう見ても自分の右手薬指に指輪が入ってる。勢いよく淡雪の顔が上がった。目が真ん丸になっている。
「結婚の約束をしてほしい。……まだなにも具体的に決まってないけど。籍をどうするとか、写真をどうするとか。……淡雪の気持ちを聞かせてほし」
話しをするに従い、淡雪の表情はそのままに淡雪の目からボロボロ大粒の涙があふれ始めた。
「ちょ、ちょっと待った、これなんの涙? ですか……?」
とっさに首からかけていたタオルで、淡雪の涙をそっと吸う。良助の1日分の汗をしっかり吸った、汗臭いタオル。汗臭っと思う心のゆとりが生まれ、淡雪は思わず小さく笑った。淡雪の笑顔につられて良助も困惑の笑みを返すが、いったいなんで笑ってるのか意味は分かってない。
戸惑う良助を見上げると、今日も汗びっしょりになるまで働いて、帰ってきてくれて嬉しいと心底思う。指輪までもらってしまって、幸せ以外の感情なんて湧くわけないじゃないか。
「嬉しい。大事にします……! ずっとそばに居させてください」
嬉しくてなく日が来るなんて、自分には無縁だと思ってた。
だからだろう。嬉しくてたまらない。
昨年9月。出会ってまだ1年と経たないうちに、こんなに人生が変わるなんて。
お互い思ってもみなかった。今の幸せをかみしめる。
小さなほころびは、本当にその辺の石ころのように無数に転がっている。
そしてそれがいつこちらに飛んでくるか、いつそれに躓くかなんて、誰にも分らない。
「俺は家におるよ」
淡雪がこの言葉を最後に家を出ていく未来が来るなんて、良助も淡雪自身も、今は微塵も考えていない。
一緒に紡いでいく幸せ。一歩一歩踏みしめているはずのそれが、小さなきっかけでほころび、そして淡雪の足は外へと向かう――。
評価などいただけると嬉しいです。
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