第18話 親のこと、実家のこと
今まで明かされていなかった良助の親のこと。そして、淡雪一人が実家でひどい仕打ちを受けていた理由。それが明らかになる。
今年の夏も、灼熱の気温と皮膚を焦がすような直射日光が、毎日もういらないってくらい降り注ぐ。8月に入って、気温はさらに上昇。毎日汗だくで良助は家に帰ってきては、汗臭いのに淡雪にべったり引っ付くような生活を繰り返している。
「良助さん、汗臭い」
淡雪はあの日以降、緩やかに回復中。薬の量が少し増えたのも、メンタルの安定につながっているのかもしれない。今目指すのは、増えた分の薬を元に戻すこと。焦らずゆっくり減薬を目指す日々の中で、淡雪の笑顔が増えて行くことは、良助の安心と癒しになる。
「冷たいこと言うなよー」
汗臭いだろうけどさと思うも、家に帰ったら淡雪と離れたくない。かわいい、もっと笑ってほしい。
42歳。これが恋なのかもしれない。これが愛なのかもしれない。淡雪がいるだけで幸せだと思える。どうしてこんなに淡雪のことが好きなんだろうか。自分でもよくわからない。でもものすごく好きなのだけは分かるし、自信がある。
8月に入り、良助の誕生日の前日になった。誕生日は有休をとって旅行に行こうかと思ったが、あまりに暑すぎるので家から出ないことにした。
仕事から帰ってごはんを食べて、車を走らせてDVDレンタルショップに行く。田舎すぎて、そういう店が全然ない。ちょっとドライブしながらレンタルショップまで車を転がし、映画とアニメを複数レンタルした。お盆休みも来るので、それも踏まえて多めにかごにDVDを入れる。
「そんなに観る時間あるん?」
良助が持つかごには、DVDがぎっしり。淡雪がかごに入れたのは、ちょっと話題になってるアニメ1本だけ。
「ある! お盆休みも込みだから」
強気の良助。お盆も最低限しか外に出ない気でいる。外は暑い。花火大会の時以外は外出しないと、心に決めているのだ。
「お盆、ご実家には帰らんでいいの?」
「実家……? 淡雪、実家帰るの?」
「俺やなくて、良助さんが」
「俺の実家?」
ぽかんとなっている良助。それを見て小首をかしげる淡雪。見つめ合ったまま、一瞬時が止まった。
「そうか、まだ淡雪に俺の親のこと話してなかったのか!」
すっかり忘れてしまっていた。借りたいDVDを全部かごに入れて、淡雪の手を引いて会計に向かう。できれば静かなところで、淡雪が自分を責めてしまわない環境を整えて話がしたい。「ちょっと待ってね」と声をかけて会計を済ませ、淡雪の手を引いてちょっと足早に車に向かう。
車に乗って、静かな空間になった。DVDを後部座席に置いて、運転席の良助が助手席に座る淡雪の方を向く。なにかまずいことを言ってしまったのだろうかと、淡雪は少しオドオドしていた。
「そんなビビらないで。怒ったりしないよ。俺の親のこと、話してなかったから話そうと思って。静かなところで話したかっただけだよ。そんな恐ろしい話はしない」
優しく優しく、とにかく今の緊張を解きほぐすように淡雪に声をかける。
良助のことは大好きだし信頼している。でも今まで人から捨てられ続けてきたので、どうしても淡雪は万が一がぬぐえない。万が一なんてないと思っているのに、その気持ちとは裏腹に身構える自分がいる。
淡雪の様子を見て、手を取る。自分の手を乗せたら、淡雪がちゃんと握り返してきた。ただ怖がっているだけではないのが良助に伝わる。
「俺の親なんだけど、2人とも10年以上前に病気で亡くなってる。だからお盆はお墓参りに行こうと思う。淡雪が言ってくれなきゃ、お墓参りに行くの忘れてたかもしれない。俺が今人生で一番幸せなことを親に報告したい。お墓参り、一緒に来てほしい」
穏やかで温かい良助の声。怒ってないのがわかる。なんといえばいいのかわからない。謝るべきなのか。話してくれてありがとうが先なのか。こういう状況になったことがないから、なにから話せばいいかわからず、良助の手を握る淡雪の手に少しだけ力が入った。
「分かるだろ? 俺は今、怒ってるわけでも、悲しんでるわけでもない。親の死は既に乗り越えてる。親はきっと俺が幸せになることを望んでると思う。もし淡雪がこれからもずっと俺と一緒に居てくれるなら、お墓参り一緒に来てほしい。どうだろう。来てくれる?」
良助が優しすぎて、どう声を返せばいいかわからず、淡雪は声が出ないまま2回頷いた。
家に帰りついて、夜更かしするために気合を入れる。借りてきたDVDをテーブルに置いて、良助はソファに腰かけた。その隣に、すぐ淡雪が座る。
「良助さん」
「なんだい?」
名前を呼ばれて淡雪の方に視線を向けると、しっかりこっちを上目遣いで見上げていた。かわいい。
「ご両親のこと……」
「謝るのはナシだよ」
「でもごめん。配慮がなかった。謝らせて。俺の気が済まん」
淡雪は律儀だし、凄く真面目だと思う。真面目過ぎて心配になるくらい。家事も料理も、きっちり完ぺきにこなしてくれる。だからこそ心配でならない。もう少し手を抜いて、もう少し気楽にやってくれてもいいのに。なかなかそれが浸透しない。
「わかったよ、ありがとう」
淡雪の気持ちを無碍にせず受け取る。責めることなく、受け止める。良助の優しさが、淡雪にとっては救いともいえるのかもしれない。
数秒沈黙があり、その間テレビからお笑い番組の声が流れていた。
なんでやねん! というツッコミ。ワーッと湧く客席の笑い声。なんとなくそれが遠くで聞こえる部屋に、2人並んで座っている。
DVDをつけようかと思っていると、淡雪がちょっとだけ張り詰めた表情と赤面を合わせたような複雑な顔をしていた。
どうした? と良助が声をかける前に、良助と目を合わせないまま、僅かに斜め下に視線を逃がしつつ淡雪が口を開く。
「お、お墓参り……。一緒に行きたいと思ってます」
急に淡雪が敬語で話し始めてしまい、なにか不安なことがあったのかとすぐに淡雪の方に視線を向けた。
良助と視線が合う。やっぱり良助は心配してくれていて、思っちゃいけないと思うもかっこいいなと思いほのかに淡雪は赤面した。
「俺は早合点しがちやから違ってるかもしれんけど、さっき良助さんが言ってくれた"これからもずっと一緒に居てくれるなら"って言葉がプ、プロポーズに聞こえてしまって……! ごめん、気持ち悪いこと言って……」
淡雪が言ったことを思い返してみると、たしかにそう受け取れる。それに気づくと、良助も一気に恥ずかしくなってきた。顔が熱い。多分今真っ赤になってる。プロポーズはいつだってしたいくらいだったが、まさかこんな形で言ってしまうなんて。
「気持ち悪くないよ! ちょっと待ってちゃんと言うつもりでいるから、今さっきのノーカン!いやノーカンってのも違うんだよ、ずっと一緒に居たいと思っててでももっとちゃんと言いたいなって思ってる、いい感じの店とかもうちょっとムードのある場所で言いたいし指輪だってちゃんと用意したいし」
ものすごい勢いで息つく間もなく次から次へと良助が話し始めてしまって、淡雪はきょとん。声を挟む余裕なんて全くない。
でも良助がこれから自分と一緒に居る未来を見つめてくれていることが、淡雪にとってものすごく嬉しい。この幸せがずっと続くと思ったら、これ以上の幸福はないだろう。嬉しくて嬉しくて、淡雪は自然と笑顔になった。
淡雪の笑顔は、今まで見たものの中で一番自然で、一番かわいくて。一番愛おしく、良助の目に映った。ようやく良助の口から言葉が途切れる。
「良助さん」
こちらを見上げてくる笑顔の淡雪。
「は、はい」
何度でも淡雪に惚れ直す。今だってそう。惚れ直した。
「大好き! ずっと一緒に居てください!」
まさかの逆プロポーズ。今じゃない、だなんてとても言えず。
すぐに淡雪が抱き着いてきた。まだ細く薄い体。抱きしめると、腰なんて折れてしまいそう。
「一緒に居ます。当たり前だろ~! 今度ちゃんとプロポーズさせろー!」
幸せで幸せで仕方ない。じゃれ合って、キスをして。どこにも行かない誕生日にしてよかった。ずっと一緒に居られる。誰の目も気にせず。2人だけの空間に居られる。それがどうしようもなく、居心地がよかった。
良助の誕生日前日は、プロポーズしあったあとレンタルした映画を観て、それはもう熱い夜を過ごした。今までで一番熱い夜だったのは、言うまでもないのかもしれない。体を交えている最中に日付が変わって、ものすごくスケベな格好で淡雪から「誕生日おめでとう」なんて言ってしまって。嬉しいけど恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて、そしてスケベも盛り上がった。
昼過ぎまでグダグダ寝て、ダラダラ起きて食事を済ませて、晩ごはんの買い物に出る。ビーフストロガノフを作ってくれるらしい。独身時代はもちろん、結婚していた期間も食べたことなんてないおしゃれな洋食。どんなものなのかよくわからないけど、作れるらしい。淡雪は器用だなと、良助は感心する。
近所にある小さなケーキ屋さんで、一番小さいホールケーキを買った。自分の誕生日にホールケーキなんて、子どもの頃以来。おじさんなので、一番小さいサイズを選んだ。どれくらい食べられるかと、良助の中にいささか不安が過る。
スーパーで買い物を済ませて、家に帰って淡雪は夕食の準備に入った。どうやって作るのかと、良助が淡雪の隣に立つ。目が合って、キスをして笑い合った。
淡雪が料理をする背中を見るのが好きだ。自然とにやけてしまう。
淡雪がお盆実家に帰るか、一応聞いておかねばならない。あまり掘り下げたくないし、行かないとひとこと言ってくれればすぐに話題を終わらせる気でいる。ほんの一瞬だけ聞いて終わる。そう心に決め、良助は淡雪の背中に声をかけた。
「なにー?」
朗らかで機嫌のいい返事が返ってきた。料理をしながらなので、このままさらっと聞いてしまうことにする。
「淡雪はご実家帰る?」
「絶対帰らん!」
即答で安心。良助は胸をなでおろす。しかも淡雪の声は軽快で、笑いまで含んでいた。だいぶ調子はいいとみえる。
ここまで回復するのに苦労した。良くなったり悪くなったりを繰り返すにしても、ガリガリに痩せるような病み方はしないでほしい。
「……どうして淡雪は実家であんなに酷い目に会ってたのか、俺はどうしても解せない」
ずっと考えていた、淡雪だけが酷い扱いを受けていた理由。淡雪に原因があるとは思えない。こんないい子なのにと思うほど、やはり首をひねるばかりだった。
良助のそれを聞いて、淡雪が振り返った。
ーー変なこと言ってしまった……!
どうカバーしようかと、良助は一気に思考を巡らせる。
「親父が浮気したんよ。それが母親にバレて、そっから俺への風当たりが強くなった。母親は父親との関係を再構築して、浮気をなかったことにしてる。でもしこりは残ったみたいで、父親以外の男は俺だけやから、しわ寄せが来たんやろうね。本当は親父にやりたかったんやろなってことを、母さんも姉ちゃんも俺にやるようになった。家庭内がそれで穏便なら、俺はそれでよかったんよ。今考えると馬鹿らしい」
淡雪が受けていたことの背景は、あまりに自分勝手な親の事情だった。
笑って流せることじゃない。淡雪は笑ってるけど、たくさん涙を飲んだはず。抜けられない家庭の泥濘。足掻いても仕方なく、飲まれれば窒息する。搾取の先にあるのは、果たしてなんだったのだろう。
考えるだけで、良助はゾッとした。
「俺が今までを取り返して腹いっぱいになるくらい、淡雪を幸せにする。絶対幸せにするから」
報われない思いばかりしただろう。だからこれからは、幸福だけを。もう泣かずに住む未来を、淡雪に。
「もう幸せや。ありがとう」
花のつぼみがほぐれるように、淡雪は微笑んだ。
淡雪が作ったビーフストロガノフは、すごくオシャレな味がしたし、美味しかった。
胃が弱い淡雪とおじさんの良助には、ケーキがあまりに重くって。次の日1日かけて、ゆっくり食べきった。
淡雪が受けていた仕打ちにあったのは、親の身勝手な事情だった。それを知り、良助は淡雪のさらなる幸福を誓い、淡雪は今の幸福を噛みしめる。
評価などいただけると嬉しいです。
活動報告に解説や裏話みたいなものを少し書いてます。




